■スポンサードリンク
国境の南、太陽の西
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
国境の南、太陽の西の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.22pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全233件 161~180 9/12ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
男というものは中年になっても、若い頃につきあった女性の事がいつまでも忘れられず、 今頃は不幸な人生を送ってるんじゃないかなどと勝手にクヨクヨ考えている生き物である。 本書はそんな中年男の妄想を実に見事に具現化していると思う。 普通の作家がこういう小説を書いたら、おそらく陳腐なメロドラマになってしまうのだろうが、村上氏お得意の解釈に悩むキーワードやフレーズが巧みに仕掛けられ、秀逸な芸術作品として仕上げられている。 途中で映画「カサブランカ」みたいで、ちょっと陳腐かなーと思っていたら、最後の方でピアニストが「カサブランカみてえだよ」といって、それ以来主人公の顔を見ると時々冗談で「アズ・タイム・ゴーズ・バイ」を弾くところなどは結構笑えた。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
相思相愛の初恋が 紆余曲折を経て ぎりぎりの妥協点で 実を結ぶお話です。 恋愛というのは さわやかであり もどかしくもあり 分別があり いやったらしくもあり 情熱的でもあり そういうのを総称して恋愛と呼ぶと思いますが そんな感情が極限にまで描写されています。 浮気と呼ばれるものの手本みたいな感じで やるんならここまで パーフェクトにやらないと 誰も許してはくれないでしょうね。 気持ちも行動も含め。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
この作品の主題は「はじめ(主人公)の身勝手さの在り方」だと思います。 主人公と似た経験がある人は感情移入できると思います。 しかし、あんまり感情移入しないで、距離を保って読むほうがいいかな?と思います。 やっぱり、結婚するなら他の女性を好きになることをあきらめるべきです。 それができなくて、歳を重ねても恋をしていたいなら、ずっと独身であるべきです。 この小説は、結婚はその二者択一を迫られているものだという概念が無く、 一般的な倫理観を破壊しかねません。 だから、感情移入して読み終わって、気持ちよくなっても、 次の日には「小説でフィクションだな・・・」とふりかえったほうがいい・・・ 自分の周りに不幸な人を増やさないために。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
幾分不協和音的で、不思議な統一感を持ったこの小説の主題は、「夢を追いたい男、夢は嫌いな女」といったところだ。日本で屈指のストーリーテラーで、プロットの巧みさでは英米小説の優れた作家の域にある著者の隠れた傑作である。男は、少年時代の夢を大人になっても持ち続けている。女は、少女時代に見た同じ夢を現実に昇華しなければ、その夢は価値が無いと考えている。純粋な恋愛の葉っぱの裏側に浮き出ている葉脈を読み取らなければ、この小説を読みきったことにはならないだろう。エピローグは、ドラマチックな結末を期待する読者に肩透かしを喰らわせるかもしれないが、当然の帰結といってもよい幕引きだ。セックスと夢と死は連鎖しているが、男にとっては、sex-DREAM-deathだが、女にとってはSEX-(dream)-DEATHなのだ。恋愛を生きることに関して、女の方がずっと厳しい。女は、現実から逃れて夢を見続けるといった曖昧な糸の切れた凧みたいな感覚が大嫌いなのだ。一方、男の長く続く夢は、いつか壊れてしまうことを知りながら、眼が覚めるまで見続けたいと思うイマジネーションの産物。女のリアリズムに男のナイーヴな夢が敗北を喫するThe Same Old Story…。男が夢の破片を掃き掃除しなければならない惨めなステージだ。ニール・ヤングの“僕は夢見る男。あなたはただの夢だから、他の女に代わっても同じこと”という強がりはこの局面では通用しないのである。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
この小説を読んでいたら「浮気」ってしても良いんではないか?というオイシイ感情が浮かんでしまう、何だかドラマチックに書かれているために勘違いしてしまう自分が恐い。 でもやはり人を好きになるって事は本能であって結婚とか浮気っていう概念は後着けで作られた物のため、タイミングが合わなかった凄く好きな人が急に目の前に現れたらやはりなるようになってしまう、というほうが自然な事のような気もする。そのへん複雑ですが読んでいてドキドキする作品でした。 「店には落ちつくべき次期と、変化する次期がある、それは人間と同じなのだ。」と主人公が言っておりましたが、この言葉が作中一番心に残りました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
村上作品では、 本格的で恋愛小説。 「ノルウェーの森」に次いで、 正面きって恋をテーマにしてます。 喪失感や他人との関係性の欠落といった村上作品のテーマは、 本作でもしっかり描かれていますが、 本作はしっかりと恋の始まりと終わりを描ききった点で、 シンプルな作品だと思います。 主人公はもてない男のはずなのだけど、 ストーリーの中では、 しっかり女性からもてていて、 村上作品に共通するお約束はしっかり生きています。 「ぼくは女にもてるって」いつか書いてもらいたいものです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
村上作品のすべてを読んでいる訳ではありません。 これまで読んだ中で、最も面白かったのはカフカで、何回も読みたくなるくらい理屈抜きで好きなのが、この作品。最高傑作との呼び声高い「ねじ鳥」は途中で挫折したので、偉そうなことは言えません。「ダンスダンスダンス」「世界の終りと〜」も途中挫折(笑)。独特のシュールな舞台設定についていけないようです。ですが、羊三部作、「ノルウェイの森」は中学時代に読み、カフカと「スプートニクの恋人」は30代になってから大変楽しんで読めました。ですから、もし「世界の終り〜」や「ねじ鳥」で「村上は合わない」と挫折された方も、この本から手に取られてはいかがでしょうか?島本さんという初恋の女性は、「もしかしたらこうなっていたかも」という過去への幻想を具現化した存在なんでしょうね。今はこういう人生を送っているけれども、本当は○○していたかも知れない、という幻想を絶ち切る=島本さんと決別し家庭に戻る、なのかな、と。それだけではないでしょうけれど、今の自分(30代)に一番呼応するのがそこの部分。私自身が、「もしかしたら〜になっていたかも知れない自分」という心地よい甘い幻想と決別出来るのはいつのことでしょうか? | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
この小説のテーマは不倫ではなく、欠落感・喪失感・幻想性にあると思います。 とにかく共感するところがとても多かったですね。共感というよりも、まるで自分のことを言われているような感覚になった、と言ったほうが近いかもしれません。 やはりそれは、人間の誰しもが「欠落感」「喪失感」を抱えて生きているからだと思います。自分の中にあるその空虚を埋めようとし続ける作業が、人生だと言える部分もあるでしょう。 主人公のソレは、有紀子との理想的な結婚と仕事の成功で埋まったようにも見えました。しかし、かつて自分に全てを与えてくれた人(そういう感情を抱かしてくれた人)島本さんとの再会により、隠れていた空虚や喪失が動き出し、主人公は彼女の中に「本来あるべき自分」を見出していきます。そして日常は一気にひっくり返ります。 そういった「吸引性」は、人生のひとつの導きとも言えるかもしれません。 主人公はどうしようもなくそれを求めてしまう中で、決定的に人を(自分も)傷つけることを繰り返していきます。その部分を強烈に描いているところが、私の中では印象的でした。 これは、人間の持ちうる悲劇性の物語とも言えるかもしれません。 また最後の有紀子の言葉は、救いでもあるような気もします。 「あなたはまた私を傷つけるかもしれない。今度は私があなたを傷つけるかもしれない。何かを約束することなかんか誰にもできないのよ。でもとにかく、私はあなたのことが好きよ。それだけのことなの」(要約)本当に「それだけのこと」だけが確かなことなのかもしれません。 そして、幻想の消えた主人公が、新しい世界へ動き出しそこにあるものを掴むべく、その世界の重みを感じる姿が心に残りました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
幸せな日常を送る主人公の前に、かつて最も好きだった女性が現れる。 村上春樹お得意の喪失感が胸に迫る。 これ読むといつも泣く。 切ない本です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ハジメくんの言う「吸引力」(抗いようの無い、また他人に説明する事の出来ない自身の性的欲求の事)のある人生と、無い人生のどちらが良いのかによって評価は異なる。 が、恐らく40才前ぐらいに過去の思い通じた事のある人物との邂逅により(人により大きさは異なるであろうが)「吸引力」を感じない人は少数派ではないだろうか? 出版された当時にはサラリとした印象で、すぐに薄れたが、歳を取って読み返しその評価ががらりと変わった。 「吸引力」を飼いならそうとする事がいわゆるオトナであり、その事に異論はないが、逆らえない、抗えない何かを感じる事もある種の醍醐味です。 「吸引力」を感じても相手にされない様では困るのし、「吸引力」はいつくるか分からない。「吸引力」を感じつつ、節度ある行動をとる事が出来るオトナでありたい、と感じました。 逆らえないから流れに任せてしまった、は小説としては必要かもしれませんが、現実にはちょっとね。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
一人っ子であることに起因して、幼い頃から孤独感を抱き続けてきた「僕」がふとしたきっかけで昔好きだった女性に再会し、恋に落ちる物語。村上春樹の作品群のなかでは中編小説といったところで、たとえば「ねじまき鳥クロニクル」ほどの重厚さや完成度はないかもしれない。しかしそのぶん読みやすいともいえる。 「僕」が現実の日常のなかで追い求めてきた純粋性・絶対的な夢・憧憬、そういったものが不思議で魅力的な「島本さん」という一人の女性に象徴されている。主人公はイズミや有紀子といった現実の女性たちと生活をおくる一方で、対立する存在である島本さんに徐々に惹かれていく。国境の南があいまいなこちら側の世界を表しているのであれば、太陽の西とは死の象徴ともいうべき、たぶんの存在しないあちら側の世界を表しているといえるだろう。 最終的に主人公はこの世界に踏みとどまることになるのだが、結末はどこか謎めいている。 それにしても、島本さんは本当に存在したのだろうか。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
村上春樹にセンチメンタルを求める人には一番お勧めかも知れない。 ある国の評論家は「文学のファーストフード」と貶したらしいが、マックもたまにはおいしいよ。って感じ。 キャラ小説と思って読んでみると、すごいなぁって思う。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
主人公「僕」が恋した3人の女性との話だが、それが実におもしろかった。 小学校の恋話、大学生の恋話、そして結婚。 結婚後の絵に描いたような幸せな生活。再会した初恋の人への激しい想い。 一度は妻を捨て子供を捨て、すべてを捨てようとするが、消えてしまう女性。 そして時を経て今までの生活に戻っていくという、 至って普通の話だが、実に現代を的確に描いているなと共感する部分が多かった。 現代の人の心に潜んでいる、欠落感であるとか空虚感であるとか、 踊らされているという感覚であるとかが、よく描かれている。 言ってみれば明治時代の文豪、 夏目漱石の説いた「皮相上滑りの開花」の現代版が、 この『国境の南、太陽の西』の作品である。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
少年の心をひきずったまま、大人になった中年。 十分に満たされる生活環境にありながら、 過去を何度もリフレインしてしまうその特徴は、 男性なら誰しも持っているものなのかもしれません。 女性から見ると、どうしてそういう行動に?と 訝しがってしまうポイントが幾つもあると思いますが、 そこに男性的な過去の捉え方があると思います。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
この作品は、刊行されてすぐに読んだ。確か一人っ子が主人公だった。僕自身の記憶はそこで途絶えていた。おそらく最後まで読まなかったんだと思っていた。つい最近、この作品を再読した(たまたま主人公のハジメと同じ年齢になっていた…)。箱根での一夜の場面は、初めてではないと思った。おそらく10年以上前も最後まで読んだのだろう。 今読み返してみて、主人公ハジメと同じ年代に差しかかったからこそ、感情移入できる部分が大きいのは事実だ。30代後半だからこそ分かるもの。これまで生きてきた自分を振返り、「これでよかったの?」と思ってしまう瞬間。それが物語全体を通じて繰広げられていた。更に言えば、僕自身が一人っ子でもあるので、ラストの「明日からもう一度新しい生活を始めたいと僕は思うんだけど、『君はそれについてどう思う?』」というハジメの問いかけにも揺さぶられた。 一連の春樹作品同様、深みに入って戻ってくる…的な部分が出ている作品だが、最後戻ってきて日常が始まる一歩手前で終わっているのも、何ともいえず、僕は好きだ。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
主人公が希薄な人間すぎて、精神的に小学生のころからまったく変わっていない印象を受けました。結婚して子供もいるというのに、自分の人生を謳歌したいようで、少し読み飛ばすと子供の存在に気づけません。不倫を肯定しているような本でした。結局何がいいたかったのか、というのがまったく無いのが村上春樹さんの特徴だと思いますが、今作はそれが色濃いと思いました。18禁サイト作って、そこに書けばちょうどマッチする文章だと思います。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
自分自身が今、作品の登場人物の年齢(いわば中年前)あたりにいます。(38才) そして、最近20年前の自分の残映をかいま見たとき、一度にその 20年が木っ端微塵に砕けてしまいました。残ったのは当時の自分でした。 人間って成長したつもりで、自分という人間はずっと自分のままだと痛感しました。 そういう文章が最後の方にあるので、今の自分の心にひどく振れてしまいました。 そして、「砂漠は生きている」という映画を例にして、「人が人を損ない損なわれるのは、 誰にでもありえることで、結局はその人の人生。」という言葉に少し救われました。 しばらくは、自分が今38才であるという現実をうけとめられない、現実感が伴わない自分でしたので、そこらへんが本当うまく表現できていると思いました。 この本は、10代の曲がり角を上手に曲がりきれずに40代にさしかかろうとしている、10代の自分が少しずつ消えていく辛さを感じている方達におすすめします。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
私は、「ダンス・ダンス・ダンス」だけは読んでいないのだけれど、 本作は、私が読んだ長編作品の中で最も甘ったるく、自分の中の愛欲を刺激される作品でした。 本作は、主人公ハジメと、小学校時代の同級生で36歳になってから20年以上ぶりに再会した島本さんとの関係を通じて、恋愛の持つ切なさ、はかなさを十二分に表現した作品です。 具体的に言えば、恋愛をすれば相手の女性のことをすべて知りたい・手に入れたいという願望が、自然と湧き上がってくるものですが、多くの場合それは叶えられません。 なぜなら、誰かの記憶や体験を正確にすべて自分の頭の中に入れることは不可能だからです。 たとえば小学校のころにどんな子に初恋をしただとか、どんな体験をしたかということは、相手の中で美化されている場合もあるだろうし、人間だから隠しておきたい、話したくないこともあるでしょう。 また、恋愛真っ最中においても、相手は心変わりをして他の誰かに浮気をしてしまうかもしれない。もちろん、自分も浮気をする可能性があるのです。 完全に永遠に、2人が1つとなるような恋愛はありえないので、恋愛とはとてもとても切ないものであるということを、私は本作から学びました。 ところで、本作中で、ハジメが妻の父親から、不正に操作された株式の取得を勧められるシーンがあります。 そこで、株式操作、つまりマネーゲームをハジメが痛烈に批判します。 “「君は半月で投資した金が確実に二倍に増えるとこともなげに言う。八百万が千六百万になるという。 でもそういう感覚には何か間違ったところがあると僕は思う。そして僕も知らず知らずのうちに、その間違いの中に少しずつ呑み込まれていっている。たぶん僕自身もその間違いに加担しているのだろう。僕は最近、少しずつ自分が空っぽになっていくような気がするんだ」” この作品が書かれたのは、1992年ですが、この科白は昨今のホリエモン騒動を暗示しているようで、おもしろいと思いましたし、改めて村上春樹氏の知識・教養の深さに舌を巻きました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
やっぱり村上春樹はいいですね。('-,_ω-`)プッ 幼馴染の女性と何十年かぶりに再会を果たし、妻がいるのにもかかわらず、その幼馴染との恋愛に没頭していく男が主人公です。今作のセックス描写はやたら生々しいですね。で、二人が織り成す会話も大人っぽくて、というか餓鬼な僕には理解しがたく、途中で何度かついていけないシーンに出くわしました。前半は非常に良かったんですけどねぇ・・まあ、これは僕の人生経験がこの作品を理解するに大幅に足りなかったんでしょう、きっと。('-,_ω-`)プッ とはいえ、ラストは気持ちよく締めくくってくれたし、全体として見ればかなり良かったです。こういう人間の内面に迫るような作品は好きですね。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
急に「ノルウェイの森」を読み返して、本書も読むことにした。 この両書は「出所」を同じくするものだ。 もちろんこれらは小説だから現実ではない。 でも村上氏が伝えたいことは現実のものとしてちゃんと、ある。 人間の記憶、美しいよりもせつない記憶や思い出はいつまでもその人の中で存在をやめないと思う。 そのせつなさの象徴が本書での島本さんの「足の悪さ」で表したんだと思う(ノルウェイでは「心の病」。) そして村上氏もきっとそういう記憶を伝えたかったんだと思う。 みなさんもぜひ本書を読んでご自身にもある深い部分に留まるせつない記憶を感じてほしいです。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!