■スポンサードリンク
芽むしり仔撃ち
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
【この小説が収録されている参考書籍】
芽むしり仔撃ちの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.28pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全35件 1~20 1/2ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ありえない設定ですが、彼独特の虚構世界へ連れて行ってもらいました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
その設定からは「内」と「外」 が装置として差別的待遇の理由として演出されている。 しかし、それは「社会」システムが孕む負の側面ではなく、「人間」が持つ、残酷さと狡猾さを、生暖かく描いている。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
名作。 過酷な時代背景や疫病を抱える疎開先での子供たちが 厳しい現実に飲み込まれる様に、こんな時代があるのかと。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
外れの本を読みたくないことがあり、また、自分自身の変化を知りたいこともあり、10年ぶりに本作を読み返した。若い頃は大江健三郎に心酔していて、特に本作は傑作だと思っていたが、歳を取ったためか、一文一文を味わうような楽しみ方ができなくなり、中盤ぐらいまでは、「あれ、昔ほど面白いと思えないな」と思い、残念に思う気持ちと、自分の知能が衰えたんじゃないか、というような焦りに似た気持ちを抱いていた。病気、兵士、犬、性的要素など、大江健三郎のエッセンス満載の本作だが、若い頃には素晴らしく思えた濃密な体感描写・心理描写に触れても、「そんなことよりも物語に動きを」と思ってしまうような所があり、やはり「文学」は若い頃にしか楽しめないものなのかな、などと思っていた。しかし、終盤になると一気に物語が収束していき、ぐんぐん物語に引き込まれていき、結果としての感想は、非常に構成が良く練られていて、ストーリーだけに着目しても傑作と呼べる作品である、というところに落ち着いた。地の文に酔いしれる感性を失ってしまったのは残念だが、やはり大江健三郎はぶち抜けた才能の持ち主であると思った。各章のタイトルが、先のストーリーのネタバレになってしまっている点が気になったが、長編と言っても220ページぐらいなので、特に若い人には先入観を持たずに読んでみて欲しい。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
私がこの小説を初めて読んだのは66年、19歳のときだが、大江健三郎の初期の小説では最も強く印象に残っている。『飼育』やその後の多くの小説と同じく、舞台は大江健三郎の故郷を思わせる四国山中の谷町の村である。この舞台設定は国際的にはもちろん、国内的にみても特殊な状況設定といえる。この特殊な状況設定から彼は世界に通じる普遍的人間の苦悩を描き出したといえると思う。昔、読んだ本が紛失したので買い直し、読み直してみたのだが、彼のノーベル文学賞受賞は川端康成が国際的には異国趣味にとどまっているのに対し、普遍的人間の苦悩を描写したことから受賞したという意味をわからせてくれる。大江健三郎の小説は全て読んだと思うが、私の青春時代の思い出と密着しているこの小説は私にとっては非常に大切な小説である。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
主人公の弟の素直さ純粋さが小説を読んでいて一番心に残ります。戦争の恐ろしさ、人々の物事に対する考え方人を人と扱わない行動、醜さ読んでいて苦しくなりますが真実ではと思い。戦争が競う心が人の心を無くしていくのかなと感じました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
戦時中、山中の村に疎開してきた感化院の少年たち。村には折しも死に至る疫病の蔓延する兆しが。ある夜、疫病を恐れた村人たちは、少年たちを置き去りにし、村の出入り口を閉鎖してしまうのだった…。 罪を犯し、親から遺棄された少年たちが、望んでいた自由を手に入れたのは、死の気配が漂う無人の村。しかし、少年たちが築いた束の間の王国での日常は、発病者が出たことで崩壊し始めて…という展開である。 母の死体の側で取り残されていた少女、居残った朝鮮人の少年、彼に匿われていた脱走兵を交え、陰々滅々の日々が描かれる。 大人たちの欺瞞や悪意に辟易し、露骨な描写に眉をひそめつつも、最後まで読み進めざるを得ない力のある作品だ。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
本の内容は期待通りでしたが、amazonの梱包がとても悪かったです。薄い段ボール封筒に入って届きました。気を付けて開封しましたが、発送の時に(段ボール封筒に入れるときに)ついたと思われる、表紙と帯のめくれがありました。すぐ読みたかったので交換はしませんが、最近、同じような状態が続いたので、しばらくは書店で購入しようかと思っています。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
大江健三郎の初期の傑作です。 戦争と強者、弱者、すべての関係性が顕に立ち上がって来る描写は読み応えがあります。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
大江ファンもアンチも読むべし。とにかく、面白く、切なく、勇気づけられる、大江作品の中でも、分かり易さNO.1。サルトルの影響も垣間見える、大江健三郎長編第一回作品!! | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
大江健三郎(1935-)の作品を初めて読みましたが、テイストは違いますが、表現がここまで饒舌な作家は他には川端康成か三島由紀夫くらいのものかなと思いました。大江が23歳の時の初の長編作品というのが驚きです。 作品全般にテイストが男性同性愛に満ちていて、当時1950年代だとかなりな異端派として扱われたのではないかと思います。兵隊の制服に主人公(少年)が絶えず欲情している、等々。 大江健三郎がその有り余るほどの描写力を持ちながら日本ではあまり一般的に知名度が高くないのもそれが原因かと思いますし、逆に自由主義の欧米で評価されてノーベル文学賞に繋がったのかと思いました。 ストーリーは、主人公「僕」と数人の少年たちが戦争中に感化院に入所させられていて、ある日、戦火から逃れるために疎開の行動中、ある村に入るとそこには伝染病が蔓延していて、少年たち以外の大人が全員退避し、少年たちだけが取り残されるというものです。 とは言ってもあまりストーリーは重要ではなく、少年たちによる伝染病に侵蝕された村跡での生きざまを生々しく描くことが、大江健三郎のやりたかったことなのでしょう。 主人公とともに行動を共にする「弟」は兄弟というよりも性愛の対象のようであり、途中から登場する「少女」は決して愛を交わしていないのに、僕の「愛人」と示されます。 これは作者が本心は男性が好きなのに、その欲求は満たされず、形式的にも女性を伴侶にせざるを得ないことを意味しているのかも知れません。 少年たちだけになった村は彼らの思い通りの世界、アルカディアであり、主人公「僕」のライバルである南や、「少女」、また、村で出会った朝鮮人の「李」や脱走兵の男たちも参加して大人社会の縮図のようになっていきます。閉ざされた世界における不条理さを描いているところは安部公房(1924-1993)の影響を感じました。 ストーリーは戦時中が舞台ですが、作品は戦後に書かれたもので、まだ若くて多感な大江健三郎が、戦後の日本のどうしようもない閉塞感やタイトルのように若者の未来(芽)を摘み取ってしまうような負け犬になった国家に対しての怒りや諦めが感じられる作品です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
フラナリーオコナー著「善人はなかなかいない」を読んで感銘を受け、その批評や解説を探しているうちに、オコナーを大江が薦めていたというので大江を読み始めました。ただただ面白いです、読みにくいという方がいますが、表現がとてもふくよかであること、また文体が変わっていて、英訳されることを意識してるように感じました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
息苦しさの度合いはあれど、立ち向かう、そこにある癒し、我々は常に自分を問われる。思い通りにならぬことが罷り通った時、進むべき道が別れる | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
戦争末期に集団疎開先の村で、発生した疫病を恐れて逃げ出した村人たちによって、村内に閉じ込められてしまった感化院の少年たちの一週間ほどの出来事を描いた、著者の長編第一作です。太平洋戦争末期の日本が舞台に選ばれた作品ですが、雰囲気としてはディストピア的な不吉さをもつSF小説に近いものを感じ、絶望的な状況に閉じ込められた子供たちの物語としては、『蝿の王』や後年の漫画『漂流教室』なども連想させられます。 隔離された環境での少年たちの結束や対立をはじめとして、主人公である"僕"の幼い弟の振る舞い、疫病で死んだ母とともに残された紅一点である少女と"僕"の関係、朝鮮人集落の少年との交流、脱走兵の存在、村人たちの帰還など、盛り込まれた数々のエピソードと人物描写で、長編としては長くはないこともあって無理なく読み通すことができました。少年たちが共同体を形成する期間については、予期したより短く終わりました。 表題の意味については「仔撃ち」は序盤、「芽むしり」は最終盤で明示されます。終り方については好みが分かれそうですが、個人的には好感を持っています。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
表現に惹かれました | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
50年前高校時代に如何にこの本を読めていなかったかを痛感させられました。再読する機会が持ててよかったです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
『芽むしり仔撃ち』は、大江健三郎初の長編小説です。集団疎開した感化院の少年たちが、疫病が流行する村に閉じ込められるというお話です。疫病・閉鎖された空間・育まれる友情を描いた作品ですから、カミュの『ペスト』に似ていると思いました。 この小説の末尾である第九章と第十章の内容は、強烈に印象に残ります。疫病の様子を偵察するために帰村した村人たちに、感化院の少年たちが虐待されます。感化院の少年たちが生きるために行った行為が否定され、閉鎖された空間で築き上げられた子供たちの王国が崩壊する様は、酷すぎて絶句します。この小説のラストには、「不条理」という言葉よりも「理不尽」という言葉がよく似合うかもしれません。 社会人の端くれである私は、この小説の「感化院の少年たち」と「村人」の上下関係を、「現場で働く労働者」と「組織の上層部」の上下関係に置き換えて読んでしまいました。現場と上層部の間で発生しうる暴力を、この作品は見事に作品化していると思いました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
文体に凄まじい熱量と力強さを感じます。 圧倒される描写力により、見たこともない土地の体験したこともないような生活が、 まるで彼らのそばで見ているかのように目に浮かびました。 これを読めば、大江健三郎に匹敵する文学を書ける日本を代表する作家の輩出は、 まだずっと遠い先のように感じます。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
差別、憎悪の渦巻く崩壊寸前の共同体を複合的な視点で捉えつつ、緻密な情景描写と切迫した感情の叙述とで描く、珠玉の長編。 これは凄まじい。『蝿の王』に匹敵する壮絶な読書体験になるでしょう、、、。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
戦争末期,感化院の少年たちが山村へ疎開することになった。厳寒の中、ひもじく苦しい道中が続く。 村人たちの視線は冷たく、ほとんど人間扱いされない。 朝鮮人の少年や疎開してきた少女とつかの間の友情が芽生えるが、残酷な現実に踏みつぶされる。 弱い立場の人間が徹底的に疎外され、痛めつけられる。何の救いもない。 主人公が最後まで誇り高く振舞うのが救いと言えなくもないが、なんと無力で悲しいプライドであることか。 本作は特定の時代を批判しているのではなく、普遍的な村落共同体のありようを容赦なく描いているのだ。 田舎が牧歌的なんて、大ウソだ。 互いの協力が不可欠な貧しい閉鎖社会は、余所者や脱落者に対して徹底的に残酷になる。 日本型ムラ社会、というよりは人間社会そのものの凶悪さが身に沁みる。 嫌な話なのだけど、こういう嫌さは誰かが書くべきだ。 文章の迫力は、今どきのエンタメの比ではない。文学の威力を思い知らされた。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!