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国境の南、太陽の西
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国境の南、太陽の西の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.22pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全233件 201~220 11/12ページ
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この小説は、いわゆるひとつのよくあるフィクション的な”不倫小説”でセックスしたいー、みたいなクソでダサダサな本能めいたもの、でも書きたかったのか? およそ”ハルキスト”ならば、別名で書いて欲しい作品である。はっきりいって、”つまらなすぎる”村上春樹の他の作品を知らない人、初読の人は読まない方が賢明です。必ず他の著作から読んでください。”渡る世間は鬼ばかり”的な恋愛小説です。渡る世間的テーマは半面教師としてアンチテーゼとして存在している、こと。を当然理解した上での表現です。”よくある話”をこよなく好む方はよんでも良いのかもしれません。時間の無駄にしかならない、この上ない駄作だ。 | ||||
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「やっぱり、村上さん」と長編を拝読するたび感じます。 「ノルウェーの森」「ダンス・‾」「風の歌を聴け」、そして「国境‾」等。青春期から引きずる言葉にしきれない「心のかす」の整理を、著者はしてくれる。 ハッピーな時に警鐘を鳴らし、落込んだ時に励ましてくれる。それこそが、村上文学の秘密と思います。 簡潔な文体・身近な具材、小説の中で初めて気が付かされるオーソドックス美女。私達に感じさせる物事の裏打ちは、優しさかさなる文章に他ならない。言い換えます。道化を覚悟した著者の在り方なのでしょう。 「国境の南、‾」は格別です。欲張る自らを戒められた作品です。 それにしても村上さん、「妻を愛することは尊いことなですね!」。拝読以来、今日も実践しています… | ||||
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私は12年前の発売時に一度この小説を読んだ。そして今、もう一度読み返し、小説から受ける心象が全く変わっている事に驚いた。そしてそれは私自身の過去が12年間分積み重なったからだと気づいた。人は誰でもこの瞬間に何を喪失しているかに気づかない。そしてその現在が過去になった時、初めてそれは鮮明になる。主人公同様、その時別の選択をしていれば現在は変わっていただろうが、当時はその選択しかできなかった事が、この世の中には沢山ある。一人っ子であったがために「喪失感」にとらわれる主人公。今は幸せだけれど過去に別の選択もできた「僕」は25年前の恋人「島本さん」と再会して、「僕」自身の「喪失感」をより鮮明に自覚する事になる。そしてその体験は「現実」と「空想」の狭間を曖昧なものにしていく。「僕」にとって「国境の南」とは何なのか、「島本さん」にとって「太陽の西」とは何なのか。読者の体験の中に突き刺さりながら新たな世界を提示するといった著者ならではの手法がちりばめられた村上春樹の傑作だと思う。 | ||||
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過去の女性にどうしょうもなく心奪われていく主人公の話。この物語で語られるところの「国境の南」とは、ユートピア。つまりは主人公の理想的な現在の生活。「太陽の西」とは、主人公の過去、かつて好きだった女性の存在。現在の生活とは違う他の可能性などの暗喩ではないかと思った。幼き頃の寂しい自分とは違う、不満のない人生を手に入れた主人公だが、その日常生活にも次第に飼いならされていき、自分という存在を見失いはじめていたのだろう。そんな中、かつての孤独な自分を知っている女性と再会したときにそこに過去の自分を取り戻したかの様な安心感を受けた、またあるいは、自己の存在意義を見出せたのかもしれない。読後に感じたのは、日常生活の中に潜む影というか、危うさ。私たち人間は何かの拍子に風向きが変われば簡単に揺らいでしまうような、そんなちっぽけな存在なのではないかとさえ思った。またそれとは別に、物語の中で苦悩しながらも、力の及ぶ限り自己探求を続けていく主人公の姿はとても人間くさく、愛らしく、そして共感を覚えた。 | ||||
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この作品はここ四年くらい年に一度通読しているんですが何度読んでも、話がどういう風に展開していって、どういう風に落ち着いていくのかを知っていたとしてもあるいは何度同じエピソードを追っても飽きがきません。もちろん村上春樹さんの文章のポップさやストーリーテリングの巧みさというのはあるんでしょうが読書を楽しむのに適当な長さだということと他の村上さんの作品と比べてストーリー性の展開に乏しい分一場面ごとの主人公の感情が緻密かつ繊細に描かれているので読み返せば読み返すほど、そして本作のモチーフの関係上、年を取れば年をとるほど味が出てくる、するめのごとき魅力をこの小説が持っているのが私が何度も読み返してしまう理由だと思います。これが「ねじまき鳥」や「世界の終わりと・・・」ですとするめが大きすぎるのでその味に飽きがきてしまうし、かたや「羊をめぐる冒険」や「ダンスダンスダンス」ですと展開で読ませるタイプの作品なので「これするめじゃなくてさらみじゃん?」ということになってしまいます。よって繰り返して読む村上作品チャンピオンシップなんてのがあったとしたならば私はこの作品に投票するでしょう。いうなれば長く効く麻薬みたいな。もはや一生モノです。 | ||||
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村上春樹氏の作品を初めて読んだ。一気にページをめくらせてしまい、読んでさせてしまうほどの文章力がありました。「僕」は若い頃から自分のなにかが「喪失」した「孤独感」を持っています。それを埋める存在の「島本」さん。僕のせいで「孤独」の虚無感に吸いこまれた「イズミ」。この3人を軸に「僕」の国境の南、太陽の西が描かれています。淡々とした毎日に欠けたものを感じる男性に読んでもらいたい作品です。現代が「自己」を失う「喪失」の時代で、それぞれが空虚を埋めようとしています。それはいろんな方法で。そんな背景に、「僕」の姿が重なりました。たしかに周りの人を簡単に傷つけてしまう「僕」の姿に苛立つこともありましたけど、それ以上に「僕」の姿からはなにか得るものがあったと思います。空虚と怠惰は消えることはないけど、空白の世界で生きていない以上、目の前にあるものをこぼさないように掴んでいくしかない。それを「誰かの手」が、教えてくれました。下手なレビューで、見当違いかもしれず申し訳ない。ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。 | ||||
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村上春樹作品にはどれも言えることだけれど、この本からはフィクションでありながら僕たちの日常が見せる局面に限りなく迫ったリアルさを感じた。果てしなく繰り返される主人公の沈鬱で、それでいてどうしようもなく情熱的な情動の軌跡。それはある面では女々しいと言われたり、卑怯とも思われるような選択と逡巡の連続だ。だが、それは人間誰しもが持つ本能の、ヴァリエーションに富んだ表出の一形態であり、それに抗わざるをえなくさせる理性との鬩ぎ合いに過ぎない。読者がそのどちらに立って読むかでこの作品は駄作にも良作にもなるだろう。だけれども僕には、人生の、一番いいタイミングでこの本に出会えた気がする。自分の中に渦巻く悩み、感傷的だけではない気分、そこに答えとはいえなくても何がしかの道筋を見せてくれる、そんな奇跡は確かにあって、そのお陰で僕は救われた気がする。私の人生には何かが欠けている、誰にも説明は出来ないけれど…。そんな苦悩を一度でも感じたことのある人になら、間違いなく薦めることができる、そんな良書だと思う。 | ||||
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私ははじめこの本を、ノルウェイの森タイプの青春恋愛小説として読んでいました。しかし読み続け、既婚男性の恋物語であるとわかって、ちょっと面食らいました(不意打ちを食らったと言う方が正しいかも)。そこにはある程度の歳と経験を経た人でないと分からないであろう心境が、実に見事な筆で描かれているようです。が、まだその年齢に達していない自分には「こういう状況になると、いずれこんなふうに考えるんだろうな」程度の理解しかできませんでした。今の年齢、今の状況(未婚)のままであれば、再読しても同じ印象しかもてないかもしれません。従ってこの本は、もっともっと後になってから、再読してみたいと考えさせられました。そのときになればもっと主人公やそれを取り巻く情景が理解できるかもしれないと思ったからです。そのころになると、星を五つつける評価を下したくなるように気変わりがするだろう、そんな気がします。今のところは、理解の及ばない範囲が多かったと言うことで、星を四つにさせていただきます。 | ||||
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子供の頃家が本屋をやっていたのでこの本が入ってきた時にはタイトルと共にその装丁が一番印象に残った。ついていた帯もまだ覚えている。だからってその時読んだわけではないんだが。それから何年かしてやっとこの本を読むようになった頃、あまり抵抗なく「そんなこともあるなぁ」と思う自分に対して、歳をとったと感じてしまった。また何年か後にこれを読んだら感想はまた違ったものになる気がする。 | ||||
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ノルウエイの森以来の春樹ファンです。村上ワールドにはまり、様々な作品を読みましたが、自分の中ではノルウェイの森の他にダンス・ダンス・ダンスとこの作品が、お気に入りの三部作です。今ちょうど既婚男性の恋人がいるので、彼の気持ちに重ねて読んでみたり近いうちに、彼にこの作品をプレゼントしようと思ってます。結末は腑に落ちないですが、正しい選択なのかな。。。例え恋が終わってしまっても、いつまでも心の中だけでは生き続けたいものですが時と共に、記憶の中から薄らいでいってしまうと思うととても淋しいものです。 | ||||
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ダンス・ダンス・ダンスと並ぶ村上ワールドの傑作。主人公と自分を重ねたくなる作品で30半ばの読者は多くが共感できるのではないかと思います。いい作品というものは、テレビのように映像は見えないが、目の前で物語が再現されるような錯覚に陥りますが、これもその域の作品です。島本さんはきっと黒木瞳のような感じなんでしょうね。イズミが怖い。でも自分のお店を持ってる主人公は羨ましい! | ||||
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誰にでもきっといる、心の奥底にいる、愛していた人。忘れていた頃にそんな人に再会したら?現在の恋人と平穏に暮らすか、平穏を壊してまで愛した人と一緒になるか・・・。この本を読んで、どっちが正しいんだろう・・・って考えてしまいました。その答えはわからないけど、このお話の結末はこうあるべきだと思いました。本当に好きな人とは一緒になれないのかな・・・ | ||||
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理屈で物語りを読む人は可哀想だ。ここには、ある種類の希望があって、それは絶対につかめない。本文中にもあるように「国境の南、太陽の西」はヒステリアシベリアナって心(脳)の病を比喩したしたもので、喪失をうたったものだった。島本サンは「僕」のある種の希望だった。そんな「決して失ってはならないもの。」だったはずの島本サンとの遅すぎた再開を果たして、「僕」は困惑して行く。 爽やかなエンディングなんて、始めから用意されていない。すごく切なくて悲しいけど、最後にはやはり家族か彼女かの選択が待っていた。家族には「責任と子供」がある。でも、「希望」を失っては生きて行けない。「僕」があの時、飛行機(車?)の中で島本サンにキスしなかった事が何を意味していたのか?「本当に」島本サンを失ってしまった「僕」が最後に見たのは倦怠と喪失の影だった。 少年時代の「僕」と自分の幼稚園児代が重なった様ですごく切なかった。客観的に見ても、やっぱりその辺り描写が綺麗です。 | ||||
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数ある村上作品のなかで一番好きです。タイトル・冒頭・内容・文体・終わり方すべて完璧。私が過去、三回読み返したのは、この一冊だけです。彼の作品では珍しく娘がいる設定も新鮮だし、昔好きだった人への感情が痛いほど繊細に描かれています。最後も余韻に浸ってしまう終わり方で、すっかり主人公になりきっている自分がそこにいました。何年か時間をおいて、じっくり読み返すと改めてまた考えさせられる・・・そんな一冊です | ||||
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村上春樹の作品は、好きなのか好きでないのかよく分からないという実に中途半端な捉え方できたにもかかわらず、話題性の高さゆえに自分でも手にとってしまう、そういう接触をしてきた。そのくせ、ひとたび読み始めると、吸いこまれるように最後まで一気に読まされてしまうのが常なのだ。この作品は、一番惹かれた一冊かもしれない。私には主人公のように、過去に置き去りにしたか封じ込めてきた思いや切なさというものはない。誰かに埋めてもらわねばいられない自分の中の喪失感というものを感じたことも別にない(それは私が自分の手で埋めるしかないと感じているものだから)。ふだんなら私は、他の女性と平気で寝る主人公の勝手な言い種にいたく嫌悪感を感じることだろう。それなのにどうしてなのか。彼の苦しみや心の痛みがひどくやるせない。イズミの辛さを理解するよりもなお彼の心を理解したいと思うのは何故なのか。性差のために味わえないのではないかと思ってきた小説はいくらもあったけれど、本書はなぜだか深くゆるやかに心に浸みてくる。結婚して15年。そういう時期にさしかかった男女が、この小説の旨味をいちばんに味わえるものなのかもしれない。それにしても、疲れすら感じさせずに一気に読まされてしまった。感服。 | ||||
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僕たちには、あのころはなんとかなりそうだったのに、もうどうやっても取り戻せないものがたくさんありますよね。そして、そういうものこそ、なんとか取り戻したいものです。そんな気持ちを熱く、哀しく、虚しさをかんじさせながら淡々と描く作品です。読んでいると「島本さん」へのイメージが自分の失ったものにどんどん重なり、寂しいけど、なにか懐かしい気持ちにもなりました。僕の中では、村上作品の中のベストです。 | ||||
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この「国境の南、太陽の西」という本は、春樹作品の中でも私がもっとも気に入っているものの一つである。かつて失ったかけがえのないものを取り戻す機会に直面したとき、それを手にするためには現在手にしているものすべてを失わなくてはならないとしても私たちは過去を求めようとするのだろうか。そんなことを考えさせてくれた小説だ。・・・私には今を捨てることはきっとできないだろう。それは過去を失っていない証拠かもしれない。 | ||||
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村上春樹の作品の中では、「世界の終わり」や「ねじまき鳥」が傑作だと思うが、何度も繰り返して読んでしまうのはこの作品。主人公が相手の中に求める「自分のための絶対的な何か」に深く共感するからだろう。知らなければ、気付かないまま終わるのだろうけど、一度それを見つけてしまうと、自分がいかに孤独の中にいたかを知り、失ってしまうと、飢え苦しむことになる絶対的な何か。何度読んでも、主人公と一緒に追体験してしまう。小学校の頃の満ち足りた日々の話には心が温かくなります。 | ||||
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最初読んだときは、「ノルウェイの森」のダメなバージョン、という印象しか持ちませんでした。80年代の村上春樹を読んできたためか、彼の本はこうあるべき、と私が勝手にイメージを投影してしまっていたのだと思います。接し方を変え、フェアな態度で読んでみると、この本の良さがいろいろと見えてきます。何人かの女性が登場するわけですが、彼女たちは「僕」を理解しえない、という諦念と、彼女たちとの関係性においてしか自己の存在を規定できない、という確信がないまぜになった、「僕」の心の奥を見ていくのは不思議な感覚です。誰しもが似たような経験を持っているのではないでしょうか。読んでいると、自分自身の人生を振り返させられ、心の平静を保ち続けるのが難しい、という意味では良い小説だと思いますが、作り物っぽい印象が拭いきれないのが残念です。 | ||||
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自称村上ファン。デビュー3部作は後追いだったが、後は初版本を購入して読んでいる村上ファンです。初期の村上ファンにありがちな、ノルウエーの大ブレイクにちょっと意外な印象を受けている一人です。しかし、この作品は、30歳代の既婚男性に、自信を持ってお薦めします。若き日の淡い恋心を心の片隅においている人、あるいは、事情ゆえに若き日に最愛の女性と結ばれることがなかった人たち。そんな方々にお薦めします。読めば読むほど味わいが広がる、そんな本です。 | ||||
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