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花闇
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花闇の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.71pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全14件 1~14 1/1ページ
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以前再放送で観たドラマ「仁」で三代目澤村田之助を知り、興味があったので購入しました。 天賦の才を持つ田之助が幼少から若くして人気を得るも、不治の病で手足を失い、落ちて行くまでを付き人の視点から見事に描いています。田之助の美しさと歌舞伎に対する強い感情が文字から感じられる様で、手足を次々に失い、活躍の場を失い、遂には精神に異常をきたして行く姿には凄みと色気すら感じました。 また、当時の歌舞伎界の様々な事情や演目も多数出てくるので、歌舞伎好きな方にもおすすめです。 | ||||
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素晴らしい作品でした。 文章能力がないので、その素晴らしさを書ききれませんが、香り高く美しい話だと思いました。 実際の田之助を見てみたかった。 | ||||
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江戸時代末期、吉原で育った“彼”は歌舞伎の家元河原崎権之助の家へ引き取られます。“市川三すじ”の名で舞台に立つようになった三すじは河原崎家の大奥様の計らいにより役者兄弟の暮らす澤村家に内弟子として居候します。 次男の由次郎―後の澤村田之助―はその美しさと巧みな演技力によって若くして人気女形となります。三すじはその憂いのある優美な演技に敬意を持つと同時に役者として越えられない葛藤をわじかに感じつつ付き添います。 三すじの随身も自然のように当たり前になった頃、人気絶頂となっていた田之助は舞台の大道具から落下し脚を負傷します。その不幸はその後十年以上に渡って人気女形の人生に暗い影を落としていくのでした。 三すじの目を通して、稀代の女形澤村田之助の壮絶な人生が幕末から明治初期にかけての時代の転遷と共に描かれます。 田之助がさんざん大根役者と馬鹿にしていた権之助(後の團十郎)や左團次が大成していくのに対し、心身を病んだ田之助の後年は因果応報と思われても仕方のないものでした。 が、後年のあのような状態になってもな役者への情熱を失わず舞台に立ち続けようとする執念を前に、後半はページをめくる手を止めることが出来ませんでした。 私個人の難点は序盤にあった水銀の話が最後の最後でまた掘り返され、物語の余韻を味わう間も無く話の腰を折られたような気持ちになり、水銀の真相は謎を匂わせたまま物語を終えてもよかったのではないかと思いました。 とはいうものの皆川博子さんの長編の中では短い著作だとは思いますが、短い中によくここまで澤村田之助の気持ちを汲み取って形にしたのではないかと思います。 彼女の作品で日本の時代小説は初めてでしたが、古今東西どんな舞台でも表現できる造詣の深さに感服しました。 また一つ、他に皆川さんの時代小説の著作をとっておいてあるためそちらを読む楽しみが出来ました。 | ||||
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ドラマの仁をプライムで見て田之助に興味を持ったという、全く歌舞伎に興味の無い所からこの本に辿り着きました。 ですのでレビューは完全に歌舞伎知らずのど素人の作文です。↓ 澤村田之助が足切断した後を知るのが怖かった(見世物扱いになる姿を知りたくなかった)のですが、そうではなく天性の才能を持った歌舞伎役者としてその演技力は更に深みを増して観客を魅了した・・・三すじ視点ではありますが、きっと確かな事なんだろうと思うと凄く嬉しかったです。 「悲劇の歌舞伎役者」ではあるけれど、手足を失っても役者としては何一つ落ちぶれる事はなく、時代の移り変わりと新しい歌舞伎の幕開けに心を折って自ら役者人生を終わりにした、最後まで役者としては天才のままだった所に一種のヒーロー的な部分を感じました。 ウィキにもありますが、「澤村田之助の才能は枯れる事は無かった」という趣旨を持った一文は、彼への最大の賛美だと思いますし、彼がずっと持ち続けた誇りですよね。 皆川博子さんの本は初めて読みましたが、とても綺麗な構成ですね。 読み終えた後に、男衆に肩車をされた4歳の田之助を思い浮かべました。 いつの間にか三すじの視線が自分の視線になっていました。 私にとって、歌舞伎と言えば澤村田之助。 高尚な現代歌舞伎よりももっと高尚な歌舞伎人生を彼は残したと思います。 澤村田之助を知る事が出来て良かったです。 | ||||
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村上もとか氏のマンガ『JIN-仁-』に出てきた人だと知ったときは、驚きました。 南方先生のような人に出会えていたら、あのように円い性格になっていたのかも。 ちなみに私がこの本を手にしたのは、歌舞伎座のこけら落としに軍楽隊が出動したという、 近代化、和洋折衷のエピソードでです。日本の吹奏楽史を調べていたもので。 | ||||
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だいぶ前に歌舞伎の舞台で澤村田之助を描いたものを見たことがありますが、その時は前知識なくいきなりだったので、正直あまりぴんときませんでした。この小説を読んでから見たら、だいぶ感じ方が違っていただろうと思います。 この小説の主人公は女形の大部屋役者で、その田之助の付き人でもある三すじ。主人公ではありますが、どちらかと言えば狂言回しというか、全体を冷静に観察して、客観的に述べる役柄でしょうか。自身は物心ついた頃から父親はなく、後に母親にも捨てられ役者の家に預けられた天涯孤独の境遇で、それゆえにどこかあきらめたような達観した人生観が身についています。 澤村田之助は、子供の頃からその美貌と独特の妖艶な魅力で人を魅了する実力ある女形、けれど性格は高慢、狷介で、自身の芸をどう表現するかにしか興味がないため、役者仲間の間でもいさかいが絶えません。そんな主人公を三すじは憧れ思慕し、ずっと見つめ続けています。また、その裏返しに、自分にはない若さと美しさ、そして重要な役を張れる恵まれた境遇を嫉妬し、時には憎しみすら感じ、そんな自分の複雑な気持ちに呆然としたりします。 田之助は、舞台での怪我が原因で壊疽になり、次々に両足、そして手までも切断することになってしまいますが、それでも芸に対する情熱は衰えることなく、なんとか工夫して舞台を続けました。その様子は鬼気迫るものだったといいます。 現在でもほぼ同じだと思いますが、歌舞伎の家の御曹司でなければ重要な役を演じることはできない、いくらうまくてもやる気があっても他の役者にまわってくるのは端役だけという環境。また、逆に家を継ぐ御曹司にかかるプレッシャーも半端ではありません。御曹司といえど、中には主役の器でないものもいる、そんな時に湧き上がる他の役者への嫉妬やねたみ・・・。 ちょうど江戸から明治に移り変わる混乱した世相を背景に、役者同士、また、座長や出資者、そして愛人や妻になる芸者などの女性たちをめぐる歌舞伎界の人間模様がよく描かれています。皆川さんの作品にしては写実的で幻想味はないと感じましたが、すぐれた歴史物になっていると思います。三代目澤村田之助のことを知りたい方にもおすすめです。 | ||||
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これは読者をえらぶ小説だ。 私のように小さい頃から芝居(歌舞伎)を観て、その世界に親しんできた人々には、きわめて面白い一冊だと言えるだろう。 是非とも一度は読んでおきたい作品である。 しかし、芝居に馴染み薄い読者や、本作の語り手たる市川三すじの、やや斜に構えたものの見方に感情移入できない人々にとっては、なかなか難しい小説なのではないか(決して難解なのではない)。 田之助の驕慢狷介な性格に、いくらか嫌気がさす人だっているのではないだろうか。 小説というのは、いかにも真実味ある細部の積み重ねで成り立っているものなのに、著者の勉強不足から破綻しているディテールも見受けられる(たとえば、まだ爵位制度が定まる以前の明治初期だというのに、「伊藤博文伯など政府の高官たちもいて、」といった誤表記)。 贔屓の僧侶尚海との行く立てをもっと描き込んだほうが、女形役者の生涯により深みをもたせられたかも知れない。 いろいろと注文をつけたい点はあるものの、断じて本書は一部の圧力団体の手で葬り去られてはならないものだ(東京都心部の公共図書館の蔵書一覧に本書が欠落していた。意図的なものを感じさせる)。 言葉狩りで文章表現を貧しくさせる偏向には、うんざりである。 ともあれ、過度の期待感をいだいて読んだせいもあり、この評価とさせていただく。 | ||||
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「美しい」と呼ぶにはあまりにもリアルな虚構だった。 小説を読んでいるというよりは、まるで三すじの隣りで田之助を目の前にしているようで、「美しい」という距離を置いた感情は湧いてこなかったから。 ただただ田之助が愛おしかった。 狷介で我が儘で傲慢。ゆえに他の役者からも疎まれたけれど、作品中の田之助は演じること以外何も持たぬ純粋な少年に思えた。 後ろ盾もなく、ただ自分の身ひとつを拠り所にして舞台で咲き誇ることがすべての花。 他の役者への罵りも、悪意も後先考えることも大人同士うまくやることもない無邪気な子どもゆえのものだったから、彼はまさか共演者や座元から自分がそこまで疎まれていたなんて思いもしなかったのだろう。 取り繕ったものがはがれ、「澤村田之助は、贅六野郎の見世物か」と滂沱と涙を流す場面は胸が痛んだ。彼は壊れやすく傷だらけで幼気な人だったのだと。 田之助は本当に狂っていたのだろうか。四肢をもがれ共演者から見捨てられ思い通りに舞台に立てず・・・役者として正常だったからこその狂態だったのではないか。 一見田之助と相反するかのような存在でありながら、田之助の中に流れ込みその一部として生きる三すじの田之助への心を愛と呼んでいいのか分からなかったけれど、 越後に辿り着いた彼の中にやわらかく田之助は蘇り、これからも確かに三すじの中で生き続けるのだろうと思った。 | ||||
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弟子の三すじの視線で綴る、三世澤村田之助の生涯。 読みながら私は、彼らと共に江戸の町で生きている様に感じていました。私も三すじと同じく、田之助の放つ毒を含ませた美酒の様な魅力にあてられたのです。読み終えた今もずっと。田之助は我儘で傲岸で、それでいて何よりも凜と美しい。足を失っても、尚。 猥雑で卑しいとされていた、庶民の最高の娯楽であった江戸の舞台。そこで生き、朽ちていく役者達。華やかさ、虚しさ、堕ちていく闇の中張り詰めた心。それでも未だ眩い舞台…。粋で色っぽくて哀しくて。 美しいものが壊れる姿は、切なさが加わる分更に美しく、自分でも意識していなかった残酷な心が惹かれてやまないのです。簡潔に述べます。私はこの本を読みながら三すじであり、心底田之助に惚れ、江戸の舞台に取り憑かれてしまった様です。 | ||||
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文体、登場人物のキメ台詞、仕草の描写から容貌の形容にいたるまでこれでもか、ってくらい色っぽい小説でした。皆川氏の作品、短編、中編あるけれど、あたしは長編がすき。彼女のモチーフは、短編に詰め込むには大きすぎる時がある気がするから。読後の粘りつくような陶酔感は、ホントさすがって感じです。 | ||||
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歌舞伎史上、最も異色な存在感を放つ三代目沢村田之助。彼の壮絶な生涯は、どこからともなく耳にしている方は多かろう。本書は、あくまでも小説と言うスタンスの物なので、登場人物との絡みや会話の内容など、どこまでが事実なのか分からないがともあれ、本書では田之助と言う人物を、実際見て来た様に生き生きと書ききっている。それだけに、その人生の末路がやるせ無くてならない。自己中心的で、人として一部欠落した面はあったが、別の面で補って余りある魅力を持っていた為、彼は多くの人に熱狂的に愛された。順風満帆な人生が許されないなら、片足の切断、それだけで十分な苦行になるはずだ。実際多大な葛藤の中、見事に苦難を乗り越える田之助だが、この華麗な復帰の行を、読者は暗胆たる気持ちで読み進めなければならない。何故なら現代の私達は、これがその後二度、三度と彼を襲う悲劇の幕開けに過ぎない事を知っているからだ。しかし、田之助は信じられない程のタフさで、再びそれらを乗り越えて行く。.....ように見えた。どれだけ傷めつけられても、輝きを失わない刀の様に見えた田之助の心は、実際にはヒビだらけで、ほんの少しのバランスの崩れで形もなく崩れ去ってしまう状態であったと言う事を、三すじの目線で伝える筆者の筆の巧みさは見事だった。本書はそんな希有な役者田之助の生涯と共に、非常に活気に満ちた当時の歌舞伎事情が実に上手く書かれている。 | ||||
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生まれながらの才能を持つ美貌の女形役者、田之助と、彼を最期まで観続けた同じ歌舞伎座の女形役者の主人公三すじ。田之助の執念や情熱と対比するように、ヒヤリとした目で事の次第を観続ける三すじに切なささえ感じた。感情を殺している三すじとは反対に、田之助は舞台に対して貪欲で、感情の起伏が激しい。けれど、どこかなにかに対して欠落していたようでいて、胸中の思いをどこにぶつけていいのか困惑し、葛藤している三すじの方が人間臭さを感じる。壮絶な幕末の時代を舞台に生き、衰退していくにもかかわらず、田之助の引き際は最期まで妖艶で悲しく、それを胸に生きる三すじの人生は、これからが始まりなのではないか... | ||||
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生まれながらの才能を持つ美貌の女形役者、田之助と、彼を最期まで観続けた同じ歌舞伎座の女形役者の主人公三すじ。田之助の執念や情熱と対比するように、ヒヤリとした目で事の次第を観続ける三すじに切なささえ感じた。感情を殺している三すじとは反対に、田之助は舞台に対して貪欲で、感情の起伏が激しい。けれど、どこかなにかに対して欠落していたようでいて、胸中の思いをどこにぶつけていいのか困惑し、葛藤している三すじの方が人間臭さを感じる。壮絶な幕末の時代を舞台に生き、衰退していくにもかかわらず、田之助の引き際は最期まで妖艶で悲しく、それを胸に生きる三すじの人生は、これからが始まりなのではないか... | ||||
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生まれながらに花を持ち、「演ずる」ために生まれてきた「立女形」。すべてが光のままにあると思われたとき、その身体が徐々に朽ちていく・・・。美と才に秀で、右足を失いながらも凄絶なまでに芸の道をしがみつく立女形と、その行き様を愛し終生脇役を選ぶ「彼」の想いは、赤江瀑の「夜の藤十郎」(短編集「春喪祭」収録)を彷彿とさせながらもより冷徹な目で描かれています。それにしても主人公の演ずる女形は美しい。皆川博子氏は「死の泉」で、そのスケールの大きさに驚いたのですが、本書でも主人公の生き様に留まらず、まだ庶民のものであった歌舞伎界の仕組みや幕末から明治に至る時代の流れをも描かれています。 | ||||
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