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ゲームの王国の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.97pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全41件 21~40 2/3ページ
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偶然にも巡り会った天才少年・少女。ゲームという決められたルールの中で、いかにして勝つかを模索す る。一方クメール・ルージュはルールの外からルールを破壊する「革命」に命をかける。ルールの内と外と という両極端の対比を大きな柱とし、混沌としたカンボジアの情勢やファンタジー色の濃い超能力児の挿話 を織り交ぜている。 大量虐殺を伴うクーデターや革命を「ゲーム」というブラック・ジョークとも言うべき視点でとらえ、 ゲームの王国の不条理な世界を描き切っている。その技巧は広大な熱帯雨林のごとく繁茂で、かつ鮮やかで さえある。 | ||||
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Amazonで購入させていただきました。 上下巻合わせてのレビューです。それぞれの粗筋は本書カバーの説明が簡にして要を得ているので引用します。 「サロト・サルーー後にポル・ポトと呼ばれたクメール・ルージュ首魁の隠し子、ソリヤ。貧村ロベーブレンソンに生まれた、天賦の「識」を持つ神童のムイタック。運命と偶然に導かれたふたりは、軍靴と砲声に震える1975年のカンボジア、バタンバンで邂逅した。秘密警察、恐怖政治、テロ、強制労働、虐殺ーー百万人以上の生命を奪い去ったあらゆる不条理の物語は、少女と少年を見つめながら粛々と進行する……まるで、ゲームのように」(本書上巻カバーより) 「「君を殺す」ーー復讐の誓いと決別から、半世紀。政治家となったソリヤは、理想とする<ゲームの王国>を実現すべく最高権力を目指す。一方のムイタックは渇望を遂げるため、脳波を用いたゲーム《チャンドゥク》の開発を進めていた。過去の物語に呪縛されながら、光ある未来を乞い願って彷徨うソリヤとムイタックが、ゲームの終わりに手にしたものとは……(後略)」(本書下巻カバーより) 本書のタイトルは『ゲームの王国』です。 上巻はクメール・ルージュによる国家の制度設計の失敗=「失敗したゲームの王国」を描いています。 下巻は主人公=ムイタックとヒロイン=ソリヤがクメール・ルージュの失敗を踏まえた上で、正当なルールで治められた国家=「ゲームの王国」の設計に挑む話を描いていると思われます。 ぼくはよく"if we hold on together"(=もし私たちが手を取り合えたなら)と考えるのですが、なかなかそうはいかないのが人生で、結局のところ"we're all alone”(=私たちはみな、ひとりぼっち)ではあるまいか、というのがいまの時点での暫定的結論です。 とても考えさせられる良質なエンターテイメント作品です(その意味で、笠井潔さんの作品に通じるものを感じました)。 思想性がありつつ一気読みも出来る懐の深さ(ハヤカワ文庫は硬派なSFをたくさん出しているので躊躇される方がいらっしゃるかもしれませんが、ガチガチのSFではなくとてもリーダブルです)。 オススメです。 | ||||
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とてつもなく面白かった上巻については、上巻のレビューに熱く書かせていただきました。 下巻では、ラストの展開に唐突感があり、少し残念な感じがしないでもありませんが、全体といては大満足であり、星の数を減じるまではありません。 田舎の農村は宗教と呪術の世界で生活していて識字率も低い。彼らに政策を説明しても無駄だ。デマをつかって相手の評価を下げ、自分たちだけが正しいと主張する。選挙も正しく実施されているか疑わしい。国政は汚職と不正と矛盾にまみれている。 そんなカンボジアを良くするには、正しい人間がトップになり、正しい政治をしなければならない。ただ、正しいやり方では選挙に勝てない。正しいことを実現するためには、権力を持たなければならない。権力を持つためには、正しくないことをしないといけない。 大義のため上記のとおり考え実行していく政治家となったソリヤ。 彼女は、人生を、そしてこの世界を一種のゲームだと考えていたのかもしれない。 一方、脳波を利用したゲームを開発する大学教授となったムイタック。 どれだけ強度のある記憶を持っているか。どれだけ象徴的な思いでがあるか。 彼の開発したゲームの勝敗を分けるのは、その部分だ。 ムイタックにとって、ゲームのもっとも崇高なところは、勝利以外に何も求めない点にある。 それゆえ、人生や世界をゲームだと考えるのはゲームの価値を落とす行為だと思っていた。 「権力を得る」という目的のためにゲームに勝とうとするのなら、それはゲームではなく、ゲームを侮辱する何かだ。 ソリヤとムイタックといった二人の天才はなぜ対立しなければならないのか。 傑作。 | ||||
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今上巻を読み終えたところですが、これはとてつもなく面白いです! 普段は上下巻に分冊された作品の場合、まとめて上巻にレビューしているのですが、本書に関しては、上巻と下巻が舞台としている時代設定に約40年という大きな違いがあることから区切りとして整理しやすいこと、また、あまりも上巻が面白かったため、現時点での感動を残しておきたいとの気持ちから、上巻にしぼったレビューとしております。 上巻が舞台としているのは、1950年代から1970年代のカンボジア。 シハヌークによりフランス領から独立したものの、隣の国でのベトナム戦争が飛び火し、軍事独裁政権とポル・ポトらが指揮する共産主義勢力クメールルージュとの内戦、その後の極端な政策により国内が大混乱した、国民にとっては理不尽な時代が舞台となっています。 このような歴史的背景を舞台としていることから、えらいシリアスな展開を予想しそうですが、ところがどっこい、まったく想像もしていなかったぶっ飛んだ場面が描かれ、何度も大笑いさせられました。 例えば、「泥」と呼ばれる農民が登場しますが、彼は、二週間泥のみを食べ続ける修行を経て泥と会話をし、泥を自由に操る能力を手に入れます。その能力を持って銃部隊の兵士と素手で戦い、兵士をせん滅していくのですが、敵を倒すことを「耕す」と表現し、兵士に「こんにちは」と声をかけてから慎重に耕していくというぶっ飛んだ設定。これがもうとてつもなく面白い。 田舎の農民らのかみ合わない会話など、本書全体として会話場面は生き生きといて非常に楽しい。 そんなユーモアを交えつつも本書には、一本太くて強い芯が通っていることを感じさせます。 理不尽な時代を生き抜く人々をユーモアを交えて描く作品としては、中国の文化大革命の時代を舞台とした余華(ユイホア)の「兄弟」や莫言(モウイエン)の「転生夢現」などを彷彿させます。 本書のタイトル「ゲームの王国」とはどういう意味なのか。 本書の主人公の一人ムイタックは言う。 「ゲームは俺にとって薬なんだ。ゲームという薬を摂取している間だけ俺は自由に生きることができる。世の中がうまくゲームみたいになってればいいのだけど、そういうわけにはいかなくて。ルールには矛盾がたくさんあるし、誰が勝者なのかも分からない。ルール違反が放置されたりルールを守るものが損をしたり。」 そしてゲームそのものよりも、そもそもゲームとは何なのか、何がゲームを面白くするのかを考えることが面白いと感じる。 一方ムイタックの叔父フオンは考える。 「政治とは正しい考えを競うゲームではなくて正しい結果を導くゲームだ。」 さて、下巻では一気に時代が2000年代へと進みます。 どのような展開を見せるのか非常に楽しみです。 | ||||
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上巻は万人向けですが、下巻はSFである事を承知の上での購読をオススメします。 小川哲は文章を書くのが上手い。 複雑な事を単純にせず複雑なままで読者に理解させる技量が抜群に高いと思います。 個人的には、SFというジャンルを取り払った著者の作品(エッセイでも小説でも何であれ)を読んでみたいです。 | ||||
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ルールがあいまいで、しかもそのルールさえ守らない者が多いカンボジア社会で、ソニアとムイトックは別々な道を進む。ソニアはルールを正しく決め直す力の獲得を目指し政治家へ。ムイトックは社会から縁を切って自分だけの世界でルールを守ろうと脳科学研究者へ。ムイトックの研究は、実際五年ほど前に話題になったものだ。人は、行動する前に(といっても数百分の一秒とかなのだが)、すでに結果を予想し終えているというものだ。バスケットのシュートを打つとき、その直前に結果判定に関わるホルモンが分泌され、脳波が観測できるというのだ。つまり、人はシュートを打つ前にガッカリしたり喜んだりしているというのだ(ただし、実際の結果とは必ずしも一致しないらしい)。 この不思議な脳のふるまいを素材にして、下巻は近未来SFらしい展開を見せる。序盤でNPO日本人職員の視点から描かれた章があり、カンボジア社会の現状を提示して見せた工夫が、うまい。 物語の終わりに完結らしいもの、結論めいたものが一切ない。この先の物語は日本人が書くべきではないからだ。この先のストーリーは、カンボジア人民が作っていくものだ。 | ||||
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日本SF大賞、山本周五郎賞を受賞。個人的に山本周五郎賞は、直木賞以上に面白いと思っているので、期待して読んだ。作者の第二長編の文庫化。 上巻は、史実をもとに描いたクメール・ルージュ編。カンボジア内戦と、悪名高きポル・ポト大虐殺時代の物語である。上巻の背景資料はほぼ事実ばかり。プノンペン住民一斉強制退去も、知識人全滅政策も、子ども医者も密告合戦もすべて事実に基づいている。当時のカンボジアは絶望の国だった。 SFらしい部分は、「泥」の土共感能力、「クワン」の輪ゴム未来予知力、「ソリア」の嘘限定読心術などだ。これらの特殊能力はまるきりフィクションというよりは誇張の延長上にあるもので、ガルシア・マルケスらラテンアメリカ文学に見られるマジック・リアリズムの手法に近い。この点、単行本への先行レビューに異議なし。 上巻はSFではなく、一般文学のジャンルとして傑作である。 | ||||
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カンボジアの歴史と人間の業を知る小説です。 さまざまな登場人物が錯綜し、悩み、飲み込まれていく姿が混沌としています。 全ての事象には”context(文脈)”がある、と教えてくれた恩師の言葉を思い出しました。 | ||||
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まだ上巻しか読んでいないが、面白かった。 SF?という感じはあまりしないが、読みごたえがあった。 | ||||
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なるほど、上巻はマジックリアリズム系歴史小説だからリアルな報道写真を表紙にして、SF色が強くなる下巻はテクノっぽく加工したのか。この装丁の遊び心だけで高評価。 カンボジアの現実が知りたくてフィクションには興味が無いと言ってるレビュアーがいたが、だったら何故小説=フィクションに手を出したのか……しかも紹介やあらすじに「SF」と何度も書いてあるのに。 個人の感想は自由だが、八百屋に行って魚くれって言うのは不条理。 | ||||
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仕事でカンボジアに赴任してきたので読んでみた。 上巻は読み応えがあった。 自分が生まれる前に悲惨な出来事があった。来る前に勉強した歴史的情報を補完し、博物館で見た犠牲になった方達を浮き彫りにするように感じさせるものがこの小説にはあり、吸い込まれた。 自分が数ヶ月プノンペンで生活して見て感じたこと、交通ルールが存在しないが如くの街中、外から来た我々には分からないナニカにより決定される物事、高等教育を受け流暢に英語を操る人々がいる反面、文字や地図も読めない人たちもいるような状況。プノンペンは大きな不自由をせずに暮らせる都会となっているが、地方に行けば、この登場人物のような不思議な人たちがまだいるかもしれないとも思わせるこの国と小説。非常に面白い。(面白いという単語が適切か難しいが) 下巻は下巻で書きます。 | ||||
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前作のユートリニカと全く毛色が違い驚きました。前作の卓越した人物描写はより鮮やかになり、さらにより社会学・脳科学の側面が加わっています。上巻は本当に悲惨な描写が多く、気に入った作品は何度も読む私にとって、これは精神的に準備をしないときついです。(というか、そのくらい秀作です。映画Dogvilleのような。)下巻になると突然話が変わり、白黒の歴史映画をみていたが突然カラー映画になったような感覚がありました。LGBTの描写に一部引っかかるところがありましたが、全体的な描写も現在の肌感覚に合うのでよかったです。あまり読書家とは豪語できない私ですが、今までに読んだもの小説の中ではトップクラスに入る小説でした。 | ||||
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作者の頭の中はどうなっているのでしょう。めくるめくストーリー展開と膨大な知識量‼️感情的に煽ることもなく実に淡々と述べられていくが、それが逆にこの壮大な叙事詩にリアル感を与えている。実話だと思ってしまいそう。今年の大傑作‼️文庫化まで待たずに是非! | ||||
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下巻は上巻とまったく様相が異なる。上巻のあのエピソードがここにつながるのかなど、あれやこれやが伏線になっていることに驚かされる。そして、脳波に関係するゲームが開発され、人々を支配しかねない結果まで想像させられる。下巻は一気にSF作品となった。このスピード感がたまらない。一気に読んで一気に楽しさが頭の中を駆け抜ける悦び。読者もゲームの王国に誘われる。 | ||||
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カンボジアでクメール・ルージュ(クメール人の共産党のようなもの)によるクーデターが発生し、カンボジア王国を斃す。クーデター前からカンボジアの内政はひどかったが、クメール・ルージュにより、いっそうひどくなる。組織に逆らったものは拷問のうえに処刑、逆らったというより、何かにつけて理由をこじつけて処刑する。 そんな時代背景で、登場人物が幸せな未来を目指して生き抜こうとする。生き残ることがあたかもゲームをしているかのように、命を懸けたゲームであるかのように。こんなゲームは不毛であるし、参加しても参加させてもいけない。上巻では明るい未来が見えない状況が読者を絶望に陥れる。 下巻ではどのように展開するのだろうか。まだSF的要素は少ししか出ていないが、これからSF作品としてどのような展開になるのかも楽しみだ。 | ||||
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ポルポト政権に残虐な歴史があったことくらいしか知りませんでした。 フィクションとはいえ、何か下敷きになるものがあったのでしょうか。 日本も嘗てはこのような恐怖政治が行われていたのだから、他人事ではないと思い読んでみることにしました。 真実のように迫ってくる物語に引き込まれました。 とても素晴らしい本でした。 | ||||
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本作の上巻にはSF要素は全くない。少しのマルケス風のマジック・リアリズム要素はある。70年代カンボジアのロン・ノル政権からポル・ポト政権当時のいくつかの家族の受難劇である。主人公の少年と少女はそれぞれの人生での重大な時点でたった2回しかすれ違うことはなかった。全体の印象は冒険小説であろうが、何しろ人民抹殺で有名なポル・ポト政権下での話だから、登場人物の死亡率もかなり高い。人物の行動を決定する動機が、えったったそれだけで、と思える点がいくつかあったが、シーンの描写力が高いので読ませてしまう力がある。大きな破綻もなく複雑なストーリーを一気に展開する。評者は引き込まれてグイグイ読んでしまった。 | ||||
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下巻は21世紀の現代カンボジアに舞台を移す。かつての少年と少女は大人になり、それぞれの人生を歩んでいる。SF的ガジェットとして、脳波と記憶、それからその応用としてのゲームが出てくるが、それ自体はよくある感じで、やはり人間関係のもつれが中心だろう。そういう意味では普通の小説で戸口は狭くない、ただ舞台がカンボジアだからその意味では読者を狭めているかもしれない。ますます気が変になっているソングマスターだった人物、土を食べて土地の生産性を予言するコンサル業で大儲けした人物、正義感でボッキするおかしなTV製作者の登場などのマジック・リアリズム風エピソードは秀逸。それなりに衝撃的な結末まで大いに読ませるが、SFとしての展開を求めすぎない方が良い、上巻の惹句で大森さんが言っているのはそういうことだろう。 | ||||
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以前、クメール・ルージュによって殺された人々の、骸骨が積み上がった村の虐殺現場に行った。 同族殺し、それは戦争の悲劇とはまた違って、カンボジアでは中高年は、その時代を語らないと言われていた。 生きているということは、殺したということだから。 舞台はカンボジア、時代はまさにクメール・ルージュが台頭してきた頃から始まり、そうか、この不条理さはSFが描いてきたそのものだったと思う間もなく、ぐいぐいと世界に引き込まれた。 SFには詳しくない。だが、人間の不条理を、この世界の混沌を描く中で、「ルール」が確固としてあるゲームに救いの光を見出すのと、この著者がSFという手段を見出したのは、必然だったのかもしれないと思った。 | ||||
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ゲームにはルールがある。ゲームに勝つためにはルールの枠内で相手を上回るか、自分たちがルールを支配すれば良い。では、鬼ごっこに勝つには相手を北極まで追いかけていけば良いのか。チェスの対戦相手を撃ち殺せば、勝ったことになるのか。他の全ての政治家が不正を行っている状況下で、選挙に勝つために不正を行うのは。相手を告発しないと自分が告発され殺される収容所国家で行われる虐殺に不作為を決め込むのは。 ややメタフィクショナルなテーマを、歴史小説、教養小説、魔術的リアリズム、ピカレスク、SF、ボーイ・ミーツ・ガールの要素をふんだんに盛り込んだ娯楽小説です。特に上巻のクメール・ルージュという史実を下敷きにしたムイタックとソリヤの成長物語は出色。下巻の脳波モニタリングによるゲームというアイデアも面白かった。上下2巻800ページ弱を、文章力で飽きずに一気に読ませてくれます。 | ||||
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