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奇偶
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奇偶の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.48pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全27件 1~20 1/2ページ
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ものすごく、ゆっくり、確実に読んでおりました。福田和也➡生ける屍の死=山口雅也のファン、になっており、作家のねうちの世代の文学好きです。 この作品は、内容は濃いし、じっくり面白い。慌てて読もうとすると萎えるので(この手のは、ほんとに長さに怯む。京極作品については分厚くてもすぐ読んでしまうのだが、それ以外は慣れてないせいか、萎える)理解の為にも じっくりゆっくりが楽しいです。 ずっと読みながら、色んな知識の連鎖とかあれこれ、 夢野久作のドグラマグラを思い出しました。かなり近いと思います。同時にその読んでいた時の学生時代も。飲み会で読んでて先輩に叱られました。 | ||||
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なんだかamazonレビューでは不当に低評価されている気がします。 確かに「読みやすい」本ではないですが大傑作だと思います アンチミステリという但し書きで売られているので 普通のミステリファンがこれはミステリではないといって怒るのは 筋違いだと思うんですが | ||||
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「どんな内容なんだ?」 「一種の推理小説仕立てになっている。奇妙な連続死は出てくるし、犯人探しの推理も出てくる。だがこれは、通常の推理小説とは、かなり違った感触を与える作品だよ」 「どこが特異なんだ?」 「連続する人の死に絡めて、偶然事象が頻発する――というような不可解な出来事が描かれていて、登場人物たちが、事件そっちのけで、蜿蜒と抽象的な議論を交わすんだ。《偶然》を俎上に載せて、あらゆる分野からの見当がなされる。背景と前景がまったく転倒していて、犯人が誰かということよりも、もっぱら、《偶然》というテーマの追求に血道を上げているようなのだ。いかようにも読める小説と言うか――」 「――で、その大作の結末はどうなっているんだい?」 「 -----*システムがビジー状態になっています。----- 徹頭徹尾、《偶然》のタブーに挑戦したメタフィクショナルな小説。 あなたがこのレヴューを読む気になったのは、間違いなく《偶然》だろう。その《偶然》に、意味の有無を考えたことはあるだろうか。 このサイトに来たのが《偶然》なら、ブラウザを開いたのも《偶然》。コンピュータを起動させたのも《偶然》なら、今起きているのも《偶然》だ。 どの《偶然》に意味があり、どの《偶然》に意味がないのか。 暇ができた時、この小説で《偶然》の迷宮を楽しんでみてはいかがだろうか。 | ||||
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山口氏の長編大作の下巻となり、単行本から切りのいい箇所で上下巻に分けたためか、上巻が500ページあるのに対して下巻はその半分程度のボリューム。 下巻になり展開は急展開し、劇中作や密室殺人が登場するなか、最後の最後まで上巻の蘊蓄を引き継いでこれまた延々議論が展開する。 ダメな人はもう上巻で断念しているとも思われるので、ハマった人だけが下巻を手に取ることになろうが、好きな人には読む手がとまらないめくるめく衒学的趣向である。 密室殺人の普通のミステリーでは書こうとしても絶対に許されない究極の偶然による前代未聞のトリックが披露される。 この普通ならあり得ないネタを成立させるがためのここまでの大長編となっていることがよく分る趣向である。 山口雅也氏の著作としては賛否両論は間違いない作品だが、手に取って挑戦してみる価値はある意欲作である。 | ||||
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鬼才山口雅也氏による上下巻組の超大作作品で、作品の中身も従来の奇抜ながらユーモアも散りばめた作風とは異なり、重厚かつ陰鬱なシリアスな作風。 過剰なまでの偶然(ご都合主義とも思える)を重ねていくことでミステリーの構造そのものを崩壊させそうなミステリーに問題意識の強い氏ならではの異色の展開。 上下巻構成で上巻だけ500ページ超えの偏ったページ数振り分けになっており、本作は500ページにわたり、事件は起こるが所謂みっステリーらしい謎解き趣向は一切ないまま、ページ数の半分はあろうかというストーリーの進行上特に必要でもない衒学的知識、蘊蓄が延々と書きつづられる。ここで披露される問題意識に共感できれば全編興味の尽きない作品になり、共感できなければどうでもいいことが長々書きつづられているどうしょうもなく退屈な作品となる。 下巻は300ページほどとなり、ここからやっとミステリーらしい展開がくることとなる。 | ||||
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のオビに騙された。作者が色々と勉強したのは伝わった。ボリュームのわりに面白さは無し。 | ||||
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本格ミステリにおいては、事件の解決は、そこに論理の飛躍があったとしても、ある種の演繹法によって必然的に決まるものとの暗黙の了解がある。それを破った作品は、"トリックに蓋然性がない"、と言った批判を受ける。本作はその常識を打ち破って、徹底的に「偶然」に拘った物語展開で、ミステリにおける「偶然」と「必然」の問題を問い掛けたもの。各節の冒頭には、作家や音楽家の引用が付いているが、その他にも本文中にB.ディラン「All Along the Watchtower」、ポー「The Raven」等の引用を潜ませている。 一応の主人公は作家の火渡で、一連の"偶然"な出来事の中で片方の目が塞栓による視野欠損となっており、精神状態も不安定。物語は、火渡の現実の手記とも、妄想とも取れる体裁で書かれている。物語の一つのモチーフになっているのは骰子。物語の発端も三つの骰子を振った時の確率論(一部、誤りがあると思う)から始まる。火渡にとって偶然過ぎる邂逅や体験の連続、邂逅した人間達の偶然過ぎる関係、事件現場に必ず顔を出す骰子、表紙にもある太極模様、数年前に起こった原発事故に係る偶然、ボノボが叩いたキーボードの文字が意味を成す偶然、背後にある「奇偶」という宗教集団。この他、火渡の境遇に対応しての柳田国男を引用した欠損神論、南方熊楠・ユングの因果論、ゲーデルの不完全性定理、シュレーディンガーの猫を初めとする素粒子論、二進法などが縦横無尽に語られる。火渡の愛人シルフィーを含め、全ては「奇偶」に通じ、焦点は「奇偶」の跡目争いに見える。そして物語の終盤になって、密室に篭った教祖がシルフィーと共に殺される...。 一応面白い趣向ではあるが、新しい"必然的"トリック創造に行き詰ったミステリ作家の開き直りとも取れる作品。私の業界でも次の様な格言がある。「失敗する可能性のあるプロジェクトは必ず失敗する」。 | ||||
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実際に眼病を患った作者の体験をもとにした、半自叙伝的小説であり、 大量のペダントリーを投入し、偶然と必然の関係を考察した思索ミステリ。 とりあえず、きちんと割り切れる、ごく普通のミステリを読みたい人は手に取る 必要のない作品です。しかし、それでもなお、本書に対し、何がしかの関心が ある人に向け、以下に二、三、言及したいと思います。 本書のテーマは「偶然の連鎖と必然の境目はどこか」というもの。 作中には、易経や確率論、ユングのシンクロニシティーにゲーデルの不完全性定理、 そして量子力学の不確定性原理や多世界解釈などのペダントリーが次々と投入され、 そのテーマが追究されていきます。 結果、導き出される結論は、 ――自然科学の法則でさえ、相対的、確率的、統計学的な真理に過ぎないもの である以上、この世で考えうることは、どんなに途方もないことでも起こりうる―― というもの。 「そんなの当たり前じゃん」とか「だからどうした」という声が聞こえてきそう ですが、そうした“常識的”反応の前提となっている根源を見極めようとする 姿勢において、作者は徹底しています。 それを踏まえた上で、真摯な思索の営為とみなすか、やっぱり取り留め のないホラ話に過ぎない、と切り捨てるかどうかは、読者次第でしょうね。 | ||||
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アンチミステリーということだが,3大奇書の中では黒死館殺人事件に近い.つまり,黒死館殺人事件では衒学的薀蓄だった要素が,本作品では確率論とか運命論に置き換えられているだけで,ミステリーの中で薀蓄を語るという構造には大差ない.最後までミステリーらしい合理的な解決を放棄している点が違うくらいか. あくまで既存のアンチミステリーの文法上にある作品であって,新しい形を作り出すにはいたっていないだろう. ま,それでも面白ければ文句はないのだが,薀蓄部分は読み応えがあるものの,それ以外の部分はただ長いだけで,意味ありげで無意味な偶然が脈絡もなく羅列される退屈な小説である. もっとも,3大奇書もドグラ・マグラ以外の2つはまったく楽しめなかったので,こういう類の作品が性に合わないだけかもしれないが. | ||||
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単行本(2002年)→ノベルス版(2005年)の文庫化。 上巻には「奇」「偶」「奇偶」までが収められている。下巻には驚愕の結末が控えているので、一気に通読するのが良いと思う。 著者自身が実際に体験した眼の故障が大きなモチーフとなっている。目の悪い私には、ちょっと読むのが重苦しかった。 本としては、壮大なアンチ・ミステリ。「偶然」というものがどこまで許されるのか、突っ走ってしまったような一冊。実験的な作品であり、普通の読者、あるいは山口雅也ファンであっても、手を出さない方が無難かも知れない。 上巻では、ありえないような事件が次々と起こり、どんな結末が待ち受けているのだろうとワクワクさせられる。しかし、下巻では・・。 | ||||
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単行本(2002年)→ノベルス版(2005年)の文庫化。 下巻には「『猿神の家』火渡雅」「太極」「奇偶領域」が収められている。 壮大なアンチ・ミステリ。「偶然」という要素がどこまで許容されるのか、突っ走ってしまったような一冊。実験的な作品であり、普通の読者、あるいは山口雅也ファンであっても、手を出さない方が無難かも知れない。 上巻508頁、下巻341頁を読んで、これが結末かよと怒りがこみ上げてくる。なんだか徒労感。 アンチ・ミステリとしては評価するが、こんなに頁数を費やす必要はないだろう。 | ||||
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作家・火渡雅(ひわたり・みやび)の周辺では信じられないような事件・事故が続く。それらは偶然のなせる業なのか? 本書ではひたすら偶然が続く。荒唐無稽なほど。もしかしたら「偶然の連鎖=必然」なのではないかと思い至る火渡は、偶然のからくりを解明しようとする。それは他の登場人物たちとのトマス・マン「魔の山」を思わせる教理問答という形で表現されており、その会話は物理、数学、哲学、宇宙など多岐に亘るフィールドを縦横無尽に展開する。読み始めたら一気呵成にそのパートを読み終えないと、論旨が不明瞭になり混乱に陥るかも知れない。本書はメタフィクションの入れ子構造にもなっていて、偶然の不可思議性がさらに深まっていると感じた。名探偵の推理のように「スカッ」と竹を割ったような読後感がないのは、私も偶然の底なし沼に沈み込んでしまったからなのだろうか。 | ||||
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次々に起こる不可解な死、事故のようにも見える現場にはゾロ目のサイコロが3つずつ。 そして過剰なまでの因縁が次々に明るみに出る。 これは偶然なのか、何者かが仕掛けたことなのか。 主人公の作家(一応探偵役?)は、次第にその積み重なる因果の糸に絡め取られ自分を見失っていく。 ですが、これはミステリーではありません。 主人公は犯人を捜すつもりでいるのですが、その理論は偶然の中に紛れ込み、全く説得力を持たないばかりか、 精神科の主治医との間では、不確定性原理やらユングのシンクロニシティやら、衒学的な会話に突っ走り、 結局、ミステリーとしての結論は噴飯ものの荒唐無稽の中、混沌の中に沈み込みます。 不確定性原理の示すとおり、この世が確率論的であるならば、どんなことだって起こりうる・・・ 800ページ以上を読んできて、それが答か?! やれやれ、です。 | ||||
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次々と破天荒な展開が起きるとき、読者は普通「これをどう、まっとうに収拾つけるのだろうか?」と期待して読むものなんですが、そういう時に、作者は十中八九、まともに終えるつもりは全然ないんですよね(笑)。まあ「虚無への供物」なんかが凄いのは、それを更に裏切ってちゃんと決着をつけているところだったりしますが。 主人公の周囲で次々とありえない偶然が起きる、と言われても、そんなの小説の中なんだから不思議でもなんでもないし、存在論、量子論、宇宙論等の薀蓄が次々と展開されてゆくところは一見迫力がありそうですが、本来はマジメな議論であり理論であるはずのものを作者の都合のいいようにもてあそんでいるようで、あまり好感が持てません。眉唾な論理を振り回すのは作者の得意な方法論ではあるのですが、それはユーモアの範囲で適用されるから笑って済まされるのであって、この小説に関してはそういう風には読めないというか、突っ込み不在というか、なので、いいのかなあと思ってしまいます。 そして、どうせトンデモで終わるんだろうと思って読んでいると、その通りだし。ミステリ的な論法が次第に崩れて逸脱してゆくところは、読み応えはありましたが、破綻することを予想してしまっている読者としては、もっと論理面以外でのキャラクターの感情面での奥行きなど、欲しかった気がします。 以前から様々な作品で散見されていた作者の諸々の哲学ネタの集大成として、"いつか書かねばならなかった"作品だったのだろう、そういう意味での執念は感じました。しかし、SFや純文学としてではなく、殺人とその解決、という筋書きを持つミステリという形にしなければならなかったところに、苦いものを感じますね。私は評論家としての氏を尊敬しているし、ミステリ作家としても大好きなんですが、さてこの感想をどうしようか、というところです。 | ||||
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ありえないような偶然による事故死が連発。そして現場に残されたゾロ目のさいころ。やがて浮かび上がる謎の教団「奇偶」。 この作品は一応ミステリーとして分類できるかもしれないが、頁の多くを占めているのは「偶然」という概念に対する徹底した学門的または宗教的解釈の探究である。 読者の好みが分かれるのは物語と理論展開のバランスが一般的な小説とは明らかに異なることだ。押井守作品とその意味で共通点がある。私は理論は理論で学門的に認知されたソースから学びたいし、ミステリーはミステリーで物語に感情移入したい。 | ||||
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《偶然》を定義する、この直感的には簡単そうな命題がかくも存在の原理まで広がるものだとは思ってもいず、自分の人間としての存在意義が揺さぶられる感慨が残りました。 本作の主題としては『宇宙消失』グレッグ・イーガン(著)などからくる既視感が大きいのですが、グレッグ・イーガン氏が試みたような人間宇宙論への開き直りではなく、地に足を付けたままで更に洞察を深められています。その理由の多くが、現代の量子力学との共通な視点までもが散見される『易経』についての洞察に寄せられると思います。 そういう意味では、本著でも記述があるとおり「作品の背景と前景とがまったく転倒」しているというように、推理小説としてのスタイルをとりながらも《偶然》に対する形而上的な議論が主題として浮上しています。 では推理小説として低レベルであるという訳ではなく、《偶然》が形而上的に議論されることで、密室トリックの蓋然性が一点に集約されていく様は圧巻といって良いでしょう。 少なくとも、これまでに読んだことの無いミステリーが味わえる名著であることは疑いのないことだと思います。 | ||||
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なんとデビュー作『生ける屍の死』(実はその前に『13人目の探偵士』というゲームブックがある)以来の長編作品という事で、従来の山口作品を知る人間にとっては目を疑うほどの分量となってしまった(?)大作。 「キッド・ピストルズ」シリーズのファンにはお馴染みの、例のシューレディンガー(シュレーディンガー)の猫を使った量子力学、もとい並行世界の説明は、従来のシリーズだと要するに「パラレル英国」の概要を説明するマクラとして使われているにとどまり、肝心な小説の内容は、なかなか独特ではあるものの、基本的には本格パズラーとして成立していると思うわけです。 で、『奇偶』ですが、これが量子力学的世界観そのものを全面にフューチャーした、おそらく初めての作品だと、私の頼りない記憶によれば思います。 多くの頁を埋めているのは、物理学、確率論などの膨大な薀蓄。ストーリー展開よりもそのアカデミックなレトリック自体がメインという趣でもあります。 然しそれが、じっくりと読み込めば決して退屈ではなく、寧ろ京極夏彦作品にも共通するような(と私は思う)奇妙な脳のトランス感を引き起こしてくれます、多分。 若し(多分そうだと思いますが)構想した時点で結末まで一気にインスピレーションが結実していたのだとすれば、まるで中井英夫『虚無への供物』みたいだ、と思いました。 で。 解決は―― さあ、どういう感想を貴方は抱くでしょうか。 | ||||
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なんとデビュー作『生ける屍の死』(実はその前に『13人目の探偵士』というゲームブックがある)以来の長編作品という事で、従来の山口作品を知る人間にとっては目を疑うほどの分量となってしまった(?)大作。「キッド・ピストルズ」シリーズのファンにはお馴染みの、例のシューレディンガー(シュレーディンガー)の猫を使った量子力学、もとい並行世界の説明は、従来のシリーズだと要するに「パラレル英国」の概要を説明するマクラとして使われているにとどまり、肝心な小説の内容は、なかなか独特ではあるものの、基本的には本格パズラーとして成立していると思うわけです。で、『奇偶』ですが、これが量子力学的世界観そのものを全面にフューチャーした、おそらく初めての作品だと、私の頼りない記憶によれば思います。多くの頁を埋めているのは、物理学、確率論などの膨大な薀蓄。ストーリー展開よりもそのアカデミックなレトリック自体がメインという趣でもあります。然しそれが、じっくりと読み込めば決して退屈ではなく、寧ろ京極夏彦作品にも共通するような(と私は思う)奇妙な脳のトランス感を引き起こしてくれます、多分。若し(多分そうだと思いますが)構想した時点で結末まで一気にインスピレーションが結実していたのだとすれば、まるで中井英夫『虚無への供物』みたいだ、と思いました。で。解決は――さあ、どういう感想を貴方は抱くでしょうか。 | ||||
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本作は推理小説といえるかどうか…。ミステリ的にいえば○○が犯人のメタミステリといえるのでしょうが、それよりも思弁的SFか、『黒死館殺人事件』のような衒学的探偵小説とでもいうべき作品です。サイコロの出目に6ばかり続く現象、量子論の不確定性原理、宇宙論などが次々出てくるので、文系読者にはツライかもしれません。理系ネタ好きの私には全然抵抗・障害はありませんでしたが。SFでいえばグレッグ・イーガン『宇宙消失』や、ミステリでは『不確定性原理殺人事件』『姑獲鳥の夏』が何の抵抗もなく読める人、あるいは湯川薫や倉阪鬼一郎が好きな人は本作を最も楽しめるタイプの人だと思います(森博嗣とはちょっと違うかも)。逆に本格好きには欲求不満が残りそうですね。どちらにせよ、ミステリファンは一読して損はない作品だと思います。大作ですし。ただ、宇宙論・物理科学ファンとしては、最後の半密室殺人の真相には納得いきませんでしたが…。 | ||||
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あの大傑作「生ける屍の死」に続いての長編ということで期待して読んだが、がっかり。偶然という事象の薀蓄が延々とつづられていて、それはそれで興味ぶかかったが、この終わり方は無いでしょう。著者ならではの、従来の推理小説に対するアンチテーゼの思いはさすがだと思うけど、それだけで600ページは相当辛い。この作品を面白かったと評価する人を尊敬します。 | ||||
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