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虹の谷の五月
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虹の谷の五月の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.08pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全28件 21~28 2/2ページ
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「文明」がいかにして「辺境」の人々の生活のバランスを崩すかということが、登場人物を通してうまく表現されている。 NGOであろうがODAであろうが、その背後にあるのは巨大なマネーの力である。 そこを履き違えてしまうと、とんでもない事態を引き起こしてしまう。 「辺境」は「辺境」で完結した生活が営まれている。 それを「文明」の論理で、強引に変えようとしてはいけない。 | ||||
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フィリピン・セブ島で、闘鶏を生業とする祖父と暮らすトシオ。13歳から15歳の五月の出来事を描く。 フィリピンに特に興味はないし、歴史もほとんど知らないけれど、とても楽しく読めた。そして「人民軍」「マルコス」「アキノ」などについてもっと知りたい気持ちになる。それだけ、物語の魅力が強烈だということだろう。 クイーンのホセに対するアンビヴァレンスな想い。戦い続けるホセの強靭な信念。周囲に惑わされることなく、正しさを理解しているトシオとメグの清廉さ。ラストのじっちゃんの行動。 人々の真摯な気持ちは、読み手の心を強く揺さぶる。トニアやラモンの弱さでさえも。 また、暗殺者や誘拐犯に立ち向かうホセの戦いぶりは見事で、情緒的なものだけでなく、手に汗握る戦闘シーンでも読ませる。かっこよすぎるよ、ホセ! 唯一ひっかかるのが、トシオと彼をとりまく「主人公側」の人々が、あまりに善人すぎるところ。「フランダースの犬」の主人公に対するのと同じイライラを感じてしまう。逆にそれ以外の人々は下劣で野卑な人間ばかり。「善」と「悪」とに二極していて、その構図はちょっと時代劇っぽい。 まあ、そんなこと、壮大な物語を前に、たいしたことじゃ全然ないんだけど。 下種のかんぐりで、その後のメグがどうなるのかが、気になる! | ||||
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フィリピン・セブ島。田舎の小さな村に住む少年、ジャピーノ。 本名、トシオ・マナハン。日本人とのハーフであるという意味の「ジャピーノ」。村人はそう呼ぶ。日本のサラリーマンの父親は日本に帰り、母親はマニラで娼婦をして既に死んでいる。トシオは顔も知らない。祖父と二人でガルソボンガ地区に暮らす。丸い虹の浮かぶ、『虹の谷』へ行けるのは、トシオだけである。そこには一人の男がいる。話は、はじめてトシオが1から育てた軍鶏[シャモ]を闘鶏場へ連れて行く前夜から始まる。政情の不安定なフィリピンの状況を織り込みながら、その中で揺れる人々を脇役に「ジャピーノ13歳」「14歳」「15歳」 | ||||
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現代フィリピンのセブ島を舞台にした、読み応えのある冒険小説である、こういう作品がよく売れているのはまことに喜ばしい、と書こうかなと思った。ところが、そうは簡単に喜べないことに気づいた。文庫本に加えられた解説を読むと、解説者が完全に勘違いしているからだ。解説の小田光雄は次のように書いている。この作品は、「高度資本主義社会と辺境との出会い」を描いたもので、主人公のトシオ少年が生まれ育つ村は、「家族数42のアジア的農村は手工業と農業を中心に営まれ、ほとんど商品経済は導入されていない」、と。しかし、フィリピンはパプア・ニューギニアの奥地ではないんだよ。まして、この小説の舞台となるセブ島は、「辺境」どころか、資本主義の論理が行き渡ったところ。自給自足の生活の村があるなんて、ちょっとありえない設定だ。日本人観光客がゴルフ、ダイビングへと訪れる南の島においても、ちょっと奥地に入りさえすれば、大いなる「辺境」が存在し、新人民軍の残党が活躍したりするのではないかというのは、楽しいロマンである。しかし、現実のフィリピン社会を描いたことにはならない。冒険小説としてはよく出来た作品であるが、異文化の人と社会を描いた小説とは言い難いのである。現地生活をよく知らない日本人作家の限界なのかもしれない。 | ||||
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船戸 与一の本を全て読もうと考えたのはこの本との出会いが、きっかけでした。人によっては「砂のクロニクル」がベストらしいのですが私にとっては、この本と「猛き箱舟」が素敵と思える本でした。ちなみに早く船戸本購入しないと続々と古本屋さんを頼らなければ購入出来ない様なので全て読みたい方、御急ぎ下さい。私は既に購入を迷っていた間に何冊か古本屋さんの御世話になりました。船戸本は世情とシンクロする本多数です。お早く。眠れなくなります。 | ||||
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フィリピン・セブ島ガルソボンガ地区に祖父といっしょに住んでいる日本人との混血児13歳のトシオの98年から2000年までの物語。現代フィリピン辺境では、人々は拝金主義にまみれている。新人民軍というゲリラでさえ、革命税といいながら、貧乏な家からも強制的に金を徴収する。たった244人の地区なのに地区長選挙に買収が横行する。街の警察所長も金で動く。その中で元抗日人民軍だった祖父の薫陶よろしく、トシオは純粋な少年に育っていた。虹の谷はまんまるい虹が出る谷だという。しかしそれは乾季の5月に出ない。この物語はしかし全て5月に起こったことしか扱っていない。よって上巻を読む限りではその虹は現れない。しかし私にはその虹がこのフィリピンの一地区の失われた「誇り」の様に思える。まるで知らない地域ではあるのだが、日本とは生活習慣も政治も違うのだが、だからこそ、少年の不正を許さない気持ち、エイズになった知りあいの女性へ村の男たちがしたことへの憤りがびしびしと伝わってくる。少年は誇り持った青年になるのか、ガルソボンガ地区は生まれ変わることが出来るのか、まんまるい虹を見ることは出来るのか、下巻に期待したい。 | ||||
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船戸与一の小説を最後に読んだのは、かれこれ10年以上前のことだろうか?彼の描く世界は突然の死であり、それは主人公にも適用される。俺の中で、主人公=死という、彼の小説の構図が受入れられなくなり読むのを止めた。そして久々に「虹の谷の五月」を読んだ。そして一気に読み終えた。何よりも俺をほっとさせたのは、強く生きる人間の希望と誇りが切実に描かれていたことである。成長する少年のすがたを見事に描いた作品である。子育て論として、R. B. パーカーの「初秋」も良いが、船戸流子育てもワイルドで良いのではないのだろうか。俺的には「山猫の夏」のラポーゾと、この本の主人公が何故かだぶってしまった。船戸作品を読んでない方も、怒濤の勢いで読むべし。 | ||||
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フィリピンのガルソボンガの村に、日本人画家と結婚して金持ちになったシルビアが帰ってきた。それが村に様々な軋みを起こす。シルビアの「日本に養女を迎えたい」という言葉に夢を託し翻弄される寒村の少女達。理想の国土を望む熱血漢のラモンとその恋人のトニア、トシオの育ての親で元抗日戦士のガブリエル爺さん、金まみれの首長チャペス、虹の谷に一人住む戦士ホセ・マンガハス。彼の母で老いて身動きの出来ないリベルタ婆さん。 小さな村で繰り広げられる首長の選挙戦で、ラモンは現役のチャペスに挑む。彼に想いを寄せるトニアとの恋は実を結ぶのか。人の心を動かす金の匂い。様々な人々の欲望が熱い大地に繰り広げるドラマを、船戸はいつに無く優しく描く。 同じ作者の『龍神町龍神三番地』については、その娯楽色をめぐって読者の評価は分かれたようだが、船戸の作品に共通して見られる黙示録的な終わり方は今回も変わらない。ただ、舞台が日本でないことと、貧しい村やマンガハスが住むジャングルの描写は話に広がりを生んでいる。過去の船戸作品に見られた、皆殺しがもたらす虚無感が幾分抑えられ、希望がかすかに見える点は受け容れられやすいだろう。 しかし、直木賞受賞作だからと気軽に手を出した人は、船戸が垣間見せる世界の真実にたじろぐのではないだろうか。そうは言っても、この本は彼の作品の中では『蝦夷地別件』や『猛き箱舟』『山猫の夏』『炎流れる彼方』ほどに衝撃的ではない。 この作品でも、過去に発表された中東を舞台にした作品同様、その地で何年か生活をしなければ絶対描けない汗や食べ物、流れる血の臭いは十二分に溢れている。受賞を期に、普通の日本人が、船戸の様々な作品を通じて世界を直視するようになれば幸いだ。彼の本で幸せな結末を望むのは無理だと分っていても、作品が出るたびに読んでしまうのは、何よりも船戸が見せる世界のリアリティのせいだろう。 | ||||
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