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雪
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雪の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.03pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全26件 1~20 1/2ページ
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主人公である詩人のKa (主人公のペンネーム)が、トルコのカルスという街で出会う出来事に関する物語である。 読み始めて最初に感じたのは、カフカの『城』みたいだ、ということだ。ある街を訪れた主人公が、出会う人たちにいろいろと言われて、翻弄される。Kaという名前も、『城』の主人公Kを彷彿とさせる。 読み進むに従って、いろいろな要素が入っている小説であることがわかってくる。欧化主義的近代化とイスラム主義との対立などの政治的要素が前面に出されている一方で、登場人物たちの恋愛もストーリーの重要な要素となっている。主人公が書いていく19編の詩も、大事な要素だ。詩自体は出てこず、そのタイトルしか明らかにされないが。 物語の語り手である「わたし」が誰なのか、が下巻途中で明らかになるのも、面白い仕掛けだ。 トルコの近代史を知っているとより楽しめると思う。下巻巻末の訳者あとがきがとても参考になる。399ページ後半から409ページ2行目までを、本書を読む前に読んでおくのが良いかもしれない。その範囲ならあまりネタバレにならない。 | ||||
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ケマル主義を表面的にしか解釈、理解していなかった私には、目から鱗が何枚も落ちていく感覚でした。 | ||||
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"雪の静寂だと考えていた、バスの運転手のすぐ後ろ座っていたその男は。もしこれがある詩の書き出しだったら、心の中で感じていたものを雪の静寂と言っただろう"2002年発刊の本書はトルコ人初のノーベル賞受賞者の著書による『最初で最後の政治小説』にしてイスラム、多文化理解、寛容について学べる名著。 個人的には2019年10月の米下院によるオスマン帝国時代のトルコで発生した「アルメニア人虐殺」をジェノサイド(集団殺害)と認定する決議案を可決したニュースを見て、同じく著者が【2005年に100万人のアルメニア人と3万人のクルド人を虐殺した事実を認めるべきだ】と発言したとされ国家侮辱罪に問われた事を思い出し、911後に出版され【イスラム過激派をめぐる情勢を予見した】と当時のベストセラーにもなった本書を手にとりました。 そんな本書は、雪に閉ざされたトルコ北東のアルメニアとの国境の町カルスへドイツへの政治亡命者として暮らしていた【無神論者の詩人】Kaがイスタンブルを経て辿り着き、再会や出会い、4年間どうしても書けなかった詩が次々と湧き出す体験をするなどの個人的再生を果たすと共に並行して起きるイスラム過激派に対抗するクーデター事件に遭遇し、宗教と暴力の渦中に巻き込まれていくわけですが。日本と同じく【西洋的近代化を果たすための】トルコのとった政教分離政策、それに伴う欧化主義とイスラム主義の【矛盾や対立の複雑さ】といった社会問題にまず引き込まれ考えさせられました。 一方で、本書は【政治的メッセージのない政治小説】であり、主人公的存在である詩人Kaが個人的な創作やラブロマンスという徹頭徹尾、自分の目的の為に利己的に行動する姿には、何らかのヒーロー的人物の活躍によるハリウッド映画的解決、例えば街の平和を取り戻す的な単純な物語を期待してしまうと感情移入しにくいのですが、これはこれで群像劇の様に登場する人物達も含めて、リアルさを追求した結果と思えば、やはりこうなるのかな。と納得もできました。(しかし、名前のせいでしょうか?同じく雪に閉じこめられるカフカの『城』を彷彿とさせられた方は私以外にも多いのでは?) イスラム原理主義が下層階級でどのように芽生えるか、あるいは【異なる文明との出会いや共存、対立】などトルコはもちろん中東諸国の現状理解を物語的に深めたい方へオススメ。 | ||||
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"雪の静寂だと考えていた、バスの運転手のすぐ後ろ座っていたその男は。もしこれがある詩の書き出しだったら、心の中で感じていたものを雪の静寂と言っただろう"2002年発刊の本書はトルコ人初のノーベル賞受賞者の著書による『最初で最後の政治小説』にしてイスラム、多文化理解、寛容について学べる名著。 個人的には2019年10月の米下院によるオスマン帝国時代のトルコで発生した「アルメニア人虐殺」をジェノサイド(集団殺害)と認定する決議案を可決したニュースを見て、同じく著者が【2005年に100万人のアルメニア人と3万人のクルド人を虐殺した事実を認めるべきだ】と発言したとされ国家侮辱罪に問われた事を思い出し、911後に出版され【イスラム過激派をめぐる情勢を予見した】と当時のベストセラーにもなった本書を手にとりました。 そんな本書は、雪に閉ざされたトルコ北東のアルメニアとの国境の町カルスへドイツへの政治亡命者として暮らしていた【無神論者の詩人】Kaがイスタンブルを経て辿り着き、再会や出会い、4年間どうしても書けなかった詩が次々と湧き出す体験をするなどの個人的再生を果たすと共に並行して起きるイスラム過激派に対抗するクーデター事件に遭遇し、宗教と暴力の渦中に巻き込まれていくわけですが。日本と同じく【西洋的近代化を果たすための】トルコのとった政教分離政策、それに伴う欧化主義とイスラム主義の【矛盾や対立の複雑さ】といった社会問題にまず引き込まれ考えさせられました。 一方で、本書は【政治的メッセージのない政治小説】であり、主人公的存在である詩人Kaが個人的な創作やラブロマンスという徹頭徹尾、自分の目的の為に利己的に行動する姿には、何らかのヒーロー的人物の活躍によるハリウッド映画的解決、例えば街の平和を取り戻す的な単純な物語を期待してしまうと感情移入しにくいのですが、これはこれで群像劇の様に登場する人物達も含めて、リアルさを追求した結果と思えば、やはりこうなるのかな。と納得もできました。(しかし、名前のせいでしょうか?同じく雪に閉じこめられるカフカの『城』を彷彿とさせられた方は私以外にも多いのでは?) イスラム原理主義が下層階級でどのように芽生えるか、あるいは【異なる文明との出会いや共存、対立】などトルコはもちろん中東諸国の現状理解を物語的に深めたい方へオススメ。 | ||||
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"雪の静寂だと考えていた、バスの運転手のすぐ後ろ座っていたその男は。もしこれがある詩の書き出しだったら、心の中で感じていたものを雪の静寂と言っただろう"2002年発刊の本書はトルコ人初のノーベル賞受賞者の著書による『最初で最後の政治小説』にしてイスラム、多文化理解、寛容について学べる名著。 個人的には2019年10月の米下院によるオスマン帝国時代のトルコで発生した「アルメニア人虐殺」をジェノサイド(集団殺害)と認定する決議案を可決したニュースを見て、同じく著者が【2005年に100万人のアルメニア人と3万人のクルド人を虐殺した事実を認めるべきだ】と発言したとされ国家侮辱罪に問われた事を思い出し、911後に出版され【イスラム過激派をめぐる情勢を予見した】と当時のベストセラーにもなった本書を手にとりました。 そんな本書は、雪に閉ざされたトルコ北東のアルメニアとの国境の町カルスへドイツへの政治亡命者として暮らしていた【無神論者の詩人】Kaがイスタンブルを経て辿り着き、再会や出会い、4年間どうしても書けなかった詩が次々と湧き出す体験をするなどの個人的再生を果たすと共に並行して起きるイスラム過激派に対抗するクーデター事件に遭遇し、宗教と暴力の渦中に巻き込まれていくわけですが。日本と同じく【西洋的近代化を果たすための】トルコのとった政教分離政策、それに伴う欧化主義とイスラム主義の【矛盾や対立の複雑さ】といった社会問題にまず引き込まれ考えさせられました。 一方で、本書は【政治的メッセージのない政治小説】であり、主人公的存在である詩人Kaが個人的な創作やラブロマンスという徹頭徹尾、自分の目的の為に利己的に行動する姿には、何らかのヒーロー的人物の活躍によるハリウッド映画的解決、例えば街の平和を取り戻す的な単純な物語を期待してしまうと感情移入しにくいのですが、これはこれで群像劇の様に登場する人物達も含めて、リアルさを追求した結果と思えば、やはりこうなるのかな。と納得もできました。(しかし、名前のせいでしょうか?同じく雪に閉じこめられるカフカの『城』を彷彿とさせられた方は私以外にも多いのでは?) イスラム原理主義が下層階級でどのように芽生えるか、あるいは【異なる文明との出会いや共存、対立】などトルコはもちろん中東諸国の現状理解を物語的に深めたい方へオススメ。 | ||||
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まず、風情のある雪の降る街のカヴァーが気を引いた。私は絵かと思ったが写真である。 作者のオルハン・パムクは1952年生まれのトルコ人で、ノーベル文学賞受賞者。本作の舞台はトルコの北東部の都市、カルス(Kars; 実在する。2012年時点の人口は約8万人)である。イスラム教信者か無神論者かが大きなテーマになっている。少女たちが自殺しているが、宗教が関係している。私は推理小説的要素があるのかと思って本書を買ったのだが、その要素は薄い。 主人公のKaは詩人である。 「幸せでないことが力を与える」、「人は、全く知らない、二度と会うことがないことが確かな人に、全てを語りたいと思う」、「俺は自分の歴史を綴って、自分になる」などの登場人物の言葉が私の記憶に残った。また、「ケマダの戦い」(ジッロ・ポンテコルヴォ監督)という映画の引用がある。 本書を読んで、トルコと欧州の関係や、イスラム教の感性の一部が、何となく理解できた気がした。 (付記1)翻訳が良くないとのレヴューが多い。確かに「たり」があるのに繰り返しがない。また、あまり日本の文章では見かけない倒置、受動態など、思い当たる点はある。但し、外国語の雰囲気が残っていて、私は悪くないと思う。非難している人は、英語など外国語の文章を読み慣れていないのではないか。 (付記2)パムクの名は2007年から知っていたが、彼の作品を今回初めて読んだ。ちなみに私が韓国で旅行していた時に知り合ったスウェーデン人が「イスタンブル」を英訳で読んでいたので、気にしてはいたのである。 | ||||
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上巻で、私はまだ100ページほどしか読んでいないのに、「★5つ付けることに決めた」などと書いた。 まあちょっと反省してますよw 先走り過ぎたかなとww そして今、ようやく全部読み終えた。えらく時間がかかってるのは、途中で一回読むのを止めて、改めて今回最後まで読み直したから。 そしてあまりの迫力、そして重厚さに今は茫然としている。 今の日本の小説は、軽いものでないと売れないので、とにかくライトなものばかりになっている。しかし「文学」に必要なもの、文学らしさとはすなわち重厚さなのではないか。この小説のような。 さて、この小説で描かれるのは、現代的な感性の持ち主である主人公Kar、イスラム原理主義を体現する「群青」の対立を軸にした、現代トルコそしてイスラム世界の宗教・思想的な構図だ。 それだけではなく、オルハン・パムクが並々ならぬストーリーテラーであることも、この小説を面白くしている。 ストーリーの意外性も面白さのひとつなので、ここでは詳しく書かない。しかし「群青」が見せる、ある種の俗っぽさが印象に残った。これが訳文のバイアスで無ければいいのだが。 ノーベル文学賞は当然だろう。日本では村上春樹がなかなか受賞しないのをもどかしがるが、上には上がいるのだ。 それを思い知らさせる作品だ。 | ||||
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イスラム社会ではアラーを信じるか、信じないかというのは命がけの命題なんですね。まるで異質の世界です。努力すれば分かり合えるといった安易な考えは捨てたほうがよさそうです。宗教と政治が絡み合った複雑な状況を凄腕で描き出しています。凄い! | ||||
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トルコという西洋文明とイスラム文明との、混じり合い、衝突、融合そしてそこに生きる人々の生活、悩み等が、主人公karという男を通じて描かれており大変興味深かった。 | ||||
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トルコでのテロやイスラム主義が主題なんでタイムリーなんで読み返そうと思ったが、没頭することは出来なかった。 トニモリスンよりも読みやすいが。 まあ、フィクションよりも現実のほうがギザギザしてる時代ってことか。 なんでも、若い頃に理想主義に燃えて行動していた仲間たちが敗北していったことで哭く、啼くという内容である。 | ||||
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まず、お断りしておきたい。私はこの本をまだほとんど読んでいない。最初の100ページほど読んだだけだ。 しかし私はこの本に★5つをつけることを決めた。 ここまで読んだ100ページの中に、★5つを付けるに十分な文章を見つけたからだ。もはやこの文章だけでもこの本は十分な価値がある。そう思えた。 その文章とは、5.「殺人犯と被害者の最初で最後の会話」だ。この文庫ではじめの70ページくらいのところにある。 ここではイスラム原理主義者が、進歩的な(と彼が考えた)教育をしている学校の校長を殺害する直前の2人の会話が、校長が隠し持っていたボイスレコーダーの録音を起こした、という形式の文章で綴られていく。 そして、ここで語られるのはイスラム原理主義者の「心」であり「人間像」だ。 彼は校長の教育方針が、イスラムの教えに反していると非難する。しかし校長は反論する。世の中には多くの反イスラム的なことがある。これをどう考えるのか。それに対して、彼は考えない・・・。なんと考えないのだ! ここには「信仰」という名を称する、途方もないご都合主義がある。自らの信仰にとって都合のよいことだけを彼は真剣に考え、ついに殺害すら決意しているのだ。 さらに会話の中で、彼の正体が明らかになる。今彼はロクな仕事についていない。社会の落ちこぼれだ。さらにかつて刑務所に服役もしていた。その刑務所でも、反省どころか凶暴で看守の手を焼いていたらしい。 オルハン・パムクの筆は、宗教の美しい衣装を着つつ正義を語る、社会から落ちこぼれた凶暴そのものの人間の姿を、容赦なく描き出す。 これこそイスラム作家でなければ書けない文章だろう。さすがはノーベル文学賞受賞者だと思わずにはいられない。 私たち日本人は村上春樹がなかなかノーベル賞を獲れないことを嘆く。しかし世界には村上よりもはるかに優れた文章を書く作家がいるのだ。 この小説はそのことを、イヤというほど私たちに思い知らせてくれる。 | ||||
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この作品の内容については諸氏のレビューにお任せし、ここではレビューで極めて評判が悪い翻訳について一言。 私はトルコ語の勉強のため原文を読んでいます。原文は極めて特異で難解な、あるいは個性の強い書き方ですが、それに極めて忠実に、原著者の意図と雰囲気を日本語で伝えようと大きな努力をされた和久井さんの訳はすばらしいの一言につきます。訳者は「著者のトルコ語はしばしばトルコのインテリにとっても難解と言われ」、訳では原文の「雰囲気をこわさないように」「あくまでも原文に忠実であることにこころがけた」そうです(同訳者の「私の名は紅」のあとがき参照) その成果は十分に出ていて、和久井訳はトルコ語の勉強にも大変に役立つと同時に、物書きに真剣に取り組む原著者の人柄を間近に伝えてくれます。ですからこの訳本を読むと、文法や語順が日本語に近いトルコ語の表現方式や原著者の表現技術の雰囲気にも触れることができます。 一方、別の出版社から出ている文庫本の訳本を見ると、原著者が多用する小難しいトルコ語の間接話法は、平易だが味わいの乏しい直接話法の日本語に変更されてしまい、加えて説明用に余計な単語や表現も追加されているため、なるほどすいすいと気軽に読みやすくはなっているものの、原著の文学的味わいは消え去ってしまい、いわば和久井訳を基にポピュラーな大衆文学調の文章に書き直した翻訳のように私には思われ、文学作品と言うよりも、むしろ先を急ぐ推理小説を読んでいるような感じがします。 | ||||
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小説の世界の切なさと、この読書体験が終わってしまう喪失感とで、読了後数時間茫然自失。 さすがにノーベル文学賞、名作でした。 さてその内容。 女学生の連続自殺事件の取材のために、カルスというトルコの片田舎に行った詩人が様々な事件に巻き込まれていく。 それはトルコの現代史がぎゅっとつまった政治ドラマであり、手に汗握るサスペンスでもありながら、美しいラブストーリーでもあり、文章はわかりやすく美しい。 ぼくにとっての一番の収穫は、イスラムのことが等身大でわかったこと。 イスラム原理主義に走る若者、スカーフを外せという命令に自殺という方法で抵抗をする女学生たち、神が存在するかしないかでずっと悩み続ける学生たち。 まったく日本人とは違う価値観で生きているようだけれども、彼らもおなじように恋をして、恋に破れる。 イスラムと西洋の価値観との間でゆれる人々を、等身大で理解させてくれるのである。学術書を読んだときのような理解の仕方ではなく。 事実、「コーラン」を初めイスラムの学術書を何冊か読み、イスラムの国を十数カ国旅したのだが、この小説を読む方が現地の若者たちを理解できたような気がする。 (日本人のような宗教色が薄い人間はイスラム教徒の人と神について話しにくいのもあるんだけど) 作者のパムクのスタイルは西欧文学を正当に継承したうえで西欧でない自国を分解するといった感を受けた。 その感覚は『東欧の全体主義』を分解した『存在の耐えられない軽さ』のミラン・クンデラに近いのかもしれない。 是非、雪を感じる季節に読んでほしい本である。 | ||||
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少女連続自殺についての記事を書くため,雪の降るトルコの地方都市カルスで残された家族から話を聞くうち,娘たちの自殺が日常生活のなかに何の予兆も予告もなしに唐突に侵入してきたものであったという事実に心を揺さぶられる詩人Ka。 ありふれた日常が死へと様変わりしてしまう唐突さや,絶望,といったものこそが詩人Kaを魅了してやまない。 しかし,街が雪に閉ざされ,イスラム主義に反対する俳優スナイ・ザイムが起こした軍事クーデターにより,中立的な立場であるはずの詩人Kaは,イスラム主義陣営とスナイ・ザイム陣営の両陣営から翻弄される立場となる。 しかしながら,詩人Kaを動かす原動力は,憧れの女性イペキのみ。 彼女と結ばれない限り自分は幸せになれないとの思いのみから,希望と絶望が紙一重で並んでいるような気がしておびえ,政治的思想に関係なく,自分の幸せ実現のためだけに両陣営のために行動するKa。 本書は筆者オルハン・パムクが友人である詩人Kaが残したメモなどを元にKaの行動を再現した,との体裁がとられた作品です。政治的な思惑よりも,Kaの恋愛を軸に物語りが進行することから,「わたしの名は赤」よりも読みやすく親しみやすい印象です。 本書のタイトル「雪」には様々な意味が込められているようです。 たとえば,Kaはイスラム教の長老に次のように話します。 「雪は僕に神を思い起こさせます。この世がいかに神秘的で美しいのかを,そして人生がいかに素晴らしいものかを思い出させてくれる気がするんです」 憧れのイペキの妹カディーフェは 「雪を見ると,どんなにいがみ合っていても人間なんて結局はみんな同じ,広大な宇宙や時間の前では人間の世界なんてちっぽけなものだって思えるでしょう。だから雪が降ると人間は身体を寄せ合うのかも。雪って憎しみとか,野心とか,怒りとかを全部覆い尽くして,人間同士を互いに近づけてくれるものかもしれません」 本書で印象的だったのは,詩人Kaがカルスの街で訪れた詩想のすべてを雪の結晶図になぞらえて配置することで,自分自身を形作るあらゆる要素も雪の結晶に託したことです。 「人は誰しも,その生涯を示す心の地図たる雪の結晶を持っているんだ」との考えのもと完成した配置図が本書にも登場します。 Kaは,あらゆる人間の内奥にはこうした心の地図や雪の結晶図が秘められていて,遠目にみれば似たり寄ったりであるはずの人類が,実際にはどれほど異なっていて,互いに理解し得ない未知の存在であるかを証明するためには,この雪の結晶図を描くしかないと考えていたのです。 つまり,私たちは他人の苦悩であるとか,愛であるとかを理解することが,果たしてできるのであろうか?ということ。 そしてこれこそがこの物語の核心なのかもしれません。 | ||||
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ドイツに亡命していたトルコの詩人が祖国に帰り、少女の自殺が多発している町を調査するが・・・というお話。 トルコの陥っている政治と宗教の相克の凄まじさが、日本のそれと比較にならないくらい複雑で入り組んでいるのが痛いくらい判る小説。たかがスカーフをまくかどうかだけで自殺したりするのが、信仰心のない私のような世俗の塵芥にまみれたいいかげんな人間にはよく判らず、宗教というものがいかに人間にとって心の桎梏になりうるかが不可解でもあり壮絶だな、と思いました。この政治/宗教の部分が結構複雑で理解しにくくもありますが、訳者あとがきで親切に解説してあってなんとか読み切れました(訳者の方ありがとうございます)。 そこに人間の営為の根本である恋愛を絡めることで、著者はこの小説に普遍性をもたらすことを目論み、見事に成功しているように感じました。 美しくもあり、時には汚れ、迷惑でもあり、脆く儚い属性の雪がタイトルの「雪」の政治、宗教、恋愛、詩に対する暗喩ではないかと思いましたがどうでしょうか。 そしてどんなお話を書いても圧倒的に面白くなってしまうパムクの真骨頂は今作でも健在。他の作品でも読んで思いましたが、この人の場合殆ど恋愛部分がプロットの牽引役になっているのは偶然なのか、意図的にそうしているのか、人間が逃れられない宿業との信念があるのか、パムクを読む上で理解の一助になるのでは。 ここ20年くらいの世界を見渡して説話芸術においてこれほど面白い作家を私は知りません。更なる紹介に期待します。また、私事ですが雪の降る季節にこのような小説を読めたのも僥倖でした。 | ||||
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最近のハヤカワepi 文庫はヤバいですなあ。 爆発寸前というか。 天下取りマヂカというか。 どんな人たちが編纂してるのかを知りたいくらいだ。 出ないかな。 「BRUTUS 、ハヤカワepi 編集部特集号」(880円) さて、冗談はさておき、ほんとうに待望の、というか予期せぬうれしい発売である。 パムクの「雪」である。 装丁も美しいのである。 ちょっと立ち読みしたらバスバス突き刺さるセリフが溢れかえっていたので下巻まで買ってしまったのである。 実はまだ読み終えていないのである。 なんやろ、ハードカバーで立ち読みしてもぜんぜん来ないのに、文庫版やどバチバチおもろそうな本てあるよね。 あれですわ。 どれやねん。 えーと、内容は、パムク初の政治小説である。 ひとつ引用しとこうか。 「神に見捨てられたら最後、その人を待っているのは孤独だけです」 、、、、、、、、、後は推して知るべし。 、、、、、、、、、いやムリやろ! | ||||
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素晴らしいの一言。出会えて良かった!本気で思った。無人島に行くならこの本を必ず持っていく。書き出しから最後まで、冷静で安定していて魅力されました、書き出しから最高でしたし。日本人も、話題性より質の高い作家が出てほしい、もうそんな本必要ないくらいに思えた。 | ||||
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けっこう時間がかかった。重厚な本だ。そして今の時代の本で、トルコという国の本だ。 しっかりとその土地に根付いた物語で、ヨーロッパとトルコの関係、イスラム圏の中でのトルコの位置、トルコの国内事情がよく判る。 この本を読み始めて改めてグーグルでトルコという国の位置を確かめた。イラン、イラク、シリアに接し、さらにグーグルで地図が描けない国に接し、ヨーロッパ側ではブルガリアとギリシャに接している。そして舞台となる実在する町、カルスも眺めてしまう。 読んでいる半ばで映画「ペルセポリス」も見た。スカーフの存在の重さ。コーランに書かれていることと今の時代を生きることの乖離。決断の重さ。ヨーロッパに接しているからこそ起きる矛盾。 様々なことを包み込むように雪は降り、やがて止む。その3日間の出来事だが、それはとても重い。クーデターを中心にして不思議な渦が生まれていく。2項対立ではなく、様々な立場があるため、渦は思ったようには動かない。主人公は巻き込まれていく。 トルコを、イスラムを知るのにいい本だと思う。知識としてではなく、現実の有様を見て知るのに近いものだと思う。 | ||||
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詩を書くことにしか興味が無い、主人公Ka。そのKaは、作者オルハン・パムク自身のスタンスを反映させているように私は読んだ(『父のトランク』でも、そのようなことが示唆されていた)。本書のメインテーマの一つともいえる、トルコという文化の境界的特性と、そこにおける筆者の置かれる立場(西洋的でありながらも東洋人)を巧みに作品として結晶化している。 安易にいずれかの立場に拠って立つのではなく、引き裂かれた状況下でKaは迷走する。主人公が特定の宗教や政治的立場に身をおいていないからこそ、この作品は、遠く離れた日本の我々にも共感を与えるのだ。 筆者の筆力も相当なもので、絶え間なく振り積む雪のように次々と新たな事件が起こり、読者を決して飽きさせない。構成も堅牢で、一々頷きながら読んでしまった。 ところどころに光る、筆致のクレバーさ、そして著者の真摯さは、信じて読むに価する作家であると感じさせた。ドスト、プルーストなんかの匂いも感じさせてくれる。 ただ、散散言われているように、やはりこの日本語訳は、読書の流れが滞る。校正ミスも目立つ。しかし半分くらいまでくれば、後はジェットコースターのように展開が進んでいく。そこまでの辛抱だ。 | ||||
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はじめから終わりまで憂えるトルコとトルコ人がぎっしり詰まってました。 他のレビューを参考にして購入したため、読み始めは、誤植や訳のアラ探しの ようなことも頭のどこかで行っていましたが、そのうち忘れて小説の世界に 引き込まれていました。 何も解決してはいないのに、読後は嫌な気分になることもなく、 遠い異国の地方都市に思いを馳せてしまいます。 トルコ人作家がトルコとトルコ人を客観的に見てて、 ひとつの物語として楽しめるお勧めの本です。 | ||||
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