■スポンサードリンク
夜のピクニック
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
夜のピクニックの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.97pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全414件 221~240 12/21ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
高校を卒業したのは遠い昔のこと。 卒業した高校には夜の歩行祭なんて行事はなかった。 ましてクラスの中に異母兄弟がいることもない。 こうして並べてみると非日常的なことだらけの空想物語である。 しかしなぜだか彼らが長い道のりを一歩一歩進むときには、 自分も同じように歩いているようなそんな気分になる。 歩行祭の道のりと同じく文章そのものもとても長い小説だが、 ゴールに近づくにつれ達成感ともになぜか寂しい気持ちになっていくのは 読み手も同じこと。 なんだかせつなくてさわやかな物語だった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ひたすら歩く。そんな行事の話なのに、引き込まれます。 単調な物語にならないところが凄いですね。 読後感は爽やかです! 自分の高校時代を振り返って、甘く切ない気分になりました。 精神的にも体力的にも疲れていた時期に読んだ本なのですが、癒されました! 現役で学生の方よりも、学生時代を懐かしく思い出す年代の方におススメしたいです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
一晩歩き続ける行事「歩行祭」 貴子を中心として高校生の心の機微をみごとに描ききった修作である. 今,ここを生きる人達にうってつけである. 歩くだけ。 ただそれだけのことが なぜ特別な感情を抱かせるのか。 それは、 私たちが 日々歩いたり、 走ってみたり、 ちょっとつまずいたりしていることと 実は同じなのだ。 偶有性に満ちた世界の中で、 今、ここを生きていくしかない私達。 それは楽しいことばかりでは無いだろう。 受け入れなくてはならない現実問題に うんざりすることも多い。 人はそれを大人になるという。 しかし、歩ききったとき、 あるいは途中でバスに拾われたとしても、 最後にはその一回きりの体験に いとおしさがこみ上げてくるのではないだろうか。 この小説の読後感のように。 この小説は、 最大級の人生賛歌である。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
高校時代の清々しさを思い起こさせてくれる一冊です。 人物の微妙な心理描写をうまくしていて、 思わず読み進めるうちに自分自身を投影してしまいます。 さまざまな登場人物がいるので、一人は自分に似たキャラクターがいると思います。 青春小説として心に刻まれる一冊です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
大きく息を吸って、ゆっくり吐く。深呼吸。 そんな風に、頭を空っぽにして読める本です。 頭を抱えてしまうような、困難や現実を抱えながら、 それでもきっと無駄ではないと信じてみたくなります。 読むのが大人の人ならば、甘酸っぱい痛みを感じるかもしれません。 でもきっと、それだけではない、やさしい気持ちになれる本だと思います。 本文で印象的な台詞を引用してみます。 「世の中、本当にタイミングなんだよな。順番といってもいいけど」 そしてこの台詞の前にこんなエピソードがあります。 “ある本を読むタイミングを間違えてしまった。もし間違っていなければ” 「この本は絶対に大事な本になって、今の自分を作るための何かになってたはずなんだ」 これに尽きます。 私はこの本を読んだ時、高校を卒業した後の秋でした。 読んだ時「これを中学生の時に、いや高校生の時に読めていたなら」と、 思わずにいられなかったです。 (とはいえ、現役の中高生では伝わらない部分もあるし、 読むタイミングの難しい本だとも思ったのですが) 中学のやり残しは高校でもできますが、 高校のやり残しは大学ではどうにも出来ません。 だから個人的には、後1年の学生生活を残した高校2年生に送りたい一冊です。 この本を読んで、思い切り眩しい時間を過ごして欲しい。 そんな本です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
恩田陸に関しては、あまりいい印象がなかった。 夜のピクニックの単行本を買う前に、どんな作家なのか知りたくて、「図書室の海」を読み、こんな中途半端なものを出して読者を馬鹿にしているのかと思っていたからだ。 そして、映画化による早すぎる文庫化。 本屋大賞という一点にのみ賭けて、本書を手に取った。 最初は批判的な眼で読んでいたが、途中から自分の高校時代とシンクロし、夢中になっていた。 巧いとは思わなかったが、あまりに球筋のいい直球だっただけに読後感も心地よい。 これなら、単行本を買ってもよかったかなと思っている。 将来に思いを馳せる主人公二人ではないが、今後の恩田作品の取り扱いが難しいなぁ。 以上が以前書いたレビューですが、今もう一度書いてみて、 この本の内容をほとんど覚えていないことにびっくりしている。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
誰にだってある、懐かしい学生時代。 同じ「夜の歩行祭」は経験せずして、いつのまにか自分を登場人物たちに重ねている。 懐かしい、過去のことを思い出して気付けば、ページをめくる指が止まっている。 この「夜のピクニック」は、たった一夜の話。 だけれど、「何日もかけてこの作品を読む」と、 一章一章終わるごとに、目を閉じて、昔懐かしい思い出に浸って眠りにつける。 本来の作品以上に厚味を増した充実感を、充実した時間を、きっとすごせる。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
今月末に映画が公開されるようなので、試しに読んでみました。 読んでいて自分の高校時代が懐かしくなりました。 この手の題材は、作者がへたくそだと青臭い青春小説になってしまうと思うのですが、本作は登場人物の内面をしっかりとらえた読み応えのある作品だとおもいます。 なんでも歩行祭というのは、作者の母校(水戸一高)で実際にある行事らしいです。 高校時代に読んでいたら歩行祭に参加したくなったでしょう・・・ どうも良いことですが、恩田陸さんって女性の方だったんですね。男性だと思ってましたw | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
日常生活は、意外に細々としたスケジュールに区切られていて、雑念が入らないようになっている。チャイムが鳴り、移動する。 バスに乗り、降りる。歯を磨く。食事をする。どれも慣れてしまえば、深く考えなくても反射的にできる。 むしろ、長時間連続して思考し続ける機会を、意識的に排除するようになっているのだろう。 そうでないと、己の生活に疑問を感じてしまうし、いったん疑問を感じた人は前に進めない。 だから、時間を細切れにして、さまざまな儀式を詰め込んでおくのだ。 そうすれば、常に意識は小刻みに切り替えられて、無駄な思考の入り込む隙間がなくなる。 なるほどなあ〜と思った作中の文章であります。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
長かった活字離れもこの本でようやく終わりました。 兎に角、電車の中、授業中、休憩時間も、場所時間問わず一目散に読破しました。何度読み返したのでしょう、ここまでボロボロになった本は他にありません。 歩行祭、という修学旅行とはまた違った行事が題材となっていますがこれがまた良い味を出しているのです。修学旅行なんて結局ただの楽しい旅行にすぎませんが、歩行祭は修学旅行にはない過酷さを持ち合わせています。その過酷さから救ってくれるのは誰でしょう、友達であったり、好きな人であったり、兄弟であったり・・これらの人間関係が面白く描かれています。 友達、恋愛、親子関係、様々なテーマの青春小説がありますが、たまには兄弟もどうでしょうか。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
全校生徒が夜を通して80キロ歩きとおす「歩行祭」。 ただ歩きながら、おしゃべりしながら、それぞれがそれぞれの想いを胸に抱えていて…… 読みやすかったです。 何度も出てくる杏奈の 「みんなで夜歩く。ただそれだけのことがどうしてこんなに特別なんだろう」 という言葉がずっとページの上で回っていたような気がします。 読んでいて、一緒に足が痛くなった気がしたり、呼吸が苦しくなるような気がしたり、といろいろと疑似体験ができました。 貴子と融の確執を軸にしたストーリー展開も、派手すぎず染みすぎず、すーっと馴染んできました。 さわやかなお話でした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
目的地まで歩いて、そしてもどってくるという一風変わった卒業行事。 そんな中でいろんな感情が交差していく。 それぞれの思いがかさなっていき、そして距離的にも気持的にもゴールしていく。 いわゆる青春の一こまをとりあげている作品なのですが、 決して熱くなく、まがっているわけでもなく、極端でもなく、 ごくごく普通にたんたんとすぎていきます。(ほんとは秘密のある関係なのですが) でも、読ませる!最後まで本当にはらはらしながら読み進めました。 自分の学校でそんな行事があったら、どんな気持ちで参加していたのだろう? 上位をめざして作戦をたてるのか(これはないなぁ)、最後だからと、 何とか好きな人と近づきたいと思うのか、 親友と友情を確認して、それを語りながらゴールしたいと思うのか? 18歳。ちょっと痛い感じの気持ちが思いだされて、切なくなりました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
タイトルからまさかこんなにヘビーな学校行事の話とは思わなかった。ピクニックではない。競歩会という感じ。歩行祭の描写があまりにもリアルですが、著者はこんな体験を高校生活で送ったのかな? 人物の関係性としては“こんな偶然みたいなことあるのかな?”とも思いましたが、会話などは“私も高校時代はこんなことを話してたのかしら?”と懐かしく思うものでした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
高校生活の最後の大イベントに今までの思いを込める、 あーなんか青春!って感じがしました。 周りの友人達もかなりいい感じです。 根底にあるものは現実で考えたらかなりシリアスですが それを重過ぎず軽すぎずちょうどいい感じで 彼らの内面を丁寧に描写していると思いました。 読み終わったあと軽くすがすがしい気持ちになれました。 青春ものがお好きな方はぜひ。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
恥ずかしい話、大学1年になって夜のピクニックくらいの分厚い小説を読んだ事はあまりなかった。 正直、読む前は話の内容や分厚さから「途中で飽きるんじゃないか?」と悲観的だった。だが、読んでいくうちに自分もこの学校の生徒みたいに思い始め、ページを捲る手が止まらず、2日とはいかないが、とても早く読むことが出来た。 運動会でも修学旅行でもなく、みんなでただ歩くだけの歩行際を2日かけて歩くだけの物語。だが、そこには運動会や修学旅行にはない友情や恋や青春の数々がある。 読み終わってまず感じた事は「もっと早く読みたかった。」という事。中学時代でも高校時代でもいい。高校時代、友達と呼べる友達はおらず、恋も一途で終わってしまい、青春なんて体験したくてもできなかった。 夜のピクニックを読んでそれを補おうとは思わない。だが、アニメみたいな光り輝く友情や恋や青春を憧れていた自分はこの話の人物達のように地味でも固く結ばれた友情や恋や青春というものがあるというのをもっと早く知りたかった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
高校生活最大のイベント、「歩行祭」。 80kmもの道のりを20時間ほどかけて歩き通す。 朝8時に出發し、朝8時頃ゴールする。 前半は團體歩行で後半は自由歩行。 後半は仲のよい友達同士で、これまでの想ひ出やこれからの進路などについて語りながら歩く。 それは、高校生活の貴重な想ひ出になることだらう。 甲田貴子と西脇融は、親友にも云へない祕密を持つてゐた。 二人はその祕密ゆゑに、お互ひ話をすることもなく、學校生活を過ごしてゐた。 さういふ二人を、周圍は、祕かにつきあつてゐるのではないかとか、相手のことを好きなくせに云ひ出せないのではないかなどと勘繰つてゐた。 しかし、二人の祕密はさういふ樂しいたぐひのものではなかつたのだ。 お互ひに相手の氣持ちがわからないまま過ごして來た二人だつたが、 周圍の勘違ひによるおせつかひの所爲もあり、後半はそれぞれの仲間が一緒になつて歩くことになつた。 貴子は、祕かに自分に課してゐた小さな賭けによつて、「歩行祭」といふ一種の極限状況の中、自分自身をみつめなおすことになる。 そして、永年のわだかまりが融け、「歩行祭」のゴールが見えて來た時、貴子は新しい何かの始まりを感じるのであつた。 ううむ、良いなあ。 もはや子供ではないが、と云つて大人にもなりきれない、そんな時期の惱みや戀愛や友情。 かういふものを書かせたら、恩田陸はピカイチだ。 「ネバーランド」以來、久々に恩田陸描くところの高校生を堪能した。 <以下、閑話休題> 私の母校の高校は、私が3年生の時に創立100周年を迎へた。 そのお蔭で樣々な記念行事があり、さういふ節目に在籍してゐられた偶然に感謝したものだつた。 その中のひとつが、「強歩大會」。 九十九里濱を20km歩くといふ行事だつた。 運動部の連中は、當然の如くスタートから走り出した。 山岳部の私は、走らずに歩くことで、どこまで順位をあげられるかにチャレンジした。 醒めてゐる連中は、「け、くだらねえ」と冷やかな態度。 海を見つめながら己の内面を見つめるのだといふ哲學者もゐた。 ゴールが視界のかなたに入つて來た時、後ろから走つて來たヤツらに拔かれた。 その中に、「け、くだらねえ」といつてゐたヤツの姿があつた。 なんだ、結局一生懸命になつてゐるぢやないか。 あいつには負けたくない、さう思つて、ついに私も走り出した。 しかし、歩く時に使ふ足の筋肉と、走る時に使ふ足の筋肉は正反對なのだつた。 私は向う脛の筋肉が吊つてしまひ、九十九里の砂にまみれた。 あとすこしでゴールだ。 後ろからどんどん拔かれつつも、吊つた足を引きずりながら、ゴールした。 3年生360人のうち51番だつた。 「くだらねえ」と云つてゐたヤツはバテバテになりながらも49位。 結局追付けなかつたが、不思議と悔しくなかつたことを思ひ出す。 高校時代。 あの3年間は、じつに不思議な時代だつたと思ふ。 30年たつても、まるできのふのことのやうに思へる。 隣で息子のヨメが「まあおぢいちやんたら、また高校時代の話をしてるわ」つて孫に言ふんだ。(121ページ) | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
丸一昼夜かけて80キロを歩きとおす(一部は走らないと制限時間に間に合わない)という「歩行祭」。 本作は,甲田貴子が,同級生でありながら一度も話したことがない異母兄弟に声を掛けたいと願い,それが実現できるか,というだけで,格別何という事件も起きない。敢えて言えば,前年の歩行祭後アメリカに引越してしまった杏奈が貴子に宛てた手紙「たぶん,あたしも一緒に歩いてるよ。去年,おまじないを掛けといた。貴子たちの悩みが解決して,無事ゴールできるようにN.Y.から祈っています」がどんな意味なのか,という程度であろう。 そんな何でもないイベントを,これほど魅力的に描き出しているのは,やっぱり恩田陸の筆力の技なのだろうと感心する。私は,本作を読んで,高校時代の学校際の夜を想い出して,なんとも懐かしい気持ちになった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
僕は、高校三年から約13年の月日が経ちます。 普通は修学旅行なんですが「歩行祭」という珍しい行事。 各クラスの友達と混ざり合う、最後の学校全体行事。 県内の高校ですが、日帰りの歩行祭がある学校はあります(いまは不明) 当時、やり残した事、恥じらい等で伝えられなかった事、答えられなかった事を思い出します。 登場するような人物や人間関係はありませんでした。 しかし、いま思えば、こういった人との付き合い、思いやり、深さなど出来たのかなと思います。 大人には、「こんな気持ちの時ってあったよねー」と感じていただきたい。 中高生には、遠慮や張合いで不燃焼な学生生活を送らないように読んでいただきたい。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
夜という設定からかストーリーに目立った事件等は無いが、主人公の二人の思いの美しさに後からじわじわ感動の波が押し寄せてくる。 読んだあとおだやかな気持ちになれる小説である。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
自分の青春時代の中でも高校時代は特別なものです。 中学生までは明らかに子供という意識でいたし、大学生は飲酒/喫煙も出来て就労した大人ではないけれど子供ではもうない時代でした。 子供の世界の最後に位置するのが高校時代であり、その為にその時代での出来事はキラキラ輝いた大切な記憶となるんだと思います。 この小説は、高校生の瑞々しい思考や悩みを見事に表現し、主人公達の大人の世界に入って行く区切りを描いた物です。 色々な仕掛けも楽しく、一晩の出来事を読み応えある内容に仕上がっていると思います。 お勧めの一品です。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!