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仮想儀礼
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仮想儀礼の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.43pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全88件 61~80 4/5ページ
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ビジネスのつもりででっち上げた宗教団体(聖泉真法会)ではあるが,徐々に軌道に乗り,一時は7000人の信者を獲得するまでに至る。その聖泉真法会の教えは,密教を参考にでっち上げたものとはいえ,「仏は自分の内にある」というもので,それなりに魅力的なものに感じた。入信するからといって従来所属していた宗教団体から離脱する必要はないなど,微温的な教義は,詐欺的な新興宗教とは一線を画している。 そんな聖泉真法会であるだけに,上巻の興隆期は読んでいて応援したくなるほどだった。家族の誰からも必要とされない主婦,統一協会を思わせる団体に入って心がボロボロになった女性。そうした人たちが「癒し」を受けられる場としては,やはり宗教と,宗教で結び付いた仲間との生活しかないのだろう。 そうであれば,正彦らのでっち上げた聖泉真法会は,それほど悪い存在ではなかったと思われた。 人が宗教に頼らざるを得ない心理的・社会的状況や,宗教団体が本質的に持たざるを得ない危うさなどをリアルに描いた作品であり,分厚い上下巻ではあるが,一気に読み切ってしまった。 | ||||
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簡単なあらすじは、普通の公務員だった主人公が、ゲームのシナリオのアルバイトで小銭を稼いでいたが、ある担当者から乗せられて、脱サラする。公務員という安定を求めて結婚した奥さんはその時点で離婚。学生時代に少し体験したり勉強したりした宗教の知識で8000枚の壮大なシナリオを書き上げるが、その仕事自体が架空の話だったという事で、すべてを失ってしまう。 失意の中、自分をだました担当者と道で出くわし、なぜか共同生活が始まり、冗談でネット上に新しい宗教を立ち上げる。 最初は簡単な人生相談のようなメール対応だったのが、集会所を創ったりして人が集まりだし、バーチャルからリアルになっていく。 色々な偶然やラッキーが重なり、当初50人で食べていける、300人でベンツに乗れる…という軽い目標があったのだが、はるかにそれを上回る信者と金が集まる。 絶頂期を迎えたら、落ちていくのは世の常。別の宗教団体からの弾圧、妬み、脱税などの悪への誘い…。 そのような外的要因だけではなく、内部の信者の色々な問題が山ほど出てくる。 最終的に教団は社会から抹殺されてしまうのだが、話はそれで終わらない…。 オウムまで行かなくても、この話に近いような事は、知られていないだけで日常茶飯事で行われているのだろうと思えるくらい、リアルなストーリーに仕上がっています。 特に組織が崩壊してから、それでも残っていた信者たちの行動は、あのオウムのニュースで見た、トランス状態で体がゆらゆらしたり、バタンバタンのたうちまわったり…というシーンの再現。なぜあんなことになるのだろうと不思議に思っていたし、何かやらせではないのか?と思ったりしたが、この本を読むとあの状態に陥るのは無理もないというか、理解できるようになった。 この作者は、本当によく調べたと思う。世の中で実際にこんな事が起こっているのかもしれないと思わせる筆力には参った。 | ||||
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ビジネスのつもりででっち上げた宗教団体(聖泉真法会)ではあるが,徐々に軌道に乗り,一時は7000人の信者を獲得するまでに至る。その聖泉真法会の教えは,密教を参考にでっち上げたものとはいえ,「仏は自分の内にある」というもので,それなりに魅力的なものに感じた。入信するからといって従来所属していた宗教団体から離脱する必要はないなど,微温的な教義は,詐欺的な新興宗教とは一線を画している。 そんな聖泉真法会であるだけに,上巻の興隆期は読んでいて応援したくなるほどだった。家族の誰からも必要とされない主婦,統一協会を思わせる団体に入って心がボロボロになった女性。そうした人たちが「癒し」を受けられる場としては,やはり宗教と,宗教で結び付いた仲間との生活しかないのだろう。 そうであれば,正彦らのでっち上げた聖泉真法会は,それほど悪い存在ではなかったと思われた。 人が宗教に頼らざるを得ない心理的・社会的状況や,宗教団体が本質的に持たざるを得ない危うさなどをリアルに描いた作品であり,分厚い上下巻ではあるが,一気に読み切ってしまった。 | ||||
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簡単なあらすじは、普通の公務員だった主人公が、ゲームのシナリオのアルバイトで小銭を稼いでいたが、ある担当者から乗せられて、脱サラする。公務員という安定を求めて結婚した奥さんはその時点で離婚。学生時代に少し体験したり勉強したりした宗教の知識で8000枚の壮大なシナリオを書き上げるが、その仕事自体が架空の話だったという事で、すべてを失ってしまう。 失意の中、自分をだました担当者と道で出くわし、なぜか共同生活が始まり、冗談でネット上に新しい宗教を立ち上げる。 最初は簡単な人生相談のようなメール対応だったのが、集会所を創ったりして人が集まりだし、バーチャルからリアルになっていく。 色々な偶然やラッキーが重なり、当初50人で食べていける、300人でベンツに乗れる…という軽い目標があったのだが、はるかにそれを上回る信者と金が集まる。 絶頂期を迎えたら、落ちていくのは世の常。別の宗教団体からの弾圧、妬み、脱税などの悪への誘い…。 そのような外的要因だけではなく、内部の信者の色々な問題が山ほど出てくる。 最終的に教団は社会から抹殺されてしまうのだが、話はそれで終わらない…。 オウムまで行かなくても、この話に近いような事は、知られていないだけで日常茶飯事で行われているのだろうと思えるくらい、リアルなストーリーに仕上がっています。 特に組織が崩壊してから、それでも残っていた信者たちの行動は、あのオウムのニュースで見た、トランス状態で体がゆらゆらしたり、バタンバタンのたうちまわったり…というシーンの再現。なぜあんなことになるのだろうと不思議に思っていたし、何かやらせではないのか?と思ったりしたが、この本を読むとあの状態に陥るのは無理もないというか、理解できるようになった。 この作者は、本当によく調べたと思う。世の中で実際にこんな事が起こっているのかもしれないと思わせる筆力には参った。 | ||||
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この小説は三回楽しめます。 最初は喜劇として。食い詰めた元公務員と元編集者の二人がその場の思いつきで始めた新興宗教が軌道に乗り出すまで。 次に悲劇として。迷いの末に救いを求めた若い信者がさまよった挙句一人で死んでいくまで。 そして最後がホラーとして、既に主導権をなくした教祖が信者に引きずられるように事件を起こしながらさ迷ってラストに流れ込むまで。 とにかく長いですがそれだけのことはあります。 | ||||
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この小説は三回楽しめます。 最初は喜劇として。食い詰めた元公務員と元編集者の二人がその場の思いつきで始めた新興宗教が軌道に乗り出すまで。 次に悲劇として。迷いの末に救いを求めた若い信者がさまよった挙句一人で死んでいくまで。 そして最後がホラーとして、既に主導権をなくした教祖が信者に引きずられるように事件を起こしながらさ迷ってラストに流れ込むまで。 とにかく長いですがそれだけのことはあります。 | ||||
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篠田節子さんの作品のなかでは、「ゴサインタン」、「弥勒」などの系譜に属する宗教ものといえるでしょう。内容が重いということも、共通しています。 主人公たちは金もうけを目的に軽い気持ちで新宗教を立ち上げますが、そこに「生きにくい系」の若者、超能力嗜好者、巨大教団の中年女性信者、不安を抱える中小企業の経営者などがこの順番に、吸い寄せられるように集まり信者になっていきますが、問題が発生し教団が社会からバッシングを受けるようになると、その逆の順番で信者たちが潮が引くように去っていきます。 てっとり早く教義をこしらえるために主人公がつくったのは、チベット仏教をベースにした密教系の教義でした。著者は「ゴサインタン」や「弥勒」でもチベット系密教をとりあげており、チベット仏教に対する関心が強いのでしょうか。 「ゴサインタン」では、自然発生的な小教団の中心になるネパール出身の女性は、神がかり的な能力を持っていましたが、今回の作品では教祖となる男性主人公がきわめて世俗的な人物であるのは現代社会の風潮を反映しているのかもしれません。 彼がむしろ理性的であり、ときとして良心的ともいえる人物であるため、かえってなすすべもなく、数人の女性信者たちの宗教的狂熱に巻きこまれ、破綻へと突き進んでいきます。 長編ですが、一気に読ませてくれます。「ゴサインタン」や「弥勒」に比べればやや軽めの読後感ですが、多くのことを考えさせてくれる力作であることはまちがいなく、読んで損のない作品だと思います。 | ||||
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篠田節子さんの作品のなかでは、「ゴサインタン」、「弥勒」などの系譜に属する宗教ものといえるでしょう。内容が重いということも、共通しています。 主人公たちは金もうけを目的に軽い気持ちで新宗教を立ち上げますが、そこに「生きにくい系」の若者、超能力嗜好者、巨大教団の中年女性信者、不安を抱える中小企業の経営者などがこの順番に、吸い寄せられるように集まり信者になっていきますが、問題が発生し教団が社会からバッシングを受けるようになると、その逆の順番で信者たちが潮が引くように去っていきます。 てっとり早く教義をこしらえるために主人公がつくったのは、チベット仏教をベースにした密教系の教義でした。著者は「ゴサインタン」や「弥勒」でもチベット系密教をとりあげており、チベット仏教に対する関心が強いのでしょうか。 「ゴサインタン」では、自然発生的な小教団の中心になるネパール出身の女性は、神がかり的な能力を持っていましたが、今回の作品では教祖となる男性主人公がきわめて世俗的な人物であるのは現代社会の風潮を反映しているのかもしれません。 彼がむしろ理性的であり、ときとして良心的ともいえる人物であるため、かえってなすすべもなく、数人の女性信者たちの宗教的狂熱に巻きこまれ、破綻へと突き進んでいきます。 長編ですが、一気に読ませてくれます。「ゴサインタン」や「弥勒」に比べればやや軽めの読後感ですが、多くのことを考えさせてくれる力作であることはまちがいなく、読んで損のない作品だと思います。 | ||||
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最近は面白い小説に当たらずにすっかり小説の食わず嫌いになっていた自分だが、新聞の書評につられて手に取ってみた。 数ページで引き込まれ、下巻のラストまでほぼ退屈せずに読むことができた。 上巻ではもっぱら二人の失業者による宗教ビジネスの立ち上げ、それから思いの他とんとん拍子で拡張していく様を描写。下巻ではその劇的な衰退が描かれる。どっちの方向もできすぎ(たとえば何の信仰心もないはずの元役人は舌を巻くほどうまく教祖を演じ、信者側では勝手に奇跡のようなことが起こる)の感があるが、それは所詮「小説」だということで読者は納得するのだろう。実際には数年のスパンにわたるストーリーなののだが、主な出来事が凝集されているので上下にわたる長編だといってもさながらダイナミックなジェットコースターに乗っているように新興宗教体験(信者の側ではなく作り手の側から)ができる。 登場するキャラクター群もいわゆる「生きづらい系の」壊れかけた若者から孤独な金持ち、企業経営者まで多岐にわたり、それぞれのリアリティも伝わってくる。特に最後に残る五人の女性信者にはその狂信的な言動を超えて親しみを感じてくるほどだ。 また著者の仏教教義、儀式から法律、経営に関する素養、様々な土地の描写から確かな取材力とそれを物語の中での編集力もうならされる。 最後のくだりでは静かな感動さえ覚え、しばらくこの物語世界から離れることができなかった。お話の内容は全然ロマンチックではないのにね。。 こんな作家が日本にもいたんですね。今まで「直木賞作家」には裏切られてばかりいたので、素直に感動。 | ||||
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最近は面白い小説に当たらずにすっかり小説の食わず嫌いになっていた自分だが、新聞の書評につられて手に取ってみた。 数ページで引き込まれ、下巻のラストまでほぼ退屈せずに読むことができた。 上巻ではもっぱら二人の失業者による宗教ビジネスの立ち上げ、それから思いの他とんとん拍子で拡張していく様を描写。下巻ではその劇的な衰退が描かれる。どっちの方向もできすぎ(たとえば何の信仰心もないはずの元役人は舌を巻くほどうまく教祖を演じ、信者側では勝手に奇跡のようなことが起こる)の感があるが、それは所詮「小説」だということで読者は納得するのだろう。実際には数年のスパンにわたるストーリーなののだが、主な出来事が凝集されているので上下にわたる長編だといってもさながらダイナミックなジェットコースターに乗っているように新興宗教体験(信者の側ではなく作り手の側から)ができる。 登場するキャラクター群もいわゆる「生きづらい系の」壊れかけた若者から孤独な金持ち、企業経営者まで多岐にわたり、それぞれのリアリティも伝わってくる。特に最後に残る五人の女性信者にはその狂信的な言動を超えて親しみを感じてくるほどだ。 また著者の仏教教義、儀式から法律、経営に関する素養、様々な土地の描写から確かな取材力とそれを物語の中での編集力もうならされる。 最後のくだりでは静かな感動さえ覚え、しばらくこの物語世界から離れることができなかった。お話の内容は全然ロマンチックではないのにね。。 こんな作家が日本にもいたんですね。今まで「直木賞作家」には裏切られてばかりいたので、素直に感動。 | ||||
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怖い。 新興宗教に限らず、宗教というものが全く信用できないウチが、この作品はどうしても読んでみたくなって購入しました。 公務員だった男が作家になる夢につけ込まれ、気がつくと家族も職も失ってしまう。唆した男を責めながら目撃してしまった9.11、ワールドトレードセンタービルディングが崩壊する中、二人は「宗教」を事業として起こすことにする。 ゲームブックと各種宗教の組み合わせた事業としての癒し、宗教を求める様々な人、どんどんと大きくなっていく宗教団体、そして小さな綻びからの転落。宗教の持つ胡乱さと、それをどうしても求めてしまう人の思い。 ステロタイプな登場人物が、逆に作り物じゃなく思えてしまえて、とんでもなく怖い。 上下巻900ページにも及ぶ長編は、グッと鷲づかみにされるほどの強烈さで一気に読み進められて、教団がふくらんでいくと過程に高揚し、転げ落ちていく過程に恐怖を覚えてしまう。ジェットコースターのように揺さぶられ続けて読み終えてしまった。 穏やかそうに見えるラストでも、信者に潜む心の内がやっぱり怖い。 | ||||
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怖い。 新興宗教に限らず、宗教というものが全く信用できないウチが、この作品はどうしても読んでみたくなって購入しました。 公務員だった男が作家になる夢につけ込まれ、気がつくと家族も職も失ってしまう。唆した男を責めながら目撃してしまった9.11、ワールドトレードセンタービルディングが崩壊する中、二人は「宗教」を事業として起こすことにする。 ゲームブックと各種宗教の組み合わせた事業としての癒し、宗教を求める様々な人、どんどんと大きくなっていく宗教団体、そして小さな綻びからの転落。宗教の持つ胡乱さと、それをどうしても求めてしまう人の思い。 ステロタイプな登場人物が、逆に作り物じゃなく思えてしまえて、とんでもなく怖い。 上下巻900ページにも及ぶ長編は、グッと鷲づかみにされるほどの強烈さで一気に読み進められて、教団がふくらんでいくと過程に高揚し、転げ落ちていく過程に恐怖を覚えてしまう。ジェットコースターのように揺さぶられ続けて読み終えてしまった。 穏やかそうに見えるラストでも、信者に潜む心の内がやっぱり怖い。 | ||||
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環境にメスを入れるのが工学技術 心のメスを入れるのが宗教 工学技術が環境を改善する一方では、破壊もする。 宗教も心を癒し育てる一方では、心を破壊もする。 宗教の2面性を見事に描ききった好著 | ||||
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環境にメスを入れるのが工学技術 心のメスを入れるのが宗教 工学技術が環境を改善する一方では、破壊もする。 宗教も心を癒し育てる一方では、心を破壊もする。 宗教の2面性を見事に描ききった好著 | ||||
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本書は「読み始めたら止められない」極めて優れた娯楽小説であり、読後感も決して悪くない。 支払った「お代」以上のものを返してくれる、ちゃんとしたエンターテインメントだ。 しかし、本書を読み終わった読者は、それぞれに考え込むことになる。 この「豊かなあまりに人と人との関係が薄くなった世の中」で、「サービス業としての宗教」というものが成り立つのか?という問いに対するひとつの回答を著者は本書で示したと言える。 著者による回答は極めて説得的だが、人によっては違う回答もあるだろう。 少なくとも本書の主人公が言うように、現代は過去とは違う。 「昔の宗教は確かに存在理由があった」「家は貧乏、嫁ぎ先じゃいびられる、子供は病気で死んじまう。そういう女なんかに、神様が憑いた。」「しかし今じゃ、退屈した人間が自分の精神を玩具にして、宗教はそのためのワンダーランドだ。笑わせてくれるなよ。」(上巻93頁) 本書は、そういう時代の宗教とは何なのかについての、思考実験であるとも言える。 本書を読んで高橋和巳の「邪宗門〈上〉 (朝日文芸文庫)を猛烈に読み返したくなった。「宗教が宗教らしかった時代」、日本が貧乏にまみれていた時代の新興宗教の物語である。実に残念なことに絶版となっているが、図書館には必ずある本なので借り行くつもりだ。戦前の日本の想像を絶する貧苦の中から立ち上がってくる宗教のパワーを、これほど迫真性に満ちて描いた作品は、他にはない。 | ||||
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本書は「読み始めたら止められない」極めて優れた娯楽小説であり、読後感も決して悪くない。 支払った「お代」以上のものを返してくれる、ちゃんとしたエンターテインメントだ。 しかし、本書を読み終わった読者は、それぞれに考え込むことになる。 この「豊かなあまりに人と人との関係が薄くなった世の中」で、「サービス業としての宗教」というものが成り立つのか?という問いに対するひとつの回答を著者は本書で示したと言える。 著者による回答は極めて説得的だが、人によっては違う回答もあるだろう。 少なくとも本書の主人公が言うように、現代は過去とは違う。 「昔の宗教は確かに存在理由があった」「家は貧乏、嫁ぎ先じゃいびられる、子供は病気で死んじまう。そういう女なんかに、神様が憑いた。」「しかし今じゃ、退屈した人間が自分の精神を玩具にして、宗教はそのためのワンダーランドだ。笑わせてくれるなよ。」(上巻93頁) 本書は、そういう時代の宗教とは何なのかについての、思考実験であるとも言える。 本書を読んで高橋和巳の「邪宗門〈上〉 (朝日文芸文庫)を猛烈に読み返したくなった。「宗教が宗教らしかった時代」、日本が貧乏にまみれていた時代の新興宗教の物語である。実に残念なことに絶版となっているが、図書館には必ずある本なので借り行くつもりだ。戦前の日本の想像を絶する貧苦の中から立ち上がってくる宗教のパワーを、これほど迫真性に満ちて描いた作品は、他にはない。 | ||||
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宗教団体設立の理由がそれぞれ異なるように 信者がその宗教に求めるものもそれぞれだろうし 信者が増え、組織が大きくなればその方向性も変わっていく。 主人公が遊び半分で始めた宗教団体もどきが あらぬ方向に暴走していく展開となっています。 随所に見られるシニカルな常識人の主人公の 教祖らしくない俗世的で現実的な判断がけっこう笑えます。 いやはや、信者の人生を引き受けるのは並大抵のことではないですね。 結末は哀しいけれど、不思議な爽快感がありました。 | ||||
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宗教団体設立の理由がそれぞれ異なるように 信者がその宗教に求めるものもそれぞれだろうし 信者が増え、組織が大きくなればその方向性も変わっていく。 主人公が遊び半分で始めた宗教団体もどきが あらぬ方向に暴走していく展開となっています。 随所に見られるシニカルな常識人の主人公の 教祖らしくない俗世的で現実的な判断がけっこう笑えます。 いやはや、信者の人生を引き受けるのは並大抵のことではないですね。 結末は哀しいけれど、不思議な爽快感がありました。 | ||||
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「信仰は金を産む」の帯が印象的な上巻469頁は、ネットから始めた新興宗教が大教団になってゆこうとする過程が着々と描かれてどうにも引いてしまう。 それは宗教という実体の無い所から金を産もうとする人模様を、如何わしく思ってしまうからかもしれない。 「自分たちで作り、立ち上げた宗教だから、その神は自分の手の内にある。しかしそれを信じた人々の感情や行動は、決して自分の手の内にはない。人の心は得体が知れず、制御もできない。」168頁の正彦の胸の内は、この作品をも表現している。 人間の心の脆さと宗教の関係を正彦が冷めた視線で見ながら布教していく始まりは面白く読めるのだが、教団が大きくなり破綻の幕開けのような事件で終わるこの上巻から下巻に手を伸ばすには気力が必要な内容だ。 だが、上下巻読み終わった状況から上巻の紹介となると、ここまでの作品を読まずに終わるのはもったいないと思う。読み応えある力量作品を読書の醍醐味として味わったことがある人ならば、昨今の作品には無い重量感あるこの作品に手を出して損は無い。 | ||||
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下巻の帯には「狂信が常識を食い破る」と太字で刷られている通り、狂気が下巻に充満している。が。その狂気が宗教だけに留まらない所に篠田節子の筆力が光る。 正直まやかしで作られた宗教が破綻していく展開は、教祖である鈴木正彦が逃げだいと切に願う心情に共感出来るくらい教団の内も外も崩壊してゆく。 怪しい宗教団体と世間から見なされた時、社会からの弾圧はここにも狂気が生まれるという恐怖が見事に描かれているのだ。 「空疎だからこそ、それを心底必要とする者が、まるで自らの鏡像と対峙するようにして、強固な中身を作り出していった」404頁の正彦が見た宗教の本質。 帯に書かれた正彦の叫び「もう勘弁してくれ、目を覚ましてくれ」は、読んでいる間私にも生じた感情になったくらいこの作品は重いしキツイ。 それでも読み終わった後評価が下がらなかったのは、締めである最後の一行で戦慄が走り、読んでいた間の嫌悪をも打ち消したからだ。 人間がいかに脆く弱い側面を持つのか私たちは知っている。 そこに読み応えある重量感ある作品を読む醍醐味を味わったことがある人なら、この作品を描ききった篠田節子に称賛を称えずにはいられない作品だと思う。 | ||||
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