■スポンサードリンク
アニーはどこにいった
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
アニーはどこにいったの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.75pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全5件 1~5 1/1ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
一人称で全編にわたって独特の辛口の皮肉口調で語られるため、柔らかな文体を好む読者はアレルギー反応を起こすかもしれない。 作品としてはまずまず面白い。確かに「it」と「スタンド・バイ・ミー」っぽい。 読み終わって、結局アニーはどこにいったの?何が起こったの?「息子じゃない」は何だったの?と釈然としなかったのだが、巻末の解説を読んで「ある作品のオマージュ」であることに気づけば納得する。「ネタバラしは避ける」という解説文を尊重し 、作品名は書かないがヒントだけ。1989年と2019年の2度映画が公開になった作品。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
スティーヴン・キングへのオマージュ色の濃いホラー風味のミステリ。主人公で語り手の英語教師のジョー(33歳)の妹アニーが8歳の時に失踪した事が物語の発端である。ジョーの前任の教師ジュリアが「息子じゃない」という血文字を残して自殺したと言うし、ジョーの同僚のベスが自殺した生徒のエミリーを教え子だったと意味のない嘘を吐くし(赴任日の関係で嘘は明白)、ジョーの友人(後述のクリス)が不可思議な自殺を遂げるしで、まさにホラー。しかし、ジョーは25年前、ジョーと友人達が鉱山跡の洞窟探検に行った際にアニーが失踪し、恐ろしい事が起きた事を記憶しているし、その後、アニーにもっと恐ろしい事が起きた事も記憶している。封印していた恐ろしい記憶。過去の忌ましい記憶と現在の忌ましい事件。これをミステリとして収束させるという趣向らしい。 そして、ジョーが帰郷する際の描写はスティーヴン・キング「呪われた町」そのものである(隠そうともしない確信犯)。これでミステリになるのだろうか ? (今の所、"吸血鬼"がフェイクなのか否かは判然としないが)。そして、ジョーは少年時代の"いじめっ子"で現在は町会議員のハースト(の妻マリーはジョーのかつての憧れの人だったが、今は末期癌に冒されている)と出会う。その直後、ジョーはハーストの手下に襲撃されて病院に搬送されるが逃走し、ジョーがギャンブル漬けだった頃から付け回す借金取立人グロリアの車で自宅へと運んで貰う。ここで思い付いた。ジュリアの「息子じゃない」という言葉はジュリアが、息子ジェレミーに見えるモノが"本物のジェレミー"ではないと言っているのではないか ? 一方、ジョーは例の鉱山跡を訪れ、"同じ事"が再現するのではとの恐怖を覚えた上に少年時代の友人で自殺したクリスの遺留品らしきものを発見するが、坂道を滑り落ちてしまい、バーテンダーのローレン(ジュリア家の掃除係だった)に助けられる。更に、上述のハーストの手下フレッツがジョーの自宅に突然やって来る。登場人物や状況が次第に広がって行くスティーヴン・キングの作品を彷彿とさせる進行である。この後、ジョーに依る洞窟探検時の回想譚が挟まれる。ふーん、「ペット・セメタリー」に似て来たな。「呪われた町」ではなく「ペット・セメタリー」で「禁忌の場所」という訳だ。終盤、ベスがエミリーは教え子ではなく姪だと告白する。そして、ハーストはマリーの命を救うために「禁忌の場所」を利用しようとする......。 これで、「禁忌の場所」の存在を除けば、全てのエピソードがミステリ的に綺麗に繋がった。「語り手」の欺瞞の手法も切れている。「ペット・セメタリー」中の「禁忌の場所」を利用している点は気になるが、これもオマージュの一種と捉えるべきであろう。スティーヴン・キングへのオマージュを散りばめながら、ミステリ的手腕を発揮した作者の力量が光る傑作だと思った。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
あとがきでも書かれているように、某作品のネタをミステリの手法で語りなおす、という趣向の作品です。しかし道具立てや、設定に既視感はあっても、出来上がった作品は読者の安易な予想を裏切る見事な出来栄えです。 ストーリーの設定上、読んで明るい気持ちになる小説ではありません。しかし徐々に明らかになる謎の見せ方、陰影に富んだ複雑な性格を見せる人物造形など読みどころも多く、ミステリ、ホラー好きなら読まなければ、損だと思います。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ジャンル的はホラーSFです。 謎解き+オカルト、最後はハッピーエンドとまでは行かなくてもすっきりした読後感を味わえます。 キンドルでも結構楽しめるんじゃないかな。 私は文体が好きです。かなりスティーブン・キングに影響されながら育った作者のようですね。 皮肉っぽくリアリストでややハードボイルド。 少しイライラさせられたのは、いじめっ子の家系の父子に対して主人公が中々思い切った手に出ようとしない所、 だが最後の最後にその原因が明かされ、しかもあっと驚く主客転倒。 ....この先は読んでからのお楽しみ。 酒も煙草もギャンブルも大好きだが性格は大人しく、心に体に過去の大きなトラウマを抱えながらも社会に順応して生きる真面目な英語教師。どこかキングと似ている。彼が大絶賛したというのもよく分かる。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「ときに人は嘘をつく」(318頁)というのならまだしも、 真実を知っても、都合が悪ければ再び三度、嘘をついてしまう、弱く哀しい人間たちの物語です。 結末部分で真実が読者に説明され、 ジグソーパズルのような謎がなにもかもうまく組み合わさって終わる物語です。 あまりにもうまく説明されてしまい、嘘みたいに感じました。 都合よく組み立てられ、良くできたフィクションみたいな結末でした。 現実は、嘘によってそんなにも八方、丸く収まるものなのかなあ? 読み終わっても、いつまでも不思議で奇妙な読後感が残っています。 「過去は現実じゃない。自分が現実だと思いこんだ物語でしかない」(318頁) 「B級ホラー映画」(68頁)を観た後のような、 フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』を読んだ後のような、 全ての事実が明らかになったのに、全てが隠されたままのような、 一つひとつの真実の原因の切片が組み合わさって現実の嘘の結果が完成するような、 嘘の破片が巧妙に組み合わされたら本当の現実のように見える気がするような、 冷や汗びっしょりの悪夢から目が覚めてほっとしたときのような、 ジグソーパズルの最後の一ピースをはめ込むのを一瞬、なぜかためらうときのような、 奇妙な読後感に襲われました。 本書は、一種の「郷土史」(261頁)の体裁をとった物語です。 忌まわしい過去の有る土地に生きた子供たちの歴史。 何世代にもわたる、いつの時代までも繰り返される人間の愚行録。 いじめは昔からあったようです。 「ぼく」の郷土は、 「イングランドの中ほどにあるノッティンガムシャー北部にある小さな町アーンヒル」(372頁) 「三十年前に閉鎖」(372頁)された炭鉱があった町。「いまや陰気にさびれた町」(372頁) 事件の舞台は、「坑(あな)」。 炭坑跡に残された真っ暗な坑道の「坑(あな)」(295頁、324頁、339頁、340頁、358頁) 「すべてはここ、坑(あな)からはじまった。そして終わりの場所にもなるはずだ」(340頁) 「アーンヒルとあの坑(あな)の歴史に詳しいのはそのせいですね」(358頁) 主な登場人物は、いじめ仲間のような少年少女。 彼らの性格について、 昔から何十年も、少年少女の学校(アーンヒル・アカデミー)の職員を続けている ミス・グレイスンの言葉(259頁)を借りて引用します。 「スティーブン・ハースト――サディスティックで、善悪の観念に欠ける、でも頭はいい」 「ニック・フレッチャー――利発とは言えず、怒りっぽい。怒りをうまく扱うすべを見つけられなかったのは残念ね」 「クリス・マニング――優秀な頭脳の持ち主だけれど、傷つきやすく、不安げだった。いつもけっして見つけられないものを探していた」 そして「ぼく」のことは、 「ダークホース。言葉で拳をかわすタイプ。ハーストの本当の友達になりえたかもしれない存在。あの子はあなたを必要としていた、あなたが思う以上にね」 マリー 「――きれいな子で、見かけより頭もよかった。当時から欲しいものを手に入れるすべを知っていた」 読み終わって、女の子たちが怖い、女性が怖い、と思いました。 特に、「ぼく」が昔好きだった、仲間の女の子、嘘つきの「マリー」が怖い。 「罪のない白い嘘など存在しない。嘘に白も黒もない。すべてはグレー。真実を覆い隠す霧の色だ」(334頁) 借金取立人の女、グロリアも恐ろしい。役に立たない人間を簡単に殺す女。 「ぼくの妹」アニーは八歳。 「まぶしい雪の朝、窓の外を見たアニーのまん丸な目」(348頁) 本書の扉の女の子の人形(装画:城井文平)のように、カワイイ妹。 人形の左目は、義眼のようでちょっとおかしいけれど。右利きの妹に殴られた? 「振り返るとアビー・アイズを抱えたアニーが立っていて、無言の笑みを浮かべ、八歳にしては暗く大人びすぎた目で見つめているのではと怖かったのだ」(290頁)。コワーイ。 表紙カバーのイラストでは、右手にアビー・アイズらしき人形をぶら下げた、 スカートの女の子らしき子供が坑口に立っています。 背景の空の色は、キャンディピンク。夕焼け? 「まだら模様のキャンディピンクの空がちらちら光り、太陽は真っ黒で」(321頁) 「キャンディピンクの空は泡立ち、沸き返りながら、暗紅色に変わった」(322頁) 血だ。血の色だ。キャンディピンクから暗紅色に変わった血の色だ。 そうそう、いつも妹のアニーと一緒の、このアビー・アイズという人形も 登場人物に入れる必要があります。 アビー・アイズという名の「片目の人形」(285頁)。 「ふとアビー・アイズに目をやる。いや、アビー・<アイ(傍点あり)>と呼ぶべきか」(237頁) 片目が無いのだから。 「男の子たちにキスをして泣かした」(67頁)アビー・アイズ。こわーい女の子。 アビー・アイズ (67頁、68頁、219頁、237頁、264頁、266頁、269頁、275頁、278頁、283頁、285頁、290頁) 悪夢の度に何度も何度も何度も出てくる不気味な片目の人形。お化けー、キャー。 「夢を見ることはない。 悪夢以外は」(67頁) 「悪夢から覚めたはずが、夢ではなかったと気づいたような顔だった」(270頁) 「これは目覚めたまま見つづけてきた悪夢なのだ。二十五年のあいだ」(343頁) 語り手の「ぼく」は、「十五歳」(273頁、288頁)の頃の事件を思い出しています。 「いまのぼく」(15頁)は、四十歳。 「いま」は、「1992年」(143頁、175頁、264頁、288頁) 「二十五年かけてそれを忘れようとしてきたんだ」(280頁)。 「それ」は、ぼくの妹アニーに起きた事件。 「ぼく」の名は、ジョー(ジョゼフ)・ソーン。 「子供のころから、あなたって身体に刺さった棘(ソーン)みたいにいらつかせてくれた」(343頁) マリーのダジャレ。 ガキ大将のハーストは、「ぼく」のことを「ソーニー」(215頁、216頁、265頁)と呼ぶ。 「ぼく」の嫌いな教師仲間のサイモンは、「ジョーイ」(114頁)と呼ぶ。 「妹以外からジョーイと呼ばれるのは大嫌いだった。ばかにされた気がするからだ」(178頁) 「アニー?」 「ジョーイ、どこ?」(268頁) 妹アニーにも、兄ジョーイがどこにいったか、真っ暗闇でわからないのです。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!