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深い河
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深い河の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.32pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全166件 81~100 5/9ページ
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読み始めると引きずり込まれて一気に最後まで読めてしまいます。深く心に沁みてくる名作です。 | ||||
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著者自身がクリスチアンであることに対する懐疑を感じさせるところもあるが、全体としては、三島由紀夫の、「沈める寺」(?)を、読者に解りやすく表現したような印象も受けた。 好作だと思う。 | ||||
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いやあ、いいものを読んだ。 小説を本当に久しぶりにほぼ1日で一気に読んだ。 遠藤周作はクリスチャンだというイメージだけで、彼の作品を読むことを敬遠してきたが、信仰とは何か、宗教とは何か、ということにほんとうに真摯に向き合い、それをいくらかでも伝えたくて小説を書いたのだということがよくわかった。 ヒンズー教にも、仏教にも、これだけのリスペクトを込めて小説を書ける、クリスチャンの作家というのはそうはいないのでないか。 かれは、キリストがヨーロッパにうまれ、ヨーロッパを起点にしかキリスト教を考えていけないということに対する違和感だとか、かつて神の名のもとに世界中で虐殺や略奪などの横暴が行われたことをどう受け止めるべきなのかという苦悩だとかにも、真摯に向き合い、それを含めて信仰ということを考え、小説にあらわそうとしてきたのだ。 いや、本当にいいものを読んだ。 | ||||
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全てのものを包み込み、来世へ向かってゆっくりと流れ行くガンジス川 聖なる河 愛とは 生き続けることとは 信じることとは 命とは このすべてを問いただし 理屈では説明できない感情で表現されるこの小説は遠藤の集大成に違いない | ||||
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学生時代に一度読んだことがあったのですが、ほとんど内容を覚えていませんでした。それにも関わらず、10年以上たった最近になって無性に読みたくなり(この作品が様々なところで話題にあがり評価されていることや、深い作品だという印象が残っていたため)、再読しました。 結果、ストーリー、文章に惹きつけられ、一気に読んでしまいました。 久しぶりに遠藤周作さんの作品を読んだのですが、彼の描く、人間が持つどうしようもない”さが”のようなものには、共感させられるところもありますし、「このような心の世界は存在しているんだ。存在していていいんだ。」と、なぜか勇気付けられます。 人生というものについて、いやでも考えてしまう人に、寄り添い励ましてくれる作品のように感じました。 また後日、この作品の登場人物の多くには、作者自身が投影されていることに気がつき、作者が人生をかけて書いた作品なんだなとしみじみと感じました。 | ||||
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インドツアーの直前に読んでから出発しました。1週間の旅行が奥深くなったかな⁉と思います。 | ||||
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(ネタバレ注意)神父の勉強をしている人の話がよかったです。私は男性作家の著書は苦手でした(村上春樹さん以外)。でも、最後まで読んでしまいました。神父の人が結局インドで独自の方法を選んだ点がよかったです。ただ、最後が意味不明です。危篤? 生き返るのか死んでしまうのかどちらだろうと悩みました。私なら生きるのか死ぬのかハッキリさせるでしょう。生き返るのなら、真面目に神父でいるという話でいいと思います。が、死んじゃうのであれば、彼は信仰を捨てて遊びまくる(女性ととか)という話にします。最後だけは不思議な小説でした。 | ||||
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遠藤周作は、神へのこだわりを捨てない人であった。 沈黙というテーマは、神への絶望をあらわしていた。 神がなぜ見捨てるのかということが印象的であった。 深い河 Deep River は、神を玉ねぎとしてしまうユーモアが生きている。 神に対する愚直な人間のテーマ;大津という人間は、人柄が生きている。 人間の目の前にある「深い河」は、なにを拒もうとしているのか? 善悪をみさだめられない。東洋の価値観。 神を信ずることを否定。生まれ変わり。 ガンー妻の予想しない死 夫婦の日常生活。 インドという国のもつ不思議さ;制度、「死」の自然さ。 なぜ美津子は、どこへ行こうとしているのか。 大津の生き方そして死に方。 深い河に 黄色の衣裳。 光が射し込む。 ガンジスの川の流れ。 りりしく、洗い流す。 日本人は、反省ばかりしていないか? 豊かさのあとに何があるのか? 肩の力を抜いて生きていけること 落ち着き 甘えること こんな風にのびのびと生きてくれたらうれしいな。 | ||||
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宗教とは何か、愛とは何かについて、深く考えさせられた。 「深い河」が死と再生の象徴であるように、私たち誰もが、大自然の大いなる源から生まれた支流の1本1本であると思う。 いま世界では、宗教による様々な争いがあり、ひとつの宗教の中でも様々な教義の違いがあるが、本質において私たちは一つにつながっており、大いなる神の懐に抱かれた存在なのだと思ったなら、すべてのいがみ合いが無意味に思える。 先日、武装勢力の襲撃からキリスト教徒を守ろうとして、イスラム教徒の男性が負傷したというニュースを知った。その後、病院で亡くなったそうだ。 宗教の違いを超えて、愛の本質はひとつであると思う。 果たして自分には、彼と同じことができるだろうか。 愛とは教義の中にあるのではなく、行いの中に宿るものだと、この本の登場人物の生きざまを思い出した。 | ||||
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宗教や人生の意味について考えさせられる本。しかし、途中の章のおわりかたなどすこし理解できなかったので、満足しきれなかった。 | ||||
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遠藤周作の作品をたくさん読んできた。 フランスのリヨンは一年を通して、殆どが鈍色の曇り空や雨だとか、 気胸という病気は肺に穴が開く病気であったりと、 遠藤周作の本で知ることと言えば、 物悲しいものが多数であった。 遠藤周作は、 そんな生きてゆく上での悲しみを純文学に込めた作家であったと感じる。 そしてもう一つ遠藤は、今日やるべきことは今日やるという考えではなく、 今日できなければ明日やればいいという生き方を推奨した作家でもあった。 そんな遠藤最後の作品である深い河。 作家人生を、引いては自身の作品すべてを清めるために書かれたような、 そんな事を感じてしまうのは私だけではないと思う。 悲しみの上に希望を見出し、しかし無理を良しとせず、 遠藤は十字の慈悲を文字に込めた作家であった。 | ||||
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深いですね… インドの学習として読み始めました。 そして、人生の勉強として読み終わりました。 最後も、いいと思いました。 その後、を想像します。 | ||||
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・妻に先立たれた夫が、妻の生まれ変わりを探しに ・戦争で熾烈な体験した老人が、仲間と敵の供養に ・病気になって一命を取り留めた男性が、 自分が飼っていた鳥が身代わりになって死んだのではと思い込み、 その鳥が生息してる所へ恩返しの為に、 ・人生につまらなさを感じている女性が、なんとなく惹かれ などなど、様々な境遇をもつ日本人がそれぞれの目的を求めてインド旅行に向かう。 しかし、期待どおりの現実と、日本では目にする事のない人間や、この世界の残酷さを感じながらも、それぞれの問題を自身が見つめる描写が印象的な小説。 特に印象的な場面は、どんな立派な偉人も、 道端で倒れている指の腐った物乞いも亡くなると、 同じように火葬され、その灰がながされる おせじにも綺麗とはいえないガンジス河で インドの人達は、沐浴をして祈る姿をみて 人生につまらなさを感じている女性が、ガンジス河に入り祈るシーン。 ガンジス河を人生や、はたまた神様に例え 「その河の流れる向こう側に何があるのかわからないけど でも過去の多くの過ちを通して、自分が何が欲しかったのか、少しだけわかったようなきがする。」 「信じられるのは、それぞれの人が、それぞれの辛さを背負って、深い河で祈っているこの光景です。」 「その人達を包んで、河が流れている事です。人間の河。人間の深い河の悲しみ。 その中にわたくしもまじっています。」 と、それまで全ての人や、物事に対して冷めていた女性が しらずしらずに貯めこんでいた「悲しさ」・「虚しさ」・「ストレス」認め この深い河に身を委ねて、祈るシーン。 人はそれぞれの人生のターンングポイントで、自分を見つめ 自分では他人ではどうする事もできない事に対して 降参して、謙虚になって祈る。 その祈る姿は、欲・恐怖・悩み・ストレスをすべて背負い 自分の弱さをみとめながら、それでも生きている、素直な人間の姿なのだから 一番信じられるのだなと、思った。 この作品を読んで、筆者が伝えたいポイントではないかもしれないが 自分の中では「人間の祈り」がとても印象的に残った。 | ||||
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この作品の最も素晴らしい部分は、視点の移動にある。初めは三人称ながら一元視点で物語が展開し、章ごとに視点人物が変わってゆく。ところが物語が進むにつれて、視点は人物間を自在に往来するようになり、読者は複数の人間に次から次へと憑依しているような感覚を味わう。 小説作法の本でしばしば言われるように、こういう書き方は小説の常道から外れている。新人賞レベルでは減点対象となるだろう。「深い河」で視点の往来が説得力を持つのは、死者の意識が人から人へと移ってゆく転生という考え方が背景にあり、変則的な手法そのものがこの小説の主題を表現しているからだ。 登場人物の一人が嘆くように、「この憎しみとエゴイズムしかない世のなかが変る筈はない」。異端を排除し、自分たちの見解を守るために辛辣な言葉を浴びせ、時には肉体的迫害に及ぶ宗教界の状況とて、容易に変わるものではない。しかし、転生を通じて自分が他者になり、他者が自分になり得るならば、そこに問題を乗り越える可能性が生まれるのかも知れない。 インドに赴き「深い河」を見た人たちが、エゴの乗り越えを果たしたのかどうかは最後まで分からない。作品を読み終え、希望の在り処を指し示されたという思いだけが、かすかに胸に残っている。 | ||||
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バラナシのずっしりとした情景が登場人物の精神の内側を映し出すように、とても心揺さぶられる。 | ||||
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大戦中の描写が鬼気迫るものがあり、ぞっとしました。私はインドについて書かれた本を最近読んでいるため、そのなかのひとつとして、たまたま手にとったのですが、さすが…と名老作家の力量を思い知らされた次第です。 飽食日本になって久しいですが、ちょっと前まではこんな時代があったのですね…。 ぐいぐいと迫るような迫力に一気に読んでしまいました。 | ||||
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いろんな出来事を背負ってきた人たちが、解決への期待を抱き、インドに向かいます。 ヴァラナシの中心部を流れるガンジス川。 そこには答えは無いけれど、各々の人達の生き方に影響を与えます。 大津さんの生き方が、一番立派ですね。 またガンジス川をゆっくり眺めてみたくなります。 | ||||
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自分にはあまり合わなかった。登場人物がそれぞれ「ある思想」を代表する記号の様であまりにシンプル過ぎて、生きている人間の深みを感じないのだ。 作者は自分の思想・主張を、自己の内面を要素に分解して作ったキャラクター同士の対立として見せているのだろう。多くの人物が登場しているにもかかわらず群像劇の深みも意外性も見せず、一人の人間の内面で始まり終わる葛藤を観ているだけのように感じる。 それを言ってしまえば全ての小説は作家の創作したキャラクターなのだが、この作者の場合、人物造形のステレオタイプ化が陳腐なまでに著しいように思う。作者の思考実験を小説化した、と読めば面白くない訳ではないのだが、インド旅行という舞台設定の魅力を取り去った後に残る物語が「小説」としては、言っては悪いが物足りなかった。 しかし、ある一人の人間の宗教観をつぶさに見るという意味ではなかなか面白いので、このくらいの評価で。 絶賛レビューが多いのは理解した上、自分と同様に感じる人達の購入前の事前予測に参考になれば良いと思い、あえて。 | ||||
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インドへのツアー参加者した、いろいろな思いを抱えた人達がガンジス河を舞台に、生と死、宗教感などがテーマの小説。大きなテーマとして、宗教とは何かを問うことが根底に流れている。遠藤氏の宗教感は、既に「沈黙」で語られているので、それほどのインパクトは無かった。 | ||||
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クリスチャン作家には、キリスト教は絶対であるという立場を取っている人が多いと感じます。 私はそういう作品には違和感を感じてしまいます。 しかし、遠藤氏はいつもキリスト教を客観的な立場から見つめようとした作家であると思います。 この最後の作品において、遠藤氏はキリスト教以外の宗教観も併記しています。 5人の人生が並列されているので、非常に混沌としていて複雑で、作家が言いたかったことは何なのかさえ私にはよくわかりませんでした。 5人は並列なのでしょうが、私は大津を中心に捉えました。 キリスト教の神学生となった大津は、西洋中心的な教会に合わず、インドで貧しい者たちを救済していき、やがて理不尽な理由によって撲殺されてしまいます。 これはイエスキリスト、あるいは禁教時代のペテロ岐部神父など殉教者の生き方と同じ要素があるように感じました。 大津の死は犬死のようにも見えますが、恐らく、三津子のその後の生き方に影響を与えて行くのではないでしょうか。 私はキリスト教のことをよく知らないので、深い意味はよくわかりませんが、読み手によっていろいろな解釈のできる作品であると思います。 | ||||
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