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土の中の子供
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土の中の子供の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.45pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全86件 1~20 1/5ページ
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こういう話を待っていたんだ! | ||||
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この小説はよくも悪くも正統派の純文学です。 著者は新潮新人賞出身だから読んでいてそういう傾向が反映されていると思います。 文藝賞出身の小説家はこういう小説を書く印象がないです。 ただ読んでいて芥川賞に受賞する小説だとは思ったんですがちょっと暗すぎだなーって思いました。 日本の純文学って暗すぎる小説が多すぎないかって思う。 この小説は著者のデビュー作みたいに端正な暗さを基調とした小説ではなかったので。 | ||||
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陰鬱な感じである、雨の日に読みたくない 好みが別れそうだ 主人公の迷いと苦しみにはあまり救いが無く余裕もない、ユーモアは救いがあれば・・・最後まで救われない 暗さの緻密さというか文体は確かな物であるが、ともするとドキュメンタリタッチにも見えてしまう | ||||
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戦中派の女性たち、特に旧制の有名女学校で戦時期に教育を受けたキャラメルママたちは、暴力的な支配を無意識に身に着けた。ぼくの親族を見まわしても、被害者は何人かいる。彼女らは敗北したエリートであって、均し並みに「おまえが男だったら」というセリフを耳にした経験があった。敗北したエリートは社会的浮上のために手段を選ばない。しかも、いまも存命の母は空襲のなか機銃掃射をする戦闘機の若いパイロットを目撃した二十歳前に。かれらはソウル解放のときにも、東京とまったく同じ手法を選んだ。 | ||||
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場面転換の書き方や雰囲気が暗いミニシアター系の映画を見ているようで、それが気に入った。現代において人がもっとも見たくないもの、語りたくはないものを書こうとしている作家なのではないかという気がする。激しい虐待を受けた後の反復強迫的で自棄的な主人公の行動は、児童心理学からの知見のような理論的な部分はあってもまた、そこには自己の感覚を研ぎ澄ませて経験されたものや心的葛藤も十分含まれているように思う。理論や知識に基づいてはいてもなおそれを上回るものが確かに書き込まれていると感じる。この人の作品はリアルタイムで読まなければならない、それが現代の闇と取っ組み合うには必要なのではないかと、そういう気がしてならない。 | ||||
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アタシの言葉でいえば、『土の中の子供』は超絶技巧小説であり、再生の物語です。 主人公 私:名前がない 職業:タクシードライバー 性別:男 年齢:27歳 主な経歴:親に捨てられ→養親の元で虐待をサバイブ→施設育ち→成人。 タイトルの「土」は様々な意味を持ちます。土とは…… ・虐待を受けた私が埋められた山の土であり、 ・実親から捨てられ、死に瀕する虐待を受けた過去に対するとらわれであり、 ・理不尽な運命である。 これを念頭に置きつつ、私が描かれた印象的な場所は例えば次の3つです。 ・「深夜の街」での暴行 ・「月のない夜の空」での強盗 ・「圧倒的な暗闇の中」で山に埋められた幼少時の私 上記を見ればわかるように、物語は暗く彩られている。 というか、視覚的な暗さ、社会的な暗さ、心理的な暗さ…… 読者がこの物語に暗い印象を抱く言葉を意図して選んでいる。 というなかで、もう一人の登場人物、白湯子である。 白湯子は男から捨てられ、赤子を亡くし、アルコールに依存し、 健康保険に加入せず、美しい満月が嫌いで、希望を失い、 私と同棲しているまたしても「暗い!」女だ。 それで、アタシが「あれ?これって面白い」と思った部分は、 白湯子は「白湯」の女にも関わらず、対極にある「アルコール」依存の女という 役割を負ったことでした。 すなわち、「なぜ白湯子という名前なの?」という問いの面白さであり、 この暗い物語のなかで「白湯子」の「白って光を暗示してんじゃないの?」 ってことが物語を読み進めるにつれ、芽生えてきた面白さであった。 こうなってくると、気になってくる言葉がある。 それは「暗」の対極にある「白」や「光」という一文字です。 この「白」や「光」という言葉を噛み砕いた表現が、 私が土の中から這い上がることであり、 私が過去に対するとらわれを乗り越えることであり、 私が理不尽な運命に激しく抗うことである。 ここを描いている圧巻場面が ・「圧倒的な暗闇の中」で山に埋められた幼少時の私 ・「月のない夜の空」での強盗 であり、現在、苦境&理不尽にさらされている読み手がここを読めば、 きっと引き付けられる。 それで、私は「月のない夜の空」での強盗場面で2回、「死」にます。 この「死」とは実際に死ぬことではなく、臨死であり、 臨死とは死にかけることです。 1回目:私が強盗から首を絞められた時 2回目:私が強盗から逃れ、車に乗り、カーブを曲がり切れず、激突した時 振り返ってみるまでもなく、 私は幼少時の虐待によって、死にかけていた。 私は「深夜の街」での暴行事件でも、普通に考えれば、死にかけていた。 親から捨てられた私、虐待されていた私、山に埋めれた私、 月のない夜、暗闇、深夜の街……それまでに描かれた理不尽な運命に翻弄される私、 すなわち「土」の中にいる私が描かれるこの暗い物語の中で、 「白」や「光」という一文字、その類の表現がアタシの目を引き付けるわけです。 それで、この「白」「光」という言葉が記述された後、 暗かったこの物語がよき方向へと進むことを示唆する場面があります。 しかもここにいたのが、あの白湯子なのだ! 白湯子「あなたの攻撃した人物はもういないじゃない」 私「何だか、泣きたくなってきたよ」 彼女は笑った。 「……泣けばいいじゃない。ここには私しか、いないだから」。 この暗い物語の中で、笑う場面など一度もなかった物語の中で 初めて「彼女は笑った」。その場面の描き方は 美しい月が光を照らす夜であり、病室にいた子供の声も綺麗に響いていた。 この笑いはすなわち、輝きを放つ笑いであり、笑った人物は他ならぬ白湯子だった! 白を体現する女……白湯子。 白湯子ってだから、この物語を読み解くための大事な鍵なんですね。 こんな対照的な土・暗&白・光の描き方ある? アタシはここにおいて確信した。 この白湯子の名前は意図して付けてるし、 物語タイトルは、全てが収斂するように意図している。 ところで、アタシにはもう一つ疑問がありました。 なーんで私は主人公のくせに、その名が1度として語られていないのか? 私が幼少時、保護されていた児童施設の施設長ヤマネさんと出会う場面において、 それは示唆されます。そのヤマネさんと私のやり取りはこうです。 私「僕は土の中から生まれたんですよ」 ヤマネ「え?」 私「だから、もう親はいません。今の僕には、もう、関係ありません」 この私は、この土の中から生まれたのだ。その土は 虐待を受けた私が埋められた山の土であり、 実親から捨てられ、死に瀕する虐待を受けた過去に対するとらわれであり、 私の理不尽な運命であり、私はそこから生まれた子供だ。 だから私に親はいないし、関係がない。 名付け親がいない以上、私の名前は最後まで語られない。 「なるほど」アタシは腑に落ちたのです。 それでアタシは最後の記述にびっくりして、 だから『土の中の子供』は回復の物語だといいたい。 すなわち、 「だがその前に、何かの決断も、要求することもできなかった、彼女の子供の墓参りをしようと思った(p116)」。 これです。 私は私に比して、決断も要求すらできなかった、名もなき、白湯子の赤子のことを考えることが できるようになった。言い換えると、今の私は、「土の中」で死んでいった白湯子の赤子に思いを はせることができるようになった。私は土の中からようやく這い上がり、 新たな自分として再生したのだ。 この物語は超絶技巧の小説であり、再生の物語として読めるのです。 | ||||
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おそらく芥川賞を獲るためには、主人公がこれくらい深い内省をする作品でなければならないのだと思います。90%以上暗い雰囲気のまま物語は進みますが、最後に見せた主人公の強さに溜飲が下がりますね。 | ||||
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意識が朦朧とし、黒いモヤのかかった「私」の思考には説得力があった。 本に詳しくはないが、梶井基次郎を連想した。 | ||||
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少なくともこの作品を読んで楽しい気分、充実感などは感じなかったし、もちろん感動もなかった。自分語りを延々と聞かされている感覚で、何のために読んでいるのか分からなかった。短いので読了はしたけれども、長編なら最後までは読んでないと思う。 細かいことを言うと、タクシーであれだけ喋らない主人公が、同居の女性とは筋道の立つ文できちんと会話ができることに違和感を感じる。登場人物のセリフではなく、作者の言葉にしか聞こえない。人物を描くとは、あらゆる場面でその人物が吐くであろうセリフを、喋らせることだ。そこにそう言う人がいて自分の意思で喋っているように描き、そこに作者の作為を感じさせてはいけない。登場人物にそれぞれのセリフを用意できない作者の作品では、全ての人物が作者の分身に見えてくる。(この同居の女性も作者が言いそうな言葉を喋っている) あと蛇足だが、この主人公が城を読み続けている設定にも大いに違和感を感じる。 要するにPTSDの若者がうつ傾向になっている独白と行動を聞かされている訳だけど、誰しもがそういう人に過剰な興味を持っているわけではないし、メッセージ性云々にしても何か明確なものがある感じもない。この作品の存在意義は、近い境遇にある人が共感を感じることができる、ということだろうか? | ||||
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何も信じずに生涯を終える人は実は少なくないと思う 信じてくれる人の存在があり、それに気づく心が芽生え、自分もそれに正直に応えられるようになるか 土の中から生まれた、私はそう思うことで救われる気がした | ||||
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少なくとも私は この本に救われました この世界を共感する人達が、世の中におおくいるらしい、、、ということにも救われました。 真っ暗な世界感なのに希望を感じる不思議な本です そこが、私的には太宰治と対極にいるというか、中村さんの個性だと思います 読んだ後に、暗い自分を無理せず受け入れられるような、やたら救われる安堵感がある作品でした こんな好きな作家は当分現れないだろうと思います 文脈の細部に読み手に寄り添う計算された何かをかんじます すごく優しい作品だと思います | ||||
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面白いかと言われると暗いし複雑で私には難しかったかな | ||||
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○ 虐待を受けた子供はどのような人間になるのか。虚無的でいながら、強さを感じ、投げやりではなく、将来への意欲を感じさせる。美しく描きすぎではないか。 ○ 作者にこの小説を書く必然はあったのだろうか? 小説に仕立てやすいからこの題材を選んだのではないだろうか。 | ||||
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中村文則さんの本です。 「蜘蛛の声」「土の中の子供」という二編の短編がおさめられています。 「土の中の子供」は、虐待されて育った主人公と、同じような境遇で育った女の話でしたね。 ドロドロした感じです。 「蜘蛛の声」は、蜘蛛と対面していくうちに、だんだんと心理的に崩壊していくというか、そういう話です。 二つとも、どこか壊れた心の人間を描いているのですが、 なんといいますか、狂気っつーか、社会に対する憎悪がよく描かれているように感じました。 | ||||
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物語全体が暗い。 この作家の特徴なのでしょうか。 読んでいて暗い気分になってしまい、落ち込みます。 | ||||
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子供への虐待は長年の社会問題だが、ではどうすればいいという明確な答えが見つからないものでもある。ただ、主人公があれほど過酷な目に遭っていて、自分を恐怖に晒さずにいられないような病を抱えていても、進んで誰かを傷つけようとはしない。それは施設で大切にされた記憶があるからだろうし、今大切にしたい人がいるからだろうと思う。それがあるから最後の主人公の「土の中から生まれた」という台詞に静かな感動と救いを覚える。 | ||||
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「土の中の子供」は、中村文則さんの芥川賞受賞作です。虐待された過去を持つタクシードライバーの「私」の意識が、暗い語り口で綴られています。 「土の中の子供」を読んでまず印象的なのは、語り手である「私」がとても受動的で内向的な性格だということです。物語の冒頭で、「私」は暴走族による暴力に身を晒しながらも何かを「待って」います。苦しみを味わいつつも、意識を保ち続けることで辿り着く「何か」を、「私」は待っています。この作品が描いているのは、タナトス=死の衝動とは少し違うのではないでしょうか。「私」は、死ではなく死ぬ程の体験の果てに意識される「何か」を求めているのだと思います。 「私」は、ものを落とすのが好きです。これは私の解釈ですが、ものが「落ちる」ということはその物体が重力に受動的に身を任せるということなので、受動的な「私」の好みに合っているのではないかと思いました。落ちることは重力を受けることであり、落ちながら意識を保ち続けたその先に、剥き出しの実存がある。だから「私」は落としたり・落ちたりすることに惹かれたのだろうと思いました。 「土の中の子供」のラストでは、「私」が恐怖を(一応)克服します。私はこの小説を読みながら、「ラストでは『私』が受動的な生を徹底し、その先に見える幸福を手に入れるのかな?」と予想しました。しかし、この小説のラストで「私」が手に入れたのは能動的に生きる力だったと思います。意地の悪い作家だったらもっと陰鬱な終わり方をしそうな物語ですが、この小説の結末はけっこう希望があります。 | ||||
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読んでて死にたいのか死にたくないのか?自分にひたってるだけでちょっとつまらない。 フラフラしてるだけでちゃんと働きもせず虐待の事とか書いてあるけど、今は仕事場でもパワハラとか色々ある。 それをどうにかしないといけない時代になってるんだなぁと思いました。 進められて読んでみたけど私でさえ小学生の時に虐待されてましたしこんな風には考えなかったですね。 私はいらない子とか考えましたが死んだら負けの様で嫌でした。 時代は変わりますね。。 | ||||
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引き込まれて読みました。私は高齢なのですが久し振りに眠くならない本に出会い、中村文則さんの本は読破しようと思っています。蜘蛛の声も誰もが持っている心理ではないでしょうが、男性の深層心理を垣間見たようで凄い作品だと思いました。 | ||||
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芥川賞授賞作らしいけど、特に意識せずに読んだ。 著者は何らかの虐待を受けたことがあるのか、 知らないけれど、多分あるんだろう。 自分も子どものころ、精神的虐待を受けてたんだけど、 そのせいなのか、妙に読んでて、心地よい感じがした。 明るくはないけど、とくに暗くもなく、 「生きる」って、そんなに難しいことじゃない、 そんなふうに思わせてくれる物語だった。 今年の目標は、彼女をつくることかな〜?と、 関係ないけど、思ったりしました。 でも、もうひとつの、 「蜘蛛の声」は、正直よくわからなかった。 なので★-1 | ||||
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