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沈黙



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沈黙の評価: 4.41/5点 レビュー 388件。 Bランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.41pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全337件 121~140 7/17ページ
No.217:
(5pt)

単なるキリスト教に関連した作品ではない

遠藤周作の作品はこの記事を書いている時点でこの作品及び『海と毒薬』を読んだことがある。『海と毒薬』の方は非常に印象的な作品だったが、それは作品が秀逸である、というよりもその陰鬱で生々しい雰囲気が記憶に残っている。そしてこの『沈黙』も当然といえば当然ながら同じような特色である。

 舞台は鎖国直前の日本であり、話の内容はキリスト教徒と踏み絵を取扱っている。端的に言えば踏み絵を踏まないことにより己の信仰を守るか、それとも己と他人の命を守るかという確かに物語においてよく見られるものといえばそうである。それをこの作品を独創的な作品たらしめているもの、いわば「文学」たらしめているものは何かと聞かれれば、やはりその作品全体に流れる「空気」というものであろうか。形容しがたい陰鬱な空気が作品内において充満しており、それが読み手を物語に引き込む。

 この物語は決してキリスト教徒だけに向けられた作品ではなく、また彼等だけが堪能できる作品でもない。人間誰しも矜持というものは持っており、なるほどそれが虚栄といった悪徳の原因にもなろうが、ともかくもそれがその人間の核となる。しかしながら、人は金なり地位なり業績なり理想なりを求めるが、その際世間という雑踏の中へと飛び込ん行かなければならない。そしてそこで己の持つ矜持が侵害されることがままある。それが侵害された時、人はどのような行動をとることができるのか。いや、というよりどのような行動を「取らざるを得ないのか」。
 私は単純に人の持つ矜持をどこまで守り通せるかとか、生き様を貫きとおせるとかどこか凡なことを言いたいのではない。社会において自分の存在核となるものが侵害された時の痛みを、自分の(世俗にしろ崇高にしろ)望みにどこまで天秤にかけられるか、ということである。このことを踏まえてこの作品を堪能するための条件はキリスト教徒か否か、という表面的なものではなく、この存在核をどれだけ人は持っているか、そしてそれが侵害された時の痛みをどれだけ痛感できるのか、という点にある。

 作品の独特な空気が、主人公である司祭のその存在核を蝕んでいく。しかしその陰鬱な空気は何も作品内だけではない。やはり現実生活においても自分の存在核を蝕んでいく。我々は司祭と同じく闘い、そして司祭とは異なり戦い続けなければならないのか。その判断は各々の読み手に委ねることとしよう。
沈黙 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:沈黙 (新潮文庫)より
4101123152
No.216:
(5pt)

遠藤周作の日本人への警告。

最近寒くてまったく外に出ていなかったのだが、ニートになると、結構やることが多い。バイト探したり本を読んだり、とくに最近、小説ばかり読んでいるんだが、名作小説は、つまらないものに当たると時間を消費することが多い。ところがついこないだ映画化で話題になっている遠藤周作「沈黙」を読んだら。これがまた久々の大当たりであった。むちゃくちゃ面白い小説だったので紹介したい。まー。どういう話かというと、フェレイラ神父っていうエライ神父さんがいたわけ。その人が「信者救いに行くわ」つって、ひとりで日本に向かっちゃうのである。颯爽と。潔く。生徒たちその後ろ姿、見ながら、「かっこいいいいいいい」ってなるんだけど。しばらくたって、向こうの伝来から「拷問キツイから信仰辞めるわ」って連絡が来て、「なにやめとんねん」みたいな。そういうズッコケからはじまって、オレたちも日本に行こうぜ!ってことで、この始まり方が、とにかく最高なのである。
 それで日本に行くぞってなった神父たちに悪代官イノウエが襲いかかる。もうひとつ。オモシロポイント。イノウエ。神父達を苦しめる悪代官。フツーのおジイちゃん。なんだけど、冷酷。かつ論理的にキリスタンを血祭りにあげる悪代官で。やってることはサイコでも、ちゃんと筋の通った思想をもっていて、しかもなぜか元キリスト教徒、っていう、こちらの世界を一回見わたしたバイリンガルです、みたいなキャラクターで「穴吊り」とかいう(遊び心に満ちた)拷問もしかけてくる。とにかくこのイノウエは、風格ありまくり。この小説において、悪の華ともいうべき存在感をはなっていて、キャラ立ちまくりなんである。
 そんであっさりイノウエにつかまっちゃうんだけど、ご飯までくれるイノウエ。なぜか拷問もされない。あれ、イノウエ優しいやん。って思ってたらフェレイラ神父と再会。でも。なんかおかしい。いつもと様子が違うって、よく見たら、和服きてる。しかも周りから「沢野さん」って名前で呼ばれてて、「え!?・・・た、沢野さんwwww 沢野さんってどういうことですか?沢野さんってどういうことですかwwww」ってつめよったら、「うるさい。あんま沢野さんさん沢野さん言うな」みたいな。本人が一番気にしてるみたいな。 しかもキリスト教を捨てて反キリスト的な活動に準じていたフェレイラ。あのフェレイラ神父がなぜ!?・・・っていう。実はイノウエ、フェレイラに「棄教しろ!」と詰め寄ってほかの信者を拷問していた。その戦法に、最初はフェレイラも耐えてたんだけど神に祈るうちに「あれ? こんなに罪のない人がやられてるのに、神様が黙ってるっておかしくない??」「なんか一言ぐらい「がんばれよ」とかフツーあるんじゃね?」みたいな根本的な疑念にとりつかれて、キリストを捨ててたの。そんで「さぁ踏めぁああ」って主人公も踏み絵のまえにたたされて・・・。神様ーーーー!!!!!!って、思いながら、拒んでたら、そのときにどこからともなく「気にしないでええ」みたいな。えー・・・キリスト様ですか!? いんですか?ってきくと、「別にいいいよおお」みたいな。いやー、そういわれて、あぶなかったー。ギリギリなんとか踏めました。あぶなかったっす。みたいな、・・・まぁ、そういう感じで終わっていく小説なんだけど・・・。
 反キリスト的な行動を強いられる主人公の生活がマーティンスコセッシの映画では、原作よりも「だらだら」と描かれていて、そのだらだら感が原作よりも絶望的でよかった。イッセー尾形の原作の井上より怖い。役者陣がとにかく素晴らしく、映画も文句なしに傑作だった。
 でも、このハナシ結局、何が言いたいのかよくわからない。「深く考えさせられた」みたいな薄っぺらい感想しか湧いてこず解釈に戸惑った。遠藤周作は何が伝えたかったのか。いや、これ俺の勝手な解釈なんだけど、実は、この小説、日本人に対する批判が込められているんなんじゃないかな。と思った。作中で日本人が「カタチだけでいいよお」という言い方でキリスタンに「棄教しろ」と迫るわけ。つまり行動は規制するけど内面の信仰は自由やと。でもキリスタンにはそれが理解できない。内面と行動は表裏一体だから。こと信仰に関しては、内面と行動が矛盾するのは西洋人には理解できない。ここに遠藤周作の問い掛けがある。なぜ日本人は、西洋人に理解できない内面と矛盾した行動がとれるのか。表向きの「タテマエ」がやたら強調されて、日本人はそれにペコペコと従えるのか。天皇のご真影に頭を下げろ、と言われたら頭を下げる。戦争反対を言おうにも周りに同調して戦争に協力する。子供には死んで欲しくないのに「バンザイ」と言って家族を戦場へ送り出す。死にたくないのに特攻に行く。こういう『ホンネを封殺して「タテマエ」だけに従う姿』が小説の中で痛烈に皮肉られている。
 つまり心の「ホンネ」が封殺され表向きの「タテマエ」が過剰に強調され始めたら、それは日本が滅びる寸前の傾向だから気をつけろ。という警告が込められているのである。本音や信仰を告白できず「タテマエ」に盲従し始めたら、日本は坂道を転げ落ちるように転落するぞ。という戒めが込められているのである。
 まー、そんな堅苦しいことを考えなくても、十分おもしろいので春の読書日和に読んでみてはどうか。
沈黙 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:沈黙 (新潮文庫)より
4101123152
No.215:
(5pt)

遠藤の『沈黙』では、読者の為に、神は沈黙を破って、言葉を発した。主人公には、その神の声が、しっかりと聞こえた。そして、それは「生きる力」に変わった。

神よ!「生きる力」を、お与えください!神よ!「生きる意味」を、お示しください!
神よ!貴方は全能です!神よ!貴方に私を委ねます!神よ!貴方に感謝致します!
・主イエスの教えたもうた祈り ・ゲッセネの園でのイエスご自身の最後の祈り 
そこでは、神はまったく「沈黙」であった。
だからこそ、イエスは「一人」「夜通し」祈られた。弟子たちは、体の疲れで、眠ってしまっていた。
○ ○ ○
やはり、「最初の福音書」著者マルコは、すごい!イエスの惨めな死と神の完全な「沈黙」を描き切った。
ヒトラー総統暗殺未遂者ボンフェファーは、『獄中書簡』で神の「沈黙」を、「歴然たるこの事実」を受け入れた。
そして内心震えながら、絞首刑で殺された!
そして、カトリックは、遠藤周作の小説『沈黙』を禁書にした!

イエスが30歳頃、
ヨルダン川で、浸水礼(洗礼)を受けた時には、天からの声が、「イエス一人だけに」聞こえた。
「お前は、我が愛する子。」
ここの時初めて、イエスはキリスト(救世主)に就いた。

他方、イエスが34歳頃、12弟子を引き連れ、わざわざ、首都エルサレムに上って行って、
ユダヤ民族最大の「過ぎ越しの祭り」の直前に、
政治犯の処刑方法の十字架刑で殺される時は、
イエスが必死で、最後の力を振り絞って大声で、
「我が神よ!何故にお見捨てになったのか?」と叫んだが、と祈ったが、
神は一言も応答しなかった。
完全に「沈黙」であった。
イエスはこの「沈黙」を確認した後に死んでいった。
つまり、イエスは、神から、完全に「梯子」を外された、「神に見捨てられた」と思ったまま死んでいった。

この時イエスは「この現実」をどのように考えたのか?
著者マルコは、このことを一切記述しない!
「マルコ福音書の読者」一人ひとりが、考える事であり、
著者マルコは、「正解」を提供してくれない。
著者マルコは「正解」を知らなかったから書けなかったのだ。本当にそうだろうか。???

しかし、他方、マルコは、
ゴルゴダの丘から遠く離れた高台の「エルサレム神殿の至聖所」内の「聖域を隔てる幕」が真っ二つに裂けた、と記述している。
遠い2ヶ所での「同時の出来事」を知る見る事は、原理的にはできない。
これは「神の視点から」見て、初めてできることである。
また、幕が裂ける事は、聖域と俗世間との隔たりが無くなった事でもある。「ユダヤ教の世界観」を裂く破棄する事である!

これで、著者マルコは、何を言いたいのか?
洗礼時には「天からの声」があったのに、十字架での刑死時には、天からの声は、イエスには「一言も」聞こえなかった。

イエスは、この「神の実在」に向って、叫び続けた。
その神が、自分が殺される時、「一緒に」居て下さる、
「神が自分を見て下さっている」ことに、疑いはなかった。
たとえ「沈黙」であっても。

「遠藤周作の描くイエス」も、まったく同じだった。

病人に対しても、病気を治すのではなく、一緒に居て、病人の痛みと不安を伴に感じるだけであった。

「力に満ち溢れたキリスト・イエス」の否定である。
この遠藤の「病気を治す奇跡を行わないイエス」理解は、日本のカトリック教会内では、許せなかった。
遠藤の『沈黙』は、信徒を惑わすものとして禁書にされたという。

しかし、これはイエスの生涯を、とことん見つめれば、見出される結論である。

遠藤の『沈黙』では、読者の為に、神は沈黙を破って、言葉を発した。
主人公には、その神の声が、しっかりと聞こえた。
そして、それは「生きる力」に変わった。
沈黙 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:沈黙 (新潮文庫)より
4101123152
No.214:
(5pt)

読後の「もやもや」する気持ちについて。

映画化をきっかけに、書棚の奥にあった文庫をひっぱりだしてきて読んだ。長年、いかにもかたくるしい日本文学、っぽく見えて、気分がのらなくて放置していたのだが、読後は、案じていたようないやな気分にはならなかった。

遠藤周作自身、日本の数少ないキリスト教徒としての苦悩があったらしいので、ロドリゴやフェレイラが彼の代弁者だな、と最初は思っていたのだが、キチジローや井上筑後守にも思い入れがあるように感じられる。日本人が信じているのは基督教の神ではない、日本人は神の概念をもてない、とフェレイラはいうが、キチジローや井上筑後守も、ある意味で「信心深い」人間として描かれているので、「あれ?」と思う。

つまり、自らの神、信仰を守るためには、他者の神、信仰を否定し、迫害しなければならないってこと? 迫害するかされるかの、二択しかないってこと? 
まあ、宗教に限らず、他人の信念を否定し、揚げ足をとるのは、たやすい。すべてにおいて正しい人間なんているはずがないから、相手が論理的に間違っているところを探して、そこを攻撃すれば良いだけのことだ。
だけど、お互い、それを続けたところで何も変わらない。小説『沈黙』にも、登場人物たちはどうすればよかったのか、という明確な答えは用意されていない。なので、読後ひたすら「もやもや」する。
「もやもや」しながら、こうやって、あいまいで、どっちつかずになることが、日本人のよくないところだって言われるんだろうなあ・・・、なんて、自己嫌悪したりも、する(笑)
だけど、「もやもや」が、かけ離れた意見を、両方理解しようとする姿勢のせいなら、「もやもや」こそが第三の選択肢だ。
だから、もうちょっと、「もやもや」しておこう・・・と思った。
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4101123152
No.213:
(5pt)

宗教とはなんなんだろう

宗教の在り方について考えさせられました。
日本人が自分達に都合の良いように基督教の教えを変えていったこと、ロドリゴが踏絵を踏んだことも神の思し召しと考えたこと、キチジローがあれだけロドリゴや基督教を裏切る行為をしてもまだ教えにすがろうとすること、、、。
宗教は弱者を強くしたり、助けてくれたりするものではなく、それぞれの生き方や信念を肯定して、生きる希望を与えてくれる存在というだけなのかな、と思いました。
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4101123152
No.212:
(5pt)

日本の難しさ、信仰の難しさ

キリスト教や信仰とともに、日本人について書いています。「とりあえず形式上、踏めばいいじゃん」が許される精神構造はやはり日本独特なんですかね。フェレイラが最盛期の切支丹の信仰が「宣教師が伝えたものとは全く別物だったと解った」と言って自分の棄教を日本人の所為にしますが、そもそも文化の伝播はそういうものではないかと。カトリックのシステムに従ったものだけが信者なのか。そうではない、というロドリゴの悟りに似た解放も日本人作家ならではの宗教観・歴史観かもしれない。
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4101123152
No.211:
(5pt)

切支丹

秀吉の時代から一部の地方では明治四年まで続けられた日本のキリシタン弾圧、人にとって宗教とは何なのか考えさせられる本です。拷問など重い内容が書かれていますが、だんだん中に引き込まれていきます。
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4101123152
No.210:
(4pt)

神の声

長く読めなかった本だが、読んで良かったと思う。司祭が踏み絵を踏んで初めて神の声を聴くことが出来た。神と人の関係の何たるかを考えさせる読み応えのある本であった。
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4101123152
No.209:
(5pt)

当たり前の事

宗教の自由や言論や表現の自由という現代を生きていることがどれだけ有難い事なのかよくわかりました。当たり前を当たり前と捉えるのではなくそこに至るまでの背景を知ることが大切なのだと気づかされました
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4101123152
No.208:
(5pt)

深いです(ネタバレ注意)

読み終わってまず思ったのは「深いなー」でした。人間の心の弱さ、葛藤、信念、ゆるし、虚無等がよく表されています。
殉教、棄教どちらも正解であり、不正解であるのでしょう。それは人それぞれの価値観が違うからです。ロドリゴには信念を貫いて殉教してくれと思いましたが、棄教することによって話がより深くなったのは秀逸です。殉教してたらただのヒーロー話にすぎなくなりますから。また、蔑んでいた卑しく弱いキチジローへの心境の変化も面白いです。
それにしても、本書にもでてくる「仏教じゃだめなの?」という問い、どちらも人を救うものでしょうに。宗教に傾注すると自分の思考や行動が制約され、他の価値観に寛容になれないのはいただけないと感じました。
著者がキリスト教徒なので、本書はキリスト教賛美的な臭いもありますが、それでも人間の内面がよく描かれている良書でした。また、登場人物の一部が実在の人物であることも深さを増しています。
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4101123152
No.207:
(4pt)

ツルギ

映画の題名は「沈黙・Silence」だが、神は決して殉教者や「転び」に沈黙していたわけではないと思いました。この映画の主人公といっていい、迷いに迷う「キチジロウ」。神は決してこの彼も見捨ていない、と見ました。

最初にこの映画は「重い、暗い」と思いましたが100人がこの映画を見れば、100通りの見方があるでしょう。私はこの映画は宗教を通して、「人間の生き様」を赤裸々に見せ、「人間を賞賛」していると思いました。決して明るいとは言いませんが、生きる希望は出てくる映画です。私は勝手にそのように思いました。
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4101123152
No.206:
(4pt)

このテーマは、深し❢

沈黙 読み物として、大変に素晴らしい作品であると、感じました。宗教とは、何か?を始めとして、色々と考えさせられる、テーマであり、且つ、終生答えの出ない問い、かもしれません。
そういう意味でも、単なる読み物の域を超えた作品でありました。当然、映画も観ましたが、答えを出せるものでは、ありません。映画、小説、映画と、追いかけても?!
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4101123152
No.205:
(5pt)

難しい

目に見えるもの、見えないもの。すがりたいものが実体か虚像か、其れが難しい。でも面白かった。
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4101123152
No.204:
(5pt)

映画を見たので

買ってみました、やはり遠藤先生の筆は素晴らしいの一言に尽きます。
沈黙 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:沈黙 (新潮文庫)より
4101123152
No.203:
(5pt)

ありがとうございます

今話題の作品を購入でき楽しみに読みますありがとうございます感謝しています
沈黙 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:沈黙 (新潮文庫)より
4101123152
No.202:
(5pt)

信仰とは…

当時のキリシタンの気迫を感じる、宗教的にも歴史的にも名作ですね。若い時と年を経た今では、違う作品の様に感じました。文学の力は大きいです。
沈黙 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:沈黙 (新潮文庫)より
4101123152
No.201:
(5pt)

映画の原作だけのことはある

この小説は傑作である。遠藤周作の宗教観が詰まっており、考えさせられる。
スコセッシぼ映画の原作としても素晴らしい。
沈黙 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:沈黙 (新潮文庫)より
4101123152
No.200:
(4pt)

救いとは何かのか?

作者による日本人の宗教観が書かれていて興味深いですが、物語の主要な部分は神はいるのかいないのか?という問題に切り込んでいて、哲学や宗教にさほど関心がない人も惹きこまれます。

読む前は信仰心の敗北がテーマだと思っていましたが、実際には救いはどこにあるのか?ということに対して深い洞察が描かれています。
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4101123152
No.199:
(4pt)

プレゼントしました

母に頼まれて購入したので、私は読んでいません。映画は見たいと思います。
沈黙 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:沈黙 (新潮文庫)より
4101123152
No.198:
(4pt)

感動します

30年前に読んで、とても感動しました。考えさせられる一冊です。映画の上映が決まり、見たいと思い、改めて読もうと思って購入しました。良かったです。
沈黙 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:沈黙 (新潮文庫)より
4101123152

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