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信長の原理
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信長の原理の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.46pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全85件 61~80 4/5ページ
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織田信長の歴史小説を読むのは高校以来で年を重ね受け止め方も随分変わったなとしみじみ感じた。数ある信長本の中で特にこの小説の面白いところは信長が生物の集団における行動原理の1つであるパレートの法則を見出しそれを通じ話が展開していくことにある。誰もが何某かの集団・組織に属すると思うが色々思い当たる事が発見できその点からも面白いと思った。 | ||||
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As you may know, the story based on famous history. Almost everyone expect endings of the story before reading that called HONNOJO. Why I recommend the book? Because we feel overlapping twenty one century's big companies behavior and big countries behavior. I recommend you especially business books reader. The book taught me various vocabulary and that has a hint of easy to read technique. | ||||
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実際の数値は忘れたが、アリの集団を観察すると、よく働くアリ、普通に働くアリ、働きが悪いアリの割合は2:6:2だという。よく働くアリだけをピックアップして集団を作っても、結果は同じ。働きが悪いアリだけを集めても、同じになるそうだ。経営分析などでも、ABC分析で使われる、集団に関する基本的な原理だ。この小説の話は少しく強引だと思うが、信長を含めて、経営者はこの原理を知っていれば、なにかと集団の経営に役立つだろう。面白かったので、一気に読んだ。 | ||||
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信長は、蟻を観察し、人を観察して、いわゆるパレートの原理を導き出す。活動する集団の2割は必死に働き、6割はその2割に引っ張られて働く、残りの2割はさぼっている、という社会学者が提唱した原理である。実際に信長が発見したかどうかは、どうでもいいのだ。これを、小説を貫くアイデアにしたことが、この小説の面白さに繋がっている。はたして、信長の周りの2割の者たちが、劣化するか、脱落するかしていく。明智光秀の裏切りも、その2割というわけだ。しかし、この小説の面白さは、原理はさておき、信長、佐久間大学、木下藤吉郎、柴田勝家、丹羽秀長、松永弾正、明智光秀たちの心の中に随時、作者が入り込んで、執拗にその考えることを追っていくことにある。それぞれの人物は、感情に揺れ動かされながらも、とにかく理詰めに考え詰めていく。これが、実に面白い。歴史上の人物が、本当にそう考えたかどうかは、どうでもよくなってくる。これは、作者の筆力というべきであろう。それにしても、最後は、信長よりも光秀に、感情移入してしまう。光秀の心の動きは、実際もそうだったのかなあと、ふと思う。 | ||||
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安倍総理がインスタグラムで紹介し、また私の好きな信長が題材だったので、手に取ってみました。 本書を読了して思ったことは、 著者は何を表現したかったのだろうか? でした。 あまたの作者によって料理されてきた信長ですが、本書の主題は、癇癪持ちで、人を人とも思わぬ主人公が、褒美と恐怖の両輪で家臣に過酷な要求を強い、結局は皆に裏切られていった、とのことのようです。 ただ裏切りを主題にするならば、明らかに劣勢であった桶狭間の戦いで、家臣たちの裏切りが起きなかったことを詳細に描くべきでしょう。 信長本人だけでなく、家臣一人一人にとっても最大の危機であった桶狭間の戦いで、彼等が信長に付いていった理由を何に見出だすかは、まさに作家の腕次第ですが、本書では、信長が熱田神宮に集った皆の前で、家臣が亡くなった報告を受けると狼狽し、願文を竹で執拗に叩き付け、泣くような愚行が記されています。 誰がこんな大将に命を預けるのでしょうか? こんなことをして、軍の士気が上がるのでしょうか? 信長はそんなに愚かな武将だったのでしょうか? 人を人とも思わぬ武将像は、何処にいってしまったのでしょうか? 著者は、どうやら信長をサイコパスにしたいかのようです。 そういえば、創価学会のことを誉めていた某美人脳科学者も、根拠もなく信長をサイコパスと言っていましたが、いま流行りの考えなのでしょうか? 著者はこの場面で、一人の戦国武将の、いや一人の人間の、伸るか反るか一世一代の舞台とも言える状況で、この描写に何を込め、何を読者に伝えたかったのでしょうか? そして挙げ句にはこの後、わしは今日死ぬ覚悟だ、しかと腹を括れ、と信長が声を張り上げ、それに納得してしまう軍勢が描かれています。 当時の人間は桶狭間に限ったことではなく、ずっと以前から命懸けの戦いをしているのであり、普段から敗北が死を意味することなど理解しているはずです。 なぜ桶狭間の時だけそんなことを言い、またそれだけで納得してしまう家臣が描かれているのでしょうか? 強敵・今川義元を前に家臣をまとめ上げることができたのは、褒美と恐怖以外の何物かであったことは間違いなく、そこを描かなくてはならないはずです。 また本書には、部下を許す寛大だった信長が描かれてはいるものの、ほぼ苛烈な人間として描き、合戦のときに自ら陣頭に立つ行為も罵声で自軍を追い立てるためであり、普段も家臣や領民から極度に恐れられている信長を描いています。 しかし、いかに信長が苛烈だったとはいえ、常に死と隣り合わせに生きていた武将たちが、そんなにも恐れ戦くものなのでしょうか? 戦国時代とは、親殺し子殺しが普通に繰り広げられ、兄弟殺しは信長だけでなく、今川義元も、毛利元就も、伊達政宗も、斉藤義龍も行なっており、裏切りも日常的に起きていました。 ただし信長は、秀吉のように言い掛かりのような理由で家臣を虐殺したことはありません。 その秀吉は、信長の死を伝え聞いたとき、家臣の黒田官兵衛に次のように言われたとされています。 「殿の御武運が開けるときが来ましたな」 こう言われた秀吉は苦い笑いを浮かべ、 「主君の仇を取るまでだ」 と言ったとか。 恐らく秀吉はこの時、 「お前に言われなくてもそんなことは分かっている」 と心の中で思っていたのかもしれません。 その証拠に秀吉は、織田家の権力簒奪に一点の曇りもなく突き進みます。 自分を引き立ててくれた主君の恩義など無視し、「惟任退治記」で信長の最期を汚す場面を描かせ、織田家の庇護者・勝家を追い落とし、信孝を自害させ、権力を手中に収めていきます。 これらを考慮すれば、信長の忠臣であった秀吉ですら、隙あらば下剋上を狙っていたことが分かります。 つまり戦国を貫く原理とは、力と力の戦いであり、必然的に裏切りを内包しており、光秀も例外ではなかったのではないでしょうか? 本書は、信長を信玄や謙信と比較して、頭の良さでも、配下に対する優しさでも、精神の格調でも劣っていると記し、裏切りを何度も許した松永久秀に対しては、信長が実母から無償の愛を貰っていなかったため、一度身体を張ってくれたことが嬉しかったとし、最後は同盟を結んでいた家康の謀殺すら企てています。 本書で描かれている信長とは、単なる癇癪持ちで、その裏で寂しさを抱えた子供のような戦国武将であり、この姿を通して、作者は何を読者に伝えたかったのでしょうか? 新たな信長像には違いありませんが、何の感興も湧きおこらず、全編を通して人間愛のカケラすら感じることが出来ませんでした。 そして最後まで読み、冒頭のジョージ・ソロスの言葉を振り返ってみましたが、よく分かりませんでした。 「完全な社会など不可能で、それでも限りなく改善していくことができる社会」 金で民衆や移民を動員し、国の分断を図り、トランプ政権を揺さぶる偽善者の言葉を冒頭に持ってきて、著者は何を意図したかったのでしょうか? 信長、光秀、秀吉、家康らの争いや生涯を、単なる戯れ事だと言いたかったのでしょうか? 芸術が政治に取り込まれ、利用されてしまうことは、 是非もなし なのでしょうか? | ||||
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光秀は何故信長を裏切ったのか?? この日本史に残る大事件を、”パレートの法則”を切り口に新解釈を試みています。 信長を取り巻く有能な武将達が何故、次々と裏切り、もしくは追放にあっていったのかに関して各武将からの視点、信長からの視点に分けられて丁寧に述べられていて非常に面白いと思いました。 ただし、明智光秀を始め各武将が信長を裏切ったのは、結局信長のリーダーとしての資質に付いていけなくなったことが本質で、その様子を信長の立場から見たときに”パレートの法則”が成り立ち、そしてそれは自然の原理なのだ、というややこじ付けがましい感もありましたが、全体として面白く読めました。 | ||||
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2019元旦に、一気に1日で読み切った。面白かった。 本書のユニークな特色は、信長が若年の頃からアリの観察からParetoの80/20 rule(働きアリの法則、2-6-2の法則)を発見し、その成立理由に根強い関心を持ち続け、織田家の組織運営および天下統一の軍事行動の際に考慮したという筋書きにある。 物語の大半は、信長と主要な家臣の独白に費やされる。Pareto則は「孫子」を読んでいない武将(武田信玄など、ごく一部を除くほとんどのわが国の戦国大名)にとっても、数において勝る敵を必要に以上に恐れる必要がない確信を得る効果があると考えられる。本書では、そのような戦闘における作戦行動よりも、むしろ、家中の精鋭がなぜ劣化するか、なぜ裏切り者が出るか等のマネージメントの問題に注意が向けられる。 この小説の文脈に沿えば、本能寺の変は、冷静緻密に計画された軍事行動である点はさておき、明智光秀にとって消去法の結論ということになるようだ。さらに心理としては、自分の知恵も能力も使い捨てられることを悟った松永久秀と重なり、織田家家臣としての展望を描けなくなった荒木村重とも重なる。 つまるところ、本書は、Pareto則そのものの戦国的な運用よりも、2-6-2 のなかの「脱落する2」 に共通する問題とその絶望心理、とりわけ精鋭中の精鋭がそこから脱落するときの苦悩を描き、「なぜか織田家で続出する裏切り」の問題とからめて理解しようとしているようだ。歴史にif はないし、歴史小説にもif が多すぎると話がわからなくなってしまうが、もし信長が「脱落する2」にこだわらなければ、本能寺の変はもとより、ここまで精鋭が次々裏切るような展開はなかったということなのだろうか。 | ||||
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信長像・人物設定は,旧来からのものと同様で,新鮮味はありませんでした。 やはり,客観的な出来事をなぞると,人物像は,よくあるパターンになってしまわざるを得ないのでしょうか。 とはいえ,皆がイメージする信長像に止まるものではなく,そこから一歩踏み込んだ人物描写にぐいぐい引き込まれました。よくある人物像に合理的理由というか合理的な裏付けが備わることにより,読ませるものになっていました。 個人的には,信長の人物描写は,何となく,坂口安吾の「信長」と似ている感じがしました。 史実への味付けは合理的で,得心のいく内容でしたし,信長以外の家臣団の心理描写も面白かったです。 雑談ですが,読後,「光秀の定理」を読み返してみましたが,光秀の心理描写については両著作の間には齟齬があるような気が。まあ,些末な話ですが。 戦国もの好きにはオススメです。 | ||||
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一人称の文章なので、まさに状況が迫ってくる。 どうすれば「効率」を追求できるか? そんな考えを持っている人には共感できます。 | ||||
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パレードの法則を膾炙している方が多々見られるが。確かに終始でてくる話だが、大切なことは、この法則を成り立たせている原理だろう。このことを読み切れてない感想があるのが残念だ。 信長が死の前にとらまえた原理とは、復元する力だと筆者は主張する。他の生きもの同士の拮抗を、常に均して維持しようとする。ある特定の生き物だけを、この世界に突出させない。それ以前の状態に絶えず戻そうとする力である。 彼はこの力によって滅ぼされたとする。 しかし、信長は、神仏はもちろん法(原理)にもひれ伏さない。絶対的な虚無主義者・無神論者たる信長は、自死を選び、しかも、その骨を、天道(白昼の光)の下に、晒すことは、意地でもさせない。これが肝であると思う。 「神仏などいない。単なる紙や木でできている。。。俺たち人間の救いようのなさは、自分たちの存在に本来は何の意味もなく、この世に自分が生まれてきたことに何の理由も必然もないことに、薄々どこかで気づいてしまっているということだ。」「人が生きていく上で、最もやりきれなく、そして始末におえないことは、その生が、本来は無意味なものだ、ということに、皆どこかで気づいていることだ。」 思考を合理的に煮詰めれば、この結論に至らざるを得ないだろう。しかし、それではほとんどの人の心は持たない。残る道は、神仏法にすがるしかないのだろう。神仏にすがるには、思考を停止するしかない。だから信仰なのだ。 復元する力、それに連なる、人生の無意味という絶対的な虚無・原理に、虚無主義者のはずの信長は、図らずも爪をたてた(たてようとした)・意味を持たせようとした。原理に応戦したというように思える。 信長は最後まで思考を停止しなかった。これは歴史小説ではない。哲学書だ。 | ||||
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「光秀」と並行で読みたくなった 後でやろう 「そこそこ恥ずかしくない」序列でいたい。 ↑って物凄く共感。抜きん出たい訳ではなくて、抜きん出られてると思うほどの器量もなくて、でも肩身狭くなるトコじゃやなんだよなあ 楽しく読みました | ||||
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内面を重視したこういう書き方の信長は初めて読んだが、いまいち共感出来ない部分が多く個人的には微妙だった | ||||
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ネタバレになるので書きませんが、新しい着眼で楽しめます。もちろん多少の無理は承知で読まなければなりません。 | ||||
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テンポよく、織田家家臣団の力動を楽しめます。後半はやや駆け足の印象です。 | ||||
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人間も所詮は流転する万物のひとつ。無情なもの。いくら、出世欲、勝ち負け、虚栄心、承認欲、他人からの評価、物欲にまみれても、この世は空疎なもので「無常」であることを、この物語は表現していた。 現代の自分の周りで起こっている事象から、ふとその法則に気づいて、漠然とその虚無感でどのような人生を歩んでいくべきか模索しつつ、やはりこの時、今を生きる、命を燃やす以外ないとの結論に至る。 信長の枠の中で、動いている武将たちが生き残るのは出世競争に勝ち続けるしかない。はじめは、実力主義の前例にとらわれない待遇に恩義に感じ、それをエネルギーに変え、信長の天下布武の志に貢献することで、自尊心が満たされるが、休みなく追い立てられ、理解できない残忍な下知や命令を忠実に遂行し続け、信長に認められ続けることでしか、生き残れないことにふと気づく。 信長から役立たずのレッテルを貼られ容赦なく、放逐、脱落、この世から消えていく無残な姿を横目に、次は我が身と恐れおののきつつ、更にハードワークに突っ込んでいく、そして心身共に疲れ追い詰められていく。そして謀反、裏切りへと変わっていく。 「恐れ」でマネジメントする信長は、最後までなぜ、裏切り続けられるか気づかない。孤独が深まり、さらに、信長は「自分が全て、自分しか信じない」「俺のための天下布武=絶対的な皇帝」じゃないと許せない、思想に固まっていく。それを達するための道具でしかないことに、気づいた武将たちは、さらに恐れ追い詰められていく、スパイラルに入っていき、必然的に結末を迎える。 万物には目に見えない法則があることも、この物語に出てきた。「蟻の法則」が一貫として本書の軸を構成しているが、2:6:2は人間にも通じる。下の2を排除しても、その比率に「復元」する。この法則に抗うことはできるのか?皆が最高のパフォーマンスがでるような組織は可能なのか? 今は戦国の世ではない。殺されることもない。死ぬこと以外はかすり傷、この世は無常であることに気づき、解決できないことを悩まない、苦しまない。押し寄せてくる波を受け入れ「楽しむ」感覚を持てる集団が、最高のパフォーマンスを出すヒントだと思う。それができる今は、戦国時代より恵まれている。 | ||||
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パレートの法則、またの名を働き蟻の法則、ともいう 20世紀初頭にイタリアの経済学者ヴィルフレド・パレートが発見、提唱した理論であり 蟻の群れを観察すれば良く働き全体を引っ張る蟻は全体の2割、それに同調盲従するのが6割 サボっている蟻が2割というもので2.8.2の法則とか1.3.1の法則とも言う。 この物語が面白いのは、歴史好きについては卒業アルバムに並ぶ同級生か担任の先生みたいに 近しく感じる織田信長や明智光秀について、その組織が胎動し天下統一に拡大し、やがて 本能寺で裏切られる周知の物語りを先ほどのパレートの法則、というたった一つのフィルターを 通してみることにより、すべてが新鮮に、明晰に形を変えて表出する処にある。 それは。今まで攻略の手掛かりもつかめず云々唸っていた数学の問題が、たった一つの解法を 活用することにより、一気にスパン、スパン、と歯車がかみ合うように解けてゆくときの開放感と 小気味良さに溢れている。 信長が幼少の頃より常人と異なる合理的、理知的な発想で世を捉え、それを組織や軍団として 編成、構築してゆく様、秀吉や光秀、といった人材を野から見出し家臣に育てる中で彼等を掌握しつつ 畏怖させ、離反してゆく歴史的な流れが垣根涼介がパレートの法則という定規で補助線を引くことに より一気に証明されてゆく。 この法則によれば、信長が桶狭間で寡兵で今川を破ったのも、繁栄期の織田軍団の中でかつては有能だった 古参の武将が精彩を欠いてゆくのも、そして、光秀が反逆したのも全て法則の通り、5の中では1の 働かない蟻が脱落する、という法則を確実に踏襲したものに過ぎない。 @@@@ここからネタバレ考察です これから読む人は後で確認してください 垣根涼介はパレートの法則で信長を料理するという発想の妙に捕らわれすぎた気がする。 確かに物語後半の織田軍団の古参武将佐久間信盛が脱落するまではピタリと法則が合致して小気味良い。 だが最後のクライマックスで光秀が裏切ること、が5人の有力武将の中の1匹の蟻に例えると いうのは無理筋、強引であったようだ。一匹の蟻は法則では働かない怠惰な蟻で脱落するので あるから主君を下剋上して位置を狙う光秀には当てはまらないのではないか?きっと垣根は これまでの物語の筋が全てパレートの法則に嵌りすぎたため、本能寺の変も多少の意味変を 自覚しつつも此処にも法則を使いたい、と欲目を出してしまった気がする。 世の中にはパレートの法則以外にも神的摂理の法則は数多あるので光秀のエピソードについては むしろ別の法則が最後に一気に登場して度肝を抜くくらいのケレン味が欲しかった。 更に突っ込むと後半生の信長のパレートの法則への対応も間違っていることが目についてしまう。 法則で働かない蟻が出てきた場合にはその蟻を切り捨ててはいけないのだ。信長が秀吉と二千匹の 蟻で実証実験したように、働かない蟻を切り捨てた蟻の母集団の中から新たに働かない蟻が生まれて しまうのがこの法則のはずなのだ、だから、集団の効率を優先した場合には働かない蟻は存続させつつ もその蟻の仕事の内容を集団の足を引っ張らないような別の質の仕事なり部署なりに変えてゆくこと が対処策となる。 既に経済学ではパレートの法則の応用編は解説されており、一番わかりやすいのは組織の比率には 手を触れずにおいて、その組織で一番稼ぎ頭である2割の蟻に更に資本を投下し、働く蟻の能力の 絶対値を引き上げる、というものだ。この場合であれば秀吉や光秀をさらにレベルアップし権力も与え 信長の両腕、いや分身にまで地力を上げることがこの法則の解法なのである。 更に言えばロングテールの法則(パレートの法則を発展させたもの)の様に 母集団の数を膨張させ、その帰結として優秀な2割の蟻の絶対数を増やせば組織力は向上する。といった 視点へも上がることができたかもしれない。 実験に立ち会った二人の賢人、信長と秀吉。 信長は法則を理解しつつも逆らえないものとして法則に囚われ、部下を切り捨てにはしり、 秀吉は法則としては頭では理解しきれないものの直感で法則を応用し、切り捨てない解決策を考案し、実行した。 このような歴史のifがこの小説のアプローチにはある。そして優れた小説とは完全な小説ではなく このような多種の読み手の発展と進化のノックとなるような萌芽を有したものであるに違いない。 実はこの小説中盤、秀吉と光秀の丹波攻略時のエピソードの陰にこのような発展形の芽が隠れているのだが これは垣根涼介の次回作、秀吉の○○、の秘蔵のネタかもしれない。楽しみです。 | ||||
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信長だけでなく並居る重臣目線からの苦悩や野心、謀反。尾張統一から本能寺までリズミカルに物語が進展し最後まで飽きさせない逸品でした。 パレートの法則から導かされる万物の原理、それに気付いた信長、秀吉、それに松永久秀。 そこから繰り出される漢達の決心は、結果を知っていてもスリリングでした。 | ||||
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つくづく歴史小説ってものは、歴史の事実を書く物ではなく、歴史を素材にしたフィクションなのだなあと思わせてくれる作品。まさか信長のような有名人物でそれを試みるとは思っていなかったので、ちょっと驚きました。 実際にはワンアイデアで書き進められているのですが、こういう切り口も残っていたのかと驚くと思います。 | ||||
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苛烈な覇道の裏にある信長の哀しさを感じさせる作品。生来の気質の激しさから実の母親にも疎まれ、幼い頃からひとりだけで世の中の理を考え続ける信長。その延長線上で、勝つためには合理的だがあまりに冷徹すぎる戦いを続け、最後は腹心の部下の裏切りに倒れる。誰からも畏怖されるが決して愛されない英雄の、哀しい内面を描いた力作。個人的には「光秀の定理」の方がキャラクターが豊富で楽しめた。 | ||||
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たぶん、この作家の全作品を読んでいます。移民もの、アウトローものときて、会社員ものに転調し、時代小説を書き始めたときは驚いたけど、どれを読んでもハズレがないのにはもっと驚きました。室町ものは別として、今更手垢にまみれた光秀や信長を書くか、と食指が動かなかったのですが、読み始めるとまあ面白いこと。昔、北方健三があえて港町・船員・酒場を用いてハードボイルドを書いていたことを思い出しました。短い文章をたたみかけるようにリズミカルに連ね、いつのまにやら40年間の激動の世界に旅をさせてくれました。多謝。 | ||||
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