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信長の原理



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【この小説が収録されている参考書籍】
信長の原理
信長の原理 上 (角川文庫)
信長の原理 下 (角川文庫)

信長の原理の評価: 4.46/5点 レビュー 85件。 Aランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.46pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全1件 1~1 1/1ページ
No.1:
(1pt)

芸術と政治の関係性

安倍総理がインスタグラムで紹介し、また私の好きな信長が題材だったので、手に取ってみました。

本書を読了して思ったことは、

著者は何を表現したかったのだろうか?

でした。

あまたの作者によって料理されてきた信長ですが、本書の主題は、癇癪持ちで、人を人とも思わぬ主人公が、褒美と恐怖の両輪で家臣に過酷な要求を強い、結局は皆に裏切られていった、とのことのようです。

ただ裏切りを主題にするならば、明らかに劣勢であった桶狭間の戦いで、家臣たちの裏切りが起きなかったことを詳細に描くべきでしょう。

信長本人だけでなく、家臣一人一人にとっても最大の危機であった桶狭間の戦いで、彼等が信長に付いていった理由を何に見出だすかは、まさに作家の腕次第ですが、本書では、信長が熱田神宮に集った皆の前で、家臣が亡くなった報告を受けると狼狽し、願文を竹で執拗に叩き付け、泣くような愚行が記されています。

誰がこんな大将に命を預けるのでしょうか?

こんなことをして、軍の士気が上がるのでしょうか?

信長はそんなに愚かな武将だったのでしょうか?

人を人とも思わぬ武将像は、何処にいってしまったのでしょうか?

著者は、どうやら信長をサイコパスにしたいかのようです。

そういえば、創価学会のことを誉めていた某美人脳科学者も、根拠もなく信長をサイコパスと言っていましたが、いま流行りの考えなのでしょうか?

著者はこの場面で、一人の戦国武将の、いや一人の人間の、伸るか反るか一世一代の舞台とも言える状況で、この描写に何を込め、何を読者に伝えたかったのでしょうか?

そして挙げ句にはこの後、わしは今日死ぬ覚悟だ、しかと腹を括れ、と信長が声を張り上げ、それに納得してしまう軍勢が描かれています。

当時の人間は桶狭間に限ったことではなく、ずっと以前から命懸けの戦いをしているのであり、普段から敗北が死を意味することなど理解しているはずです。

なぜ桶狭間の時だけそんなことを言い、またそれだけで納得してしまう家臣が描かれているのでしょうか?

強敵・今川義元を前に家臣をまとめ上げることができたのは、褒美と恐怖以外の何物かであったことは間違いなく、そこを描かなくてはならないはずです。

また本書には、部下を許す寛大だった信長が描かれてはいるものの、ほぼ苛烈な人間として描き、合戦のときに自ら陣頭に立つ行為も罵声で自軍を追い立てるためであり、普段も家臣や領民から極度に恐れられている信長を描いています。

しかし、いかに信長が苛烈だったとはいえ、常に死と隣り合わせに生きていた武将たちが、そんなにも恐れ戦くものなのでしょうか?

戦国時代とは、親殺し子殺しが普通に繰り広げられ、兄弟殺しは信長だけでなく、今川義元も、毛利元就も、伊達政宗も、斉藤義龍も行なっており、裏切りも日常的に起きていました。

ただし信長は、秀吉のように言い掛かりのような理由で家臣を虐殺したことはありません。

その秀吉は、信長の死を伝え聞いたとき、家臣の黒田官兵衛に次のように言われたとされています。

「殿の御武運が開けるときが来ましたな」

こう言われた秀吉は苦い笑いを浮かべ、

「主君の仇を取るまでだ」

と言ったとか。

恐らく秀吉はこの時、

「お前に言われなくてもそんなことは分かっている」

と心の中で思っていたのかもしれません。

その証拠に秀吉は、織田家の権力簒奪に一点の曇りもなく突き進みます。

自分を引き立ててくれた主君の恩義など無視し、「惟任退治記」で信長の最期を汚す場面を描かせ、織田家の庇護者・勝家を追い落とし、信孝を自害させ、権力を手中に収めていきます。

これらを考慮すれば、信長の忠臣であった秀吉ですら、隙あらば下剋上を狙っていたことが分かります。

つまり戦国を貫く原理とは、力と力の戦いであり、必然的に裏切りを内包しており、光秀も例外ではなかったのではないでしょうか?

本書は、信長を信玄や謙信と比較して、頭の良さでも、配下に対する優しさでも、精神の格調でも劣っていると記し、裏切りを何度も許した松永久秀に対しては、信長が実母から無償の愛を貰っていなかったため、一度身体を張ってくれたことが嬉しかったとし、最後は同盟を結んでいた家康の謀殺すら企てています。

本書で描かれている信長とは、単なる癇癪持ちで、その裏で寂しさを抱えた子供のような戦国武将であり、この姿を通して、作者は何を読者に伝えたかったのでしょうか?

新たな信長像には違いありませんが、何の感興も湧きおこらず、全編を通して人間愛のカケラすら感じることが出来ませんでした。

そして最後まで読み、冒頭のジョージ・ソロスの言葉を振り返ってみましたが、よく分かりませんでした。

「完全な社会など不可能で、それでも限りなく改善していくことができる社会」

金で民衆や移民を動員し、国の分断を図り、トランプ政権を揺さぶる偽善者の言葉を冒頭に持ってきて、著者は何を意図したかったのでしょうか?

信長、光秀、秀吉、家康らの争いや生涯を、単なる戯れ事だと言いたかったのでしょうか?

芸術が政治に取り込まれ、利用されてしまうことは、

是非もなし

なのでしょうか?
信長の原理Amazon書評・レビュー:信長の原理より
4041028388

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