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歴史をうがつ眼
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歴史をうがつ眼の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.67pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全3件 1~3 1/1ページ
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歴史関連の多くの著作を残した松本清張の歴史を・見る(語る、書く)方法を知ることのできる本。中身は序論にあたる「思考と提出ー私を語る」、講演「日本の文化」、それに対談2つから成る。 対談のうち一つは、おなじく歴史に造詣の深い司馬遼太郎とのもので「日本の歴史と日本人」がテーマ。文藝春秋で両者の編集者でもあった半藤一利のいう黒カッパ(清張)と白カッパ(司馬)による対決である。もう一つの対談は、日本古代史を専門とする歴史学者青木和夫氏とのもので、本書タイトルと同じ「歴史をうがつ眼」がテーマ。 司馬さんは歴史を公園にたとえて、公共の場所を汚すことがあってはならないといったと記憶する。その点、清張さんも同じである。歴史を推理するのは愉しいことだが「それが勝手な憶測にならないようにいつも自分を戒めている。ひとりで想像するぶんならかまわないが、文章にして世間に出す以上、それだけ責任を感じなければならない。そこには客観的な実証性が必要とされる。はっきりとした物的証拠のようなものは提出できなくても、論証にはそれに近い普遍性がなければならぬ」という具合である。 紹介されている写真は見開き2ページのものが1枚のみ。それは司馬さんとの対談。愉しそうである。歯をだして笑っている。しかし内容はというと、鍔迫り合いの印象がある。対決である。「それはあなたの造語?」「ちょっとそこが司馬君と意見が違う。ぼくの言い方も悪かったから訂正する」「ちょっと違うなあ」「矛盾でしょうか、わりあいこの日本的仕組みは合理性の高いものですよ」「いやあ、それはねえ・・」「ところがね、松本さん」「幻想と片づけられるといささか不満だけれども・・」というように展開する。50年前(1972年)の対談でもあり、ふたりの話が今日のアカデミズムとの関係でどのように評価できるかわからないが、歴史好きにとっては将棋愛好家が名人戦をみるような愉しさがあるにちがいない。もう一つの対談は、序論に相当する部分を踏襲する内容といっていい。 読んで愉しい内容で清張さんの「歴史をうがつ眼」を知ることのできる良書なのだが、論じられている中身そのものについての解説が欲しく思う。たぶん、それが無いということは「公共の場所を汚す」おそれは無いと判断してのことなのだろうが・・。 | ||||
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『歴史をうがつ眼』(松本清張著、中央公論新社)のおかげで、松本清張の歴史観を覗き見することができます。 ●ステファン・ツバイクについて 「歴史上の人物を書くとすれば、まったくの小説の形式ではなく、ほかの方法でならやりたいと思っている。どういうものか分らないが、考えられるものといえば、ステファン・ツバイクの仕事のようなものである。しかし、ツバイクでもわたしにはまだ距離がある。その方法が見つかったら意欲がまだ湧くかもしれない。本誌の読者で思いつかれたお考えがあったら、ご教示をねがいたい」。 ●財産費消による王朝交替について 「墳墓の築造には莫大な費用がかかった。中期の壮大な前方後円墳などは、韓三国からの船が大阪湾に入ったとき、エジプトのピラミッドより大きな規模と威容をもって彼らを驚かせ、大いに国威を発揚しようという『国際的』な目的もあったかもしれません。また、河内・大和両王朝の対立時代だったとすれば、大和王朝への示威の目的があったかもしれません。しかし、いくら景気よく見せても、金がかかります。そこで長続きはせず、あとの墳墓は急に小さくつくった。しかし、緊張財政も遅きに失した。大王家は墓作りに財産をはたいてしまったのです。・・・応神から始まって武烈にいたるまで11代の天皇の名が古事記や日本書紀に出ていますが、かりにその通りに信用するにしても、その応神系統は武烈天皇を最後に絶えてしまいました。これはおそらく墓作りに金をかけすぎて大王家の財政が枯渇したため、それまで支持していた豪族が、応神系の大王一家を見捨ててしまったのだと思います。・・・さて、応神王朝系が絶えると、あと継体天皇というのが継ぎます」。 ●平安朝の貴族の女性の健康状態について 「当時の恋愛は男のほうが女性の住居を歴訪する。・・・男はそういう運動するから健康です。・・・で、(間仕切りがなく、寒い家宅にいる)女性のほうは風邪をひきやすく、呼吸器病にかかりやすい。で、早死する。美人薄命というのは、そういうところからきた。それに貴族の女性は坐ってばかりいるから、疥癬にかかる。皮膚病、これがまた臭いらしいんですね。恋人に不快を与えてはならないから、それをかくすために香料を求めた。香道の発達はそれによります。さらに今度は恋人が家に来てくれないとなると、イライラする。・・・裏切られた女性は神経衰弱になって気鬱病になります。夜になりますと、当時の照明は紙燭といってロウソクが1本、燭台に立っているだけ。それが光学的な関係で、うしろの壁などに、自分の影が巨大な姿で映る。ノイローゼにかかっているときですから、われとわが影におびえます。それがいわゆる『物の怪』であります。それで陰陽師が活躍し、さらに密教的信仰がはやる。また、祟りというものも流行する。ということで、宗教的が呪術的になってくる。祟りは、平安朝からさかんに出てきます」。 ●畿内政権の成り立ちについて 「『天孫民族』と呼ばれる勢力が、西から畿内に移って来たということはいえる。縄文文化から弥生文化が自生したんじゃないとぼくは思うが、それと同じに、畿内の先住者がそのまま『天孫民族』になったんじゃないと思うのです。西から移って来たというと、西はやっぱり九州しかない。それじゃ九州に来るまでどこにいたのかというと、やっぱり弁韓のあたり、のちに任那とよばれた地方から、大体3世紀の終りから4世紀にかけて、ちょうどそのころ朝鮮では動乱があったから、そこを脱出して北九州に来た。そしておそらく卑弥呼の女王国を征服し、南九州の狗奴国の勢力も大体服属させて、九州に一つの政権をつくった。そしてそれが東に移って、河内から大和に定着したんじゃないか。大ざっぱなところ、大体こう考えていいんじゃないか」。 清張ファンにとっては、見逃せない一冊です。 | ||||
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司馬遼太郎との10時間に渡って行われた対談だけでも十分に読む価値があります。司馬遼太郎は4ページぐらい語り、清張はきっちり聞いて返します。 米は何処から来たか、日本人はどのように成立したのか、語りに語ります。天皇の成り立ち、古代律令制から奈良、平安、鎌倉、室町、戦国時代まで話しは果てしなく続きます。最後に明治維新とは何か、自由民権運動にも深く切り込みます。 最後に司馬遼太郎は、日本史の実際は室町時代に始まり、それ以前はなかなか実証できない。 自分にとっては古代は幻想にすぎない。 松本清張は、古代は幻想は受け入れてられないと返します。 最後は歴史を考えるには実証が必要でまとまったように感じました。 全ていきなり本題から入ります。お互いに全て分かっているので、前段説明はありません。 知の巨人同士の対談でした。 司馬遼太郎ファンの方にはたまらない語りがたくさんあります。 何度読んでも飽きません。 よくぞ出版してくれました。 | ||||
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