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オリンピックの身代金
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【この小説が収録されている参考書籍】
オリンピックの身代金の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.16pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全29件 21~29 2/2ページ
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肝心要のアンチヒーロー島崎の人物造型がやや物足りなく、感情移入を妨げる。ヒロポンで気の大きくなったただの田舎者とは思いたくはないが…。ご都合主義のストーリーはまあ仕方がないか。完成度はピエロの方が上。 | ||||
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日本は、「東京オリンピック」を開催することにより、完全に戦争の痛手から立ち直った姿を 世界各国に示そうとしていた。誰もがオリンピックに夢や希望を抱いているかに見えた。だが、 警察を狙う爆破事件が発生する。オリンピックを妨害しようとする事件だったが、このことは 日本国民に知られることはなかった・・・。一人の若者の生き様を衝撃的に描いた作品。 高度経済成長期の日本。「東京オリンピック」という華やかな祭典の陰には、いまだに貧困に あえぐ人たちがたくさんいた。日の当たるところにいる者とそうでない者との激しい格差には 言葉もない。そのまま何事もなければ、東大生である島崎国男も日の当たる道を歩き続ける ことができただろう。だが、彼に仕送りを続けていた兄の死が、彼を変えてしまう。「自分を 日の当たる場所に出すために、どれだけ家族が犠牲を払っていたのか!」そう思う島崎は、兄の 死を乗り越えることができなかった。そして、兄と同じ境遇に自分の身を置いたとき、日本の 国が抱える矛盾に気づいてしまった。「日本の国の豊かさは、ごく一部の人間たちのものだ・・・。」 彼の境遇には同情すべきところもある。たった一人で、「あったこと」を「なかったこと」に してしまうような恐ろしい国家権力に挑む姿は、「孤高」という言葉にふさわしいように見える。 だが、実際にやっていることは狂気の沙汰としか思えない。彼の行動には、理解も共感もできな かった。 長すぎる気もするが、いろいろなテーマを含んだ読み応えのある作品だった。読後も不思議な余韻が 残った。 | ||||
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昭和30年代の世界観がしっかりと構成されている。文体も平易で読みやすい。殺人や覚せい剤などが出てくるわりには、小説全体のムードは明るい。そういう作風なのか、オリンピックのころの日本の活気が文章から感じられるからなのかは分からないが。 そして物語は動き出す。爆弾騒ぎに脅迫状。犯人は本当に草加次郎という人物なのか。犯人の目的は?犯人らしき人物はあっさりと分かる。ミステリーとは思えず、ちょっと先の読めない小説である。犯人側や、警察側など、いろいろな視点が入れ替わってストーリーは進行する。 物語の中で、マルクス主義について語られる部分がある。しかし、いささか時代錯誤という感が否めない。まあ、舞台が昭和39年なので仕方ないのだが。マルクスは、資本主義が世界中に行き渡り、その頂点にある国が崩壊すると予言したらしい。しかし、現実はどうか。サブプライムショックがあったとはいえ、アメリカはまだ崩壊してはおらず、そのずっと前にソ連はロシアに変わり、中国は資本主義経済を取り入れている。共産主義と比べて、どちらがより優れたシステムであるかは明らかであろう。 この本を読んで、改めて共産主義の欠点が分かった。住居がタダで、食料も平等に配分されるなら、誰も真面目に働こうとは思わないだろう。易きに流れる。それが人間の性質だ。共産主義にしても、そのシステムを管理する人間が必要であり、その人々が上に立つ。そうすれば、どうしても格差が生じてくる。 面白くは読めるのだが、クライム・ノベルとしてはいまひとつか。あっと驚くような奇抜なアイデアがあるわけでもなく、特に前半はアクションシーンもない。全体としては、もうひとひねり欲しいところである。 | ||||
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オリンピックを盾に日本という国を相手に強請る話を、邪魔を描いた奥田氏が手がけたと聞けばついに本気で書いたのだと期待も上がる。 そんな期待が読み進める内に、除々に萎んでいったのがこの本だった。 昭和39年を舞台に、警察官僚を父に持つテレビ局に勤める須賀忠、古本屋の娘で製麺工場の事務員である小林良子、警視庁警部捜査一課の落合昌夫の3人が、犯人である東大院生島崎国男が犯罪に手を染めるいきさつと並行して、オリンピック開催までに重ねていく犯行に対して関連していく様子が2段組で521頁描かれている。 当時の様子や、島崎国男以外のキャラクターは違和感なく、オリンピック成功に向け島崎を捕まえようとする警察の動きは、公安もからめて練られた作品なのが十分に伝わる。 それなのに読んでいて「興奮」が湧き起こってこないのは、大事なキイワードである島崎が東大院生でありながら人夫仕事をひと夏だけという限定であっても働くことに納得できないからだ。しかも一日で寝を挙げることなく、プロレタリアートを実証するために肉体労働に従事し、蓄えた知識を頭の中で醸造する中で、オリンピックを国際社会の進出ではないと結論づけ妨害に至る島崎にどうしても共感出来ない。 島崎は何にも執着しないまま、東大院生の立場を捨て、人夫にもなり、犯罪も重ねていく。 よってその周囲が熱を帯びようとも、核心である筈の中心が熱が無い虚無だから、読者として興奮が起きない。手に汗握る面白さが無いまま終わってしまうが故に、肩透かしをくらったような気持ちになる。なぜ島崎みたいな男を造り上げてしまったのか、ここまで練られているだけに口惜しい。 | ||||
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奥田英朗の狙いはオリンピック当時の風情を味わいながら、サスペンスを堪能して欲しいってことだろうけど、素直にオリンピック当時に浸ることができなかった。 高度成長期の描写がさりげなくサスペンスを支えているのであればいいのだが、当時の流行の描写がこれでもかって位出てくる。ストーリーに何の関係もなく当時流行ったTV番組が書かれている辺りは興醒めする位だ。やはり、昭和30年代に書かれたサスペンスを読んで当時の世相を知るのと、現代の作家が昭和30年代の風情をかもし出そうとしたサスペンスを読むのは、似ているようで全く違う。 そもそも、奥田英朗に期待されているのは『松本清張風ミステリー』のような『○○風』の作品でもないし、昭和30年代ブームに乗ることでもない。次回は彼本来の持ち味である、アイデアとオリジナリティに富んだ彼にしか書くことができないような発想を期待したい。 | ||||
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久しぶりの新刊ってことで、楽しみにしていました。 どっかの広告にもあった気がしたけど、確かに従来とは作風が結構異なります。 特に最近のドクター伊良部やララピポやマドンナ、サウスバンドとは全く異なります。 あらすじは上に書いてあるとおりですが、色々深く考えさせられておもしろかったです。 古い時代を描く手法をとってみても、ちょっと前に読んだ乱歩賞作品と比べてると、やっぱプロその作家は違うなぁ、と思い知らされる。。。若干当時はなかった言葉も混ざっててるけど、別に気にはならないです。。。。 | ||||
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昭和39年夏。まもなく開催されるオリンピックに向けて首都東京は街の相貌を大きく変えていた。国民が一丸となって五輪開催へと突き進んでいるかに見えるとき、警察を狙った爆破テロが発生し、当局に「オリンピック妨害」を宣言する脅迫状が届く。やがて警察の捜査線上に浮かんできたのは一人の東大大学院生だった…。 上下二段組で500頁を超える大長編サスペンス小説です。 膨大な史料にあたって書かれたと見え、あの時代の急激に変わりつつあった東京の空気の色や臭いにいたるまで精密に再現した著者の力量には脱帽です。 そして物語の中心となる三人の男たち----東大大学院生の島崎、その同級生で今はTV局員の須賀、そして刑事の落合----そのそれぞれがいかにも今から40年前に存在したであろう人物に肉付けされています。 その意味では、この「オリンピックの身代金」は現実味のある物語として読む者に迫ってくる勢いがあります。 しかし読了した今、私はこの小説を十分に楽しめたとは言えない何かを抱えています。 昭和39年、五輪景気に沸く東京と、その発展からこぼれ落ちた地方都市との間に生まれた経済格差は、平成21年の今の日本に大いに重なるところがあります。ですからこの小説の“犯人”が社会に対して抱く憎悪に対して共感を覚える読者も少なくはないかもしれません。ですが、彼の行いはやはりテロリズムであり、そこにいくばくかの賛意を示した途端に、私たちの社会は音を立てて崩れていかざるをえないといえます。 となるとどうしてもこの“犯人”に私の心が添うことはありません。私にとってかろうじて「理解」は出来るにしても「同意」はできない類いのものです。 中心的登場人物に心が重なる瞬間が見出せないとき、その物語は私にとってはやはり受け入れがたいものとなってしまいます。それがこの小説を十分に楽しめなかった一番の理由だといえるでしょう。 | ||||
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奥田英朗のシリアスな長編小説は、デビュー直後の「邪魔」以来だが、私は、これまで奥田英朗の全作品を読んできて、彼の本領は軽妙洒脱な短編小説にあると思っており、その思いは、この作品を読み終わった後でも、一貫して変わっていない。 この作品は、東京五輪の開催妨害を企む若きテロリストと警視庁刑事たちの熱い戦いの物語とされているが、私は、この作品を読み始める前、そんな物語であるのならば、東京五輪開催が史実として現に存在する以上、結末は読む前から見えているわけであり、これだけの大長編にするのなら、読者が結末を読めないよう、完全なフィクションを題材にすべきではなかったかと思っていた。 しかし、実際に読んでみてわかったのは、作者がこの作品で描きたかったのは、テロなどという表面的なことではなく、主人公島崎国男がテロを決断するに至った当時の理不尽な格差社会そのものであり、東京五輪は、そのために必要不可欠な題材だったのだろう。また、この作品で描かれていることは、一見、現代とは全く無関係な、遠い昔の出来事のようにも思えるのだが、考えてみれば、現代社会も、一億総中流時代から、いつの間にか格差社会に戻ってしまっているわけであり、ここで扱っているテーマは、現代にも通じる重いテーマでもあるのだ。作者は、「ララピポ」では、格差社会の負け組といわれる人たちの救いのない末路を、笑えないような笑いだけで書き飛ばしてしまっていた感があるのだが、それと比べれば、この作品は、真剣にテーマと向き合った中身のある作品だと思う。 ただ、この作品は、構成や描写は緻密ではあるものの、ストーリー的に見た場合には、この本の帯のキャッチ・コピーに書かれたような「圧倒的スケール」や「息をもつかせぬサスペンス」があるわけではないので、やはり、521ページというのは、あまりにも長過ぎたというのが実感だ。 | ||||
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奥田英朗のミステリを待っていた人たちにとって、新作がサスペンスという情報はまさに垂涎もののそれであった。 「最悪」「邪魔」以降、ミステリを期待していたものにとって、おあずけが長く続いていたこの状態に我慢できなくなっていたので、期待はいやが上にも盛り上がるものであった。 あらすじは、ここでのレビューや他の方も語られているのではぶきます。 ☆は3つとしたが、細かくいうなら3.5。☆4つはとてもつけられない。 3人から4人の視点で語られる時間が前後して進む物語は、圧倒的な筆力を持って、また「その日その時」を巧みな構成で語られることにより、ページを捲る手を止まらせない。 事実、200ページを迎える頃にはその物語の虜になっている自分に気づく。 しかし、である。 事実が先行して語られているため、読者にとって「謎」が全くないのだ。 また主人公に感情移入した読者も、キャラが完全に後退してしまい、 さらに盛り上がるべき後半に向けて冷めてしまうのだ。 タバレにならないと思うのであえて書くが、ある種の正義に駆り立てられて行動したはずの主人公は、後半にはただの薬の力によって行動するのには完全に興醒めしてしまう。 ただのヤク中の話か。そんな感情が出てしまう。 評価が分かれるラストも、僕には全くつまらない一番最悪な(奥田の)選択だったと思う。 あれだけ描いてきた主人公が最後にはどこにもいないのである。 この物語は一体何だったのか。 唄がうまいだけではその曲は評価されない。 昔、ロックバラードで鮮烈なデビューを飾った抜群の歌唱力を持った歌手がいた。 しかし3作目以降は歌謡曲ばかり歌うようになり、時にはコミックソングまで歌って稼いでいた。 しかし久々に出した前評判の高いバラードは、 前奏で惹きつけられ、AメロBメロで名曲を予感させたが、肝心のサビがとうてい納得できない凡庸なものであった。 | ||||
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