歴史をうがつ眼
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歴史をうがつ眼の総合評価:
9.33/10点 レビュー 3件。
感想一覧
サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
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対談のうち一つは、おなじく歴史に造詣の深い司馬遼太郎とのもので「日本の歴史と日本人」がテーマ。文藝春秋で両者の編集者でもあった半藤一利のいう黒カッパ(清張)と白カッパ(司馬)による対決である。もう一つの対談は、日本古代史を専門とする歴史学者青木和夫氏とのもので、本書タイトルと同じ「歴史をうがつ眼」がテーマ。
司馬さんは歴史を公園にたとえて、公共の場所を汚すことがあってはならないといったと記憶する。その点、清張さんも同じである。歴史を推理するのは愉しいことだが「それが勝手な憶測にならないようにいつも自分を戒めている。ひとりで想像するぶんならかまわないが、文章にして世間に出す以上、それだけ責任を感じなければならない。そこには客観的な実証性が必要とされる。はっきりとした物的証拠のようなものは提出できなくても、論証にはそれに近い普遍性がなければならぬ」という具合である。
紹介されている写真は見開き2ページのものが1枚のみ。それは司馬さんとの対談。愉しそうである。歯をだして笑っている。しかし内容はというと、鍔迫り合いの印象がある。対決である。「それはあなたの造語?」「ちょっとそこが司馬君と意見が違う。ぼくの言い方も悪かったから訂正する」「ちょっと違うなあ」「矛盾でしょうか、わりあいこの日本的仕組みは合理性の高いものですよ」「いやあ、それはねえ・・」「ところがね、松本さん」「幻想と片づけられるといささか不満だけれども・・」というように展開する。50年前(1972年)の対談でもあり、ふたりの話が今日のアカデミズムとの関係でどのように評価できるかわからないが、歴史好きにとっては将棋愛好家が名人戦をみるような愉しさがあるにちがいない。もう一つの対談は、序論に相当する部分を踏襲する内容といっていい。
読んで愉しい内容で清張さんの「歴史をうがつ眼」を知ることのできる良書なのだが、論じられている中身そのものについての解説が欲しく思う。たぶん、それが無いということは「公共の場所を汚す」おそれは無いと判断してのことなのだろうが・・。