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仮想儀礼
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仮想儀礼の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.43pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全88件 21~40 2/5ページ
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いやー面白かった!この本を読むのは二度目なのですが、否が応でも引き込まれ一気に読み切りたい衝動にかられます。 現実世界なんかに見向きもしなくなり、この世界観にズブズブになりました。「ゴサインタン」の時もそうだったんですよね。 著者の人間の捉え方、なかでも生まれた時代によって違う価値観を持った人間たちの描き方が素晴らしいなと思います。 生きづらい系…私もそうだったな…と思ったり、人間性おばさんは私の知ってる60代のおばさんによく似てて…。 各世代当たり前のことが違う、通らない難しさを感じました。 矢口と正彦の人間性の描き方も…細かく描かれていて物語に入り込めます。 宗教団体のニュースとか聞くと、上の奴らが思いっきし悪い奴なんだろうと思っていましたが、この物語を読むとそうとは限らないかも…と思うようになりました(^^;) | ||||
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上巻ももちろん、後半からじわじわとハラハラしますが 下巻はその比じゃない…! 手に汗握るというか、もう恐ろしくて じゃんじゃんページをめくってしまいます。 私は宗教という分野自体あまり得意ではないですが ラストには涙がにじみました。 正彦と矢口、2人が 悪人でないことが涙の理由かな…。 結局とても優しい主人公たちだった。 | ||||
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篠田節子さんは「女たちのジハード」が大変おもしろかったので、評価の高い「仮想儀礼」を読んだのですが、この作品はとにかく600ページの上下巻なので大変な長編です。 ストーリーは、脱サラで作家になりそこねた男、正彦と社会の落伍者的存在の矢口の二人がなんとかうまい金儲けはないかと考えた挙句に宗教団体を立ち上げるという話です。上巻では信者がどんどん集まってきて正彦は教祖「桐生慧海」となり、企業のスポンサーもつき一大教団への道を歩みだします。お約束どおり、うまくいかず、問題が発生して堕ちて行くのが下巻という流れです。 長編なのでいろんな登場人物がでてきます。とくに家庭や社会で「生きずらい」問題をかかえた人たちが信者として教団に入信してくる様子をかなりな現実的なタッチで詳細に描きます。パートナーの矢口はフレンドリーな対応で彼らの話を聴く一方、女癖の悪さが高じて失敗したりもしますが、正彦はあくまで教祖として正統な仏の教えを誠実に説こうとします。 しかしながら、正彦は所詮エセ教祖なので、心の中では仏の救いなど全く信じていません。それにもかかわらず、救いをもとめる信者たちはそんな教祖の言葉にどんどん教団にのめり込んでいってしまうのがこの話のおもしろいところです。 長編のエセ教団のストーリーと言えば、強烈な印象を与える新堂冬樹の「カリスマ」があります。「カリスマ」は新堂の代表作ともいっていい程の完成度を誇り、美しい家族や夫婦愛が、とんでもない教祖のせいでもうこれ以上のないほどのドン底に落ちていくドロドロな小説でしたが、めちゃくちゃ面白かったです。それに対して「仮想儀礼」は「カリスマ」のようなマンガチックさはなく、社会小説といっていいほどのリアリティを追求しています。 乃南アサの「風紋」も上下巻で同じくらいのボリュームで、非常に評価も高く、犯罪の被害者、加害者の家族がいかに辛い思いをするかというテーマを描ききった大作ですが、「風紋」が好きな人にはこの「仮想儀礼」は絶対ハマルのではないかと思います。 私個人の趣味でいえば、起承転結が明確で、ストーリーに直接関係ない部分はあまり要らないので、正直、「風紋」も「仮想儀礼」も長すぎる割りに、盛り上がりに欠け、もう一回読もうなどとは全く思いません。 本のなかに出てきましたが、日本には宗教法人が18万もあり、教祖と呼ばれる人は140万人もいるんですね。文化庁のサイトをみるとそのほとんどが都道府県所轄の神道系と仏教系だということで、ものすごいマーケットだということがわかります。それだけにその実態を描いたこの本は価値があるといっていいのではないかと思います。 最後の正彦の言葉が興味深い。「私は金のために宗教を作り、人の心を操ろうとしました。大して悪いこととは思っていなかったのです。悪事を働くつもりなど毛頭なかったのです...。しかし世間は人の心を操る装置を利用しようとします。操ろうとしたつもりが操られ、操られたはずの女たちが、私を陵辱して支配していきました」。 「カリスマ」とちがって、「仮想儀礼」の正彦は本当に悪事を働くつもりはないのだけれど、問題が発生すると世間はカルト集団でやりたい放題の教祖だと決め付けて攻撃する。こういった冤罪的な要素も描かれているのも面白いところです。実際18万の宗教法人のほとんどが人の心を救いたいという思いで運営されていることだとは思うが、やはりオウム真理教の影響は大きいんでしょうね。 正彦が作り上げた虚像の宗教が実存しはじめて、もはや教祖をやめられなくなってしまうのがすごいです。ただ普通の女が5人いるとはいえ、70キロもある男を暴力で封じ込めるのは無理だとは思いました。 | ||||
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前に一度読んでたんだけど、もう一度読みたくなって。 上下でやたら長くても、一気に読めます。 登場人物がステレオタイプで多少鼻につくというか、 あざといんだけど。 宗教と神秘と女の厭らしさと男の情けなさをミックスして、 発酵させて。 似非パウダー振り掛けてはいできあがりぃって。 まあ、冗談でなくやばいですよ。 多少時間はとられますが読んで損はないと思います。 正直なところ、魅力的な人間は一人も出てこないのですが、 そんな人間の情けなさと弱さそして馬鹿さが少しだけ許せるように 読み進むうちにいつの間にかなってました。 | ||||
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前に一度読んでたんだけど、もう一度読みたくなって。 上下でやたら長くても、一気に読めます。 登場人物がステレオタイプで多少鼻につくというか、 あざといんだけど。 宗教と神秘と女の厭らしさと男の情けなさをミックスして、 発酵させて。 似非パウダー振り掛けてはいできあがりぃって。 まあ、冗談でなくやばいですよ。 多少時間はとられますが読んで損はないと思います。 正直なところ、魅力的な人間は一人も出てこないのですが、 そんな人間の情けなさと弱さそして馬鹿さが少しだけ許せるように 読み進むうちにいつの間にかなってました。 | ||||
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2人の失業者(後に教祖とNo.2となる)がゲーム感覚で始めた非カルト系の新興宗教団体の創設、発展期、一時の隆盛及び破綻の描写を通して、人間の業、宗教と人間との関係を映し出した力作。勿論、オウム事件を意識しているが、9.11が執筆の契機となった様である。教祖は元公務員であり、これが非カルト系という常識的な線に沿っている理由であり、教団は宗教団体というよりは、倫理観や癒し系のサービスを提供する企業という体裁である。実際、上巻はある種の企業小説としても読める。また、作者が宗教団体の経営について丹念に事前取材している様子も良く窺える。 そして、教団に集まって来る人間を、ある事情があって宗教にすがらざるを得ない人間、社会に上手く適合出来ない"生きずらい"人間(主に若者)、倫理観を必要とする社会的地位のある人間(企業経営者等)の3グループに色分けしている点が巧妙。教祖が欲しているのは勿論最後のグループの人間である。前者の2つのグループの人間を登場させている点に、作者の社会・人間観察眼の確かさと物語構成上の手腕が窺える。 上巻が終わった段階で、教団は綻びを見せ始め、下巻の冒頭で、教団はほぼ破綻しているのにも関わらず、この後何を描くのかと不思議に思ったのだが、ここからが幻想・ホラー味を持ち味とする作者の本領発揮である。まさに<カルマ>と呼ぶに相応しい人間の業を浮き彫りにする下巻の中終盤の描写は圧巻であり、恐怖そのものである。ここに到って、作者が登場人物達を用意周到に準備していた事が良く分かる。また、宗教に関してやや通俗的な扱いをしている様に見えたが、実は、宗教と人間との関係を真摯に追及していた事も良く分かる。読み応えのある力作だと思った。 | ||||
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新興宗教ものだが、「上」は社会派小説の範疇に収まっていたような気がする。 「下」は、やや新興宗教者らしさが厳しすぎるかも。 参考文献 実践 チベット仏教入門 クンチョック・シタル, 斎藤 保高, ソナム・ギャルツェン・ゴンタ 春秋社 宗教法人ハンドブック―設立・会計・税務のすべて 実藤 秀志 税務経理協会 税務重要計算ハンドブック〈平成24年度版〉 中央経済社 まるごとわかる「法人税」―仕組みを押さえて大きく節税! (基本&実践BOOK) 北村 義郎 かんき出版 宗教法人法はどこが問題か 弘文堂 新宗教事典〈本文篇〉 弘文堂 新宗教事典 弘文堂 性差別する仏教―フェミニズムからの告発 大越 愛子, 山下 明子, 源 淳子 法蔵館 カルト資本主義 (文春文庫) 斎藤 貴男 発行年の記載がないため、最新または当時のもののand/orを掲載した。 | ||||
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やられた。9.11を逆手に取って、世の中に進んでいくという道を小説の中で実現してしまう。 篠田節子なら、小説を書くだけでなく、この手の団体を立ち上げられるかもしれない。 役所勤めという経歴といい、 「社会のシステムや精度についての正確な知識を持って折らず、そのために問題が解決できず、相談相手もいない状況に置かれている」「論点がはっきりせず、果てのない愚痴としてしか語られることのない彼女たちの悩みに、家族は本気で耳を傾けてくれない。家庭の中心にいて家族の生活を守っているはずの彼女たちが、その家庭の内で孤独に陥っている。」 という現状分析といい、的確だ。 | ||||
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綿密な取材のあとが随所にうかがわれ、人間のどうしようもない本性を徹底的に描き出した本書は、エンターテインメントとして一級品だ。ただし本書の凄みはそこではない。 「偽教祖がビジネスとして宗教団体を設立したが、だんだんと手に負えなくなる」とあらすじをまとめてしまえば、信者の金を絞り取り、政治家と結託して肥大していく…という展開を想像される方も多いと思う。それはあながち間違いではないが、文庫版(単行本版でも)でいえば上巻にすぎない。下巻では、ゼロから再出発した偽教祖の主人公とその相棒が、熱心な女性信者たち数名に振り回される展開が待っている。物語は確かにスケールダウンする。 しかし、ここからがこの小説の凄いところなのだ。なぜ古今東西、そして21世紀に入っても宗教はなくならないのか。宗教はどうしてひとをひきつけ、それでいて怪しまれる存在なのか。宗教を信じるとは一体どういうことなのか。信仰心とはそもそも何なのか。宗教学に属するこうした根源的な問いかけを、オウム真理教の起こした戦慄する事件を経たあとでも、私たちは何とはなしに遠ざけている。本書は息つく間もないフィクションの体裁を取ることで、宗教の圧倒的な恐ろしさ、それと表裏一体の必要性を有無を言わさず納得させてくれる。「宗教は人民の阿片である」というマルクスの有名な言葉はこの意味で解されるべきではないかもしれないが、それでもやはり思い出さずにはいられない。 長いからと読むのを躊躇されている方がおられれば、勿体ないと思う。宗教、そして人間に対する先入観をゆさぶられる体験が待っているのだから。 | ||||
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一気に読んだ。出だしの911あたりはなんか無理やり感というかこじつけ感もあったが、その後はどんどんと引き込まれるほど自然な展開。主人公の意思を飛び越えて教団が主人公以上に大きくなって手がつけられなくなってと、最近のご時世もあり、なんだか新興宗教の怖さと共に内側のダイナミクスを垣間見た感じ。イワシの頭も信心ですな、と納得。こんなに教団側の心理とか、よくもまぁ書ききれてるなぁと素直に感動。 | ||||
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『聖域』『ゴサインタン』『弥勒』の宗教三部作に続く第四弾! ゴサイ〜が僻村に嫁入りしたネパール人妻が神懸り状態になり自然発生的に教団が形成される過程を描いたのに対し、 本作では失業中の男二人がほどほどの金儲けを目的に似非教団を作る。 ところが思惑を越え信者の数は増え続け、やがて二人は現代日本の宗教を取り巻く大きなうねりの中に呑み込まれて行く。 教祖役は元都庁職員であり、詐欺師にも拘わらず社会常識に長けた堅実な人物として描かれており、物語の目撃者の役割を果たしている。 終盤、宗教を食い物にする怪人物登場。読み応え有。 荻原 浩の『砂の王国』が似たような設定らしい。φ(.. ) | ||||
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(上巻) 『聖域』『ゴサインタン』『弥勒』の宗教三部作に続く第四弾! ゴサイ〜が僻村に嫁入りしたネパール人妻が神懸り状態になり自然発生的に教団が形成される過程を描いたのに対し、 本作では失業中の男二人がほどほどの金儲けを目的に似非教団を作る。 ところが思惑を越え信者の数は増え続け、やがて二人は現代日本の宗教を取り巻く大きなうねりの中に呑み込まれて行く。 教祖役は元都庁職員であり、詐欺師にも拘わらず社会常識に長けた堅実な人物として描かれており、物語の目撃者の役割を果たしている。 終盤、宗教を食い物にする怪人物登場。読み応え有。 (下巻) 起承転結、転の巻き。但、転機ではなく転落。 上巻末で登場した怪人物はその悪業を暴かれあっさりと舞台から姿を消すが聖泉真法会への世間の疑惑を招く契機となる。 社会的異端者を排除しようとする世間、言論、公権力からの波状攻撃を受け教団は一気に崩壊の縁へと追いやられる。 迫害に耐える哀れな信徒と思いきや似非教祖の統制を離れ信仰を深化、激化、狂化させて行く。行きつく先に一人の男の死。 そして関係者の逮捕・審判・懲役。最後に結としての転生。 マイナス札を全て集めるとプラスに転ずる札遊びの様に真の教祖誕生を思わせる後日談にて了。 | ||||
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文庫が出るまで我慢して、古本ではなく新品で購入した数少ない作品のひとつです。 それだけ期待が大きかったのですが。。。 落ちぶれた二人組がゲームの原作を経典として宗教を起こす。「それほど簡単に行くものか!?」という感は否めませんが、上巻は惹きつけるものがあり、下巻へと読み進めました。 | ||||
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元は公務員だった男が、四次元産業として金儲けのために、新興宗教を立ち上げる。 自ら作った虚構の神、教義、教祖としてそれらしい振る舞いで、救いを求める信者を集めるのに 成功した。金は集まり、 最初は上手く行くように思えたが、徐々に歯車が狂い始めて、制御しがたい自体に陥り 最後は悲惨な終焉を迎えるに至る。 日本人は、いまだにオウムを宗教団体扱いする程度の認識だから、 宗教なんてこんなもの・・なんてしたり顔する人もいるかも。 でも結局信仰に対する冒涜への罪と罰の物語ととるべきだろう。 結末は、因果応報、当然の報いだと思う。 | ||||
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宗教をテーマとした作者のものとしては「聖域」「ゴサインタンー神の座」「弥勒」などを読んできたが、これは新興宗教と本格的に取り組んだものだ。公務員である鈴木正彦は編集者矢口誠に係ることで、金儲け目的の自身が教祖となる新興宗教を設立するに至る。他のと違うところは、なんだかんだと高い会費などで信者から巻上げるシステムをとらない。つまりお寺のようなお布施のみである。 しかしホームページなどで信者が増え、会社社長が後援するころからは順調に大きくなってゆくのであった。しかし所詮金儲けのための宗教であり、やがて転落への道を歩むのだが、その様はイェスの方舟やオウム真理教と家族の争いを思い起こさせた。主人公の正彦は信仰者でもないのに、言うことは全て頷けるものばかりで、何時尻尾を出すのかと思って読んでいたが、これはまともな人物だからそうはならないのかなとも思わせた。 果たして最後まで残った熱心な信者により逆洗脳?され・・・。なお作者の得意なホラー性は極力抑えられている。イェスの方舟やオウム真理教が土台としてある訳だが、オウムの場合は沢山の真面目な弟子が死刑になり、教祖は責任逃れの一手だ。そのような状況を生み出した世間への批判の書でもあると捉えた。 | ||||
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上巻も稀に見るエンターテイメント性を備えながら、一気に読ませる筆力があるが、 この下巻にこそ本作の真髄があるといえる。 上巻では、わらしべ長者的を思わせる新興教団の成り上がりについて、 ジェットコースター的スピード感で一気に読ませるが、 下巻での、逃亡劇とそこで営まれる女性信者の狂気の沙汰は、 作者の力量を十分に発揮した、まさに圧巻の地獄絵図。 逃亡劇のくだりは、後年大佛次郎賞を受賞する名作「悪人」(吉田修一)を思わせる。 他のレビュアーの方々も書かれているように、一気読みです。 | ||||
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1995年の例の事件以降、既成の宗教教団ではない、いわゆる新宗教は悉く「カルト」として扱われるようになった。メディアが垂れ流すそうした浅薄な宗教観は、自己矛盾を呈している。神社仏閣は世界遺産にもなる一方で、新宗教の本山はワイドショーレベルの扱いしか受けないというのはいかなる理由においてか? どちらも宗教であることに変わりはない。既成宗教は「本物」で、新宗教は「偽者」? では本物と偽物の違いとは何か? どちらも所詮、虚構の物語を集合的に保持する「場」であることに変わりはない。 『仮想儀礼』は、その道の素養を特に持つわけでもない一般人が教祖を騙る物語を展開させることで、教団が(メディアのいわゆる)「偽者」であることが読み手にはあらかじめ明らかにされる。「教団の化けの皮が剥がれ、集金組織の素顔がさらけ出される」というステレオタイプな物語の逆であるわけだ。その意味で最初から手の内は明かされている。しかもこれは、本作が「宗教ビジネス」におけるシミュレーションであることをも意味する。いわば「誰にでもできる易しい宗教」。現代において教団を立ち上げたらどうなるか、ということの一つの実験。ただ宗教の難しい点は、それがビジネスとして成り立つためには「本物」であると思われなければならないということだ。 だから『仮想儀礼』の教祖は、教義において、儀礼において、そして語る言葉において、なるべく「本物」らしくしようと努める。そして「本物」であろうとすればするほど、それはやがて「本物」に近づいていく。当然である。宗教において絶対的な「本物」など存在しないからだ。それゆえ教団によって「救われた」と考える信者が現れ、組織は次第に拡大してゆけば、それは「本物」同然のものになりゆく。しかし教祖は本性として善人であり、より「資本主義的な」人物(ということはステレオタイプな「教祖」である)の登場によって危機的状況に陥ることになる。攻撃は執拗に行なわれ、教団は崩壊へと向かっていく。下巻後半部はその墜落の軌跡が実に異様な濃密さを持って描かれる。平凡な作家ならば物語は破滅で終わるだろう。多少有能ならばもしかしたら「Deus ex Machina」を登場させるのかもしれない。しかし本作はそのいずれでもない。読み終えて言えるのは、そこに展開されていたのは墜落の軌跡でもなければ破滅への前進でもなく、「純粋な信仰の一つの有り様」なのだ、ということである。「信仰」とは心の問題であり、その前で現実と肉体はいかなる意味も持たない、そのような「信仰」のあり方もまた可能である、ということなのだ。 | ||||
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失業した男二人がゲーム感覚で立ち上げてしまった宗教が、偶然からあれよあれという間に大きくなっていってしまう。 今に何かが起きると嫌な予感、こうでなくては小説は成り立たないのだが、がしながら上巻を丸一日で読んでしまった。上巻の終わりごろには嫌な予感が的中。不幸は後回し下巻は翌日に。 全くの金儲けで、自分たちの経済的安心のために始めた宗教がが、桐生という男をどんどん浄化させていく。気持ちの中では、「この馬鹿が」「何やってんだ」と相手を見下したりののしったりするのだが、教条には出さず、落着いた風を装っている。ここが金儲けのためなのか、それとも彼の本来備えている常識人なのか、頭の回転よろしく穏やかにことを進める。 それが読者と同じ支店なので、読むのが快適であった。 上下巻ともに四百ページ以上あるのに、読みやすくはらはらしながら一気呵成に読み終えた。 | ||||
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良くも悪くも柴田錬三郎賞に相応しいベテラン円熟の傑作。ただ正直バランスは今一つ。後半が著者真骨頂なのはもちろんなのだが、作品としては前半の戯画タッチをとことん貫いて欲しかったところ。「教え」あるいは「救い」については、「ゴサインタン」の深みにはやや及ばないのでは?あと篠田氏に限らないが女流作家には「女(の怖さ)」は書けても「オヤジ(のキモさ)」は書けないのはないものねだりか?(もちろん男性大家の描く女性も同性から見れば噴飯ものが少なくないのだろうが) | ||||
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この本のすごいところはいろいろあると思いますが、 まるで人生そのもののように、悲喜劇が繰り返され、 それがごく自然に物語を織りなしているところが もっとも感銘を受けた点です。 出だしは、なんだかある意味で安っぽいエンタメ小説 見たいな書き口ですらすらっと読めるような導入であるのに 偽宗教を興し、詐欺師をたびごとに自認する主人公の 心理描写が実に「常識的」でときに驚くほど真摯であり、 周囲の人物は”教団”に寄ってくる信者たち以外にも それぞれに個性のある魅力的だったり腹が立ったりする ところが描かれています。 だんだんに教団が大きくなっていくところは、読むと 「もうその辺でやめときなよ」といいたくなるし、 周囲との軋轢が生じては「違うんだよ」とかばいたくなるし どんどんこの本の世界に入ってしまいました。 自分の体験しない違った人生・世界を体験するのが 読書の醍醐味だとすればこの本は僕にとってその見本です。 (なにしろ宗教にはまったく無縁ですし) 上下1200ページですが、苦にはならないと思います。 | ||||
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