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蹴りたい背中
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蹴りたい背中の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.63pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全112件 61~80 4/6ページ
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冒頭〜二十数頁の衝撃に胸がざわめきました。女子高生の微妙な感性や、凡人には思いもつかないきらめきと、それでいてそれ以上でも以下でもないという的確な表現の言葉が、容赦なく迫ってくるのです。私が今高校生なら、間違いなく誰かの背中を蹴りたい衝動に駆られていたことでしょう。 | ||||
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書き出しの一行で引き込まれてしまった。言葉の使い方にみずみずしさがあり、そこにとてつもない感性や才能をみた気がします。期待に十分こたえる作品です。お楽しみください。 | ||||
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なんとなく聞いたことのある本だったので読んでみました。 にな川くんみたいな男性をある種軽くみている自分でしたが、羨ましくなりました。 とにかく好き、理由を他人に説明するのもめんどくさいほど好きなもの。 そういうものが自分にはないからです。 でも、希望が湧いてきました。 出版業界のことや芥川賞、文学とかまったく知らないですが単純におもしろかったです。 | ||||
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中学二年生の息子に読ませた感想。 「おれはこんな複雑なこと考えてねーよ。すげーな(女子は)。」 作中のハツとにな川君は高校一年生だが、男は多かれ少なかれ、にな川的なところがあると思う。 良く書けてる。ああ、懐かしい。 異物排除の空気を、あらためて、ほいっと見せられた感じもうまい。 もっと単純に考えて生きられればいいのになあ。 この上から下まで漂っている日本人の閉塞感、真面目だということなんでしょうなあ。 「インストール」よりはテーマ(らしきもの)がまだはっきりしています。 1時間もあれば読めるかと思います。 | ||||
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高校生の少女とその少女が好きになってしまうアイドルオタク その二人の夏の青春物語 この本は芥川賞を受賞した作品なので色々と議論はあると思いますが 私自身もこの作品が純文学とは思えないし、話題先行という部分は否めないでしょう でも この物語は声を出して笑ってしまうほど面白いしホノボノしてるし 読み物として優れていると思います 物語って一番重要なのは面白いかそうでないか 面白くてはじめて議論の上に乗るのでしょうね | ||||
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今期、史上最高齢75歳での芥川賞受賞者が出たが、この『蹴りたい背中』は史上最年少19歳での受賞作だ。 ついこないだのことのように記憶しているが、すでに10年も経とうとしている。 将来、作家を志望している若い方々、ぜひとも一読をおすすめしたい。 この小説を十代で書き上げたこと自体が奇跡にも思えるし、ありがちな女子高生モノとは一線を画す。 当時、書評などを読むと概ね好意的だが、大絶賛というわけでもなかった。それもそのはず。内容に華やかさというか派手さがないから、一見すると単調に感じてしまうのだ。 一般的に早熟な女性作家がペンを執ると、たいてい乱れた性関係とか望まない妊娠などの暗い影がつきまとう。 ところが綿矢りさはやってくれました。パンツを脱ぐことのない正統派の純文学を確立してしまったのだ。しかも19歳という若さで。 これだけ平凡な高校生を鮮やかに浮かび上がらせるテクニックは、もはや天才と言っても過言ではない。 主人公はどこにでもいそうな女子高生で、相手の男子も今どきのオタクだ。 ものすごくフツーな高校生なのに、キャラクターがはっきりと見えて来るのだ。そう、それはまるでその場に自分(読者)がいて目撃しているような錯覚を起こさせるから不思議だ。 ストーリーは、なんてことない。 高校生という枠組みに何となく馴染めないハツは、同じくクラスに馴染んでいない“にな川”に興味を持つ。 そのにな川は、雑誌のファッションモデルをやっている“オリチャン”に夢中。いわゆるオタクで、オリチャンに関するものなど全てネットオークションで集めたり、雑誌のバックナンバーも揃えていた。 ある時、にな川はオリチャンのライブチケットを4枚も買ってしまったので、一緒に行かないかとハツを誘う。だがそれでも2枚余ってしまう。 結局、チケットを余らせるのがもったいないので、にな川、ハツ、絹代の3人で出かけるのだった。(それでも1枚は余るが) ハツは、何となく自分の気持ちに気づき始めていた。それは、オリチャン命であるにな川に対する淡い恋心。 一方通行な気持ちになかなか折り合いをつけることができず、にな川に対して乱暴になってしまう自分を持て余してしまうのだった。 いわゆる青春小説というカテゴリに入れても間違いではない。だが、文学性という意味で抜きん出ているため、“青春”という若者向きの枠組みに一括りしてしまうのは、あまりにもったいない気がするのだ。 書くことが好きで、様々な文学賞に投稿していこうと考える未来の文士たちよ。 まずはこの小説を読み、自分を見つめ直していただきたい。 自意識過剰なまでの高校時代を思い出す時、果たして自分は綿矢りさほどの客観性と繊細さを持って、これだけの世界観を作り出すことが出来るだろうか? たぶん難しい。とても。 正直、この小説を読了後は、自分の才能に限界を感じ、あきらめてしまう人がほとんどだろう。だがそれでいい。 綿矢りさを認めることで、もっと自分自身を解放すると良いかもしれない。 繰り返して言う。将来、作家を志望している30歳ぐらいまでの若い方々、ぜひとも一読をおすすめしたい。 | ||||
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女子高校生ハツはクラスの中で浮いている。きっかけは、理科の実験の班編成だ。ハツのような人にとって、先生の「適当に班をつくって」というのは辛い指示である。あれよあれよという間に取り残されてしまうハツ。こういうシチュエーションでは、自分の中から湧き上がってくるみじめさに圧倒されてしまうだろう。周りの人が見ているよりはるかに深刻な状況に、自分を置いてしまいがちだ。 しっかりと仲間をつくっている中学校からの友人 絹代に、裏切りを感じるハツ。「あの人たちはくだらない」という すっぱい葡萄の論理で自分の護るしかない。ハツは所属する陸上部でも上手くとけこむ事ができない。ハツのぶきっちょなもの言いが、さらに皆との壁を高く、厚くしてしまう。ハツの孤独を、 綿矢さんは、”さみしさは鳴る”と表現している。仲のよさそうなざわめきが、ハツの耳を通して胸に突き刺ってくるのだろう。本作品の中では、綿矢さんの独特な表現方法が見られる。平易な言葉の組み合わせで、感情の広がりを表すことができる19歳(当時)おそるべし。 ハツのクラスで、もう一人の浮いている男子 にな川。にな川は、ファッション雑誌のモデル オリチャンに夢中で、オリチャンを中心に世界が動いている。ハツは、そんな にな川から目を離せなくなる。恋愛感情だろうか? 確かに、ハツは、二人の間を勘違いされても、真っ向から否定はしない。だが、ハツは、にな川に自分と同じ孤独を見出したいのだろう。何かに夢中になっている にな川は、ハツからは、クラスから孤立していても意に介していないように映るのではないか。どこか超然としている にな川へ嫉妬をしてしまう。だから、ハツは、にな川がつらい目にあっているのが見たいし、背中を蹴りたくなるのだ。 孤独に直面して、気持ちになかなか整理がつなかいハツの真っ直ぐさが、愛おしくなってしまう作品である。 | ||||
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寂しさは鳴る。寂しさは鳴らないよ。いや、鳴るよ。とか、作家に一大紛争を引き起こしたとか、起こさないとか、冒頭の一文です。 学校生活に退屈して孤立している女子高生が、セブンティーンとかの雑誌の切り抜きをあつめてる「にな川」という男の子と知り合いになります。 その「にな川」の背中にケリをいれたいとか、文学風に書いてあります。 女子高生に背中を蹴られたいオタク歓喜な感じで、ややあざといです。 映画でいうとソフィアコッポラとか、ドロドロしない少女系の感性です。 透明で、少し孤独の影があって、女子高生フェチ向けな感じです。 モデルにコンプレックスを持つ普通の女子高生が、ファッションモデルオタクのオタク男子という内なる自分の背中にケリを入れてるような感じですが、モデルに憧れる女子高生心理が理解できない人にはハアという感じかもしれません。 女子高生の無敵感の裏には、大量の不安があります。街角でとあるファッションモデルにからかわれたときのシーンは、女子中学生なんかの人目に対する心象をよく表していて切ないです。 昔なら、文学青年崩れのゴーストライターとかが書いてそうですが、本物の女子高生に抜かれてしまったということで、そういうオッサン方は反省しないといけません。か? いやいや、力を秘めているはずの女子高生がオッサンなんかに抜かれるからいけないので、 セカチュー、恋空、失楽園なとの、アホな流行は全部オッサンの仕業とバレた昨今、そういうオッサンたちはいかがお過ごしでしょうか。印税でウハウハか。 でも恋空で女子高生が釣れたのは事実ですが、ただそこまで、実名を出して、お股をあっぴろげにできないのが女子高生の偉いところ、秋元康の枕営業といい、天下りの謎といい、顔を隠したオッサンほど最強の生き物はいません。 ダブル17歳芥川賞、当時はヤマンバギャルとかが流行っていて、綿谷りさの方は、清楚系の象徴でした。 | ||||
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これは、うまい。 こんなことを言うと自画自賛してるみたいでイヤラシイけど、これは玄人向けだと思うよ。 ありきたり、とか、退屈、とか言ってる人は、よく理解できていないんじゃないだろうか? まあ好みもあるけどね。 | ||||
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史上最年少で芥川賞を取ったという、話題が先行してしまって、 結構叩かれがちな作品ですが、 私はこの作品の主人公のようなタイプだったので、とても共感出来ました。 ですが、芥川賞=これが日本の文学の代表、としてしまうと、 「そうかな〜?」と思う人も多いと思います。 まあ、芥川賞は新人賞的な位置づけでもありますが、それにしても…という。 村上春樹もなんだかんだ嫌いな人も結構いますが、 彼の方が確かに文学と言うと納得出来る感があります。 もっと地味な位置、 雑誌のダ・ヴィンチ辺りでもそれほど大々的に取り上げられないような程度の存在なら、 それなりのファンが付いて、あまりバッシングや過度の期待を受けずに、 今のように寡作ではなくやっていけたような気がします。 実力が発展途上の内に檜舞台に立たされてしまって、ちょっと可哀想な気も。 著者本人は、期間限定でやっていたツイッターでの人柄の良さ(必ずリプライしてくれました)なども 分かるので好きなんですけどね。 | ||||
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斎藤美奈子さんが解説で、青春(思春期)前期は潔癖で、読者の共感すらも拒絶するほど潔癖なのだ、という言葉がまさにそうで、あまりに純粋でこの世と真剣に対峙するゆえ彼女なりに一生懸命神経を鋭敏にして他者との関係さえも距離感が上手く掴めない、まして異性ともなれば…そんな初々しい美がハツであり、これは綿矢さんが理想化した初な女子高生象なのかなとも感じる。今時の女子高生なら、それは恋愛感情だよ、とさらりと言ってしまうようなにな川への視線(実際そう言う代表がここでは絹代)。思春期特有の自意識の芽生えにより生じる感性を淡々とだが非常に繊細に、描いている。蹴りたい背中とは、自分自身の過敏な自意識の煩悶による居たたまれなさでもあり、異性であるにな川への屈折した感情でもある。恋とか愛とかで簡単に感情をひとくくりにしてしまう今の若者。思春期特有の初で危うい名のつけがたい感性を綿矢は表現したかったのかなと思う。ジェットコースターのような小説を望んでいる人は、期待しないほうが良い。 | ||||
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甘酸っぱい青春時代。夢イッパイキラキラ学生生活。 …という作品ではない、正反対の 青臭さ漂う感じがたまらない作品でした。 なぜ「蹴りたい」「背中」なのか、味わいながら読むのが本当に面白かったです。 自分の本当の気持ちを隠した反抗的な思春期の少女の主人公のストレートな表現は少なく、 主人公の感情は分かりにくいけれど、ストーリーはストレート。 パッとしない一見クラスに1人はいる暗い感じの男の子、にな川くん。 主人公の女の子の彼に対する感情 蔑視、軽侮、興味、好奇心、エロス、挑発、嫉妬、愛情、母性、…そして「蹴りたい背中」。 読む時代で「蹴りたい」「背中」の自分の感じかたが変わっていく作品で、 手元に置いておいて、長く楽しめる作品だと思います。 学生時代ひねくれ少女だった方にお勧めです。 | ||||
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綿矢りささんによる小説。2003年に書かれ2004年には芥川賞を受賞し話題になった。 今更ながら話題作であったことを思い返しながら、当時を思い出しながら読んでみた。 19歳、大学生になったばかりの1984年生まれが書いたのかと驚かされた。 友人が少ない少女の心的描写が細かく的を得たものに思える。 考え方が対照的なにな川(友人が少ない点は同じ)との交流する中で変化する行動。考え方。 本書を読むといわゆる一般的な青春とは異なる。 それがかえってリアリティーを感じさせているのだろうか。 斎藤美奈子さんの解説を読むことで、この小説のポイントが見えてくるように思います。 ただ表面的にすらっと読むだけでは、だから??のように思えてしまうでしょう。 何気ない日本語表現の奥深さを感じ取るべき作品の一つなのかもしれない。 | ||||
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著者の自伝的要素がある作品なのだろうか? クラスメイトのオタク男性に無意識にひかれていく話。 高校生ならではの価値観というか,中学から高校にあがってからの葛藤から,次第に個人と集団について考えて悩む姿も描かれている。 主人公の場合は,望まないで孤独になっている。オタク青年にな川の場合は自分で選ぶことで孤独な立場を貫いている。それに対して,中学からの同級生の従来通りに集団の中で楽しく生きようとする絹代との対比が自分の中では伏線であったように感じた。 | ||||
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一部の高校生にとってこれほどまで心を奪われる小説はない。 そしてこれは文学ではない。複雑に考えず、いま友達がいない、学校が楽しくない、そんな人はぜひ一読を。 可愛い著者のさびしく美しいプレゼント。 平成生まれこそ共感が強い。 | ||||
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売れた当時は話題性が先行していてなんかミーハーっぽい小説かなあと思って適当に読んで適当に流してたけど、今 改めてまっさらな気持ちで読んでみたら新鮮な発見がたくさんでびっくり。 そっか、これ青春小説のセオリーをぶっこわした青春小説なんだなー、とか さびしさは鳴る、のか。すごい研ぎ澄まされた聴覚、嗅覚、その他感受性もろもろとそれを言葉にするセンスだなあ、 とか リストカットとか売春じゃなく「蹴る」ことが女の子の鬱屈した感情の暴発を表現してるなんて誰も思いつかねーよ、とか これ恋愛でも友情でもないしなんなん?って感じのあぶなっかしくて変な関係性がキュートだなあ、とか さらっと読めちゃうだけにさらっと読んでエンターテイメント系通俗小説としてポイ!とした読者が多いきがするけど、 いやー、もったいねえ。 ちゃんと読み返した方がいいぞ綿谷りさ。あんなにかわいいのにけっこうえげつなおもろいぞ。 かわいいことで損してる。 斉藤美奈子のナイス解説もついててお得。 | ||||
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心理描写や情景描写がわかりやすく、それでいて浅はかでない。 純文学らしく、平凡な高校生達の日常が描かれているだけであるが、 巧みな表現によってそうとは感じさせない。 忘れてしまっていた何かが心に残る。しばし感傷的な気分に浸れるような読後感。 いかんせん重く、鬱になりがちな純文学において、こういう軽さ・爽やかさも必要であると思う。 | ||||
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私が発売当初この本を購入した時は確か高校生だったと思います。 そして今、久々に引っ張り出して読んだのですが全くと言っていい程内容を覚えていませんでした。 あれ、こんな本だったっけ・・・と。 この本は最初から最後までこれと言った大きな事件は特に起きません。例えるなら一本の緩やかな曲線のよう。読者の感情を大きく揺さぶる様なシーンは無いんです。 ですので退屈に感じた方も少々いらっしゃるようです。 確かに賛否両論あるのは理解出来ますし、私もこの本を片っ端から周りの人間に薦めるかと言えばちょっと違う。 しかし、だからこそ登場人物の心情が細やかに表現されていて、とても丁寧で綺麗な小説だなぁと私には感じました。鬱屈とした、少しひねた性格を持つ女子高生の日常。 毎日の生活での出来事に対して抱く小さな感情。 私は少し吉本ばななさんの小説に近い物を感じました。 日々色々な事を感じて生活する私たちも、それを上手く文章化するのはとても難しい。19歳という若さでこの本を書き上げた作者にはただ感服です。 | ||||
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確かにセンス抜群の青春小説なのだが、自分は前作『インストール』のほうが好きだ。あのへにゃちょこ女子高生の穿った世界の捉え方が面白かったのに、今作は幾分真面目に書かれすぎているように思う。ともあれ、今回も綿矢りさの「なんだかなぁ」といった小生意気な人の捉え方は健在なので、それを楽しんで読みましょう。世のおじさんたちは、そんな彼女に説教したくてしたくて、読みながらウズウズしてしまうでしょうが(その結果がここのレビューです)。 | ||||
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綿矢りさは学校のクラスや会社の人間からすこし孤立した(それを苦悩するほど深刻ではないにせよ)女の子が少しずつ友達や恋人との交流をすすめる、というプロットを一貫して描いている。寡作ではあるが、どの作品にもさりげなくハッとするような洞察が清潔な一文で描かれているので、それを求めて読む。本作ではまだ文学的な比喩が気恥ずかしい部分もあるけど、最近の著作ではもっと自然な気負いのない文章に帰結していて、個人的には好きだ。 特にこの作品では、インターネットや携帯が広まる前夜の微妙な年代の雰囲気がよく描かれている。主人公の長谷川は、思春期にありがちな型に嵌った自己イメージで自分を武装して孤立しているのだが、にな川や絹代とのやりとりのなかで(それを長谷川本人はバカにしているものの)、すこしずつ心を緩ませていく。その微妙な変化は本人には意識されないが、にな川への「蹴りたい背中」という気持ちとして表出する。それが妙に愛おしく、またそれを共感させることができるのは著者の力量の表れだと思う。 同世代の人間としては著者がこういった現実的な空気感をもつ小説を、著者自身の加齢を反映しながら数年ごとに送り出してくれるのがとても嬉しい。昔からの友人の手紙を受け取るように読める。 | ||||
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