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奇偶
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奇偶の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.48pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全6件 1~6 1/1ページ
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「どんな内容なんだ?」 「一種の推理小説仕立てになっている。奇妙な連続死は出てくるし、犯人探しの推理も出てくる。だがこれは、通常の推理小説とは、かなり違った感触を与える作品だよ」 「どこが特異なんだ?」 「連続する人の死に絡めて、偶然事象が頻発する――というような不可解な出来事が描かれていて、登場人物たちが、事件そっちのけで、蜿蜒と抽象的な議論を交わすんだ。《偶然》を俎上に載せて、あらゆる分野からの見当がなされる。背景と前景がまったく転倒していて、犯人が誰かということよりも、もっぱら、《偶然》というテーマの追求に血道を上げているようなのだ。いかようにも読める小説と言うか――」 「――で、その大作の結末はどうなっているんだい?」 「 -----*システムがビジー状態になっています。----- 徹頭徹尾、《偶然》のタブーに挑戦したメタフィクショナルな小説。 あなたがこのレヴューを読む気になったのは、間違いなく《偶然》だろう。その《偶然》に、意味の有無を考えたことはあるだろうか。 このサイトに来たのが《偶然》なら、ブラウザを開いたのも《偶然》。コンピュータを起動させたのも《偶然》なら、今起きているのも《偶然》だ。 どの《偶然》に意味があり、どの《偶然》に意味がないのか。 暇ができた時、この小説で《偶然》の迷宮を楽しんでみてはいかがだろうか。 | ||||
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本格ミステリにおいては、事件の解決は、そこに論理の飛躍があったとしても、ある種の演繹法によって必然的に決まるものとの暗黙の了解がある。それを破った作品は、"トリックに蓋然性がない"、と言った批判を受ける。本作はその常識を打ち破って、徹底的に「偶然」に拘った物語展開で、ミステリにおける「偶然」と「必然」の問題を問い掛けたもの。各節の冒頭には、作家や音楽家の引用が付いているが、その他にも本文中にB.ディラン「All Along the Watchtower」、ポー「The Raven」等の引用を潜ませている。 一応の主人公は作家の火渡で、一連の"偶然"な出来事の中で片方の目が塞栓による視野欠損となっており、精神状態も不安定。物語は、火渡の現実の手記とも、妄想とも取れる体裁で書かれている。物語の一つのモチーフになっているのは骰子。物語の発端も三つの骰子を振った時の確率論(一部、誤りがあると思う)から始まる。火渡にとって偶然過ぎる邂逅や体験の連続、邂逅した人間達の偶然過ぎる関係、事件現場に必ず顔を出す骰子、表紙にもある太極模様、数年前に起こった原発事故に係る偶然、ボノボが叩いたキーボードの文字が意味を成す偶然、背後にある「奇偶」という宗教集団。この他、火渡の境遇に対応しての柳田国男を引用した欠損神論、南方熊楠・ユングの因果論、ゲーデルの不完全性定理、シュレーディンガーの猫を初めとする素粒子論、二進法などが縦横無尽に語られる。火渡の愛人シルフィーを含め、全ては「奇偶」に通じ、焦点は「奇偶」の跡目争いに見える。そして物語の終盤になって、密室に篭った教祖がシルフィーと共に殺される...。 一応面白い趣向ではあるが、新しい"必然的"トリック創造に行き詰ったミステリ作家の開き直りとも取れる作品。私の業界でも次の様な格言がある。「失敗する可能性のあるプロジェクトは必ず失敗する」。 | ||||
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単行本(2002年)→ノベルス版(2005年)の文庫化。 上巻には「奇」「偶」「奇偶」までが収められている。下巻には驚愕の結末が控えているので、一気に通読するのが良いと思う。 著者自身が実際に体験した眼の故障が大きなモチーフとなっている。目の悪い私には、ちょっと読むのが重苦しかった。 本としては、壮大なアンチ・ミステリ。「偶然」というものがどこまで許されるのか、突っ走ってしまったような一冊。実験的な作品であり、普通の読者、あるいは山口雅也ファンであっても、手を出さない方が無難かも知れない。 上巻では、ありえないような事件が次々と起こり、どんな結末が待ち受けているのだろうとワクワクさせられる。しかし、下巻では・・。 | ||||
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次々と破天荒な展開が起きるとき、読者は普通「これをどう、まっとうに収拾つけるのだろうか?」と期待して読むものなんですが、そういう時に、作者は十中八九、まともに終えるつもりは全然ないんですよね(笑)。まあ「虚無への供物」なんかが凄いのは、それを更に裏切ってちゃんと決着をつけているところだったりしますが。 主人公の周囲で次々とありえない偶然が起きる、と言われても、そんなの小説の中なんだから不思議でもなんでもないし、存在論、量子論、宇宙論等の薀蓄が次々と展開されてゆくところは一見迫力がありそうですが、本来はマジメな議論であり理論であるはずのものを作者の都合のいいようにもてあそんでいるようで、あまり好感が持てません。眉唾な論理を振り回すのは作者の得意な方法論ではあるのですが、それはユーモアの範囲で適用されるから笑って済まされるのであって、この小説に関してはそういう風には読めないというか、突っ込み不在というか、なので、いいのかなあと思ってしまいます。 そして、どうせトンデモで終わるんだろうと思って読んでいると、その通りだし。ミステリ的な論法が次第に崩れて逸脱してゆくところは、読み応えはありましたが、破綻することを予想してしまっている読者としては、もっと論理面以外でのキャラクターの感情面での奥行きなど、欲しかった気がします。 以前から様々な作品で散見されていた作者の諸々の哲学ネタの集大成として、"いつか書かねばならなかった"作品だったのだろう、そういう意味での執念は感じました。しかし、SFや純文学としてではなく、殺人とその解決、という筋書きを持つミステリという形にしなければならなかったところに、苦いものを感じますね。私は評論家としての氏を尊敬しているし、ミステリ作家としても大好きなんですが、さてこの感想をどうしようか、というところです。 | ||||
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ありえないような偶然による事故死が連発。そして現場に残されたゾロ目のさいころ。やがて浮かび上がる謎の教団「奇偶」。 この作品は一応ミステリーとして分類できるかもしれないが、頁の多くを占めているのは「偶然」という概念に対する徹底した学門的または宗教的解釈の探究である。 読者の好みが分かれるのは物語と理論展開のバランスが一般的な小説とは明らかに異なることだ。押井守作品とその意味で共通点がある。私は理論は理論で学門的に認知されたソースから学びたいし、ミステリーはミステリーで物語に感情移入したい。 | ||||
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「生ける屍の死」以来、作者のファンです。でも、すいません。易経やらユングやら南方熊楠やら量子力学やら・・・難しくてよくわかりません。原発も類人猿も福助も・・・福助といえば續・日本殺人事件にも出てきましたが・・・あれはフクスケだったっけ・・・やっぱりキッド・ピストルズとかトウキョー・サムの方がいいな・・・と思う今日この頃です。でも一気に読んでしまうのは作者の魅力なんですかね。 | ||||
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