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土の中の子供
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土の中の子供の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.45pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全86件 61~80 4/5ページ
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まず、文体としては内容の重さに反比例してするすると読めました。 でもそれがいいことなのかどうか…。私には違和感が。 ときどきキラリとする言葉もあるのですが、物事の表現がどうも ステレオタイプな印象です。 これらの作品の内容が中村さんご本人の経験とどれほど 関わっているのかは知りませんが(調べたらわかるのかも) 深く関わっているのだとすれば、こうやって世の中に出すにはなんだか まだまだいろいろしなくてはいけないことが多いように思いますし 関わっていない、完全なフィクションであるとしたら ずいぶん失礼なというか…。結局何をしたいのかしら?という感じ。 創作というものが、悩んで悩んで、考えて考えて、それをアウトプットする ということだけだとは思いませんし私はあまり好きではないですが 本人がそれを望むなら、もっと色んな分解の方法を試してみるべきでしょうし そうではないのならもっと明るい主題を選んだほうが、本人も周りの人間も ハッピーなのではないかと思います。個人的には。 受賞がどう影響するかが微妙ですが、うまく働くといいですね。 何年か後にすごいものを書いていたらいいなぁ。 | ||||
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表題となっている「土の中の子供」と短編「蜘蛛の声」の2話が収録されている。 どちらの作品も不遇な幼少期を過ごした男性が主人公であり、成長の過程で、 あるいは大人になった現在も、当時の記憶が色濃くその後の人生を多い尽くしている様が 悲しく、暗い。 「蜘蛛の声」は、多い尽くされ混沌としている男の姿が描かれ、「土の中の子供」は 同じであるものの、虐待後に引き取られた施設長との出会いのおかげで、かろうじて均衡を 保ち、人生の光を失っていない点に、大きな違いがあると思う。 人との出会い、頼れる者の存在、そして、自分が頼られる存在になることの大切さを見た、 というのは安易な感想だろうか。 | ||||
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他のかたのレビューを見てみると、わりと辛口の感想が多くて正直驚いた。 最近は、読んだ後に何も残らない、読後感のさっぱりしたものが人気になり、洗練された……というか簡素な文章が小説によく使われていると思う。そのせいか、ストーリーの以外性や奇をてらった表現方法ばかりが目立ち、描写表現が大幅にカットされている場合が多いような気がする。 しかし、この作家は一切の手抜きなしで、主人公が感じるモノを正確に、緻密に言葉に表そうと努力している。言葉に言い表し難い感覚や心情、極めて主観的なものの見え方などを上手く(丁寧に)言葉に表現している。 そのため、読んでいる側が本の中の世界に入っていき易いし、主人公にシンクロできた。筆力があり、読んでいて感動した。 この小説の書き方が純文学っぽくてとっつきにくいとか、古いとか思う人がいるようだけど(好みによるんだろうけど)言葉だけで世界をつくる作家は、言葉でどこまで世界を表現できるかという、この努力がなにより大切だし、必要不可欠だと私は思っている。 なんとなく、梅崎春夫に雰囲気が似ている気がした。 この人が書く長編小説をぜひ読みたい。今後に期待します…!!! | ||||
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芥川賞という事で読んでみました。 最初は文章が冗長でありわかりにくく、暗いだけでおもしろみが感じられませんでしたが、中盤にかけての展開から夢中で読んでしまいました。幼少の頃の抑えられていた感情が徐々に吹き出してくるシーンや、幻聴でめまいを起こすシーンは暗いだけでなく、引き込まれる怪しい魅力があると思います。私自身がネガティブ思考なのもありますが、主人公の暗い物の考え方には共感できます。最後の「私は土の中から生まれたんですよ」という台詞には、グッと来ました。 プロットも回想があって、それで終わりという訳ではなく、またひと山用意してあるのはなかなかです。収録されているもう一遍の方も、嫌疑と憂鬱さが幾重にも重なって自分の正体を見失ってしまうという構成は秀逸だと思います。個人的には文章にも癖が無く、もう一遍の方が私は気に入りました。 ただ、人物設定が薄っぺらく、人間味が感じられないようなキャラクターもちらほら。前述した文章の件と併せて☆一つマイナスです。しかし、某ホームページのように登場人物に関するネーミングセンスで、著者の才能を測ると言うのは納得がいきませんね。 興味があれば読んでみるのをお勧めします。徒に楽しさやわかりやすさだけを追いかけている現代文学の風潮には珍しい作品かと思います。 | ||||
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今更ですがやっと読みました。というか、一昨年に本を買い、最初の方は読んだのですがあんまり暗いので途中で読むのをやめてしまっていました。ですが、最近落ち込み気味でなんとなくまた手にとってみたら、一気読みできました。なんというか救われるといいますか。落ち込んだときは暗い音楽を聞くというのと同じように、ちょっとだけ暗い気持ちのときに読めばいいと思います。ただ普通の時は駄目です。私は。 | ||||
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主人公の悪癖を直そうと賢明になってくれた友達のセリフを借りれば、まさしく「これこそ”奴ら(社会)”の思うつぼじゃないか。」(この友達を意味もなく若くして自殺させているのは、どうも嫌な感じだ。) ヒロインの名前が、このストーリーの生ぬるさを象徴している。死産の経験があり、セックスを楽しいとも思っていないのに、主人公のセックス人形になっているこの女のことを、主人公は、「少なくともあなた達よりもいい人なんだ」などと言っているが、「いい人」ではなく「都合のいい人」と言ったほうが正確だ。やすやすとお金を貸してくれる施設長も、どうかと思う。(研修医とか言う)精神科医は論外だ。 それから、主人公に話しかけてきた同業者について、「同業者というだけで話しかける権利があると思っている」などと思っているシーンがあるが、これは、過去に人から散々酷い目にあってきた人間の感情としては、微妙だ。そんな風に感じるだろうか。人から物のように扱われた経験を持ち、そのあと心から親切にされることも体験してきたら、人から話しかけられることは、とても嬉しいと思うのだ。 | ||||
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PTSD、トラウマ。。。扱うのが難しい問題だけど、あえて挑戦している。 でも人ってそんなに単純かな???って、疑問を持つ場面が多かった。例えば、白湯子の不感症の原因とか。。。 トラウマとかってそんな人の行動に直結するのかなぁ。。。もっと歪んだ感じででてくるもののような気がします個人的な意見ですが。 あとそういう人の持つコミュニケーションの複雑さとか書かなくてよいのかな?と感じました。 あとコレ、負のオーラがめちゃめちゃ強い。 作品自体のエネルギーが強いことは良いことだけど、とりあえず良くも悪くもマイナスパワー。 エネルギー強のに読見終えた後、なんか爽快感みたいなものがない作品です。 これは読み終わったあと、どぅ〜〜んってなります。 弱ってるときに読むと、その一日は何も出来ません。 それだけエネルギーはある作品なんだと思います。 | ||||
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選考評は読んでないが、僕にはこの作品の“意味”が正直わからない。著者がどんな不幸な境遇に育ち、それを克服したか、なんて“リアル”の部分に評価の比重が置かれている訳ではないだろうが。 この本に描かれていることは作中の言葉を借りれば“自分とは関係のない世界”である。そしてそうした“世界”に想像力を働かせることが読書の楽しみだと思うが、一方で重要なのは“世界”を提示する作者の世界観であり表現方法だろう。不幸な生い立ち、それに対する自虐、自閉、無力感、弱者が弱者を叩くネガティヴ・スパイラル、そして崖っぷちの転機によって人生に光明を見出す...いかにも文学的な主題と起承転結な展開。メディアの中の社会事件や欺瞞的な幸福の情景と自分の境遇をパラレルに対比させる手法なんて30年前の井上陽水やられてもなぁ。“潰れたヒキガエル”“薄汚れた軍手”“狂ったように吠える犬”といったメタファーの頻出も鬱陶しい。さらに主人公だけでは飽き足らず“男に捨てられ孕んだ子を死産”なんて70年代女流作家的ネガティヴモチーフな相方の女を登場させて物語を補強、それって“群れから離れた男と女が子羊みたいに肌寄せ合って”森進一「東京物語」ですか? なんと言うか一々古くて、大昔の文学をトレースしているようにしか思えない。時折ハッとするような表現もあるだけに全体としての陳腐さが惜しい。 あとがきの「僕は小説というものに、随分と救われてきた。世界の成り立ちや人間を深く掘り下げようとし、突き詰めて開示するような物語、そういったものに出会っていなければ、僕の人生は違ったものになっていたと思う」といったおめでたい文学観の披瀝は勝手だけど、そういう文脈でこの小説が評価されているんだとしたら、今ってほんとに救いようのないほど暗い、重い、余裕のない、被害妄想で不幸な時代なんだろうな。考え方次第だと思うけど。 | ||||
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幼児の虐待体験が所所と点描されるが、もっと掘り下げて書いた方がいいのではないだろうか?と、思いました。 周囲の「暴力」恐怖を言いながら、社会性《他者》との関係性が見えてこなかった。幼児体験を口実に生きている卑屈な人間に、主人公が見えてしまうのではないだろうか? | ||||
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虐待されたことも、暴力をうけたこともないけれど、頭も良くなく、しゃべりも下手で、美人でもない私は、学校で、就職面接先で、職場で、ショップで、コンパでなどなど、人に否定されたような感じをうけることがしょっちゅうある。(被害妄想もかなりあると思うが…。)主人公とかなり差はあるが、なんだかやたら共感してしまった。 | ||||
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子供の頃に両親に捨てられ、養父母のもとで育った主人公。しかし、そこでは激しい虐待を受け、挙句の果てには山の中へ生き埋めにされたという過去を持つ主人公がそのトラウマと自分の存在価値に悩み苦悩しながら生きていく様を描いています。芥川賞の受賞作です。土の中のひんやりとした冷たさが伝わってくるかのよう。暗く、とにかく重たい作品。読んでいてあまり気持ちのいい本ではなかったかも。そのせいか140ページ程度の短い本なのに、読むのにとても時間がかかりました。希望なく生きていく主人公はある事件に巻き込まれます。皮肉にもそれが“ショック療法”ともなり、ラストでは彼にわずかながらも光が見え始めます。それが唯一の救いでした。 | ||||
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全体の印象は、「悪くはない」。 幼児虐待のトラウマというテーマは、最近ありきたりで少々食傷気味ですが、その中ではましな部類に入れられると思います。 トラウマが専門なので、厳しいことを言わせていただければもうちょっと勉強してほしいな、と思います。 読んでいるうちに「こんなもんじゃないでしょう」と思った部分がいくつもありました。 あと、物語に引き込まれるとはいかなかったかな。 とりあえず話題作だし、専門分野とかぶるから読んでおこう…で最後まで読んだので。 もう少し心理描写が細かいと同じ流れでも面白かったかもしれないのですが。 まだ27歳ということでこれからに期待します。 | ||||
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この人はいったい、何を書きたかったのだろうか。すでに使い古されつつあるモチーフを扱うなら、せめて他を凌駕する独自の迫力が求められてしかるべきなのに、この作品はすべてにおいて甘い。子供時代に虐待を受けた成人というより、ただ他者との関係を作るのがヘタなモラトリアム真っ盛りの、ニヒリストを気取った身勝手な青年の身辺雑記に見えてしまう。志賀直哉的な退屈でアナクロな写生的描写にも閉口させられる。同棲している女の存在意義も不明だし、特にエンディングの甘さにはしばし唖然とさせられた。この作品がなにごとかを描きおおせているとは、申し訳ないがとても思えない。それらしいモチーフを扱い、もっともらしい「雰囲気」を持たせれば、「現代社会の歪みを鋭く切り取った秀作」ができるとでも思っているのだろうか。この作者は、主題への向き合い方それ自体を根本から見直すべきだ。 | ||||
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幼児虐待や、トラウマを題材にした作品、最近では珍しくないですが、「土の中の子供」はそれを上手に現していると思います。自分ではどうしようもない感情・・それは文章にすると、やけに暗くなってしまうのですが、実はそれが本当なのではないかと思います。自分で自分の感情をもてあますような、毎日をただ過ごしているような、過去は思い出したくないけど将来も考えたくないような・・・作品自体が短いので、次回は長編を読んでみたいと思いますが、この短編の中でこれだけの主人公の内面を表現できるのは、さすが、と思います。まだ若い作者のようですので、今後の作品に期待したいです。 | ||||
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就職活動中に何か読みますかなって感じで読んだ。内容は、主人公が私刑されるところから始まり、主人公が子供の頃、虐待をされていたなどの回想に話が流れていくいく。この話のタイトルである話の原点〝土の中”での主人公の思想の場面よりも、話の前半の方の主人公の死への思いや行動の方が印象に残った。同棲している女性、白湯子とのやり取りも少し不可解である。ラストもしっくりこなかったしまぁ、主人公の持つ世界観が澄み切った澱み風味だったので(よく解らんが3つ星で。 | ||||
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著者はきっと、青春時代の全てを小説に捧げたんでしょうね。小説を読むのが何よりも好きで、部屋にこもって小説ばかり書いて生きてきた人、っていう感じがします。だから、この人の小説には現代感覚が無い。そしてセンスも無い。だから、面白くない。けっこう皆言ってるけど、白湯子って名前、ありえないでしょう。白湯子って。これ見た瞬間、センスねぇ~っつって笑ってしまった。わざとらしいにもほどがある。おめえ、俺をなめてんのか?と著者に詰め寄りたくなる。僕ははっきり言って読む価値の全く無い作品だと思います。でもまあ、作品自体の質で言えば割とちゃんとしてる方だと思うので、星2つ。 | ||||
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養父達によって土の中に埋められ死ぬ思いまでの虐待を受けた主人公なのですが、虐待のトラウマが~と書いている割に、のらりくらりと生と死両極端を選ぶことなく意外と普通の生活をしているところが不思議です。しかも、主人公と同棲中の彼女もまた、過去、生きて産まれてくるはずだった赤ん坊が死産であったことから自暴自棄な生活を送っていますが、ただの不感症程度というのも、男性の脳内で生み出された女性の不幸でしかないと思います。女性がそういった精神的な傷を受けたとき、依存している存在の人間に肌を触れられるのでさえ、叫び声を上げたくなるほど悪寒を感じるものだと私は思います。主人公の生きるための無意識の克服は、その精神状態が非常に良く書かれていたと思います。作者同年代にて応援したいところなので、作を重ねより一層の重厚なる作品を期待しております。 | ||||
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芥川賞受賞ということで読んでみました。 「土の中の子供」 暗い話でした。リアリティのない暗い話でした。いきすぎた悲劇とは往々にしてリアリティが無くなるものです。 主人公は否定していますが、やはり死にたかったんだと思う。「死ぬ」ということが彼にとっては意味があったんじゃないかと思います。煩わしい世の中からの離脱。究極のデタッチメントと求めていたんではないでしょうか? しかし、所詮人は一人では生きてはいけません。この話の主人公は幼いころこそ恵まれていなかったけど、「今」は恵まれています。運もいい。ヤマネさんに頭をなでてもらった記憶。たった一つでも希望があれば、それは絶望に打ち勝つものだと僕は思います。 「蜘蛛の声」 これも暗い話です。 デタッチメントに囚われた人間を描き出しています。しかし、前述のように人は一人では生きていけないのです。世界に、人にコミットメントすることなしには「人間」は成り立たないと僕は思います。 最後にバッグの中にナイフがなかったのはやはりそういうことなのかなと思いました。 二つの話を通じてのこの本のテーマはデタッチメントとコミットメントの狭間で揺れ動く人間でしょうか?話が暗くて受け付けない人もいるかもしれませんが、最近の芥川賞の中ではかなりよくかけている作品であると思います。この人の長編も読んでみたいです。物凄く落ち込みそうですけど・・・。 | ||||
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やや難しいです。論理詰めで難しいと言うよりは、言葉で言い表せない内容を必死に言葉で言い表そうとしている難しさがありました。文学らしいと言えばらしいのですが、あまりにそのことに粉骨砕身していて、面白さを削ってしまっているところがあるように思えました。主人公が過去の経験から持つトラウマ的(トラウマでは軽すぎる、もっと深いことを作者は書いているんだ、と言う人もいますが)な暴力描写、暗鬱な心理描写、被害描写があまりに長々と書かれているため、途中で気持ちがへこんできました。終りの方になると、主人公の心理は急速にプラスの方向に収斂して行くのですが、その心理のプラス描写が、それまでのマイナス描写と比べてあまりに少ないため、結局いい読後感を得ることはできませんでした。蛇足ですが、現代の多くの作家の例に漏れず、この小説も村上春樹の影響を受けているように感じました。とは言え、「まあこのくらいの影響なら現代作家が受けても当然だろう」とは思えるレベルだったのですが、例の『あるいは~かもしれない』の『あるいは』の使い方のおかしさ、また、『汚い食堂に入り汚い食器に盛られた汚いチャーハンを食べた』などという表現は、残念ながら少し目についてしまいました。次回作がせめてもう少し明るい、そしてよりオリジナリティ溢れる作品であることを期待します。 | ||||
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理不尽な暴力の被害者が、自らの恐怖心を克服することで生き延びようとする、その心理描写がとても「巧い」と思った。しかし、芥川賞選考委員の村上龍は、文芸春秋にその選評として、「虐待を受けた人の現実をリアルに描くのは簡単ではない。(中略)誠実な小説家なら、そんなことは不可能だと思わなければならない。」と酷評を載せており、また、宮本輝は、「幼児期に養父母によってひどい虐待を受けつづけた過去を持つ青年の内面に筆が届いているとは思えなかった。」と評している。確かにこの主人公の受けた虐待は本当にひどく、持続的な暴力の後にネグレクトされたあげくの果て、土に埋められ殺されそうになるが、奇跡的に脱出するというもので、8歳時にこのような虐待を受けていたら、もっとその後の人格形成において重度の障害を残すだろうと予想される。幼少時に受けた虐待がもっと程度の軽いものという設定だったら、二十七歳になった主人公の心理はすごくよく描けていると思うのだが。にしても、前々回の受賞作「蛇にピアス」のような、ただ過激なだけの作品と比べると、奥の深さは段違い。今後に期待できる作家だと思う。 | ||||
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