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定価のない本
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定価のない本の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.29pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全8件 1~8 1/1ページ
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満足しています | ||||
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yomiyasui | ||||
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すぐに読了しました。徳富蘇峰翁の登場は面白かったです。著者と同志社関係でかなと思いました。 | ||||
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『定価のない本』(門井慶喜著、東京創元社)は、何から何まで、私好みの推理小説です。 太平洋戦争後のGHQ占領下の東京。神田神保町の古書店街で、ある古書店主が崩落した大量の古書の下敷きになって死んでいるのが発見されるところから、物語の幕が開きます。 その死に不審を抱いた、先輩格の古書店主・琴岡庄治が、謎の解明に乗り出します。行方を眩ました被害者の妻、被害者の注文帳に残された不可解な注文主――さらに、庄治の周辺で奇怪な事件が続発します。 嬉しいことに、徳富蘇峰、太宰治も登場します。 あれこれ探り回る庄治の前に、やがて、戦後日本の巨大な闇が姿を現してきます。 古書好き、神保町好き、ミステリ好きには、堪らない逸品です。 | ||||
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本好きには良いね | ||||
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門井慶喜氏の『定価のない本』 (東京創元社)を読んだ。この前、神保町の三省堂に行ったら、この本がたくさん並べられていた。というのも、神保町古本屋街とGHQと関係する小説だからか。 ------------------------------------------- (こんな内容)→GHQ占領下の東京・神田神保町。神田神保町―江戸時代より旗本の屋敷地としてその歴史は始まり、明治期は多くの学校がひしめく文化的な学生街に、そして大正十二年の関東大震災を契機に古書の街として発展してきたこの地は、終戦から一年が経ち復興を遂げつつあった。活気をとり戻した街の一隅で、ある日ひとりの古書店主が人知れずこの世を去る。男は崩落した古書の山に圧し潰されており、あたかも商売道具に殺されたかのような皮肉な最期を迎えた。古くから付き合いがあった男を悼み、同じく古書店主である琴岡庄治は事後処理を引き受けるが、間もなく事故現場では不可解な点が見付かる。行方を眩ました被害者の妻、注文帳に残された謎の名前―さらには彼の周囲でも奇怪な事件が起こるなか、古書店主の死をめぐる探偵行は、やがて戦後日本の闇に潜む陰謀を炙りだしていく。直木賞作家の真骨頂と言うべき長編ミステリ -------------------------------------------- 古本屋仲間の謎の「死」から始まる。彼は共産主義者のスパイだったのか? GHQの「ダスト・クリーナー計画」という名の日本人の精神力・歴史力をゼロにせんがために、古典籍本を抹殺しようとする計画に古本屋店主が協力? 徳富蘇峰や太宰治なども登場しての「古本合戦」というか、「古典籍合戦」? GHQによる戦後改革、教育改革等々の動きと絡めつつ、古典籍の蘊蓄もまじえつつのミステリ小説といった感じ。まずまずの面白さ。 いわゆるウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(英語:War Guilt Information Program、 略称:WGIP)という言葉は作品の中では出てこないけど、それに類するテーマ小説といった感じ。西尾幹二氏の一連の作品『GHQ焚書図書開封』 (徳間書店)にも相通じるところがあるといえよう。現代史に関する日本の言い分を載せた本を「焚書」にしようとしたGHQなら、日本の古典の原著を「回収」しようとするのもアリかな? 古本屋の店主が探偵になり、古本・古書・古典籍を巡る歴史ミステリというのがミソの一冊。娯楽小説として楽しめる一冊でした。 | ||||
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「古典」というものの価値をどう考えたらいいのか。高校時代、受験に必要な科目ということで仕方なく勉強していた。おもしろくもなんともない。苦痛でしかなかった。それが大学で一変した。 入試の点数が悪かった私は、何の因果か必修で古典を勉強しなければならない学科に入った。我々の古典担当の先生が、「古典とは単に古い書物ということではない。文学的あるいは資料的な価値があること。そして、その書物が大勢の人間によって、長い期間必死で守られてきた、価値を認められた書物であること。時間のフィルターをくぐりぬけてきたと言ってもよい。」と教えてくれたことによって私の考えは一変した。まさに目から鱗。 考えてみればわかること。私のこの文章が千年も後に残っているはずがない。けれども、『竹取物語』や『枕草子』や『源氏物語』は生き残った。戦乱が続き業火が京都の町を焼き尽くすような状況をくぐり抜けて。何という奇跡だろう。 ところが、太平洋戦争に負けたことによって、日本はおそろしい状況に置かれる。GHQによる文化統制だ。この本の内容がどこまで史実に忠実かわからないが、日本の精神論に恐怖を感じた(その象徴が特攻だろう)アメリカ軍を中心とするGHQが、本気で考えたとしても不思議ではない。こうしたGHQの方針に対して、神田の古書店たちがどの程度「レジスタンス」に貢献したかは、浅学にして私は知らないけれども、学生時代の私が自由に古典を読むことができたのは事実である。 記号学者・小説家のウンベルト・エーコが言うように、本というメディアはグーテンベルクが活版印刷を発明してから500年以上基本的なフォーマットは変わっていない。だから昔の本を我々でも読むことができる。ラテン語やその他の言語の壁を除けばであるが。フロッピーディスク、MO(いっぱい文書を入れたディスクがあるのに)、MD、メモリースティック、スマートメディア等々。使われなくなって読み込む機器が故障すれば資料を取り出すことさえ困難になる。これがわずか数十年の間のことなのだ。 古典を「本」という形で残すことは、文化的にとても価値のあることなのだ。しかし、この価値はなかなか人々に認めてもらえない。為替相場や株価のように、はっきりとした数字では表せないからだ。大学を卒業して就職してから、私はよく「本なんか読んで何の役に立つのだ。」と言われた。大学生のうちは試験やレポートや卒論のために、本は読まなければならないものという認識を大勢の人が持っている。それが終われば価値はないというのだろう。資格試験や職業上必要な知識のために本を読むことは推奨される。しかし、ミステリーやSF、古典や文学作品を読んでいると必ず「ヒマなんですねえ。」と言われるのだ。「こいつ、変なやつだな。」という視線とともに。 文化の根本を成すものは言語である、ということはよく知られている。ユダヤ人が人種的な特徴を失ったにもかかわらず、現在も生き続けるのは、ユダヤ教とヘブライ語を捨てなかったからだ、と塩野七生の本で知った。ならば、日本文化も日本語の継承なくして存続は難しいだろう。 本屋がつぶれ、出版社がつぶれている現状を考えると、日本語の将来に不安を覚えるのは私だけではないだろう。繰り返すが、本というメディアは500年以上続いている。手書きの文書を入れれば数千年にもなる。SNSだかLINEだかわからないメディアは、それ以上続くのだろうか。もしかすると、現在の日本は、GHQの支配時代よりも文化としての危機にあるのかもしれない。 | ||||
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昭和史に疎いですが、 大好きな本の話、しかも歴史、+ミステリーときたら期待しちゃいます。 戦後GHQが我が物顔だった頃の本屋さんらの奮闘記です。参考文献からは安易に想像は出来なかったですが、あの当時に本書と同じ、もしくは近いことが起こっていたのだとしたら、ある意味3発目の原爆と言っても過言ではない気がしてゾッとしました。 ダクトクリーナー計画・・・恐ろしい! 正直、殺人事件の犯人当てや最後の締めなんかは特段良いとは思わなかったですが、日本に対するGHQ絡み部分は勉強にもなり昭和史にも興味を持てそうです。 | ||||
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