洪水の年
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第一部『オリクスとクレイク』から読み始めることをおすすめします。ちなみに第三部『MaddAddam』は現時点では未訳です。 エコ系宗教集団「神の庭師」の目から見た、水なし洪水(=ウイルス)による人類(ほぼ)滅亡後の話。ノアの時代には神が洪水で人類を滅ぼしたわけだが、現代は人為的にウイルスで滅ぼす時代なのか。去年たまたま読んだのだが、まさに今コロナによるパンデミックが起こっているわけで、あながちまったくフィクションの世界とは言えないかもしれない。 | ||||
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現時点では、「起こりうる未来」です。カタストロフや週末を描いた作品が多くなった気がするのが、気になりますが。 | ||||
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実現されそうもない技術は書いてないというデストピア小説。新しいウィルスとワクチンを作って商売する"コーポレーション"。警察も買ってしまい、犯罪者は衆人環視のコロセウムのような死闘場に送られます。そこを生き抜いた犯罪者の残虐さ。 貧富の差は大きく、一部の富裕な"コーポレーション"の"エリート"従業員と、暴力が蔓延する"汚水沼"の大衆。「いつか("コーポレート"製の)伝染病で人類は滅びる("水なし洪水")。自給自足/食料備蓄/動物のDNA保存でそれを乗り越える」という宗教団体。その2人の信者の視点から細切れに章が書かれています。 制御できないウィルスで殆どの人類は死んでしまい、残った人々にも感染が...。ウィルスが及ばない、"コーポレート"が作った新人類と、動物だけが残る地球。「神は人類にもう一つの地球を与えることはないかも」、ありうる未来像です。 | ||||
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この本の小説『洪水の年』は、著者アトウッドによると、「すでに始まっている未来」(下259頁)に設定されており、「地球上でまだ科学的に考案されていないものは創り出していない」、「自分の小説はサイエンス・フィクションではない」(下261頁)と言い切っているのがスゴイ。 大干魃の十年後には、今度は洪水が押し寄せるという、大惨事のストーリーです。 相反する気象現象と天災を描いた、現実の地に足を付けた小説です。 でも、ただの作り話ではありません。警鐘を鳴らす書です。同時に、希望の祈りの書でもあります。 食料と水を供給するテクノロジー、「この極度に効率的な科学技術、自然を搾取するために作られたテクノロジーが、私たちの命が依存している生物世界のさまざまな領域を今や枯渇させている」(下264頁)と著者は語っています。 この意味で、この本の上下二巻の対照的な<表紙>の絵が特に、興味深かったです。 上巻の<表紙>には、さまざまな多様な生き物、食べ物などが所狭しと描かれていました。 一方、下巻の<表紙>では、暗い森の中のミツバチの巣箱だけが描かれており、生き物としては飛び回るミツバチと植物の葉っぱだけです。人間の食べ物になりうるのは、ハチミツと菜食主義者の食べ物だけです。お肉となる生き物は、ネズミ一匹見当たりません。 この本のタイトル『洪水の年』とは、「教団暦二十五年」(上3頁)のこと。 「教団暦」とは、「例えば、神の庭師たちの教団史」(上74頁)にあるような、架空の暦年です。 「教団暦一年、 庭園創始」(上74頁) 「教団暦二年、 まだ新興」(上74頁) 「教団暦三年、 ピラーの養蜂開始」(上74頁) 「教団暦四年、 バート入来」(上74頁) 「教団暦五年、 トビーの救出」(上74頁) 「教団暦六年、 カツロ参入」(上74頁) 「教団暦七年(セブン)、 ゼブが私たちの天国(ヘブン)に」(上74頁) 「教団暦八年、 ヌアラが運命の悟り」(上74頁) 「教団暦九年、 フィロの輝き開始」(上74頁) 「教団暦十年、 方舟の祭り」(上109頁) 「教団暦十二年、 野生食品の聖ユーエル」(上153頁) 「教団暦十二年、 ピラーが生きていた最後のモグラの日」(上207頁) 「教団暦十四年、 四月の魚」(上241頁) 「教団暦十五年、 大干魃」(上68頁) 「教団暦十八年、 ヘビの知恵の祝祭」(下3頁) 「教団暦十八年、 決裂の年」(下13頁) 「教団暦二十一年、 受粉の日」(下55頁) 「教団暦二十四年、 殉教者、聖ダイアン」(下101頁) 「教団暦二十五年、 洪水の年 トビー」(上3頁) 「教団暦二十五年、 レン」(上67頁、上158頁、上246頁、下61頁、下116頁、下125頁) 「教団暦二十五年、 レンの語り」(下106頁) 「教団暦二十五年、 トビー、聖クリックの日」(上116頁) 「教団暦二十五年、 トビー。モグラの日」(上204頁) 「教団暦二十五年、 トビー。ヘビの知恵の祝祭」(下9頁) 「教団暦二十五年、 トビー。聖カレン・シルクウッド」(下112頁) 「教団暦二十五年、 トビー。聖アニル・アガルワル」(下120頁) 「教団暦二十五年、 捕食獣の日」(上204頁、下143頁) 「教団暦二十五年、 トビー。マヌカウの聖ンガネコ・ミンヒニック」(下149頁) 「教団暦二十五年、 トビー。聖ウエン・ボーの日」(下153頁) 「教団暦二十五年、 トビー。聖マハトマ・ガンジーの日」(下161頁) 「教団暦二十五年、 トビー。聖アンリ・ファーブル、聖アンナ・アトキンス、聖ティム・フラナリー、聖イチダさ ん、聖デイビッド・スズキ、聖ピーター・マシーセン」(下164頁) 「教団暦二十五年、 トビー。聖シコ・メンデス、殉教者」(下169頁、下180頁、下184頁) 「教団暦二十五年、 聖レイチェルと全ての鳥類」(下175頁、下196頁) 「教団暦二十五年、 トビー。聖レイチェルと全ての鳥類」(下192頁、下202頁) 「教団暦二十五年、 レン。聖レイチェルと全ての鳥類」(下206頁) 「教団暦二十五年、 聖テリーと全ての徒歩の旅人たち」(下219頁) 「教団暦二十五年、 レン。聖テリーと全ての徒歩の旅人たち」(下219頁、下235頁) 「教団暦二十五年、 トビー。聖テリーと全ての徒歩の旅人たち」(下232頁) 「教団暦二十五年、 聖ジュリアンと全ての霊魂」(下243頁) 「教団暦二十五年、 レン。聖ジュリアンと全ての霊魂」(下250頁) この物語の最終年は、洪水の年です。ただし、この洪水は<水なし洪水>。はて? この本の各所に出てくる、不思議な<水なし洪水>とは、いったい何なのでしょう? <水なし洪水>とは、人間だけが感染する世界規模の新型ウイルス流行病をたとえたものと理解しました。 しかし、この<水なし洪水>は、人類に、破壊と同時に、浄化をもたらすというのです。世界中が新しい未来のエデンとなる可能性も秘めているというのですから、この物語は希望の書にもなりえます。本当にワクワクする物語です。 「<水なし洪水>が始まったあの夜」(上67頁) 「<地>上のあらゆる人間――たぶんあの人たち以外の――を殺してしまう<水なし洪水>」(上72頁) 「<水なし洪水>に備えて私たちがアララト貯蔵室に入れておくべき必需品」(上109頁) 「<水なし洪水>がまぢかに迫っているからです。やがて売買行為は停止し、私たちは神の肥沃な<庭園>の中で、自分たちが作り出す資源に頼るしかなくなります」(上155頁) 「<水なし洪水>が襲ってきたら、お前は生き延びたとしても飢え死にする」(上185頁) 「<水なし洪水>は本当に起こると思う?」(上281頁) 「<水なし洪水>も、すぐ襲ってきそうなのです」(下5頁) 「せめてもの慰めは、そんな歴史はもうすぐ<水なし洪水>によって押し流されてしまうと思えることです」(下103頁) 「それから私たちは、<水なし洪水>が襲って来た時、どこにいたのか互いに語り合った」(下128頁) 「あの<洪水>が起こった最初の夜に、ウロコ・クラブをぶちこわしたペインボールの三人」(下135頁) 「<水なし洪水>は私たちの都市はもちろん、実に<地球>全体を今や襲ったからです。(中略)物質主義的に言えば、私たちはそれが世界規模の流行病であることを見抜けたのです」(下143頁) 「<水なし洪水>が破壊と同時に浄化をもたらし、世界中が今や新しいエデンでありますように」(下144頁) 「この程度の軽症で<水なし洪水>を生き抜いてきた」(下163頁) 「トビーはレンに訊ねてみる。<水なし洪水>が起こってからどこにいたのか」(下164頁) 「<水なし洪水>が残していった瓦礫は、他の洪水が残した惨状と同じく、みにくいものです」(下175頁) 「彼らは幸運にも隔離されていたおかげで、奇蹟的に<水なし洪水>を避けることができたのです」(下175頁) 「ハッピーカッパは<水なし洪水>を切り抜けて生き延びることができなかったのです」(下177頁) 「<洪水>は終わったんだから」(下200頁) 「しかし<洪水>の前に逃げ出しやがった」(下204頁) 「なぜなら、<水なし洪水>が私たちに押し寄せたからです」(下245頁) 著者自身が、登場人物のことを「変わった人たち」(下232頁)と考えています。面白い。 《登場人物リスト》 上下巻それぞれの巻頭にあったら、もっと読みやすかったのでは? 「アダム一号」 神の庭師たちの「指導者。敬愛される創設者、そして導師」(下17頁) 「アダム七号」 ゼブ 「アダム十三号」 バート(上153頁) 「イブ六号」 ピラー(上153頁)。「ピラーが亡くなりました」(上227頁) 「イブ九号」 ヌアラ。「不屈のイブ九号」(下176頁) 「レン」 少女 「トビー」 孤独な女性。「今やあなたはイブ六号です」(上227頁) 「元科学者の一群、神の庭師たちの背教者数名、そして死にかけている女性を連れて逃げている精神異常者が二人」(下232頁) 「死にかけている女性」とは、アマンダ。 「精神異常者」とは、長い黒ヒゲの男と、淡色の無精ヒゲで、剃った頭に毛が生えかけている男(下235頁)。 《アダムとイブとマッドアダムの関連記載》 「アダムたちとイブたちはノートパソコンを持っていた」(上235頁) 「アダムは生ける動物に名前をつけた。マッドアダムは死んだ動物に名前をつける」(下48頁) 「マッド(狂った)アダム?」(下128頁) 「『マッドアダムは最高の悪ふざけだった』とベルーガが言う」(下199頁) 「アダムたちとイブたちは消えた」(下51頁) 「マッドアダムの開発したバイオフォームを植えつけていた話」(下203頁) 「マッドアダム組は――ビルもセッジもタマウラもライノもみんな――とても頭が良いので、すぐに通信を復旧させるだろう、と」(下207頁) 「最初のアダムはこうあるべきだったと?」(下232頁) 《表紙について》 「下巻」の表紙の装画(絵:タケウマ)には、巣箱のまわりを飛び回っている黄色いミツバチたちだけが描かれています。「今回は私たちを救ってくれるミツバチたちはいない」(下234頁)というのに。 「上巻」の表紙は、方舟のような真四角な「建物」が上からの視点で描かれていましたが、「下巻」の表紙では、ミツバチの四角い「巣箱」が、下から見上げる視点で描かれています。 「建物」の屋上には、菜園らしき畑が見え、木も何本か植えられていて、庭園らしき雰囲気もあります。「エデンクリフ屋上庭園」(下101頁)でしょうか。 「エデンクリフ屋上の喧嘩のお返しをする時が来た」(下130頁) 「捕食獣の日を私たちのすばらしいエデンクリフ屋上庭園で祝いました」(下143頁) 「前回、聖テリーの日を私たちが愛するエデンクリフ屋上庭園で祝ってから」(下219頁) 上巻の表紙装画の中の「建物」のまわりには、いろいろな生き物が「建物」の中に入りたがってうろうろしているように見えます。彼らは、まるでノアの箱舟に乗ろうと集まってきた動物たちのようです。 この「建物」は、「アダム一号が夢見た究極の方舟(はこぶね)だったのか?」(下22頁) 《備考》 上巻の表紙装画の中の生き物などを、表紙左上から列記します。 ヘビ(下3頁)が見えます。 ブタたち(下113頁、下193頁)、雄ブタ(下10頁、下120頁)、キノコ(下182頁)、四つ足の動物、ハト(下3頁、下175頁)、狐、ウジ虫たち(下120頁)、カタツムリ(下26頁)、鰐、ドングリ、海藻、割れたガラス(下133頁、下229頁)、ヒツジ(下10頁、下197頁)、兎、ゼロ(下97頁)、ナイフ(下27頁)、ハチ(下20頁、下24頁)それとも羽根アリ? ミツバチ(下112頁)、ネズミたち(下22頁、下102頁、下109頁、下143頁)、シークレットバーガー(下27頁、下203頁)、採集ビン(下20頁)、空きビン(下181頁)、フラスコ、微小生物体(下10頁)、DNAが見えます。 | ||||
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この本『洪水の年』は、上下二巻に分かれています。 とりあえず、「上巻」だけをなんとか読み終わったのですが、なんだか狐につままれたみたいな感じで、筋が良く分かりません。早く「下巻」も読み終わって、すっきり、まとまった読後感に浸りたいです。 この本は、「ディストピア小説」(「帯」より)であり、「近未来小説」(「表紙見返し」より)でもあるとのこと。 この本のタイトル『洪水の年』とは? 「教団暦二十五年」(3頁) 「教団暦」とは? 「例えば、神の庭師たちの教団史の場合」(74頁)に使われる暦のようです。 「教団暦一年、庭園創始」(74頁) 「教団暦二年、まだ新興」(74頁) 「教団暦三年、ピラーの養蜂開始」(74頁) 「教団暦四年、バート入来」(74頁) 「教団暦五年、トビーの救出」(74頁) 「教団暦六年、カツロ参入」(74頁) 「教団暦七年(セブン)、ゼブが私たちの天国(ヘブン)に」(74頁) 「教団暦八年、ヌアラが運命の悟り」(74頁) 「教団暦九年、フィロの輝き開始」(74頁) 「教団暦十年、方舟の祭り」(109頁) 「教団暦十二年、野生食品の聖ユーエル」(153頁) 「教団暦十二年、ピラーが生きていた最後のモグラの日」(207頁) 「教団暦十四年、四月の魚」(241頁) 「教団暦十五年、大干魃」(68頁) 「教団暦二十五年、洪水の年 トビー」(3頁) 「教団暦二十五年、レン」(67頁、158頁、246頁) 「教団暦二十五年、トビー、聖クリックの日」(116頁) 「教団暦二十五年、トビー。モグラの日」(204頁) 大干魃の十年後には、今度は洪水が押し寄せるという物語。相反する気象現象が起きる歴史、天災の歴史のようです。 不気味な<水なし洪水>とは、何なのでしょう? <山なし県にある山>みたいな感じで、「上巻」では謎です。 「<水なし洪水>が始まったあの夜」(67頁) 「<地>上のあらゆる人間――たぶんあの人たち以外の――を殺してしまう<水なし洪水>」(72頁) 「<水なし洪水>に備えて私たちがアララト貯蔵室に入れておくべき必需品」(109頁) 「<水なし洪水>がまぢかに迫っているからです。やがて売買行為は停止し、私たちは神の肥沃な<庭園>の中で、自分たちが作り出す資源に頼るしかなくなります」(155頁) 「<水なし洪水>が襲ってきたら、お前は生き延びたとしても飢え死にする」(185頁) 「<水なし洪水>は本当に起こると思う?」(281頁) 登場人物は大勢出てきますが、印象に残った一部の人、「サイボーグ」(281頁)のような人たち、「ハッピーゾンビ」(248頁)の人たちのみをメモします。 「アダムたちとイブたちはノートパソコンを持っていた」(235頁) 「アダム一号」(188頁、211頁、227頁、234頁、280頁、281頁、283頁) 「アダム七号」(153頁) ゼブ 「アダム十三号」(209頁) バート(153頁) 「イブ六号」(226頁) ピラー(153頁)。「ピラーが亡くなりました」(227頁) 「イブ九号」(109頁) ヌアラ。 「レン」 少女。 「トビー」 孤独な女性。「今やあなたはイブ六号です」(227頁) その他大勢の皆さん 「イエス」と「ノー」についての記述が、気になりました。 211頁: 全ての〝イエス〟には〝ノー〟もある、とトビーは思った。 283頁: 人は相反する二つのことを同時に信じられる、とアダム一号はよく言っていた。 「食物」についての記述がたくさんあり、心に残りました。 153頁: 野生食品 185頁: 屋上で育てる 280頁: あのハチミツを持ってね? 表紙の装画(絵:タケウマ)も、とても気になりました。 方舟のような真四角な「建物」が印象的な絵です。 屋上には、菜園らしき畑が見え、木も何本か植えられていて、庭園らしき雰囲気もあります。 一階の窓には十字架のようなものも見えます。宗教団体の教会みたいです。 装画の中の建物のまわりには、いろいろな生き物が建物の中に入りたがって、沢山うろうろしているように見えます。 ヘビがいます。豚が、キノコが、四つ足の動物が、鳥が、狐が、蛆虫が、カタツムリが、ワニが、ドングリが、海藻が、兎が、刀が、蜜蜂が、鼠が、ハンバーガーが、フラスコが、DNAがいます。まるでノアの箱舟に乗ろうと集まってきた動物たちのようです。 何のことだか、分からないことについて。 235頁: 「バチカンのポルノ・コレクションのようなものさ」 249頁: 彼女らはそれを、チョコレートに漬けたポリーベリーとショウユ味のオリーブに入れて出していた――ただし入れ過ぎないこと、とスターライトは言っていた。さもないと男のちんぽが裂けるかも。 | ||||
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