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国境の南、太陽の西
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国境の南、太陽の西の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.22pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全233件 181~200 10/12ページ
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発売時以来だから、約14年ぶりの再読。 その間、年をとってそれなりに様々な経験を積んだせいか、 最初に読んだ時に比べて、心に迫ってくるものが全然違う。 完全にのめりこみ、圧倒されてしまった。 この本から私なりに感じ取ったメッセージを順不同で挙げると、 1.一度手にしかけたものは、決して手離してはいけない。 2.人生はやり直しができない。 3.恋愛は理屈ではできない。 4.完全な恋愛は全てを奪う。 5.完全な恋愛を得て死ぬより、不完全な恋愛と共に生きるべし。 6.所詮、完全な人生はこの世には存在しない。 特に5.については、 結末でみせた島本さんのとった決断に、 島本さんの主人公に対する最大級の愛情を汲み取れたし、 一方でそのどうにもならなさを考えると、身を切られる思いがした。 その上で、著者は我々読者に対して、 「生き続けろ」というメッセージを強く送っているのだと思う。 とはいえ、言わば羊の抜けた「羊博士」のようなものになったであろう主人公は、 この先どうやって生きてゆくのだろうか? この疑問は私のこれからの人生のテーマになると思う。 | ||||
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この本を読んで、「島本さん」の存在のとりこになった。島本さんは足が悪い。島本さんの現実的な所在地がない。島本さんの笑顔。島本さんの妙なのどの音。島本さんが島本さんである意味。etc・・・ でも、そんな島本さんに魅了された主人公は、最後の最後まで「島本さん」に振り回されて、意味を得ないまま現実世界に引き戻されてしまう。 そこがこの本の現実的内容なのか、それとも「島本さん」の存在は説明不可能だったのか?不思議な物語でした。 | ||||
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この時代、地方から上京し、この主人公のような華麗な東京生活を満喫できるまでに至る者がどれだけいるだろうか?そういう意味ではルサンチマンの恰好の餌食になりかねない危険極まりない作品です。しかも妻子がありながら、さらに島本さんという高潔な熟女にまで手を出す主人公の棒寂無人モテ男ブリに世のモテナイ君が嫉妬すること必死でしょう。 島本さんとのSEXのシーンは凄く刺激的な描写が多く子供にはとても読んでほしくない作品。 それから村上春樹の作品を読んでるととんでもない勘違いをしてしまう女性や子供たちも多いと思うので言及しときます。男性はこの主人公のようにSEXのことだけいつも頭にあるわけではありません。むしろ少数ですよ、こんな男。男の風上にもおけない人です。 村上さんはもっとストイックな主人公で作品を作ってほしい。童貞が活躍するような感じで。 それが真のハードハードボイルドなんだよ。 | ||||
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賛美両論ある作品です。私は30代前半で、昨年この作品を読みました。結論から書くと、私にとって村上作品のベストとなりました。 この作品の評価は、このような恋に共感できるか、という一点に集約されるのではないかと思います。共感とは、自分に同じような経験があったり、又はそこまでに至らなくても、そのような別の道に行ってしまいそうだった経験です。 幼なじみとの恋、結婚してからの恋を経験した人は、この作品を自分と重ねざるを得ません。一方、そのような経験がない人にとっては、ただの薄っぺらい恋の話に感じるのではないでしょうか。 淡いジャズと共に、昔の思い出に浸りたい人にお薦めします。 | ||||
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常に「自分でないものになろうとしてきた」という ハジメくん。でもなれなかったと、自分で言ってます。 生きていく上で取捨選択を重ねていくと、 「選ばれなかったもの」もでてきます。 全てのものを選んで生きていくことはできないのだから、 仕方ないです。 「自分でないものになろうとした」 そんな生き方を重ねてきた彼が、行き詰まりを 感じた時。もうこれ以上、社会的成功は望まなく なった時、「選んでこなかったもの」「捨てて きたもの」と向き合うことになったように見えました。 具体的には、イズミさんと島本さんですが、 その二人に投影していた「選ばなかった・ 見てこなかった、自分の内部のカケラ」を、 自分のものとして、再認識・再検討・棚おろし させられたのが、二人との再会・邂逅のように 見えました。 そうしてやっと、奥さんに「きみはどう?」 と尋ねて、手を取り合えたように思いました。 まず「自分でないものになる」=社会的地位を得る、 そして今度は「自分になる」=内面の欠落の探求、 という段階へと進んだのでしょうか。 自分が選ばなかったものは、イズミさんのように 息をひそめて、こちらが気づくのをいつまでも じっと待っているのかもしれない。 人によっては、何か満たされない乾きを感じた時に、 その存在に気づかされるのかも。 視野が狭いのか、つい自分にとって卑近な例に 置き換えてしまいました。的外れかもですが、 ついついそんなふうに見てしまったのでした。 いろんな要素を持っていて、見る角度によって 万華鏡のように違う模様が見られるだから、 懐が深いですね。 | ||||
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発売と同時に読みました。そのときは,失敗作なのではないかと思いました。しかし,10年以上経って,読み返してみると,印象は全く異なっていました。今は,どなたかも書かれていましたが,ノルウェーの森を遙かにしのぐラブストーリーといえると思います。ただ,単なるラブストーリーにとどまらないところが村上春樹だと思います。人生の暗く,苦しい面を,はっきりととらえていて,恐ろしいほどです。再読してから後,何度も読み返しました。そのたびに発見があり,小説としての魅力を感じる一方,その表現の深さに,たじろいでしまいます。通常の小説を読むときとは,異なる経験です。また10年後に読むとしたら,さらに深い理解ができるかも知れません。あくまでも,わたし個人の感想ですが,一度読まれて,あまり感心しなかった方も,そこで結論を出してしまわずに,何年かしてから,再び読まれることを強くお勧めします。 | ||||
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東京でJAZZ喫茶を経営する主人公が,初恋の女性と偶然に出会い,不倫をする,というと下世話な感じだが,そういう話し。主人公も,設定も,すごく洒落た感じで,読みやすい。ただ少し情に流され気味,センチメンタルな方向に流されているという感じがあった。希望のある結末に行くともっと良かったと思う。 | ||||
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数年前、何かこの作者の作品読んでみようとこの本を手にしました。初めて読むのに適当な厚さ、ジャズファンとしてなじみのあるタイトル。読んでみると、なんだか作者が非常に優しい。いや優しすぎ。「はい。ここは伏線でこう書きますよ」やら「こう書いたらちょっとかっこいいでしょ」なんかが透けて見える何だか読み手を馬鹿にしているような感じだった。私の感覚ではこういうのは正直ダメでした。まあ、その後春樹作品は読んでないんで星ひとつは厳しいかなととりあえず2つにしておきます。 | ||||
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「僕は長いあいだ、彼女に対して僕の心の中の特別な部分をあけていたように思う。まるでレストランの一番奥の静かな席に、そっと予約済の札を立てておくように、僕はその部分だけを彼女のために残しておいたのだ。」これは小説というよりはまるで長いラブレターのようだ。ずっと、たった一人に向けて君が特別なんだと言っているというか。最初の方のいくつかの文章は私のことではないかと思えてただうなづいてしまった。後半よりも前半のほうがきめ細かくかけていると思う。 | ||||
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の中ではけっこう異色の作品なのではないか。 名前がぽんぽん出てくるし、長い間の話を書いている。 幼い頃の友達への再会。リーダビリティとしては、どれも高いけど、ノルウェイの森並みに読めるので、どうだろう。 | ||||
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村上春樹作品としては珍しく、一人の少年が大人になるまでの長い期間を書いている。現在の私の中ではこの作品は著者の作品の中でB級だ。他の長編作品ほどの強い個性のようなものを感じないのは、これが大人の小説だと言うことか?あと十年ぐらいしてから読んでみればこの作品の更なる良さが分かるかもしれない。 | ||||
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たぶん、この小説は、一人っ子の人と、そうではない人が読むのとでは、感じるものが異なると思う(ちなみに、私は一人っ子です)。一人っ子が感じる寂しさ、孤独に対する恐怖、それでいて、孤独であることになれてしまっている現実、それは、兄弟がいる人には理解できないものなのかもしれない。そう感じさせる内容だった。そして、現実がもたらす寂寥を強く感じた。結局のところ、人は死ぬまでの間に、多くの人と出会い、同じ数だけ、別れを体験する。その現実を、痛いまでにわからせてくれる内容だった。最近、著者は現実を凌駕した世界を描き、それによって人々の内面を描き出そうとしているように感じられる。それはそれで、心を打つものがあるが、本書のように、現実のリアリティを追求し、そこに偶然と必然を織り込むことによって、世界の美しさと厳正さを描く小説は、自分の置かれた状況を直視するきっかけを与えてくれるものだと感じた。 | ||||
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私が村上作品にはまったのはこの本を読んでからです。日常には、何不自由なく過ごしている主人公の前に昔大好きだった人が現れる…なんてことない、ありがちな恋愛小説の設定です。でもだからこそ、心に響きました。結局時間は流れてしまうけど、もしかして本質的なものを忘れていってないのだろうか…毎日忙しく過ごしてると大切な事とか当たり前になって…とか色々考えさせられました。多分読む時期によって感じ方も違うんでしょうが、村上春樹さんの作品の中では一番現実にありがちな感じで最後の結末もすごく現実的にまとまって、冷たく暗い感じ、毎日の惰性のループからは、なかなか抜け出せないという事がとてもリアルに感じられました。 | ||||
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プールで泳ぐシーンと娘を車で幼稚園に送っていくシーンと奥さんとの馴れ初めの回想シーンで旅先で雨宿りするシーンが好きだな。あんな絵に描いたような成功者、逆玉になってみたいもんよのぉ~僕は豊橋で怖い顔になってる側の人間だもの。 | ||||
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発売当時の90年代、喪失ということに実感値をもてず、理解に苦しんだ覚えがあります。ただ、大好きな村上春樹が年をとって、青山や外車が出てくるほど豊かになったんだな。という印象でした(失礼・・)。自分もそれなりに時を過ごし、再度読み直したとき、共感の高さに自分自身も驚いてしまったのです。時間を経ていくことは、得ることも多く、不幸せではない程度にみんな過ごしていると思います。日々の忙しさの中で、喪失している自身を前向きな現象だと捉え、がんばってる自分をはげまして、生きているでしょう。改めて突きつけられた気がしました。我々は喪失しているのだと。そして喪失しているのは自分だけではない、自分の大切な人たちも自分と関わることによって喪失しているのだと。何を失ったのか、それは得たものより大切なものなのか、得たもののほうが大切なものなのか。問いかけながらも、日々時は流れていくのでした。 | ||||
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1991年の初めから、約2年半、氏はスコット・フィッツジェラルドの故郷マサチューセッツ州ケンブリッジ(プリンストン)に住んでいる。この間に氏は2つの重要な長編小説を書き上げる。ひとつが『ねじまき鳥クロニクル』そしてもうひとつがこの『国境の南、太陽の西』である。僕は作家の小説を書き上げた場所というのは、ものすごく重要な小説構築の要素だと考える。スコット・フィッツジェラルドに幾多の天啓を与えたプリンストンの地は、スコット・フィッツジェラルドを敬愛する氏にも驚くべき天啓をもたらした。『ねじまき鳥クロニクル』はシニカルな村上ワールドの、そして『国境の南、太陽の西』は村上ラヴ・ストーリーの最高傑作だからだ。2つは全く別の世界だが、現実世界に深く密接しているという共通点を他の村上作品より強く持っているという共通点も感じられる。もう一度断言するが『国境の南、太陽の西』は村上ラヴ・ストーリーの最高傑作だ。売れまくった『ノルウェーの森』も遙かに及ばない最高傑作である。ジャズの旨味が随所に効き、プリンストンの地の天啓がしみた素晴らしい文体が過去・現在に出会う女性達を見事に描ききる。そして村上氏は主人公に常に自問させる。この人生は確かに順調かもしれない、でも本当に俺の本当の人生なのか、と。いつか、敏腕なディレクターがこの作品の価値に気がつき、映像的なこの小説を映画にしてくれるだろう。それは日本かもしれないし、アメリカなのかもしれない。ナット・キング・コールの『国境の南』の果てのもうひとつの場所と時間で、僕の過去の想い出の中にいる『その後の』彼女ともう一度出逢い、その映画をみたいなと思う。 | ||||
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意味不明とかではなくて、どうしてこんな作品を村上さんは出したのだろう、と思いました。もう少し考えてみれば、もう少し冷静に考えてみれば、いかに無意味な作品であることが、お分かりいただけるかもしれません。 | ||||
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~三十四になるが、去年の十月まで村上春樹を読んだことがなかった、元々メジャー嫌いと、写真で見る村上春樹に興味が持てなかったからだ。ある日、本屋で二十五周年記念の文庫「風の歌を聴け」を手に取り、「完璧な文章など存在しない」その一行に惹かれ初めて春樹を買った。それから今年の一月までに講談社のものを中心に十四冊を読んだ。完全に春樹病になっ~~た、いや病になったというより「僕」という存在を確認することが毎日の日課になった。そしていつかこの心打つ日課が終わりをむかえることを恐れるようにまでなった。その中で一冊と言われたらオレはこの本というしかない、主人公と自分の境遇が似ていたという点があったことも確かだが、人生の折り返しを感じる時期に最も得難い感情とは何なのか、本当の至福~~とは何なのか、感じさせる話だった。最後の方は一ページ一ページがとても意味深く、島本さんの「全てを取る」ということの実現理想にもっていかれた。この本は発売当時不評で「5年後か10年後にまた読んで欲しい」と作者はいったらしいがこの時期に読めたオレは幸せ者だ、オレにとっての春樹ナンバーワンだ。春樹の最近の作品も読んでいるが山は越えたようだ~~、そして山を登ることは二度とないだろう、でもそれが刹那という芸術表現だと思う。~ | ||||
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この作品は 村上ファンには概して評判は良くない。「陳腐だ」とか「スノッブすぎる」であるとか言われいると思う。実際に読んでみてどうか。 確かに「独創性」に満ちふれた作品とは言い難いかとは思ってしまう。設定、ストーリーも どこかで聞いた事があるようなデジャヴュを覚えてしまい村上であれば もう少し「ひねり」であるとか「奇妙な味付け」であるとかが出来たような気もするのだ。そう言う意味で 器用さだけが目に付くような作品といえば そう言えるかもしれない。 村上が発売当時どこかのインタビューで不評を認めた上で 「5-10年後にもう一度 この作品を読んでみて欲しい」と発言していた記憶があるが その5-10年後である今日読み返しても まだ 僕には「解らない」としかいいようが無い。まだ時期尚早なのかなあと思う次第である。 最後に念のため付け加えますが 僕は この作品は 結構好きです。 | ||||
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ある出会いが、その人の人生観や目に見える風景までを、それまでとはまったく違うものに変えてしまうことは本当にある。他者から見れば、その人の生活には何も変わりが無いように見えるだろう。しかし日常生活を変わりなく送りながらも、それまでの日常とは全く違う世界に生きることになる、そんな出会いは現実にある。そんな出会いを経験してしまった主人公の苦しみを、みずみずしい文章でテンポよく描いた傑作。孤独を抱いて生きる少年は大人になり、絵に描いたような幸せな生活を手にする。しかし、ある女性に再会することにより、自分の生活にどうしようもない喪失感を抱くようになる。人間は、自分を引き付ける目に見えない力に逆らうことはできないのである。読者をどんどん物語の中に引き込んでいく手法や心理描写は見事である。しかし、結末は現実的で少しがっかりした。小説の世界であればもっと冒険してもいいのでは・・・ | ||||
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