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茶聖
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茶聖の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.14pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全2件 1~2 1/1ページ
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最初は、現在この時期に『千利休』を取り上げて『茶聖』か!?。と思っていたが読み進めていくとだんだん引き込まれていた。これまでの小説・映画作品は野上弥生子の『秀吉と利休』の影響から多かれ少なかれ逃れられずにいると感じていました。 ‘影響’と言うより‘呪縛’とさえ言える程に。 なんだろう? コレは男の世界だな! 嘗ての自民党政界の‘三角大福’時代を少し彷彿とさせるような。(政界にそれ程知識ありませんが) とそう感じました。 その通り登場人物がほとんど男です。後妻のりきを除けば。 野上弥生子さんは「頭で構想した男の世界」を描いていると思います。 伊東さんは「男の汗・息遣い」を感じさせてくれます。 やっと、男の世界に戻してくれたか! そんな感慨を受けました。 疑問点等が幾つかあります。 一つは、黄金の茶室を秀吉が自信を持って突然披露したわけだが、誰が関わったのか? 茶道・茶室に相当の造詣が無ければこの茶室は作れない。 関わった人がいればその茶人は利休の相当のライバルとなる。今井宗久、津田宗及ではあり得ない。神谷宗湛でもあり得ない。いったい誰が?。 これまでの色々な小説では、秀吉が利休に指図して作らせた事になっていました。 2つ目は、秀吉の芸術的センスについて。 これまでの小説では百姓の上がりだから、芸術的センスは全く無い武人のように扱われていた。伊東さんは、秀吉が『侘』を見つけた芸術家として表現し、芸術の分野でも確執があったとされているように思えた。 信長は芸術的センスがあり、百姓上がりには無く、堺の商人・博多の商人には金があるから芸術的センスがあるとするのも変な話である。 3つ目は、利休を弟子達が「尊師」と呼ぶのに違和感ありますね。なんだか何処かの宗教かと思ってしまいます。 政治にも関わって成果を上げていたにしても、茶道指南役なんだから。 弟子からは「お師匠様」ではいけなかったのかな?。 四つ目は、秀吉は利休に切腹は命じていない。此れは同意見です。 秀吉にとって木像を晒し首にすればそれで十分なはず。 中村修也さんの研究では利休は豊後国で細川の庇護で生きながらえたと考えられている。 伊東さんは息子紹安を匂わしてある。 秀吉の人物像、こうだったのかな?。 読み応えありました。 ありがとうございました。 | ||||
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リーダビリティはあった。 するする読める。 反面、重みはない。 歴史小説というよりも、企画先行の軽いエンタメと言う感じであった。 分厚い本を「するする読んだ感」を得るには、もってこい。往年の東京アカデミー出版のシド二―・シェルダン。 もっと歯ごたえがあるのかと思ったので、ちょっと期待外れであった。 読後、番茶が飲みたくなった。おーい茶番! | ||||
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