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侍女の物語
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侍女の物語の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.19pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全52件 1~20 1/3ページ
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「女性作家のディストピア小説で、主人公の一人称」だと、レビューが多いわりに辛いなあという印象があります。 たぶん男性なのか、恐ろしくて目を向けたくない人なのか。 最後まで読めば、侍女たちがどんな環境に置かれ、読み書きを禁じられた世界で書いたのかわかるのに。白い被り物の下から伺う生活だけ。買い物だけ。子を産む道具。異端者はすべて処刑。情報を全く知らされない、自分のことしかわからないのはとても恐ろしいと思う。 女性が劣悪な扱いを受けている国々はまだまだありますが、集めて先進国で煮たらギレアドになるのかも。 私も作品世界の社会状況が分からなくてドラマを見ました。視覚で補填するのはおすすめです。 この本の続編の「請願」では、リディアおばがおばになった経緯が知れます。おばは、書いてもよいのです。 | ||||
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ディストピア小説、不愉快、不快、嫌悪・・・なのに次のページをめくってしまう。心理描写が生々しく、胸に迫るものがある。何より驚きなのが、この小説が40年も前に書かれたということ。少しも古くない、むしろ今私たちが直面している、もしくは社会が少しでもバランスを崩せばこのような世界になってしまうかもしれない危うさを持っていることに気づきゾッとする。 ぜひ男性にも読んでもらいたい。 | ||||
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考えさせられる事が多い | ||||
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鴻巣友季子氏「文学は予言する」で詳細に紹介されていたので、読んでみた。著者はカナダ人作家。1985年作。これは典型的ディストピア文学である。近未来(21世紀)の「ギレアテ共和国」~20世紀の娯楽・風俗・大衆文化などはことごとく否定され、階層分化が極端に進んだ社会では特異な宗教儀礼と集団結婚が行われ、支配層(ここでは司令官)の子孫を生むことだけを使命とした「侍女」が配される。「侍女」の語りとして進められるこの物語の筆致は非常に静かで淡々としていて、支配される側の苦しみ・悲しみも、支配する側の喜び・欲求の満足もあまり大きくは感じられない。いや、敢えて「何も感じない」よう自己抑制された社会。私は、よく比較されるであろうジョージ・オーウェル「1984」よりも、カズオ・イシグロ「わたしを離さないで」を思い起こした。あちらでは「臓器提供のために育てられたクローンの子供たち」、こちらでは「子を産むことだけを目的とされた侍女」~どちらも「ある目的のために支配される身体」。そして今これを読むと、そんなに極端なディストピアにも感じないのである。人権抑圧・女性への性役割の押し付けをアップデートできず、「統一教会」の極端な教義に裏支配されたかのようなこの政権下で生きていると、「これを薄めたら今やな」ということにもなる。勿論、現実社会とは違う極端な空想世界だが、今これを読むというのは、そういう現代をどう捉えるかを抜きには考えられない。少なくとも私はそう読んだ。ちなみに著者は本作でアーサー・C・クラーク賞とカナダ総督文学賞受賞。 | ||||
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主人公の女性は半ば狂ったような状態で、過去と現実と主人公の感想が交錯する夢現の状態であり、 その女性が感じる主観的世界を描いたもので、読みづらく読み切るのにかなり時間がかかりました。 映像的な美しい世界で、私でも気がつくような聖書的な言い回しが随所にあります。 とはいえかなり見落としもあったかと思いますので、解説を入れてほしいところです。 おそらく、平均的な日本人では読み解くことが難しいです。 女奴隷が不妊の主人のために性的に奉仕するというのは古代ではあったことでしょうし、 このシステムのすべての人が真に信仰と善意に基づいてシステムの一員であることを 受け入れて実行することができればそれはそれで良い…ようにも思われるのですが、 小説の中の人々は決してそのようではなく、主人公も含めて欲望とエゴにまみれて歪んでおり、 醜悪に生きています。それが人間が人間であるということなのかもしれません。 ドラマの宣伝では主人公が困難な状況に立ち向かうかのように描かれていたのですが、 決してそんな話ではなく、極限的状態の中で、死にたくない、逃げたい、そして セックスしたいという本能的感情に突き動かされる混乱状態が描かれていると思いました。 続編は読みやすく、よく整理されていますが、あまりにも整理されすぎており、 こちらだけで良かったのにと思いました。 | ||||
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驚愕と恐怖 | ||||
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最後まで作者の意図が理解できない。女は、子供を産む機械でしかない・・上級職にある男から、精子を受け、それも公開で男の妻も、愛人も見守る中で、生殖行為をする。上級職にある男・・司令官ですら、誰かに監視されている社会・・1984・・ジョージオーエルの延長であるディストピア(ユートピアの反対)社会 気持ちが悪くなる。しかし、なんとなく、現代の息が詰まるような社会に繋がる何かがある。ショックを受けたい方は、是非読んでみて下さい。 | ||||
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正直いいますと、読みづらかったです。しかし世界観であったり、ストーリー自体であったり、私にとって新鮮であって、面白かったです。そして私がこの本を購入したのはドラマのシーズン1を観たあとなので、読みづらくても、諦めなかったけれど、本を普段から読まないのであれば、あまりおすすめしないです。 | ||||
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すべての人が読むべき名作だと思います。 ただ、あまりにもリアルで暗澹としているので、エネルギーのあるときに読むことをおすすめします。 「キリスト教原理主義が政権をとったら」という話なので、日本には関係ないかと思いきや、家父長制とミソジニーにあふれたこの国も無関係ではありません。 | ||||
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色々なところで言及されているので、読んでみました。 キリスト教原理主義によるクーデターで女性の人権が剥奪された国ギレアデで、「生む機械」となった侍女の物語です。 他の方のレビューにもあるように、ギレアデはイスラム国を彷彿とさせました。 女性の身体的自由を奪い強制的に子を孕ませるというのは、女性にとってはおぞましいディストピアですが、ある種の人にとっては極めて享楽的で幸福なユートピアでしょう。 日本には女性から財産や自由を奪う家制度がかつて存在して、家制度が廃止されてもその影響は強く、ジェンダーギャップ指数120位なのは周知のところ。 日本人がところどころに登場しますが、これは80年代バブル期に経済力に物を言わせてアジア各国で買春をして国際的にひんしゅくを買っていた日本への皮肉に見えます。 しかし21世紀になっても以下の女性蔑視発言。 「文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものはババァ」 「女性が生殖能力を失っても生きているってのは無駄で罪です」(01年、東京都知事) 「集団レイプする人は元気がある」(03年、自民党議員) 「女性は産む機械」(07年、厚労相) オッサン大国ニッポンでは、今もってなお、心はギリアデの住民でいらっしゃる方が多いのではないかと思います。 ぞっとしたのが、クーデタによって憲法が停止されて、女性の財産が男性のものになるという中盤の場面です。日本でも改憲派が緊急事態条項の導入を主張していますが、緊急事態条項は人権を制限して政府に権力を集中するものです。 人権が制限されることがどういう事態をもたらすのか、リアルに考えさせられました。 フェミニズムに興味のある人は、読んで損のない小説だと思います。 ギリアデの国家構造が不明瞭だったり、なぜ女性がここまで人権を軽視されているのにレイプが犯罪になるのかなど、整合性の取れない部分もあります(女性はギリアデ高官の財産でそれを侵害するから犯罪なのか?死体が街中にぶら下がる状況なのに日本の観光客がギリアデに入れるのか?など) だから続編『請願』が作られたのでしょうか。こちらも読んでみたいです。 | ||||
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珍しく女性が主人公のディストピア小説です。「現実にないことは書かない」というポリシーの通り、狂気に満ちた世界の出来事が現実でも起こっていることなのが絶望感を抱かせます。 作品自体は傑作ですが、翻訳があまり良いものではありませんでした。翻訳調で、原文が想像できる上、文章にリズム感がありません。ちょっと改善してほしいなと思います。 | ||||
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だいぶブームには遅れたけれど、一気に読んだ。 本当にありそうな現代の要素があちこちにあって(原作はもっと前だけれど)じわじわと恐ろしさが感じられる。私たちはどこへ向かうのか。 アトウッドの作品は素晴らしくて、訳もとても自然で良かった。 | ||||
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高市早苗が理想とする国って感じだった 35年も前の作品とは全く感じられず現在とハッキリ 地続きですな | ||||
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SFは時に残酷なほどに現実の社会そのものをカリカチュアする。いや、これは戯画化などと言うものではない。まさに今の世界そのもの。ジェンダー分断などは言うに及ばず、人が人に対して抱く嫉妬、猜疑心、憎しみ、そして自己欺瞞と利己主義。 灰色の閉塞感から始まる記録の書は、極彩色のキャバレーの如き踊り場を経て、人間の根源的生物的な愛への渇望へと怒涛の如く展開し、そして最後にひとというものへの一遍の希望を残して閉じる。 途方もない絶望と、そこを経て初めて見えてくる人間への果てしない愛を描き切った物語。 | ||||
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ラジオ番組で紹介していたので購入したけど、仮想の話しで理解しにくかったです。 | ||||
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軍事クーデターで政権を奪ったキリスト教原理主義者が支配する国家で、女性たちは人権を剥奪されて機能別カーストに振り分けられ、厳格な規則に縛られた生活を強いられるようになるというこのディストピア小説がカナダの女性作家によって発表されたのは1985年でした。 まさかそれから数十年後に西アジアでイスラーム原理主義国家が現実に出現し、アメリカ合衆国においてさえ性差別を公言して憚らない大統領が登場して熱狂的支持者を集めるとは、当時の人々は想像だにしていなかったでしょう。 状況は我が国においても同様で、2021年3月現在、これまで性懲りもなくセクシズム発言を繰り返してきた与党の元首相が公的な場で語った女性蔑視発言が問題にされるや否や、少なからぬ政治家、経済人、御用学者や報道関係者らによる擁護が始まり、我が国が国際的レベルにおいても女性の権利を今だに蔑ろにしている後進国である事実が全世界に知れ渡ってしまいました。35年前に空想されたディストピアは、現代においてはある種の人々にとってはユートピアであるという事実がはかなくも露呈されたわけです。 この物語の中で、主人公の女性は「侍女」、すなわち自民党議員の言葉を借りれば「子を産む機械」という役割に特化したカーストに属しています。彼女はクーデター以前の自由な世界を知っている知的な女性ですが、一種の「学習的無気力」に囚われているようです。彼女をそのような精神状態に陥らせるように教育するのも、女性の調教に特化したカーストの女たちです。物語には大きな起伏はなく(ちょっと「O嬢の物語」を連想されるようなエピソードもありますが)、いささか退屈に感じられるかもしれません。しかし、さまざまな過去の記憶と現在の心の流れ、現実の描写とイマジネーションが交叉し、シームレスに絡み合うエレガントで機知に富んだ文体にいったん魅了されてしまえば最後まで物語に耽溺できるでしょう。ただし、最後のエピローグはいささか興ざめで不要な気もしますが。 | ||||
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500数十ページもある長大なのに、最後まで読んでしまう。原文を読んでないのでわからないが、翻訳センテンスが短文で、切れ味が鋭い。読みやすい。だけど、内容的には、冗長で、退屈な場面が相当ある、もっと短くできるでしょ、3分の1くらい、200ページで十分でしょ!って言いたい。 ”わたし”の名前すらなかなか明かされない。264ページで初めて出てくる”オブフレッド” ”創世記”第30章を文字通り解釈するキリスト教原理主義政権のアナ恐ろしき世界。 ”代理母”は、既に旧約聖書で許されていたんですな。 で、連行された”オブフレッド”はどうなるのか? 2020年に、な、な、なんとこの続編が出てきちまったから・・・ | ||||
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難しいです。ディストピアだからあり得なくない。人間が生きる為に何が必要なのか?支配の中の思考はどう向かうのか?とか 続編は少し休んでから読もうと思います。 | ||||
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ディストピア小説は結構好きでして様々読んできましたが、これはそれらの中でもとびぬけて絶望感強いですね。不満、不自由を感じつつも主人公は「これでいいんだ」「以前よりも随分とマシになった」といった具合に自分自身に思い込まそうとしているところが、ディストピアが制度として完成されてしまっていてもはや如何ともしがたい社会であることを印象付けます。 物語は主人公である女性の視点から描かれており、主人公が知り得ない社会の仕組みや事実は一切明らかにされません。元々アメリカ合衆国であったところが舞台であることはわかりますが、主人公は極度に行動を制限されており一切の私物をもたないため生活のレベルを知る手がかりはありません。現代の物語とも読めますし、何十年も前の物語にも読めます。 主人公が見聞きすること、そして主人公が感じる事、回想する事のみで進む物語は正直輪郭がはっきりせず広がりもなくただただ不安が募るばかりで面白いとは言いにくいのですが意外に読みやすく結構な頁数でしたがあっさりと読了しました。早川書房のメルマガで知ったのですが、出版は2001年、オリジナルは1986年なんですね。古臭い作風は単に本当に古かったという。 1990年に映画が公開されていて、ドラマは今現在でシーズン3まであるそうで。小説がディストピアそのものをひたすらに描写しているのと比べると、映画はりディストピアを小道具にして主人公の活躍を描いたようです。ドラマはわかりませんが、原作では社会構造についての説明が薄いのでそのあたりを膨らませていけばどこまでも引っ張ることは出来そうですね。核となるテーマがあまりにもセンシティブなので楽しく視聴できるのか半信半疑。見ませんけども。ちなみに続編もあるようです。読まないと思いますが。 | ||||
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この本が近年再注目されドラマ化までされたのは、2016年のトランプ大統領誕生の影響と紹介されることが多いと思う。そういう切っ掛けなので、本書が糾弾しているのは「女性の権利の抑圧」であって、文中やドラマにあるような侍女が鞭で打たれたり虐げられたりするシーンはトランプ政権下での女性権利退潮の「誇張された表現」、あくまで"アメリカの"異常事態の反映、という印象が一読時は拭えなかった。 ところが日本でも、「リベラル思想が出生数を減少させた」という発言がTwitterやある種の知識人から飛び出しているのを見る。保守派が出生数を理由に自由を否定する傾向は、決して「異常なアメリカの縮図」「おとぎ話」ではなかったわけだ。さすがに「女性は産む機械」と口に出さない言論人は多いが、上記発言はつまるところ「女性が"役割"を果たす社会を望む」であって、女性の権利どころか少子化に対する姿勢においても本書の原理主義者と日本とは全く無縁ではないのだと暗澹たる気持ちにさせられた。本書が実に読み返される価値のある本ということかもしれない。 | ||||
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