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あこがれ
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あこがれの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.68pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全28件 1~20 1/2ページ
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15年ぶりくらいの川上さんでした。 その15年の間に1000冊は読んだわけですが、私はなかなか好きな作家さんってのが現れなくてハマらないんですが、これは完全にハマりました。 この作品で川上さんを追っかけようと決めたわけで。 大人が書いたとは思えないほどに子どもの心理描写の美しさが溢れかえっていて溺れそうになりました。 一部も二部も本当に素敵でした。 | ||||
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購読しているイギリスの週刊誌で、著者を含めた特集があり興味を持ったが、とても苦手さを感じるスタイルだった。 話しの中心となる小学生6年生の男の子麦くんと、その友達の女の子ヘガティのそれぞれの憧れ。 特に麦くんの憧れの章は、読み始めて数ページでもう辛くなり、後は本は読み切るという自分の習性と苦手さの分析のためだけに読んだ。 麦くんの章は、登場人物が現実離れした人物設計により没入できず、その結果、子供を真似て作った書きぶりが、ひどくバイアスじみていて、説教臭く(どう、子供っぽいでしょ。その歳の男の子はゆっくり大人になるからヘガティの章より稚拙にしたの。)感じられた。 ヘガティの章はより普通に読め、そこに出てくる麦くんもおかしな人物設計ではなかったが、2人の憧れが作品としてどのように繋がりがあるのか、よくわからなかった。 私の小説というものに対する期待がバイアスとなって作品を楽しむことを妨げているのかもしれないが、特段本作を勧める要素を思いつかない。このような感想が、他の方の高評価に隠れ、紛れてしまうことが救いである。 | ||||
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第一章の語り手は麦くん。父の記憶はない。ある日サンドイッチ売り場のお姉さんに惹かれる。幼なじみのヘガティーは会いたい人が居るなら会えるうちに会わないといけないという。勇気を振り絞って声をかける。あこがれは幼い恋愛感情なのか? 第二章はヘガティー。屁が紅茶のにおいがしたのでヘガティーだって。女のコなのに小学生らしい残酷なあだ名!そういえば小学生の頃、女のコなのに「検便」というあだ名の子がいた。親しみを込めて検便と呼んでいたのだ。ヘガティーは父子家庭で母の記憶はない。ところがある日、父には前妻が居たことが発覚。その女性との間に姉が居ることを知る。悶々とするが姉にに会いたいと憧れは押さえがたく会いに行く。 思春期前の繊細な感情、懐かしい感覚を思い出しました。ここには大人へのあこがれもあるのかも。 | ||||
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とてもよかったです。 | ||||
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予定より早く到着し、とても良い状態で届きました。 | ||||
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新刊本を購入したのに帯が付いていない。初めから帯がなければ、その旨を書く必要があるともいます。古い者には帯がないケースがありますが、必要の情報と思う。 | ||||
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テレビの対談番組で作者さんを拝見して、興味があったので購入してみました。一番印象に残ったのが、登場人物達のあだ名のつけ方でした。私にはこの程度。 | ||||
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麦彦君がミス・アイスサンドイッチに抱いていた感情はあこがれなのか淡い恋なのか。 ヘガティーはお姉さんに会って何を伝えたかったのか。 思春期ちょっと前の子どもたちの心に寄り添うあたたかい物語。 | ||||
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「ミス・アイスサンドイッチ」はまだいいけど「いちごジャム〜」の方、 こんなに手抜きの小説読んだことないです。新人なら間違いなくボツにされているレベル。 コンテンツ競争の激しい今の時代に、こんな手抜き小説の単行本に1600円の値段をつける出版社。 「本が売れない」と騒ぐ出版業界。何か矛盾してませんか? ユーチューブ見ている時間の方が有益です。 読者を舐めているとしか言いようがない。 本を読まないのは決して読者が怠惰なわけではないです。 小学生の子がiPhoneのボタンを「四角いやつ」というあたり、それこそが大人の頭のなかで加工された「子供らしさ」ですね。 小学校の高学年といえば色々大人の事情もわかるし、ずるくて邪なところもある。子供=ピュアというあまりにも単純な見方が作家として怠惰で恥ずかしいと思います。 別れた家族に会いに行く小学生の物語なら「ズッコケ三人組結婚相談所」が圧倒的に傑作で、 リアルに描かれています。 書けば書くほど実力のなさが露呈されて行く稀有な作家。 時々の言葉遣いは光るけれど、それを集合させて一つの物語を作れない。 私も色々本は読むし、好き嫌い、合う合わないももちろんあるけれど、これ以下の労力で書かれた本は 今のところ読んだことがないです。 | ||||
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新海さんは悪いけど、ぼくにはどうしたって泣けませんでした。主人公のヘガティーと僕は境遇が似ていて(異母姉がいるということころなどもほぼ同じ)、だから読んでいてちょっと居心地悪かったのかな。今は考え方が変わりましたが、小学校当時、そのことは公にできない隠しておくべきことでした。相手のことを調べるとか探し出すとかそんな発想にはなりませんでした。とにかく触ってはけないことでした(大きくなってからは思いは変わりましたが,それはそれでまた別の問題が起こってきたります)。まあ、それはぼく個人的な問題なので、この小説(物語)とは関係ありませんね。またまた、どうでもいいことですが、「ミス・アイスサンドイッチ」の件を読んでいてなんか村上春樹っぽいなと思いました。意味がよくわからないし。 最初に戻りますが……。新海さんは彼女のことが好きなのではないかな。彼女自身が好きなタイプであこがれなんだなと思いました。小説は後付けで好きになったのだと思います(勝手な推測&妄想ですが)。NHKの対談番組を見てそう思いました。でないとこの小説では泣けないと思います。なんかレベルの低い話ですみません。小説評になっていませんね。 | ||||
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物語は前後編にわかれ、それぞれ独立した作品として読める。 前半は麦彦が語り手。スーパーの店員であるミス・サンドイッチに麦彦は惹かれるが、ある事件をきっかけに会えなくなってしまう。落ち込む麦彦に、ヘガティーは声をかける。 後半は二年後のヘガティーの視点から物語が進む。ふとしたことから自分に腹互いの姉がいると知り、動揺するヘガティー。麦彦は、その姉に直接会ってみることを提案する。 麦彦とヘガティーは合わせ鏡の関係だ。ふたりとも片親を亡くし、遺された親との距離がうまくつかめていない。 そしてふたりとも、自分のいる世界の脆さ、儚さを本能的に知っている。逃げずにきちんと向き合っている。そのことがふたりの言動に説得力を持たせ、物語に陰影をつけている。 たとえば麦彦は、年老いた祖母の死を覚悟している。≪おばあちゃんは、たぶんきっと、そう遠くないうちに死んでしまって、そして、いなくなってしまうだろう。……そう思うと、胸の中にある空気がどんどん重たくなってどこにも逃げられないような気持ちになる。≫ 一方のヘガティーは言う。≪「誰かにあしたまた会えるのは、会いつづけてるからに決まってるじゃん。……人って、いつぽっかりいなくなっちゃうか、わからないんだからね」≫ ≪「だから会いたいときに、……会えるんだったら、ぜったい会っておいたほうがいいと思うんだよね」≫ 本書の終わりで、ヘガティーは、クリスマスツリーの前で寝るのをやめる。亡き母に宛てて手紙を書き、母親の死と自分なりに向き合った結果である。彼女はこれからも、前を向いて進んでゆけるはずだ。 ≪「肩くむとね、ちょっとらくになるんだよ」≫ ≪ちょうどおなじくらいの背のわたしたちの肩はおなじ高さでひとつになって、わたしたちはそのままじっとしていた。≫ 彼らのような関係性に私は憧れる。二人で過ごした温かい記憶は、きっと彼らを強くし、大人になったときに心の糧となる。≪なぜだかわたしは、今日のことを忘れないだろうなとそう思った。≫このヘガティーの直感は間違っていない。 前半は、幼い麦彦の思考を描くためだとは思うが、読点が続きどうしても読みにくさを感じてしまう。それに慣れることができれば、本書のリズム感に自然と引き込まれていくだろう。読後感は爽やかだ。 | ||||
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最初の数ページは文体に慣れるのにやや時間を要しますが、一旦物語世界に入ってしまうと、あまり現実的ではないシチュエーションなのになぜか生々しい妙なリアリティを感じてしまう独特の雰囲気に引き込まれてしまいます。 理由は色々あると思いますが、川上さんの小説では、多くの読者が年齢に関わらず、いつかどこかで感じたことのある違和感をとても自然に登場人物に語らせるからだと思います。 この世界のたくさんのことと少なくとも本人的にはうまく折り合えないでいると感じている人にとってどこか救われる物語で、私は大好きです。 | ||||
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少年少女をなめているのでしょうか。 小学生だからと言って無垢なわけではないですし、少年少女に対する想像力が浅薄すぎると思います。 著者の過去の作品では成人の主人公の肉付けの薄さが目立ちましたが、 本書では主人公が少年少女ということで著者の年齢からより離れているため、余計その傾向が目立ちました。 味のないガムをかみ続けているような、不快な読書でした。 | ||||
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ニッポン放送の”あなたとハッピー”内のブックソムリエというコーナーで紹介されていたのを聴いていて、購入しました。 中瀬ゆかりさん(講談社出版部部長)の案内通り、思春期直前の少年少女たちのピュアな感情が現れていて、物語に吸い込まれました。 | ||||
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男子女子2人の小学生が主人公の作品。友人や家族、恋の悩みを2人で突き進んでいく物語。小学生の心情がうまく書かれておりそこそこ面白く読めた。 | ||||
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特別本好きでもなく、年に数冊読む程度の読者です。そんな私にとって読後感が最高でした。あと小学生の「あこがれ」の感情がよく書けているなぁという感想。大好きです川上未映子さん。 | ||||
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子供のころの純粋さを思い出して切なくなった。 失うことの切なさ、一歩踏み出すことへの勇気など 今では忘れかけていることが描かれていて 子供のころのそういう気持ちを思い出した。 | ||||
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やはり川上未映子は子供を主人公にするとピカイチです。 直前に読み終わった本が「外道クライマー」で、 そのギャップに戸惑いましたが、読み始めたら止まりませんでした。 小学生高学年のあだ名付の名人麦君と その名人におならの匂いが紅茶の匂いだったことから ヘガティーと命名された女の子が主人公のお話です。 第一章が麦君が語り、突然終わってしまいおいおいと思っていたら、 第二章はヘガティーの語りでしっかり続編が始まります。 正直これ程ませた子供はいるかなと思いますが、とても懐かしく読めました。 どうやら川上未映子は毎日かあさんにならずに済んだようです。 津島佑子が亡くなってからは唯一無条件で読める小説家です | ||||
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この人はもう本当に言いたいことは初期作品で言い終えてしまったのではないだろうか。 本を出すたびに賞を取っており、出版界からの推しは相変わらず猛烈なのだが、中身は薄くなっていっている。 子供のイノセンスを描くにしても、本作の主人公たちのそれは絵空事のようにキレイな無垢さだ。 特に二章の「麦くん」は、平凡な少女漫画に出てくる優しい彼氏と変わらない。 もともと他者を、特に男性を書けない作家ではあるが。 | ||||
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「乳と卵」や「ヘブン」は好きですが、これは好きなれませんでした。特に第1章は、どうでもいい子どものエピソードとしか思えず、読み進めるのが苦痛でした。買ったので最後まで読みましたし、第2章の最後は、ぐっとくるものもあったんですけど、いずれにしろ、すぐに内容を忘れてしまいそうです。 | ||||
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