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道誉なり
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道誉なりの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.54pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全3件 1~3 1/1ページ
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1999年の小説。めずらしくも、ばさら大名・佐々木道誉を主人公とした小説である。 建武の新政のころ、武士たちは揉め事を公平に裁いてくれる棟梁を求める。そこに公家が入ってくるから面倒なことになる。公家の武士に対する憎悪が背景にある。朝廷は尊氏を無視できないので、本来なら彼にどこかの役職を任せたいのだが、尊氏は固辞しつづける。 建武の新政のころの朝廷は北条一門の広大な領地を手中にしたので、あるいはこのときなら銭で兵を養うことができたかもしれない。護良親王(大塔宮)は、武士が土地と武力の双方をもつことが面倒のもとなのだから、武士は土地だけもち、それを朝廷が守ってやればよい、朝廷だけに軍勢があればよい、と考える。しかし、護良親王は尊氏に排除される。尊氏にとってこれが大きかった。楠木正成や名和長年は家格が低すぎるので兵を集められない。必然的に新田義貞の存在が重くなる。護良親王と対立すれば帝との対立と見られかねないが義貞との対立なら武士対武士の構図にできる。 中先代の乱がおこると、鎌倉の足利直義はわざと負けて、尊氏は勅許を得られないまま東に向かう。佐々木道誉も参陣する。後醍醐天皇も直義の敗北は尊氏が京を出る名目を作るためのものと読んだからこそ勅許は与えない。尊氏も、北条時行が諏訪頼重を頼ったとき信濃を締め付けず、挙兵しやすいようにしてやっていた。反乱軍の仕業とみせかけて護良親王を殺すつもりだった。護良親王を斬ったものの、反乱軍の仕業とみせかけるようにはうまくできなかった。 尊氏は、帝が自分を嫌っていることを気に病むところがある。道誉は帝は自分のようなばさら者が好きなのだ、尊氏の方が新田義貞よりもばさらを持っているという。道誉は、ただ毀したいと思う男のことをばさら者という、と定義する。帝は毀し、尊氏も同じだという。 尊氏軍は賊軍となると、尊氏は出家するといいだす。本当は女々しいのかもしれない、最後の最後になって帝に反抗できないタイプ。六波羅探題を攻め、護良親王を殺し、諸国の武士には恩を売り、周到な準備をしてきたのに最後の最後に塞ぎの虫に襲われてしまう。小心でもあり、大胆でもある。周到でありながら、最後にすべてを放り出そうとする。自分とはまるで異質な男だと道誉は思う。 結局、尊氏が煮え切らないため道誉は弟を戦死させてしまった挙げ句、敵軍に降参する。数日後、気を取り直した尊氏は反撃。道誉はこのタイミングで再び尊氏側に寝返る。快進撃の尊氏だが、北畠顕家に破れ、九州に落ちていく。九州では菊池武敏3万5千と1200の手兵で対峙することになる。このとき尊氏は、九州の武士が自分たちに眼を注いでいるのだからここでは引けないと決意。九州の武士は棟梁を求めているはず、という尊氏の読みは当たり、どんどん味方に寝返ってくる。この勝利が分水嶺となった。 楠木正成は、単身、佐々木道誉を訪ねる。朝廷+幕府、というのがこの国の落ち着く先であり、帝という存在をつぶしたくない、と訴える。楠木正成は、自分は滅びるしかない男であると自嘲的でもある。尊氏につけば男として滅び、帝につけば首を取られるだろうと諦観している。道誉は、後醍醐天皇は広い目がない暗愚な王であるとけなすが、正成はだからこそ倒幕ができた、不屈ということを教えられたと帝のことをかばう。 楠木正成、名和長年、新田義貞、更には、不気味な北畠顕家も討ち果たされていく。尊氏は征夷大将軍になるが、不意につまらなくなってもくる。 高師直は、道誉は死ぬのをこわがってはいないが、自分が変わることをこわがっているのではないか、という。正成も尊氏が6カ国を与えるといってもなびかず、後醍醐の政治が間違っていることも知っているはずなのに、変わらなかった。道誉も正成もよくわからないというが、高師直は尊氏もどこかわからないところがある、という。 | ||||
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