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オンブレ
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オンブレの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.65pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全17件 1~17 1/1ページ
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私は村上春樹の良い読者ではない。何冊か読んでいるのだがピン!ときたことがない。多分感性が合わないのだと思う。この本の解説で村上が「痛快」と言っているし帯にも「痛快無比」とあるが、読んでいて全然痛快さを感じなかった。こんなヒロイズムあり得ないでしょう。しょうもない連れにさんざん足をひっぱられて「一緒に馬車に乗るのはいやだ」とまで言った連中のために最後は命を落とす、ありえんなぁ。スッキリするどころかモヤモヤして気持ち悪い。「オンブレ」だけなら☆2つだが、併収の「三時十分発ユマ行き」は短編小説としてイケてるので、☆3つとした。 | ||||
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主人公が Homble たる所以に至るまでの起伏のなさ.翻訳小説の「会話」が難しい. | ||||
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『オンブレ』『三時十分発ユマ行き』の二篇で、いずれも西部小説。後者は映画『3時10分、決断のとき』の原作としても有名な短編である。「オンブレ」は「男(マン)」を意味するスペイン語であり、物語の中心となるマスタンガー(野生馬の密猟・密売に関わる者)として生きるジョン・ラッセルの通り名のひとつである。 とある町で、インディアン管理官であるフェイバーの強引な要求によって臨時の駅馬車が運行されることになった。フェイバー夫妻と馭者のメンデス以外に、駅馬車経営会社を辞めたばかりのカール、ならず者の男、インディアンにさらわれた後に救出され帰途につくミス・マクラーレン、そしてジョンを含むそれぞれ異なる境遇の七人が旅をともにする。インディアンに育てられた過去をもつラッセルやインディアンにさらわれたミス・マクラーレンにあからさまな嫌悪感を示すフェイバー夫妻や、ならず者の身勝手な行動もあって落ち着かない雰囲気のなか旅が進む。その途上で七人が乗った駅馬車は強盗団に襲われるのだった。 物語は美しいミス・マクラーレンに魅せられて駅馬車への同乗を決意したカールの視点で語られる。一同のなかでは存在感の薄いカールは狂言回しにあたり、一連の事件を通して「オンブレ」ことジョン・ラッセルという男を描き出す。砂漠、駅馬車、美女、悪党、そして正義のアウトローと、舞台と役者が揃った西部小説の世界を堪能できる。娯楽作品だが甘いストーリーではなく、物語の設定もあいまって"渇き"の感覚をもたされる。悪党を含むジョン以外の個々のキャラクター描写もしっかりしていて完成度が高い。私が最近読んだ日本の作家では山本周五郎がこれに近いかもしれない。 死刑囚を列車に乗せるべく連行するポール・スキャレン保安官補を描いた『三時十分発ユマ行き』はその短さを生かした緊張感のある展開で、『オンブレ』に劣らない良作だ。娯楽作としての爽快感はこちらが勝る。ジョン・ラッセルにしても、ポール・スキャレンにしても、彼らの選択した行為の重さが読後に余韻を残す。「読み捨てられることを前提とした安価な娯楽小説」とは思えない、質の良い作品だった。巻末では訳者・村上春樹の長めの解説も読める。 | ||||
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最後まで読んでもレナードの小説を読んでいる感じはしなかった。初期の作品であるということの生硬さももちろんあるのだろうけど、あまりよろしくない意味で村上の小説になってしまっているような気が。本来であればプロット的には最後に圧倒的なカタルシスがあるはずなのだが、どこか理屈っぽい訳文の硬い語り口が台無しにしてる感。誤解して欲しくないが、僕は本来村上春樹の初期作品のファンだ。ティム・オブライエンではこんな違和感を感じなかったが。表題作の以外の短編も読むと、当時まだ小説書きとしてレナードは稚拙だったのだろう。つまりどうってことはない作品。村上はたぶんそれをより格調高いものにしようとしたのだと思う。そこにちょっと無理が。 | ||||
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西部劇が好きなのですが、これはあまり面白くない。 村上春樹翻訳ですが、良くも悪くも村上節は無いので、ファンが読む必要はない。 | ||||
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物語にエンジンがかかるまでが遅く、正直なところ序盤はかなり退屈でした。 名前も覚えにくいし、特別なことが何も起こらないため、先が見えずに なかなか文章が頭に入ってきませんでした。 しかし、物語に大きな動きが出る中盤あたりからは、淡々としていた空気が一変し、 緊迫感を増しつつ終盤へ向けておもしろさが加速してゆきます。 ハードボイルドな文体や、陰のある無口な主人公のかっこよさにやられ、一気読みです。 荒野での鬼ごっこは描写もうまく、舞い上がる砂埃や喉の渇き、 逃げ込んだ地形や人々の不安や動きが想像でき退屈することなく、 背後から忍び寄る敵からの襲撃に怯える緊張感が常にあります。 個人的には村上春樹の書く小説は苦手ですが、翻訳や紹介している作品は良い作品が多いので どうだろうなあ、と思っていた人にもおすすめできます。 エンタメ要素もあるしっかりした西部劇で、読み応えのある骨太な小説でした。 | ||||
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「村上春樹訳」が読みたくて購入。「訳者あとがき」から読み始めました。 ていねいな村上春樹さんの「訳者あとがき」のおかげで、無法者のガンマンみたいな、 ろくでもない悪党が、なぜ面白いのか分かったような気がしました。 「なにかと面倒なやつらで、性格がひねくれて、ろくなことを考えつかない。いじましく、厚かましく、いやに悪知恵が働いて、ときには馬鹿馬鹿(ばかばか)しいくらいサディスティックにもなれる。しかしそれでも彼らにはどこかしら憎み切れない部分がある。よくもまあ、こんなどうしようもなく屈折したやつら」(302頁) 「彼らは話が面倒になると、ところどころでオールド・ウエストのロジックを持ち出し、現代の社会システムをあっさり無効化してしまう」(302頁) 馬鹿馬鹿(ばかばか)しい、ろくでもないやつらについての村上さんのスッキリした解説。 胸がすく。訳者と同じような気持ちになって、本書を楽しむことができました。 「訳者あとがき」には、「神話としてのウェスタン」という副題がありました。 ウェスタンは、もはや「神話」に? 「神話は理解するものではない。ただ受け入れるものなのだ」(309頁)と村上さん。 「むずかしいことは言わず、ポップコーンでも食べながらのんびり楽しんでいただければと思う」(296頁) はいほー。 「二本立て西部劇」の映画のような、「二本立て西部小説」のこの本。 読み捨てゴメンの三文小説風。だけど、読み終わったのに捨てられない。 世界的文豪の村上さんが心を込めて訳してくれたから、この本を捨てられない。 村上さんがこの本を訳した理由。 「読み物としてとても面白く、小説としての質が高く、半世紀以上の時を経てもまったく古びていないから」(297頁) いまや古びちまった読者は、子どもの頃、 ろくでもないけど、面白い「二本立て西部劇」の映画を楽しみました。 最高の楽しみでした。この本を読みながら、その頃の気分を思い出しました。 そういえば、われら終戦直後に生まれた団塊世代の子どもたち。 今はなき「二本立て映画館」に満員のガキたち。 その熱気であふれる映画館の中で、ひと時、銀幕が光り輝く別世界の白黒映画に夢見心地で あこがれ、楽しみました。 映画が終わってクレジットが流れ出すと、みんな拍手しました。礼儀正しいガキたち。 その後、映画に色がついて総天然色になり、ガキたちも色気づいてきちゃいました。 なつかしい映画の時代。 そんななつかしい西部劇を、映画ではなくて、小説で読むのは「村上春樹訳」が初めて。 漫画が小説化されたような、不思議な感じです。 「最後の最後までクールさを失わず、筋を通して一人で静かに死地に向かうその姿は、その透徹した孤独さは、素直に読者の胸を打つ(だろうと思う)」(309頁) 「筋を通して一人で静かに死地に向かう」表紙のガンマンの後ろ姿に、 村上さんを重ねてしまいました。 理屈抜きで、楽しく読める小説、一筋に、一人で静かに老境に向かう、孤独な村上さん? 違う違う。村上さんは孤独でないし、世界中に村上さんを理解する読者がたくさんいるから。 この本のカバー写真は、ブレにブレています。ブレブレの手ブレ写真。 夕陽に向かうガンマンらしき馬上の人は、どこかドン・キホーテ風に見えます。 この後ろ姿のガンマンさんは、誰でしょう? お願い、振り向いてください! あっ! ボーイ。村上春樹さんでは? カウボーイ・ハットがクールで、かっこいい。 ろくでもなくブレるところが、この小説の面白さのもとになっている(のかも知れません)。 小説「オンブレ」に登場する西部の男たちの第一の価値は、金(マネー)。マネー、マネー。 と思いきや。からからに乾ききったアリゾナでは、金より水のほうが大事なんや。 ブレまくって、価値観が分からなくなっていきます。 そして、最後には、水より女だ、と、もう一度ブレる。 女のために自らの血を流して決着をつける果し合いへとブレていく。 クールにかっこをつけて、かっこよくブレて、きっぱりブレまくる。ブレブレ。 善玉ヒーローと悪漢の単純ガンファイトなんだから、ガンガン、ブレて楽しませてくれる。 御(おん)ブレの御大。おんぶにだっこの節操のない面白さ。 銃規制の方向に、アメリカの半分の国民は向かっているように見えます。 そんな社会状況のようにも思えますが、ところがどっこい。 大統領はオールド・ウエストのロジックを持ち出してきています。 原作者のレナードの小説は 「ヒーローと悪玉の絡みがなにしろ面白い。どこにボールが飛んでくるかわからないという、レナード独特のナックル・ボール的魅力に満ちている」(307頁)と村上さんは評価しています。 野球ゲームの面白さのような、西部小説のゲーム的面白さは、現代にも通用しそうです。 しかし、よく見て投げろ! と外野からいくら怒鳴っても、ピッチャーには聞こえない。 <どこにボールが飛んでいくのかわからない。ボールに聞いてくれ>、 と言わんばかりの社会状況のようにも思えます。 面白いと楽しんでばかりいられないような気分です。 最後に、本書『オンブレ』を原作とした、ハリウッド映画『太陽の中の対決』について、 十七歳の娘マクラレン嬢が映画には登場しないため、 「この物語の本来の緊張感は大幅に損なわれてしまっている」(308頁) と村上さんは辛口の評価をしています。同感。オレオレ。 楽しく面白い『オンブレ』の原作の中にある「緊張感」 「村上春樹訳」の中にある「緊張感」を読み落としてはいけません。 この「緊張感」こそ、読後も本書をゴミ箱に捨てられなくしているスパイスです。 小娘マクラレン嬢に行き着いたようにも見えるブレブレのガンマンの姿は、 最後まで焦点を結ばない。焦点がひとつではない渦巻きのように複雑怪奇。 暗い世の中からいくら突っ込まれてもボケ続けるガンマンのこっけいさ。 酷刑に値するガンマン。フェイドアウト。 | ||||
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レナードは決して国際的謀略や爆発数秒前で救うヒーローを描かなかった。むしろそういうのは馬鹿にしていた。彼が好きなのは、起きてしまった身の回りの出来事に冷静に対処するタフネスで、それは初期の西部小説においても変わらなかった。 まさか本人没後に村上春樹訳で、ずっと昔の作品を(しかもこんな価格で!)読めるとは思っていなかった。 翻訳者と出版社に感謝する。 | ||||
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エルモア・レナードって西部小説でデビューしたとは知らなかった。 そのあたりの事情は村上氏が巻末の訳者あとがきで詳しく解説してくれています。本編もいいけど後書きが秀逸です。作品の情報と共に村上氏のレナード愛がしっかり伝わってきます。 駅馬車の乗客達の強盗団からの逃避劇なんだけど、正直言って荒野を逃げ回るパートは単調で退屈でした。でも鉱山での対決になると息を呑むシーンの連続です。そして、ここで逃避行中の出来事や人物の描写が効いてきます。 苦労して織り上げた上布をサッと広げるようなラストが見事! 小説を読む醍醐味が堪能できます。 レナードファンだけでなく村上春樹ファンや西部劇ファン、翻訳ミステリーファン、全ての人におすすめしたい佳作です。 | ||||
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あまり西部劇らしさがなく、展開が単調でした。肩透かしを食らった気分です。私にはあまり合いませんでした。 | ||||
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物語は淡々と進みます。エンターティナーのような西部劇を期待すると、肩透かしです。 感情移入できません。 | ||||
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「3:10」を念入りに活劇化すると「決断~」二作となる。春樹が「シノーラ」に触れないのはお楽しみが控えるから?と期待。 | ||||
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これは、まさに「良きサマリア人」。筋立てがいささか単純で、後々レナードの外連味みなたいのものは薄いが、その分ずっと記憶の底に残るだろう。気持ちのいい西部劇の一幕。 | ||||
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読み始めは評価「4」かもなあと思ってたけど、いろんな意味で面白く、結果「5」。 面白かった理由その1 翻訳 たぶんこの作品についても原文に忠実なものを心がけていたのだろう村上さんの訳は、時に直訳調に感じられるけど、一方でエンタメにおける文学性も感じさせてくれる。レナード作品は初めてで、もちろん原文がどんなものかもわからないけれど、意訳を(たぶん)極力排した日本語化は読み手自身の受け取り姿勢に委ねる部分が大きく、翻訳のひとつの在り方だなと思った。 面白かった理由その2 西部 個人的に西部とかメキシコとの国境あたりを舞台にした話が好きなので、いやもうこれは単純に。他の作家の話をすれのもナンだけど、コーマック・マッカーシーの国境三部作を読み返したくなった。 面白かった理由その3 西部小説 西部劇が好きなのだが、ああ映像で観る、人や町の埃っぽさや、引き金を引くまでの間や、荒野のだだっ広さや、善悪のなさと暗黙のルールは、文章だとこういう風に表現するんだと感心してしまった。 本書所収の2作品は映画化されているそうだが、アップ、ロングショット、スローモーションなどが目に浮かぶ文章だった。 面白かった理由その4 価格 買った後で価格設定に驚く。内容などの好き嫌いはあるだろうけど、これ(作者、役者、ページ数などなど)で税別550円なら迷ってる人は買った方がいい。 | ||||
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一時期集中的に数十冊を読み倒したエルモア・レナード、映画化された作品(「ゲットショーティー」「ラムパンチ」「アウトオブサイト」などなど)も少なくないにも関わらず、ここ最近の日本での人気は今ひとつなのか、書籍が絶版状態の中、村上春樹が遂にやってくれました。これまで未翻訳だった西部ガンマン小説の登場です。 最近忘れさられがちだった自分の好きな作家が、掘り出されるように再び脚光を浴びるのはなんだか自分のことのように嬉しくなります。 エルモア・レナード作品の最大の魅力は、どの作品も最初の一行目から読者を惹きこむレナードならではといえる文体の妙だと思いますが、久々に読んだレナード作品として、本作もしっかりレナード節が伝わり、やはり小説としての質の高さを感じさせます。 レナード作はいずれも、クールで飄々とした、それでいて生き生きとした存在感をみせる登場人物らの痛快なやり取りを読むのが楽しく、小さなことで悩んでいてもしかたがないじゃないか、ゆったりと構えて耳を澄まし、シンプルに行動すればいい、と自分自身なぜか元気になってくるから不思議です。 そういった意味で本作も例外ではなく、現代ものも西部小説も同じレナードならではの芯がとおった安定感、クオリティの高さ、読者を惹きつけてやまない面白さがあります。 特に後半、自分が優位に立っていると思っている悪役に対し、主人公ジョン・ラッセルが終始一貫して自らの在り方を変えることなく、一気に形勢逆転させる「あんた、どうやってその坂を下りるつもりだ」の一言には痺れます。 表題作のほかに短編「三時十分発ユマ行き」が並録されていますが、こちらもすごいです。 もうこうなったら、残りのレナード西部小説も村上春樹翻訳でどんどん出してくれないかと期待しています。 | ||||
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翻訳が村上春樹さんだったので読みました。 懐かしい西部劇! 寡黙なヒーロー そして、西部劇としては珍しい結末。 村上春樹氏のあとがきによれば、 作者は小説家になるまで苦労して やっと西部小説というジャンルで書くことにしたところ 世の中はTVドラマの西部劇全盛となり・・・・ この良質の小説も映画化されたものの 主要人物の設定を変えられたりして、映画としては凡庸なものになったり・・と それでも、村上春樹さんが翻訳したから、今日本語で読める。 読みごたえのある小説でした。 | ||||
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エルモア・レナードを、しかも初期の西部小説を新訳で刊行などという企画はこの翻訳小説不況の時代に村上春樹の名が無ければ到底通らなかっただろう。その事実に感謝の一語。 1980〜90年代に日本でレナード・タッチと持て囃された独自の文体と多様な登場人物を操るストーリーテラーとしての才は既に確立されている。 表題作のオンブレ、即ちスペイン語で男を表す主人公ジョン・ラッセルの寡黙ながら行動が雄弁に物語る、その存在は圧倒的。卑近な喩えで言えば東映任侠映画全盛期のヒーローのようであり、ストーリーがたたえる、善と悪が複雑に対峙する人の世を象徴するかのようなテーマ性の深さに痺れる。 馴染みなきウエスタンというジャンルに怯まず読むべき痛快な中編二本立て。 | ||||
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