■スポンサードリンク
等伯
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
等伯の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.33pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全7件 1~7 1/1ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
・作者は、等伯を「業が深くて」で、閉じる。 で松林図屛風は、その等伯が「心眼でとらえ」、「漆黒の闇」の中「我を忘れてなぐり描きに描い」た「下絵」を、弟子たちが「絵の位置を確かめながら屏風に張り付けて」「仕上がった」とする。 おまけに「これほどの絵を、いったい誰が」と、等伯に言わしめる。 作者はこの描き振りから、何をどう理解し、どう味わえ、と期待したのか。 松林図屏風を貶める以外、何がある。 残ったのは、不信と不快な思いのみ。これで直木賞か。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
残念というかがっかりというか、全体的に凡庸である。主人公信春は確かに様々な困難に直面して成長するのだが、それらが全て淡々と処理されている。絵師として成長が読者の感情曲線とシンクロしておらず、朝顔の成長記録を眺めているようだ。もっと言うと信春の遭遇する出来事がゲームのフラグ以上のものではない(前田玄以との出会いがまさにこれ)。そして最近のゲームならもっと気が利いている。 信春が描きあげた作品の描写も淡々としており、どこが傑作なのか伝わってこなかった。これはマンガの話だが、手塚治虫の火の鳥鳳凰編で我王の作りあげた鬼瓦が読み手の臓腑にえぐり込んでくる迫力とは対照的だ。とにかく全体的に物足りないのである。 無論これは小説であり、文章で画の素晴らしさを描写するのに限界があるという擁護は成り立つ。だが直木賞作品はそうではあるまい。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「月命日」などという、日本国語大辞典にも載っていない平成時代の新語を出しているのが何とも情けない。年に一度の、故人の死んだ月日と同じ月日を「祥月命日」と呼び、毎月の亡くなった日を「命日」と呼ぶ。こんなの、時代小説を書こうと思ったら、常識だろうに。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
上巻に相当失望させられ、下巻を読むのをためらいましたが、買った以上は読まねばとページを開きました。 上巻と同様、どの人物も同じ様な口調で、各人の職業、身分から表れる個性が無い。特に主人公の人物描写の物足りなさは、どうにもならない。ドタバタとして、考えも行動も始めたと思えば、ためらい、他の方向に思考も行動もウロチョロとまとまらず、とても将来の天才絵師の人物造作とはいえません。等伯はこんなに俗な個性の薄い人物だったのでしょうか? 又、その描く絵画の描写も誠に工夫が無い。絵画を言葉で説明する時には、それだけの個性ある、画像が読む者の脳裏に浮き上がる様な文章が必要でしょう。この部分は読み飛ばしてしまいました。 あとがきによると、著者は一応資料は読み、専門家の意見も聞いてはいるのでしょうが、歴史上の裏付けとその根拠の記述が曖昧なのです。後の等伯・信春の画力に関する記述も、先人の資料に沿って単純に述べられており、そこで小説家としての作者のひとひねりというものが感じられません。読み込んだ歴史資料を背景に生み出された作品というより、歴史の事実をつなぎ合わせ、その間隙に人物を踊らせているとしか感じられませんでした。これは自分の偏見でしょうか? 加えて会話だけでなく、文章全体が平板で、時として妙な文になります。あとがきには等伯に影響を与えた日蓮宗について触れていますが、日蓮の言葉を引用する時に、なぜか「日蓮上人は・・・・おっしゃった」という風に、敬語を使うのはまるで、作者自身が日蓮宗の信者ではないかと違和感を感じたのは、これも自分だけでしょうか?日経新聞の連載だった様ですが、何故これが直木賞を?と考えずにはいられませんでした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
時代小説というものは、ある意味で誠に難しい創作姿勢を、作者に迫ります。歴史の事実を曲げるわけにはいかない。同時に資料に沿って書いてばかりでは、それこそ古文書のコピーになってしまいます。加えて、旧仮名遣い、漢文調の文章で書いても、読めぬ読者が増えた現代では、登場人物の言葉遣いに神経を注がなければなりません。そういった今の時代風潮に納得していても、この作品の登場人物達の会話があまりに「標準語」ばかりなのはどうしたことでしょうか?戦国の世に「現代人か?」と疑います。工夫というものがありません。(近衛前久だけ、途中から急に関西弁を使わせ始めますが・・・・) ですから、どの人物も同じ様な口調で、各人の職業、身分から表れる個性が無い。特に主人公の人物描写の物足りなさは、どうにもならない。ドタバタとして、考えも行動もはあちらこちらにまとまらず、とても将来の天才絵師の人物造作とはいえません。第一章で読むのをやめようかと思いましたが、我慢して読んでいき、主人公が京都で生活をし始める頃にやっと少し落ち着きました。と思えば、後半は又、ドタバタとして展開が荒くなります。 著者は一応資料は読んでいるのでしょうが、歴史上の裏付けとその根拠の記述が曖昧なのです。後の等伯・信春の画力に関する記述も、先人の資料に沿って単純に述べられており、そこで小説家としての作者のひとひねりというものが感じられません。読み込んだ歴史資料を背景に生み出された作品というより、歴史の事実をつなぎ合わせ、その間隙に人物を踊らせているとしか、上巻を読んだ限りでは感じられませんでした。これは自分の偏見でしょうか? 時代物に限らず、小説が変わってしまいました。「下町ロケット」で直木賞が漫画化したと思いましたが、この作品も小説というよりコマ送りの時代漫画を読んでいる様な気分なのです。購入してはあるのですが、下巻を読もうか、迷っています。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
どこまで行っても人間等伯の未熟さばかりが目に付き、この人物が後世に残る絵を生み出したとは思えなかった。狩野永徳の描かれ方も同様。いかなる天才も全てが完璧ということはないにせよ、あれだけの作品を創った人であればもっと人間的な高みに到達していた部分があったのではないかと思ってしまう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
等伯の死亡記事文を長大化したような作品と思いました。心を揺さぶるような出来事が波乱な等伯の人生の中に多々あったと思うのですが、心象表現が説明的で、会話文も洗練されておらず、最後までカタルシスも感じることなく淡々と終ってしまいました。等伯の台詞も標準語で、等伯のキャラクター表現が希薄だったし、そのた地の部分でも現代経済用語を使っていたりして、時代小説の雰囲気も感じられなかったです。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!