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悪意の手記
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悪意の手記の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.00pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全6件 1~6 1/1ページ
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○心理を明晰な文章で書き続ける作者の力は見事なものだと思う。謎めいた表現や詩的な表現に頼らず、誰もがその意味を理解できる完全に共有された言葉を使うので、その文意は明瞭であり、それでありながらその描写は新鮮でたしかにそんなこともあるのだろうと納得させるだけの力もある。抒情や詩情というものは逃げのひとつなのかもしれない。 ○しかしながら、ストーリーは唐突すぎるかな。深刻な独白を成立させる前提としてこのような物語が必要だったということだろう。現実には、このような境遇の主人公がこのように明晰な言葉を操ってこれだけの独白をできるとは思えない。この作品は基本的には著者の独白なのだが、そのままではエッセイに終わってしまうから、必要な前提を置いて物語という体裁を取ったということなのだろう。 | ||||
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死に至る病から奇跡的に生還した少年は、闘病中に膨らませた世の中への憎悪から、発作的に親友を殺してしまう...で、それからという、とても辛気臭いお話。 陰々滅々とした内容の手記を延々と読まされると、ネガティブな気分が伝染してしまいそう。手を差し伸べる人がいても、内へ内へと籠ってしまう主人公。せっかく助かった命の無駄遣いともいえる捻くれっぷりは共感できない。文学としての味わいは良いのだろう。 ラストは想定内。それでも、人は何故、人を殺してはいけないか、という哲学的議論になんとなく答えをだしているような。なんとなくだけど。 | ||||
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作者の純文学指向(だった?)がわかる典型的な小説。 が、二十代で(だから、というべきか)こんなベタな話を書けるのが作者の強みだと思う。 | ||||
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致死的な病気から生還した主人公は,親友を殺してしまう. 殺人の過去は,その後の人生に影を落としていく. ドロドロした心理描写がとにかく濃密である. 瀕死状態に陥った入院中の経過から,殺人に至るまでの経緯, その後の短い半生での心理状態まで, これほど自己の精神状態を詳細に語れる人間がいるだろうかと思うほど, 濃い描写である. この種の殺人の加害者像としては,人格障害のような罪の意識の希薄な人物像が 描かれる小説が,最近は多い気がするが, この小説で描かれるのは,普通の人間が,自暴自棄になり,犯罪の露見に怯え, それを誰にも告白できない苦悩を抱えるという共感可能な姿である. これでもかと続く独白を読むのは精神的に疲労するが, それに見合う読み応えがある. ただ,それだけに,大病をしたからといって, 虚無な性格となり,殺人を犯してしまう経緯には今ひとつ説得力がない印象を受ける. むしろ逆に,生命の喜びを実感できるようになるのが 自然な流れではないだろうか(ステレオタイプではあるが). そのあたりの不自然さが少々ひっかかったのが残念. | ||||
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中村文則の小説を何作か読んでいるのだが、 とりあえず、最後を「うまくまとめる」のは やめたほうがいいと思う。 この小説も「あること」が起こって最後になるのだが、 それは、完全に作者の都合で、つじつまはあっているが、 「ご都合主義」と言われても仕方ない、 まあ、結末に悩んだのかもしれないが、 それから、中村は現実に殺人を犯したひとについて どう、考えているのだろう? この小説のなかで、殺人を犯したひとが、 朝日を見て「美しい」と思うのは、 おかしい、というニュアンスが書かれているのだが、 それは「真実」だろうか? 現実の社会では殺人事件というのは毎日のようにあり、 殺人事件を犯し、刑期を終え、出所してきたひともいる。 そういうひとたちは、「日常」という幸福を感じては、 決していけないのだろうか? もし、殺人を犯したなら、死ぬべきだ、 この小説は、多少の幅の広さを持ちながら、 そう、結論付けているとしか思えない。 だとするなら、ぼくはその考えに反対する。 殺人といっても、故意の殺人から、 未必の故意、それから、過失致死まである。 「ひとを殺した」とひとくくりにできないのが、 現実であり、この物語ひとつをその「回答」とすることはできない。 それから、キリスト教と「罪」の関係が出てくるが、 あまりにも浅くて、 とても深い理解に基づいた記述とは思えない。 各キャラクターの個性が浅いのは、 「手記」という全体の構成から、 ある程度は首肯されると思う。 あと、文学で、「発狂」という表現をやめてくれないだろうか? これは、中村以外の作家にも言いたいのだが、 もし「発狂」を「統合失調症の発症」と言いたいなら、 それは、あまりにも現実を知らないし、 差別的な意識が表れている。 現実には、統合失調症の治療を受けながら、 仕事をしているひとだって、たくさんいる。 (いま、障害者雇用ではたらいているひとはたくさんいるのだ)。 中村に限らず、「発狂」という一言で終わらせるのでなく、 ただしい、精神障害の知識を身に着けて、 それで、「狂気」というものを書いてもらいたい。 「発狂」という言葉の使い方に関して、 日本文学はこの半世紀まったく進歩していない。 | ||||
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所謂動機なき殺人を扱ったもので、流行ものといえばそれまでだが、なかなかうまく纏めてある。一人称で語られる「手記」という体裁をとっている。主人公の「私」は、「異邦人」のムルソーと「罪と罰」のラスコル二コフの両方の要素を併せ持っている。病気によって世界観が崩壊し、そこから生ずる虚無と絶望が人を殺人に向かわせるという設定だが、今ひとつ説得力に欠けるし、心理の掘り下げが浅いという気がする。展開もややご都合主義の面がなきにしもあらずである。最後も、ややセンチに流れて、「キレイ」なってしまっている感じがある。人がもって生まれた「業」のようなものを、もうすこし凄みをもって描ければよいと思うが。だが、20代でこれだけのものを書ける才能はたいしたものだと思う。この人の他の作品も読んでみたくなった。 | ||||
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