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今昔百鬼拾遺 河童
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今昔百鬼拾遺 河童の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.85pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全27件 1~20 1/2ページ
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陰陽師、京極堂こと中禅寺夏彦の妹君、敦子女史が 怪事件を追う! ・・・んだけれど兄貴が出張ったら、数ページで片が付きそうな? そこがいいんじゃな~い!って言える人は楽しく読める! "河童"というキャラクターを反映してか どうにもシモの方に向かってしまう感のある展開が 3部作の内ではイチバン気に入ってます! | ||||
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良い状態でした。 | ||||
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自分はとても気に入りましたが賛否両論ありそうな作品です。京極夏彦ファンならこの民俗学テイストが好きな人は多いと思います。が、期待が大きい方には軽すぎるかも。そしてファンでないなら最初の部分だけで冗長に感じて飽きてしまう人もいそうです。 「鬼」にも登場した聡明な女学生呉美由紀とそのご学友たちの河童談義から始まります。彼女たちはみんな上品なお嬢様。全国から入学してきたので河童の呼び方も定義も地方によって様々だということがわかり話が盛り上がります。おっとりしていかにも女学生らしい話の飛び方がおかしくて笑ってしまいました。 そして中盤で在野の民俗研究家多々良先生が出てくるとなると、民俗学的なウンチクが相当長いと覚悟した方がいいですね(笑)。好みが分かれると思うのはこのあたりかと。多々良先生とその相棒が主人公の作品は、ちょっとくどすぎて自分にはいまひとつでしたが、この作品では多々良先生を扱いなれている中禅寺敦子のコントロールで、先生の長い弁舌もそこそこに抑えられています。 河童の話と模造宝石事件、そしてお尻むきだしで川に流されたいくつもの水死体、一見なんの関係もなさそうなこれらの事件をどう繋げるのかと思いましたが、そうきたかという感じです。ネタばれするといけないのであまり書けませんが。 ユーモア小説的な軽さもあるのに、犯行の動機は暗いです。時代は2次大戦直後のまだ貧しかった日本、貧困と差別の実態が悲しいです。 他のレビューアさんもおっしゃっているように、ご本家の京極堂の続きが待たれますが、気軽に京極堂テイストを味わえるこのシリーズもなかなかいいと思います。古風な日本の雰囲気になぜか心が落ち着きます。千葉県房総半島太平洋側が舞台ですが、当時の自然豊かな描写もとても美しいです。 | ||||
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. 愉快な「河童談義」で開幕する本作は、しかし、本格ミステリとしては「破格」の作品なのではないだろうか。 件の「河童談義」でも語られるとおり、「河童」というものは、種々の条件によって、そのイメージと本質を異にする「特定できないもの」のようである。 「河童」とは、一般には「頭にお皿があって、嘴があって、背中には甲羅があって、手足には水かきがあって、全身ほぼ緑色でヌルヌルした、両生類的な人型の水棲生物」という印象があるが、これは現代的にかなり整理され一般化したイメージであって、本作でも紹介されているとおり、「河童」というのは、そう簡単に、その形態や性格を特定できる存在ではない。 と言うか、もともと存在していないのだから、多様なイメージと一般的なイメージが重なり合いながら存在するだけであって、実在しないものを特定できるわけがないのである(キリスト教の「神」ですら同断なのだ)。 しかし、これは「人間」についてだって、おおよそのところは同じではないだろうか。 「人間」の場合は、実在する生物種なので、生物学的に規定することは可能だけれど、しかし「典型的な人間」というのは存在しない。 個体は、個々バラバラで、同じ個体は二つとしてないし、その同じ個体ですら、時間の経過とともに成長したり老化したりして、一時たりとも、まったく同じものとしては存在していない。 つまり「人間とは」とか「誰某(個人)とは」と語られるものとは、語られている対象を抽象化したものでしかなく、それそのものではないのである。 ところが、「本格ミステリ」という文芸ジャンルにおいては、基本的には「人間は人間である」し「誰某は誰某である」ということになっている。 例えば、人間にはとうてい不可能と見える「密室殺人(などの不可能犯罪)」が描かれる場合、そこに「壁抜け能力のある宇宙人」や「時間をあやつる超能力者」が、何の説明も無しに登場することは許されない。そんな「お約束やぶり」の存在を認めてしまったら、そもそも「不可能犯罪」が成立しなくなってしまうからだ。 だから、「宇宙人」や「超能力者」や「ゾンビ」を登場させるのであれば、その「世界観」をあらかじめ読者に提示し、彼らには「なにが可能で、なにが不可能か」を説明しておかなくてはならない。そうでないと「本格ミステリ」のタテマエである「作者と読者の、フェアな知恵比べ」が成立しなくなってしまう。 言い変えれば、W.H.オーデンが「罪の牧師館 一一探偵小説についてのノート」(鈴木幸夫編訳『推理小説の詩学』所収)の中で指摘したように、「本格ミステリ」における登場人物は、ギリシャ悲劇の登場人物と同様に、「性格が変わらない」のだ。変わってはならないのである。 冷酷だった人物が人間愛に満ちた人に変貌したり、綿密な計画を立てる機械のような犯罪者が理由もなく気まぐれな行動を始める、なんてことがあってはならない。そんなことを認めてしまうと、名探偵の「論理的推理」は成立しなくなるからである。 「本格ミステリ」においては、「偶然」の利用は一度だけとされている。これも、そう何度も利用されては「論理的推理」など不可能だからだが、そんな一度だけは許される「偶然」よりも、「登場人物の性格の変化」は、もっとタチが悪いものなのであろう。 しかし、当然のことながら、現実の世界では「偶然は一度」とは限らないし、人間の性格も変わる。 「偶然」がめったやたらと発生しないように、「人間の性格」もそうコロコロ変わるものではないけれども、やはり現実世界も人間も、『ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず』(鴨長明『方丈記』)であり、一見おなじように見えても、決して同じではなく、常に変化しているのである。 だから、「本格ミステリ」が描く人間とは、実のところ「化け物」なのだ。 その意味では、本作が描いた人物は、「河童」ではなく「人間」であった。そのため「本格ミステリ」としてはいささか収まりが悪いのだが、だからと言って、ほとんどの読者が気づきもしないのに、わざわざ本作を「アンチ・ミステリ」などと大仰に呼ばずとも、これはこれで悪くはないと、私は斯様に思うのである。 . | ||||
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京極堂が出ないのでつきものおとしはされません完結編です | ||||
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ホッとするぐらいに読みやすいし軽めの内容になってます。 正直、立て続けに本編のレンガみたいな厚さの方ばかりを読んでいたので この薄さに安心しました…。 前作の「鬼」よりかは内容が解りやすいって言うか、純粋に面白かったです。 | ||||
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久々に京極堂の妖怪ものミステリーを読みました。 順番が違ったかもしれませんが「鬼」「天狗」ときて本書。 とても読みやすくなってました。 漢字辞書を片手に持ってないと読めなかった初期の作品が懐かしい(^-^) 主人公が敦子?だけに何時もの理屈(ことわり)が少なくて、その点でもわりとスラスラ。 謎や犯人捜しだけを追っていくのでつまらない。 やはりこの京極ワールドに浸れるかどうかが、楽しめるかどうかの分かれ目です。 | ||||
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すこし長いが読み応えがあります。 | ||||
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中禅寺敦子その他の登場人物があーだこーだと推理するが、どうせ間違ってるだろうことがミエミエの無駄な推理を長々とあーだこーだと重ねるので、途中で読むのが辛くなる。無駄な会話が多過ぎ。 それでも京極堂や探偵や小説家の面々が揃っていれば間が持つのだろうけど、この作品の登場人物では無理。読んでて「どーせ間違ってるし」感が強過ぎ。こんな短い話でも間が持たない。余計なページをカットして欲しいくらい。 期待はずれ。 | ||||
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京極さんらしい作品でした。本当は京極堂がちゃんと出てくる新しい作品を早く読みたいです。 | ||||
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ストーリーは面白い。ただ多々良センセイが出てくると話が停滞しちゃうよね。仕方ないけど。 それより今回は登場人物の「名前」にいちいち突っかかって読みづらかった。 私はキャラクターの「名前」には作者の個性が現れると思ってる。作者もあまり気にしない癖のような、法則のようなものがあるから、そこからはみ出てる「名前」は(歴史上の人物とかではない限り)話から浮いてしまう。今回はそんな「名前」がいくつもあって、違和感で苛々してしまった。 何故かと思ったら、ツイッターの企画だった。そら時代にそぐわない「名前」がある筈だわと納得。 しかし、納得したから読めるのか、というのはまた別問題。読み終わった時の疲労感はいつもより重く、爽快感があまり感じられなかったのが残念。 そもそも、名付けと言う言霊を大切になさっている作家の作品でやることではなかろう。 その分は「天狗」で憂さ晴らし出来るので良しとしておく。 | ||||
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各章の書き出しがつまらない。同音異字の笑いどころで笑えない。妖怪が題材なのに妖しくない。 | ||||
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軽い 中毒患者用の経口薬 という感じです。 シリーズ初体験の方には おススメできないなぁと | ||||
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冒頭、女学生たちのお尻談義が60ページ近くも続く。 少女のキャッキャウフフを描いても、どことなくアカデミックでひと味違う。 視点人物は呉美由紀で、探偵役は中禅寺敦子というお馴染みのコンビだ。 が、今回は冴えない。半ケツ出した男の水死体では、惹きつけられるものがない。それだけでなく、進展が遅い。 終盤になってバタバタと重要人物が登場する構成もまずい。真相はかなり意外で悪くないのだが。 | ||||
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鬼で少し物足りなさを感じていたものの、河童では多々良先生と益田くんも加わって妖怪薀蓄の重量や事件の繋がりの躍動感が一気に増して読み応え十分でした。敦っちゃんが記者ということもあって、この時代の事件や出来事が他の百鬼シリーズより多く、昭和のリアルタイム感が今昔百鬼拾遺の特徴にも思えます。美由紀ちゃんが女学生なので今回のように帰省という技がなければ舞台が限定されてしまう気がするのですが、こういう連鎖する大仕掛けな事件を続編でも期待してしまいます。 | ||||
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<ストーリー> 昭和29年の夏。複雑に蛇行する夷隅川水系に次々と奇妙な水死体が浮かぶ。調査中の模造宝石事件との関連を調べる中禅寺敦子は第一発見者が友人の女子高生である呉美由紀なのに驚くが・・・ <コメント> 冒頭から女子高生が延々と河童の話をするというところから今回の話はコメディ的な色合いが濃いことが判る。なんと言ってもどうしても「お尻」と言えない女子高生やら地元の河童の姿こそが正当だと言い張る女子高生やらの微笑ましいシーンから中禅寺敦子らの模造宝石と水死体パートになって、多々良の怒涛の河童説明など全く係わりのない物語が興味深く読めるのはさすがに妖怪や登場人物を魅力的に描写しているから。 そして、遂に美由紀の田舎で河童に襲われたかのような水死体が発見され、それらが一つにまとまっていくのには唖然とさせられる。 中でも探偵役の中禅寺敦子が頭が切れて推理力があるのだが、やはり京極堂ほどの憑き物落としの才能はないというところがこのシリーズの魅力でだから状況の変化にドキドキしてしまうのだ。 | ||||
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京極先生の通例で、細部に無理な(強引な)展開があるのは仕方ないとはいえ、さすが御大の作品です。一気に読まされました。主人公が中禅寺敦子と呉美由紀というのも良いコンビで世界観もいい。多々良先生も出てきてブンブンさせてるしw。無駄な知識満載だし。それが最後に集結して大団円迎えるとこは、京極堂程一刀両断ではないですが面白いですよ。各所に京極堂シリーズの事件の話がチラチラと差し込まれてるし。満足でした。天狗を待ってるとこです | ||||
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どっちもどっち感ありますけど、カンバンが軽いぶん三津田センセイのがまだ頑張ってる方ですわ。「謎解きはディナーの後で」とかのが早く読めるぶんまだマシ。あれもソレも今作もみんな凡作ですけどね。 京極堂シリーズの前半には確かにあった、知性と感性を同時に揺さぶる感覚がすっぱり抜け落ちている。こんなもん、ただただ冗長なだけのライトミステリですやん……あと何回、ファンの期待を裏切れば気が済むんですか? | ||||
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「鬼」に続く敦子ちゃんシリーズの「河童」。 ちょうど自分の中で某アニメによる河童ブームが起きてきたので、蘊蓄も全部楽しく読ませて頂きました。 ポピュラーで妖怪のトップアイドルのような河童。 でも、その実、その実体は謎の部分も多く、地方によってのバリエーションも豊富で、とても「人間らしい」妖怪ともいえる河童。 そのキャラクターを反映してか、物語はコメディタッチに進み、登場するのも益田、多々良といった京極作品の中でもコメディ担当(?)の人ばかり。 しかし、作品の中では原子力といった技術に対する姿勢や差別、人間の欲について胸を突かれる箇所もたくさんあり、楽しくも切ない読後感でした。 | ||||
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「何て品のないお話しなの」「品性に欠ける話しですねえ」「下品なお話しねえ」「品がない話をするなッ」「下品な話しですか?」「品のない話ですいませんね」の6章立て・・・呉美由紀ちゃんがまたまた登場する京極堂シリーズ番外編・・・今昔百鬼拾遺の次作はいよいよ天狗へ | ||||
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