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スプートニクの恋人
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スプートニクの恋人の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.94pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全132件 81~100 5/7ページ
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話の内容を簡単に説明すると、主人公、「僕」がする恋について、または「その他の登場人物」のお話です。 主人公と密接な関係を持っている「すみれ」は小説家になりたい22歳の女の子で、僕とは友達という関係でとても沢山話をするのです。恐らく世界中のどの恋人たちより最も長く語り合っている仲であると主人公は語っています。そう思います。 しかしその関係は恋に発展することはありません、なぜなら「すみれ」はある在日韓国人の女性と出会うことによって、生まれて初めての恋に落ちるからです。 「すみれ」はレズビアンなのです。そういうことについても彼女は「僕」に多く話します。在日韓国人の女性は会社を経営するとても奇麗な女性でした、名前は「ミュウ」といいます。 ミュウは「すみれ」を仕事の秘書として雇うことにします。そこから「すみれ」と「ミュウ」の関係というものが始まっていきます。しかし決してレズビアンの話ではないのでご安心ください。 「すみれ」「ミュウ」「僕」の関係がラブ・ストーリーで展開していきます。 展開していく様とか最終的なエンディングは・・・ まず印象的だったのは、その村上さん独特な登場人物同士の会話の表現です。 また、会話とは別に主人公の思考状態が逐一表現されます。その描写もとても面白くて、やっぱり惹かれるものがありました。 また、主人公と僕自身についての思考パターンにいくつかの接点がありました。 僕が本を読むとき、主人公に少なからず感情移入をしてしまいます。 そのことも思考パターンにいくつかの接点があった理由かもしれませんがそういう感じ方が小説の中の登場人物とリンクするということは結構まれです。 そう何冊もの本がそのようにリンクすることはないので、この本は特別な魅力みたいなもので僕は惹きつけられているのだと感じました。 | ||||
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絶対的な存在を持つ3人、言い換えれば、それを失えば完全なる孤独に陥る3人の物語。 「ミュウ」は25歳の時、絶対的な存在だった芸術(音楽)から捨てられ半身を失った女性。彼女は芸術(文学)を目指す17歳年下の若きすみれから彼女の芸術への想いを無意識に奪い、決して戻ることのない失った半身を取り戻そうとする。 「すみれ」は僕から深く愛され、求められているのを知りながら(文中のセリフから判断)、絶対的な存在を小説家になることからミュウへの恋と性欲と愛を貫くことへと変じる。 「僕」は不実な恋(不倫)で自らの精神(性欲)の均衡を図りながら、苦悩と共にこの世でただ一人の絶対者すみれを愛し抜く。 やがて3人はギリシャの島での出来事から、ある帰結へと導かれる。完全なる孤独を抱えてしまった人間の恋と性欲と愛の物語。村上さんのベスト作品ではなくとも、人間が抱える根源的な孤独と理不尽な恋と性欲と愛を深く考えさせられる稀有な価値ある小説です。 ミュウはすみれと(恐らく村上さんと)共にベートーヴェンの32曲のピアノソナタを音楽史上最も重要なピアノ曲とし、Wilhem Backhausの解釈を最も適切とした感性の持ち主ですが、絶対的な存在足り得るクラシック(音楽)と小説(本)は本書の裏の重要なファクターでもあり、「僕」と同様、本と音楽を絶対的な存在とし、絶対的な他者を喪失した人は深くシンクロせざるを得ない作品です。しかしそれは、決して負ではなく正(生)へのシンクロでした。 | ||||
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読む前ただの恋愛小説だと思った。 違う。私自身に現実を超えた自己認識への疑問を問う作品となった。 でもジャンルわけなんてばからしくさせてくれる傑作。 新しい文体への挑戦だとか難しいことはわからない。 でもこの作品が多かれ少なかれ衝撃的であることは間違いがないと思う。 | ||||
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キーワードは幾つか存在する。象徴と記号、不在、喪失など。ぼくとすみれとミュウ、だれもが喪失を抱えて生きている。本当に失ってしまったものは、何にも代替できない。オブラートに包むことはできても、ただ飲み込んで生きていくだけだ。喪失の味はじわじわと甘く広がる。 すみれが姿を<煙のよう>に消してから、物語は盛り上がりをみせる。とことん不在の意味を考えさせられた後、ふっと、<煙のように>現れる。これは現実なのか夢なのか、パッピーエンドなのかさえ、どうでもいいような心持ちになる。 | ||||
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読んだら何となく得した気になった。描写に清潔感があり、程よく現実的で程よく幻想的なのが自分にあう。 それにしても、すみれが消えていった世界が気になる。どこへ行ったのか?一度「ぼく」もその世界らしき空間に足を踏み入れるシーンがある。これが非常に幻想的でイメージを沸き立たせる。 | ||||
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この小説は最後にすみれが帰ってきたという意味ではハッピーエンドなのだと思う。けれどもその代わりにミュウを失わなければならなかったという意味では捉え方は複雑になってしまう。個人的には悲しい終わり方だと感じた。天秤の一方が上がるためには一方は下がらなければならないのか?ただし主人公の「ぼく」はミュウの姿を脳裏に焼き付けてこれからも生きていく。そしてすみれの中にミュウは残る。この二人であればミュウを受け止めて生きていける。それがせめてもの救いだと思う。 | ||||
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孤独さが悲しくて仕方が無かった。この作品は現実の世界を描いていない。人間の生きている世界から、観念的な部分だけを取り出して物語にしたもの。そう思わないと、自分の中の片恋がむき出しになって、つらいのだ。けれど、意図的に目を背けて見ないようにしている感情のひとつを思い出させてくれて、今呼吸することの幅を確かに広げてくれる、優れた作品だと思う。 | ||||
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また「村上春樹ワールド」にやって来た。新しい「スプートニクの恋人」ライドに乗った。 日常的な何気ない風景の中を「ぼく」を乗せたライドはゆっくりと走り出した。小さなエピソードを重ねて、「ぼく」と友人、そして友人と対比するような人物が紹介される。友人は女性で、「ぼく」は確信に満ちた彼女の話の聞き役であって、あくまで良い友人だ。パスタを作って食べたり、ビールを飲む、何気ない日常と、たまに思い詰める友人の話しが語られる。友人と対比するかのごとく「ぼく」をめぐる性的な描写も登場する。またシーン毎に「村上春樹的比喩」が付いているのも特徴的だ。この比喩に遭遇するたびに、村上春樹ワールドに来ている自分が意識される。ライドはいくつかのエピソードを抜けて、ある「出来事」へと辿り着く。それは唐突なのだが、これまでのストーリーの中で密かだが確信を持って予感されていた。何か禍々しさを備え、いつものように死の匂いを感じさせる、そんな「出来事」である。ライドのスピードが増して、友人が待つはずの見知らぬ場所に「ぼく」は導かれる。それはほとんど宿命的であって「ぼく」は拒否することができない。 見知らぬ場所に辿り着いた「ぼく」は友人の消息を知ろうとするが、その思いは叶わない。ただ見知らぬ土地で緩慢な日常ばかりが積み重なる。ある時、見失った友人との霊的な接触もあるが、それもつかの間、無力なままに時が過ぎていく。最後に「ぼく」は「出来事」から開放されて元の場所に戻っていく。「出来事」は解決していないが、大きな喪失感を抱え、それに慣れていってしまう自分に気づく。 類型化してしまえば、典型的な村上春樹作品ではある。しかし僕は、このワールドに新しいライドが出来るたびに、確認のために乗り込むに違いない。 | ||||
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村上春樹さんの本を読むのは「ノルウェイの森」に次いで2作目ですがノルウェイではこの村上さんは非常にナルシズムの強い人なんだなとおもった。このスプートニクでもそれは思いましたね。それは海外の小説や音楽、そしてしぐさ。そんなことから(今さらいうのも変ですが)物語の登場人物は日本人を中心として登場しますが、主人公のすみれにしても「ぼく」にしてもミュウにしても完全に外国人って感じ。それはノルウェイもそうだったのだが。だから本当にピュアな若い女性作家が書くみたいなのとでは180度違う恋愛小説です。村上さんの表現の仕方は非常に比喩的で頭を振り絞らなくてはならないですが、その表現の仕方も至って真面目に感じさせてしまうコトが素晴らしいです。 | ||||
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これはたんなるラブストーリーではなく、 ある意味、神話にも似た普遍的な物語という解釈はできないだろうか。 言うなれば、強力な力を持つ無意識の世界に引きずり込まれた二人の女性とそのうちの一人の補償的な存在である男の話。 ミュウは昔、その半分がその世界に持っていかれ、それから徐々に損なわれ続け、「ぼく」が最後に見たときにはほとんど抜け殻になっていた。 すみれは、一度はほとんど引き込まれかけてしまったが、本当に自分に必要なのもの(ぼく)に気づき、そのお陰でこちらの世界に戻ることができた。 そういう視点でもう一度読み直してみたい。 | ||||
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ミュウを好きになって、思考すること、つまりすみれにとっては、小説を書くことがストップされてしまった。 人を好きになると、自分の周りに起こりうるいろんな出来事がその人と関連付けられて行く。 エネルギーが必要な毎日。それが、恋に落ちた、独特の症状だと思う。 すみれに限らず。そんな自分の変化に違和感を感じながらも、ミュウとヨーロッパ旅行を続け、 ミュウの過去を知り、思いを抑えきれなくなったすみれ。 こちらの世界にいるミュウが自分を受け入れてくれないのなら、 「あちらの世界」のミュウに会いに行こう、そう思ってすみれは旅立ってしまった。 そんなことってあるのだろうか?一番最初にこの作品を読んだときには、 正直あまりにも現実から乖離したストーリーの展開に入っていけなかった。 ミュウがつきまとうすみれを海に転落させたのでは?と 現実味たっぷりの真相を想像したりもした。 何年かして読み返し、ほかの村上作品も読んでいくと、 リアルな現実、科学が発展した社会でも 人間のうちに秘める大きな世界観は時として、証明できない現象を 引き起こすことが「この物語」の中には存在するのではないかと 思えるようになった。 現実と「あちらの世界」をつなぐ扉があるかもしれない。 毎回読むたびに色んな思いが頭を巡る。 死、失踪、同性愛、など日常で耳にする言葉では語りきれない 村上春樹氏の世界はやっぱり現代のファンタジーであるように思う。 | ||||
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「いろいろと大変だったけど、それでもなんとか帰ってきた」 これだけの話。 しかし、これまでの村上春樹の小説とは違い、その「行って、帰ってくる」主体が必ずしもいつもの「ぼく」であるとは言えないのが、この小説の“村上春樹なりの”新しさである。 村上春樹小説のヒーローは、今回、他者に譲られた。「ぼく」の微妙な非当事者性こそが、『スプートニクの恋人』の肝である。 ちゃんとした文章表現を売っているから、誰でも安心して読める。 だが、実験作である以上、手放しに褒めるのもなんだか気が引ける。 実験作は、来るべき完成作との関連において論じられるべきであると私は考える。 そういうわけで、文体を評価して星4つとしておく(内容重視なら星3つ)。個人的には『ノルウェイの森』『国境の南、太陽の西』のテイストから一歩ずつズレてみたい時に読むのが一番面白いと思う。 | ||||
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これを純粋に゛ラブストーリー゛と捉える人は、ほとんどいらっしゃないだろうけれどそれでもわたしは、やっぱりこの物語は゛ラブストーリー゛なんだと感じた。この物語の一つのキーセンテンスである、すみれの失踪の原因については遂に、作者の手で語られることはないがしかし、日本には古来より゛神隠し゛なる現象が伝わっている。即ち、わたしたちが、生活を営むこの世界と、薄いヴェール一枚隔てて、別な世界が存在し、なにかの拍子に、そちらの世界に迷い込んでしまうものもいる、と。そうした面からこの物語を読み解けば、これは民俗小説だとも、言えなくはないのかもしれない。だが、このような、現実には起こり得ない出来事が小説(=フィクション)という形式、言わば゛フィルター゛を通して語られるとき、その抽出物の多くは、大底、現実世界にすむわたし達が抱える、諸々の問題を、濃く煮詰め、そしてより鮮明にしたものである。わたし達は、生涯を通じ、様々な友人を作り、恋人と巡り会い、非常に、その人間関係は複雑になる。が、それと同時に、誰とも分かち合えない(場合によっては、誰とも分かち合いたくないのかもしれない)、孤独な領域を、だれしもが抱えている。本当の意味では、誰もが孤独だ。゛スプートニク゛に残されたライカ犬のように。たまには、急接近した別な衛星や彗星と対話することもあるだろう。しかし、彼等は時が来ればまた、自分自身の軌道を周り続けてしまう。だとしたら、そのあとに残された時間を淋しいと思うか、それとも例え一瞬でも出会えた事、それ自体を素晴らしい物と思うのか。そんなことを、この物語は、わたし達に問いかけている。そう、これは「ぼく」と「すみれ」の恋物語なのではない。わたし達自身の暗い場所に手を伸ばす、ラブストーリーなのである。 | ||||
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実は村上春樹の小説を読んだのはこれが初めてだった。 彼の小説を初めて読んだ人間としては、 彼のエッセイと同じで、その独特の比喩表現、人の内面の描写がとても心地よかった。 ストーリーを追うよりも、むしろその文章に惹かれた。 彼の本を読みなれている人にとっては当たり前なのかもしれないけれど。 彼独特の比喩表現はこの小説で打ち止めという本人の弁があったらしいので、 これからは彼の書いた昔の小説をもっと読んでみたい。 少しストーリーについても書くと、 すみれと年上女性との恋愛がテーマなのではなく、 ぼくとすみれについての話なのだと感じた。 ふたりがいかに強く結びついていたのか。 お互いがそれを理解するための過程として、 すみれとミュウとの嵐のような恋愛は必要だったのだと思う。 | ||||
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『ノルウェイの森』を読んだ直後に読んだので村上春樹の特徴が モロ浮き彫りになって読むことができました。大体、レズ、官能、ピアノ、歴史家、 生きること、病気、などなどが挙げられます。あと国立、吉祥寺、新宿笑 なんだか村上春樹の本って好きなフレーズ、印象的なものが多くてですね 今回もすきなフレーズがたくさんあります。一番すきな箇所は記号と象徴の違いの説明 しているところです。よくあんな説明うかぶなって感心しました。 | ||||
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知性的で、きれいで品のいい人物ばかりでてくるのです。そういう気分になりたいときに読んでみると気持ちいいですね。そうはいっても、深い傷をおっていて、その傷のために無意識の世界に埋没していっていまいかねない危うさをみせてくれます。 ヨーロッパチックな東京のお仕事もかっこいいんですけど、所詮東京なので、深い根が張れてないという限界にしんどさを感じたところで、場面転換。ギリシャの孤島でバケーションしている間に無意識の世界にはいって抜け出せなくなってしまう事態になってしまいます。 秀作です。わたしが好きな理由は、作者が神戸出身なので、つたわってくるものがおおいことです。 外国人在住者が自然にとけこんでいて、外国の良さ、悪さ、外国の日常生活のいろんなことが感じられ ます。 反面、有馬温泉や神社(神戸には楠神社をはじめ、由緒ある神社が結構おおい)から日本人の 禅的諦観みたいなものも、感じて育ったのかなあ、と感じさせるところがいいですね。 まあ、本書はさらっといってて読みやすいほうなのではないでしょうか? | ||||
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著者インタビューによると、本作品を持って独創的なユーモアに満ちた比喩を多用するのをおしまいにしたそうです。確かにそれ以後の文章は肌触りが違ってきました。あの比喩が大好きなのだという方には残念ですが、そのかわりこの本ではまさに出血大サービスのごとくめまぐるしく比喩が登場します。今回で読んだのは3回目だったのですが、恋しく思っていた分、充分に堪能できました。地図帳ですぐに見つけだせないようなギリシアの小さな島が物語の中で重要な場面として出てくるのですが、光、空、自然がとても美しいです。「こちら側」と「あちら側」の世界。喪失と再生。魅力的で謎めいた女性たち・・・。村上ワールド満載で村上ビギナーにもおすすめしたい一冊です。 | ||||
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僕は一応村上春樹のファンで、長編小説は「世界の・・・」と「海辺の・・・」以外すべて読んだのだけれど、 この作品については、長編小説の中で、一番つまらなかった。 これは、ほとんど個人的な理由からきているが、 まず、登場人物の生活が現実離れしすぎている。 主人公は小学校の先生なのだが、実際の先生とはかけ離れた生活をしている(僕の親が教員であるからわかる)。 無駄な風景描写が多すぎる。ギリシャの町並みの描写は、読んでいるだけで本当に退屈してくる。 ラストが気にくわない。印象的なシーンが無い。好きな登場人物がいない。 しかし、これらはあくまで個人的なものですので、 皆さんは興味深いと感じるかもしれません。 村上春樹はもっとも好きな作家のなので、甘めに☆☆☆☆。 | ||||
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村上春樹さんの小説の中で私が最も好きな作品がこの「スプートニクの恋人」です。 「結局のところ本当に人が理解しあうことなど出来ないのだ」というような諦観にも似た想いが村上さんの作品には通底して在るように思います。 しかし、この作品はこれまでの、「ノルウェイの森」や「ねじまきどりクロニクル」などとは少し違うように感じられました。孤独な男女の恋愛を軸とした作品であるという点では共通しています。 ですが、本作品では前に挙げた二作品から感じられた「必死で手を伸ばしているのに、届きそうなのに触れ合うことが出来ない」ような、忘れてしまった遠い記憶を掴まえようとする時のような、もどかしさや悲しみを残していくことはありません。 孤独を抱えた男女の、恋愛と呼ぶのが適当かどうかさえ曖昧な未熟な心の触れ合いの中で、如何にお互いが大切か、深く結びついているかに気付いていく。 その姿を通して、私達(読者)は何時の間にか自分の抱えていた寂しさや虚しさ、悲しみが消えているのに気付きます。何時の間にか孤独が埋められていることを知ります。 村上さん特有のクールでシニカルな文体はそのままに、江国香織さんを思わせる淡淡とした、優しく暖かな世界。その静謐で柔らかな世界を、村上春樹はあまり好きでないという方にも、ファンだけどこれはまだ読んでないという方にも、ぜひ味わっていただきたいと思います。 | ||||
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相変わらず、透明感のある文章と時間がゆったり流れる 不思議な世界を楽しませてくれる。 村上春樹の作品はいつもこういった感じで、何を読んでも 読者の心を癒してくれると思う。 悪く言えば、ワンパターンとも言えるが。 「ノルウェイの森」を想起させる不思議な世界とミステリー的な謎かけを あわせもつ作品。 ラストで「ヒロインがどこに消え、どこから帰ってきたのか?」という謎が 明らかにならなかったという点で、読者に対して不親切だった。 それは読者の判断に任せたというよりも作者の怠惰に見え (やはり世間での評判も悪く)、ミステリーとしての側面は片手落ちだったと思う。 でも、透明感のある文体といつもながらの不思議な世界に免じて星4つ。 | ||||
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