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オリンピックの身代金
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【この小説が収録されている参考書籍】
オリンピックの身代金の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.16pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全29件 1~20 1/2ページ
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戦後復活を象徴する東京オリンピックを背景にしたサスペンス小説。戦後の東京、地方の人々、政府(公安と刑事部の関係)、マルクス主義左派思想、やくざなど、当時の時代風景を通じて、当時の世界、政治思想、日本の社会体制の風景が鮮やかに切り取られている印象です。資本主義が搾取だけのシステムになりえず、また社会主義の実態(崩壊か独裁か)が明らかとなり、マルクス主義など過去の遺物となった今では、東京が舞台とはいえ異なる時代の読み物といえるでしょう。歴史とはいいませんが、小説としては面白いです。 | ||||
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要求金額は八千万円。人質は東京オリンピックだ――五輪開催を妨害すると宣言していた連続爆破事件の犯人、東大生・島崎国男が動き出した。国家の名誉と警察の威信をかけ、島崎逮捕に死力を尽くす捜査陣。息詰まる攻防の末、開会式当日の国立競技場を舞台に、最後の闘いが始まった! 吉川英治文学賞受賞作。 | ||||
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青森だか秋田だかの、爪に灯をともしながら極貧の生活をしている農家の奥さんが、たまたま町に村芝居でやって来た男と出来てしまって産まれた子供が、美男子で頭もよく、なんと東大に入学してしまう。 兄は肉体労働者。出稼ぎで東京オリンピックの会場となる施設で働いているが、事故死。その骨を引き取りに行った弟は、搾取する側と搾取される側の格差にあぜんとし、このままでは日本はだめになる…という事で、オリンピックを人質に社会を変えようとする。 さてどうするのか…。まずはダイナマイトで色々なところを爆発させて、「今度はオリンピックの開催の日に、国立競技場をぶっ飛ばします…」とやるわけだ。 成功しない事はわかっているのだが、マルクスに目覚めた東大生が社会に一泡吹かせようと色々頑張っているストーリーは爽快であった。 | ||||
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昭和39年夏、オリンピック開催を目前に控えて沸きかえる首都・東京で相次ぐ爆破事件と犯行声明。警察と国家の威信をかけた捜査が展開される。圧倒的スケールと緻密な描写で描く、エンタテインメント巨編! | ||||
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未読ですので、これから読むのを非常に続編と楽しみにしています。 | ||||
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未読ですので、これから読むのを非常に続編と楽しみにしています。 | ||||
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これ、歴史ファンタジーの一種ですよね。 東京オリンピック1964の成功の裏では、このような死闘が繰り広げられていた! 以下、ネタバレ御免。 実際、この小説は社会派っぽく読めそうにも思うけど、貴種流離譚の骨格を備えていて、さらに一夏の肉体労働を通過儀礼として国男が覚醒する物語として読むほうが妥当でしょう。 まず、いろいろ社会派の偽装は施してるけど、しかし国男があちこちで言い立てる「社会の矛盾」って、説得力なさすぎ。大体周りの人間が「難しいこと言うなよ」とか何とか呟くんだけど、難しいんじゃなくて無内容なんです。こんなKYな国男君では、魅力半減です。 ついでに言うと、東大のマル経学者である浜野教授が「レヴィ=ストロースの構造主義だよ。ストロースを読まないと言語学が理解できないし、文化と社会のかかわりを時間と空間に置き換えられない」(17節)って言ってるんだけど、これは浜野先生が内容空っぽのハッタリ教授だってことを描きたかったんですかね。 この著者、底辺の社会についてはそれなりに調べ学習した様子が見えるんだけど、その社会を学問的に煮詰めて考えることについては、おそらく全くまじめに考えていない。初めから「空理空論」だと思ってるから調べ学習にも身が入らず(……ていうか、大変時間のかかるものなんですよ)、甘く見てお粗末な出来栄えになった次第。 もひとつついでに、23節に国男が時限発火装置をつくるのに参考書を手に入れる件りがあるが、そこに「子供の頃は機械いじりが好きで、ラジオぐらいなら自分で作っていた」って書いてあるんだけど、秋田の極貧の村からでも東大に進むガキはさすがに一味違うなと感じ入った。 というワケで、じゃあ貴種流離譚として読んでみる。 国男って1940年生まれで、しかも母親が流れ者の映写技師と密通して出来た子だっていうんです。 それで父親と母親がどう話をつけたかは「知らない」の一言で済まされているし、そもそも他の箇所での描写から考えて、熊沢村では女は30過ぎたら老婆みたいなもんでしょう? 家族構成がどうなってるかよく分からないが、とにかく7人兄弟姉妹で(4節)、長兄と国男は15歳違うっていうから、流れ者の映写技師がなぜ村のもっと若い女を誘惑しなかったのか分からない。 だからこれはリアリズムじゃなくて神話的な設定なんです。 とにかく国男は熊沢のものであって熊沢のものではない。映写技師の落しだねを「貴種」と呼べるかどうか微妙だけど、旅芸人とかじゃなくて、当時最先端のメディアである映画の技術者というのを置いたところに、距離の意識はあるんじゃないか。 ただし完全な貴種じゃなくて、熊沢の血が半分。兄の死までは国男は東大生としてのアイデンティティで生きてたみたいだけど、熊沢への帰還を経て、もう一方の血を自覚し、一夏の地獄めぐりによってスサノオ覚醒っていう感じかな。 いろいろ文句はあるんですけど、やはり「どうなるんだろう」という興味で最後まで読み通してしまいました。 ディテールに瑕疵あれど、物語の骨格で引っ張られました。 | ||||
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面白くない。 大事件のわりに計画性がなく、動機も短絡的か。 ただ自分が生まれた当時の東京の風景描写は楽しめた。 | ||||
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設定としては興味がわく内容だったのに登場する人物に全く魅力がなく、終盤に向かってまったくわくわくすることもなく、だらだら終わる。 同じ時期に読んだ村上龍の「半島を出よ」は最後までわくわくさせる内容だっただけに作者の力量の差かなと思いました。 | ||||
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うーん、微妙です。 奥田さんの作品はどれも感動あり涙ありと 素晴らしい物ばかりなのですが、これはどうしたものか・・。 何か取ってつけたような犯行動機、彼は本当に国を相手に 何かを変えたかったのか、何ひとつ伝わってきません。 なげやりな生き方だけが強く炙りだされ、虐げられた人々への 思いも本当はどうだったのだろうと、疑問しか浮かびません。 懐かしい時代に思いを馳せる楽しみはありましたので星は3つ。 | ||||
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昭和39年日本中が初の五輪開催を控えて湧きかえっている頃、秋田出身の東大生島崎国男は、東京の繁栄と秋田の悲惨な貧しさの差に大きな義憤を 感じる。彼は、老スリ師村田と組んで、国を相手に東京五輪会場を爆破するということで脅迫をかけ、金を奪おうとする。警視庁や公安は、国際的な不安を 煽ることを恐れ、この脅迫を表に出すことなく、犯人の島崎達を追いかけるという筋書き。当時の東京の様子や文化、風俗が随所に描かれて、それだけで もノスタルジーを感じさせる。ただ、作品そのものの面白さということでいけば、奥田の「邪魔」「最悪」「無理」といった代表作に比して、やや劣ると言わざるを得 ない。 こういった作品にはいい意味で「毒」があり、その分登場人物にも深みがあった。今回主人公の島崎も「好青年」であり、東京五輪を破壊してまで国家に 挑むという「毒」を感じない。「いい人たち」ばかりが登場するために、結果この作品自身が薄っぺらくなったと思っている。島崎自身が抱く社会や国家に対す る考え方に対して、やくざの親分が、今は、五輪を成功させてまず日本が一流国になる方が先決だと言う言葉の方にずっと重みを感じてしまう。 | ||||
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思ってたよりあっけなかった。 全体におもしろくはあったのですが、、、 | ||||
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後半の説明不足感はすごい。 読者に委ねるということかもしれないが、ものたりなく思う人もいるはず。 | ||||
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身代金を要求するに至る背景が、都市部と田舎の貧富の差というのが、なんとも泣けてくる。 東京オリンピック開催当時と今は違うが、それでも似たような環境はあるように思えてならない。 今の時代の幸福とは何かを考えながら読ませてもらった。 | ||||
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高度成長期の都市部と農村部が描かれており、確かにこんなんだったんだろうなあ、と思わせる。 自分自身当時は小さかったので記憶が薄いけれど、皆が必至に高度成長に向かって頑張ってた その当時の様子がなんとなく味わえる。 | ||||
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ララピポを読んでから奥田さんを尊敬してます。 こっちに行くとは思いませんでしたが、 なにを書いてもやはりうまい。 人間心理と言動描写が、基本上手なのだと思います。 リアルで、肩肘はらず、すっと入ってくる。 オリンピックの影で人柱となる存在があること。 そこにジャーナリスティックに光を当てつつ、小説としての魅力もある。 着想も、構成も、素材も、新境地として素晴らしいと思いました。 ただ、残念だったことがひとつ。 主人公が典型的な美形プロレタリアートとして描かれていたこと。 美形で女にすぐ気に入られるのがパターン化していて生身の人間らしさがない、というかコミック化している。 また知的なプロレタリアートという域を出ず、労働問題・地方と首都の格差問題に新しい発想を盛り込めていない。 プロレタリアートという言葉を越える発想を期待していただけに(なにしろ奥田さんの真骨頂は発想力だと思うので)、残念でした。 | ||||
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東京オリンピックの日本はこんなだったのかな〜この本を通して垣間見た気がします。 主人公島崎は秋田出身の東大生、風貌は女性を惹きつける魅力がある。 そのまま、エリートコースを進んでいったらよかったものを、 出稼ぎで働きに来ていた兄の死から、何かしら日本の現状に疑問を持ち始める。 自分は、ただ頭が良いというだけで、未だ学生生活を続けているがこれでいいのだろうか? 日本を支えているのは労働者ではないのか・・・? オリンピックを前に、東京と秋田を比較してみると・・・ 潤っている自分は頭が良いというだけで、秋田を離れ東京で好きなように暮らしている。 亡くなった兄への罪悪感からか、夏休み中、兄が働いていた飯場でアルバイトをすることにする。 そしてそこで島崎が考え出したこととは・・・オリンピックを人質にした身代金の請求だった。 読んでいる中盤では島崎がどんどん馴染めない飯場の状況に流され、惨めになっていくのがいやでしたが、 そのうちに、島崎の強い意思が感じられるようになり最後は面白く読めました。 | ||||
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上下巻を読んでの感想。 結末以外は抜群に面白い。しかし、小説として完結していない。これは未完の作品なのか? この作品の構成は、事態の推移を、犯人、警察、その他の関係者、それぞれの視点から描くというものだ。それも、時系列を少しずつずらしてある(基本的に、警察から見た事実が先に描かれ、犯人側の事情はあとから「種明かし」のように描かれている)。もとより、犯人側だけの事情、警察側だけの事情は、片方の視点でしか描けないのは当然だが、少なくとも、両者が出会った場面が、一方の視点からしか描かれない、というのは、この小説の構成からすれば「あり得ない」はずだ。 最大の問題は、クライマックスのオリンピック開会式、犯人と警察の最後の対決の場面が、警察側の視点でしか描かれていない、ということである。最後に犯人が何を考えたか、それを描かないのでは、この小説に意味はない。これだけ長い作品の最後で、あんな「手抜き」(とあえて言うが)をやられては・・・。もっと前の、東京駅での1回目の現金受け渡しの場面など、警察、犯人、両者からの視点で見事な描写をしていたのに。 時代背景の描き方は、昭和34年生まれの奥田英朗自身の記憶がベースになっているから、ちゃんと実感がある。少し下の世代の私が読んでも不自然さは感じない。ただ、犯罪小説だから仕方ない面もあるが、社会の裏側というか、影の面に紙幅の大半が割かれており、普通の人の普通の生活は、少ししか出てこない。警察側の主人公・落合の私生活の部分とか、ビートルズに憧れる古本屋の娘くらいだろうか。 その意味では、「平成世代」が、この本を「昭和30年代」についての教科書として読むと、いろいろカン違いをすると思う。あの時代を知りたければ、もっといろんな本を読んで多面的に印象を積み重ねた方がいい(一番いいのは、当時の日本映画(当時の「現代劇」)を、幅広いジャンル、監督で30本くらい見ることだと思うけどね)。 | ||||
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面白いのは間違いないけれど、東京VS地方という設定や東京オリンピックを敵役にするという点は少し無理があるような… 他の方が長野の例を書いておられましたが、昭和1ケタ生まれの父親が戦時中岡山の親戚の所に2歳上の兄と一緒に縁故疎開したときも、東京ではお目にかかれなくなっていた銀シャリと鶏の卵を毎日食べさせて貰えたと言っていましたし、少なくとも東京オリンピック当時には電話もあったし、停電が頻繁にあったなんてこともなかったそうです。 つまり東京オリンピック当時東北(の貧村)は貧しかったのでしょうが、東京以外の地方が押し並べて貧しかったわけではありませんよね。 そして東北が貧しいのは戦前というか江戸時代以前からの話で、高度成長期に限った話ではありませんし、東北の富を奪って東京が栄えた、という関係があるとも思えません。 東北から出稼労働者が高度成長を支えたのも間違いないと思いますが、同時に対価である賃金は(極めて安かったとしても)その一部が仕送りという形で東北の家族に送られていましたし、逆に出稼ぎに出なければ東北が豊かであった筈だという人もいないでしょう。 だから東京オリンピックによって東北の出稼ぎ村も少しは豊かになったが、東京との格差は絶望的な程大きかった、というのが正解ではないかと思います。 言い換えると、東京が急速に豊かになったのに対し、東北(の貧村)が豊かになるスピードが非常に遅かったということだろうと思います。 またオリンピック関係の建築工事による死亡者数(新幹線やモノレール建設も含め)の多さについても作者は触れていましたが、当時の建設業における労災死亡者数は毎年2千数百名(MAXは昭和36年の約2,700名)に及んでおり(因みに平成23年は342名)、全般的に労災が多かったというか、人の命が安かった時代だったのであって、オリンピックのせいだとも言えないように思います。 格差への憤りをきっかけに国家権力に対する直接的行動に出る純粋な若者、というスト―リーは大変面白いのですが、東京オリンピック当時の社会状況を現在の尺度・基準で批判しているという面は否定できないように思います。 | ||||
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東京オリンピック前夜の風俗・世相が生き生きと描かれていて、 出だしちょっと前のめりになりました。・・・が、犯人の姿が 半分経過くらいでハッキリ見えてから少々退屈。「最悪」とか 「邪魔」に比べると、、まあ普通かな。 | ||||
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