■スポンサードリンク
仮想儀礼
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
仮想儀礼の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.43pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全9件 1~9 1/1ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
都庁職員が内緒でゲームソフト本での副業を機に退職して本格的に活動を始めたが騙され失業の果て離婚。 騙された相手に偶然再会し確実に儲ける方法として宗教を選び徐々に本格化する。 虚業といっても決して悪徳商法ではなく人助けも兼ねており後半の成り行きに注目したい。 一般文学通算2016作品目の感想。2018/01/22 21:55(in USA シカゴ) | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
好きな作家の本。テーマが私にはやや身近ではない宗教。でも、都庁職員という、ごくありふれた主人公の、これまた給与生活者が人生後半で陥りそうなありがちな日常から入り込むので、導入で抵抗がなかった。しかも、どんどん事業が拡大するので読んでいてもスカッとした気持ちに感情移入。 そして中盤からは諭すような文言や仏教用語は斜め読みに速読して先へ先へ読み進むうち、下巻に入るとどんどん閉塞感に苛まれ、風評被害というかどうにも制御できないものに振り回され、読みながら思い浮かべる情景にも生々しいものがあり、正直しんどかった。せっかくの寝る前のお楽しみ読書タイムなのに。 それでもあの分厚い上下巻を一気に読ませるのはさすが篠田節子。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
割と容易く想像できる事例ばかりという感じでもあるけれど、その分分かり易くもある。楽しんで読みました | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
上と合わせてこれだけの文章量で、ラストがこれだとちょっと当てが外れた感じ。「オチ」じゃなくてそこに至るまでの過程が主旨なんだろうけど…。 「さもありなん」だけで上はそれなりに楽しんだけど、「下」に入ってからは読みながらダレた感じがした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
確かに面白いが、健全な精神の方が読むと何ともあまりに宗教臭くドロドロしたおはなしで馴染めません。宗教は否定はしませんが、心の弱さを突き暴利をえている輩があまりにも多く感じられ、この作品はうまく宗教世界を燻りだし読ませますが、私個人はあまりにも非科学的過ぎて消化できませんでした。しかし読んで損はありません。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
デッサン力もあり、宗教界を良く調べて丁寧に書かれてはいますが現実を分かっている大人には頭で書いた本だとわかり、こんなに現実は都合よく宗教は作れません。ただ、「悩める人間心理はあらがち的外れではありません」娯楽ものとして読めば確かに面白く、少しだけ得るところもあり無きにしも非ずです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
シナリオライターの一面を持ち、東京都職員をそのシナリオの夢で退職した鈴木 正彦と、その編集者だった女に優しい男矢口 誠が、失業と9.11によるショックから、思いついた宗教の事業としての側面。サービス業を虚業として捉えるならば、宗教は信仰という商品を扱う第4次産業だ、という考えのもとに教団を立ち上げます、あくまで儲けるために。宗教を手段として割り切った、収入を得る為のものとして。その土台はシナリオ作りで日の目を見ることの無かったゲームシナリオ。東京都職員あがりの鈴木は冷静な視点を持つ常識家だからこその教祖、実務にたけ、だが感情移入もしてしまう矢口がその世話人。オカルトと脅迫は無し、悩みの解決と気分の安定(決して精神の安定ではなく、気分の安定!)という宗教サービスに対してお布施という対価を受け取ることをまっとうとするある意味カウンセラーのような存在を目指した教団・聖泉真法会の行き着く先はどこなのか? 最初に2人が想定したユーザーは2種類、精神というか気分の安定を得るためにお金という対価を払っても良いという大人と、日常生活に退屈しきった<生きづらい>系の若者、この2種類が本当にお金を落としてくれるのか?また教祖とはどんな存在なのか?宗教が現代に必要とされるのはどんなものなのか?上下巻の分厚いけれど非常に読みやすい語り口の鈴木の1人称で語られる教団の盛衰史です。 教団の立ち上がりにおけるそのルーズさというか適当さ、また乞われることで成り立たせていく教義、しかしその教義も、常識人鈴木正彦教祖の言葉には決して変わったものはなく信心がなければ、教祖の言葉としないで聞くのでないなら、なんら問題の無い言葉ではあるものの、それが通用しないものが出てくるところに恐怖があります。鈴木教祖の言葉に、説得に、私coboは異を唱える場面はほぼ無かったと思います。非常に常識的、精神衛生上誰もが考え付く範囲内での言葉であるにも関わらず、教祖の言葉にそれ以上の価値を見出したい方々にとっては「そうもとれる」という誤差が生じていくのが、恐ろしいのです。 常識的な教祖が教団を大きくしていくことに恐れや畏怖を感じながらも、不思議な縁とはいえ絶妙なバランス感覚で補う矢口との間の人間関係がなかなか良かったです。かなり特殊な人もたくさん出てきますし、いるいる、というステレオタイプな登場人物も多いのですが、読み物として読ませるチカラは十分です。私は篠田さんの小説を初めて読みましたが、描写も構成も良かったです。扱う内容が宗教というものでなかなか掴みにくい物ではありますが、決してただのカルト教団の話しではなく、2重3重に落とし込む構図を作り上げています。一見カルトに見えるものでも、その実信者にとってはそこにしかいられない、かけがえの無い場所であることや、家族という監獄という関係性も特殊だけれどありえるのではないか?と。 宗教とは何か、救済とは何なのか、信仰のもたらすチカラと軽々しく扱えない人の心の行く先が気になる方に、オススメ致します。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
本書の構成は、俗の敗者が、聖を利用して俗に反撃を試みたところ、一旦は勝利するもののまたたくまに反撃をくらって、再び一敗地にまみれるという単純なものです。少なくともエピローグの前までは。しかし、最後の数頁で勝負は逆転します。聖中の俗、転じて俗中の聖が忽然として立ち現れるのです。 掉尾の一文字を書き下した時、本作家の脳裡には一体どのような感慨がよぎったのでしょうか?もうひともうけできるという欲でしょうか?あるいはどういった批評が下されるのかといった不安なのでしょうか? そうではないと思います。おそらくは、人として普通に生きるということの尊さといったものが特別の光に彩られるというわけではないにしても、何かしら言葉で掌握できる範囲を遥かに超えた深いたなびきのようなものを帯びつつ静かに流れてゆくのを茫然として見送っていたのではないでしょうか。私にはそう感じられます。 久しぶりに「文学とはヒューマニズムである」という言葉を思い出すことができました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
本書の構成は、俗の敗者が、聖を利用して俗に反撃を試みたところ、一旦は勝利するもののまたたくまに反撃をくらって、再び一敗地にまみれるという単純なものです。少なくともエピローグの前までは。しかし、最後の数頁で勝負は逆転します。聖中の俗、転じて俗中の聖が忽然として立ち現れるのです。 掉尾の一文字を書き下した時、本作家の脳裡には一体どのような感慨がよぎったのでしょうか?もうひともうけできるという欲でしょうか?あるいはどういった批評が下されるのかといった不安なのでしょうか? そうではないと思います。おそらくは、人として普通に生きるということの尊さといったものが特別の光に彩られるというわけではないにしても、何かしら言葉で掌握できる範囲を遥かに超えた深いたなびきのようなものを帯びつつ静かに流れてゆくのを茫然として見送っていたのではないでしょうか。私にはそう感じられます。 久しぶりに「文学とはヒューマニズムである」という言葉を思い出すことができました。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!