■スポンサードリンク
宗教が往く
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
宗教が往くの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.86pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全21件 1~20 1/2ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
自由に書くということがどういうことなのか、すこしその手がかりを掴んだような気にさせてくれる本だった。 タブーや、生々しい描写や、いろんな差別や訳のわからない展開や脱線、そういうものをこそ人は読みたいのかも知れないと思った。なにまともな、普通のことを考え、書こうとしていたのかと己を戒めた。ドラッグやセックス、それもダラダラとしたやつ、そういうのでいいのだ、という感慨を得た。 解説の豊崎さんが尖っていて、それもまたタッグというか合わせ技な感じがしてよかった。足かけ二ヶ月くらいでダラダラと読んだが、下巻はあっという間だった。影響を受けるかは分からないが、松尾スズキさんという引き出しが自分に備わったのはよかったと思う。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
その昔、浅草キッドのお二人がホテルに置いてある聖書とアントニオ猪木著作を入れ替えていたと拝聴した時に、わたしも!とこの「宗教が往く」と聖書を入れ替えてようと思って財布の中を見ると、そんな予算はなく、それならと知り合った大事な人たちにどんどん配本して、その人たちに会う度に「読みました?どうでした?もちろん感動しましたよね?」と強制的に読ませることにして、どんどん嫌われていくようになりました。 早くスーパー金持ちになって世界中にこの本を配れるようになれればと思っています。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
初めて松尾スズキの本読みました。 『松尾スズキ』という人の世界観はなんとなく解った気がしますが、性・暴力・死の描写があまりにもエグイ。 にもかかわらず、あまりにも簡単に書かれていることが、私には正直気分が悪かったです。 松尾スズキファンの方、すみません。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
松尾スズキに慣れていない身には、 ちょっと面食らう前半戦ではある。 ただ下巻あたりまで読み進めると、 「かっこつけても しょうがないじゃないか にんげんだもの」 というような松尾スズキの思想が見えてくる気がする。 体裁を繕ったり見栄を張ったりに疲れたときに読んでみるといいかもしれない。 エログロ暴力をまったく受け付けない人にはおすすめしない。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
とにかく冗長。 酔っ払いナルシスト親父がだらだらと飲み屋で朝まで延々語ったのを活字にしたような話。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
上巻が酷く、過去に読んだ何よりもつまらなく長い話だったが それでも「何か」心に響くまたはひっかかる「何か」があるかもと 我慢して読んだけれど結局何も無かった。 大人計画の舞台は嫌いじゃなかったがこの人の「脚本」は好きではない 松尾スズキの思想から何かを感じたいと思うことは二度とない、 としみじみ思うことが出来た過去に読んだ小説(この本は小説に値しないが)で 過去最高に嫌いな作品。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
とてもスピード感のある小説。 マンガ的というか映画的といえばいいのか、 一語一語をかみしめて読むというよりも 次の展開が気になって、どんどん先のページをめくりたくなる、 という感じでしょうか。。 著者の松尾スズキ氏が監督した映画「恋の門」も観ましたが、 本書と同じようにスピード感があって楽しめました。 個人的に、こんなにスピード感があったのは、 古川日出男の「」以来でしょうか? | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
松尾さんの著作は(多分)全て持っていて、その中でも特にエッセイものが大大大好きで、一年に一回ぐらいはその全てを最初から読み直すほどに松尾さんの大大大ファンなんですけど… この小説「宗教が行く」は個人的にはちょっと「無理」でしたねー ( ̄∀ ̄;) 色々理由はあるんですけど、中でも気になったのはやっぱり 人物をさす時に名前ではなく「弟」とか「妻」「叔母」などという、読者の混乱を誘発するような表現を用いすぎ、という事と… あとは「難解な言い回し」が出てくる回数が(エッセイの時とくらべて)異様に多く・更に、その使い方が微妙に間違っているような所もまた、結構多かった、という事です。 何かの時に松尾さんが「エッセイを書く時の信条」としてあげていた事のひとつ 「頭の良さそうなふりをしない」 ……これを、本作でももうちょっと守って(?)くれていれば…… もうちょっと「読みやすく」なったのでは?? みたいな事を(生意気にも)感じてしまいました ( ̄∀ ̄;) | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
巨頭の青年 フクスケ の生涯 一大パノラマ または 地獄 エロい。 グロい。 気持ち悪い。 不謹慎。 何より下品。 下品と聞いて思いつく単語がいくつかあるでしょうが。 断言しましょう。 皆さんが思い浮かぶ単語、全てこの小説に出てきます。 それほど下品なのです。 それこそが、その下品さがこの本で重要な部分なのです。 この本の最初っから出てくることなんですが、 肝は「なかったこと」に対する違和感だと思います。 これの一番分かりやすい例は童話の『裸の王様』です。 私の記憶と実際の話に相違があるかもしれないので、私の中の『裸の王様』のあらすじを一応書くと、 ある国に王様がいて、そこに悪い奴が現れて「今、馬鹿な奴には見えない布で作る服ってのがすげぇ流行ってんすよ、マジで。これこれ、これなんすよ。マジベリークール。」かなんか言って王様も馬鹿に見られたくないから、「おおベリークール、ベリークール。」っなんつってそれを着てっていうか着たつもりで出歩いたら、子どもが「裸である。」って指摘した。 っていう話だと思っています。 思っていてなんですが、この子どもがその後どうなったかや、王様や悪い奴がどうなったかは覚えていません。 まぁこんな感じの話だったと思うんですが、 私は、みんなは王様が裸だってことをきちんと認識してたと思うんです。 家来やその国の大人たちも。 でも一国の主がいい気持ちで得意げに裸で歩いてるもんだから、 その裸だっていう事実を「なかったこと」にしてみんなもベリークールっすって言ってたんだと思います。 この『裸の王様』で作者が何を言いたかったのか、 話自体がうろ覚えなのでわからないですが、 この「なかったこと」に対する違和感を訴えたかったのだとするとすごく鋭い話だと思います。 とかくこの世には「なかったこと」が溢れています。 例えば、 卑近な上に、少し前の話な上に、故人の話で恐縮ですが、飯島愛がAV女優だったってのは完全に「なかったこと」になっていました。 稲垣吾郎がかつて容疑者で稲垣メンバーと呼ばれ、スマップがかなり長い間4人で活動していたことも「なかったこと」になりつつあります。 上に挙げたのはいずれも芸能界という華やかな場でのかなりさしせまった「なかったこと」ですが、 日常生活の中でもこれはそこここに出てきます。 アメトーークで有名ですが、中学いけてなくて高校で一念発起、華々しい転身を図るというのも中学時代を「なかったこと」にするという例でしょう。 そんな大層なことじゃなくても本当に些細なことで日々、色々なことを「なかったこと」にしていっています。 ここで本当に勘違いしないでいただきたいのは、 私は何も、この「なかったこと」を糾弾したいわけではないということです。 そんなカロリーも気概も私にはありません。 むしろ、『裸の王様』の例で言うと、「裸である。」と指摘した子どもが、いたくむかつきます。 もし、そばでそれを目撃したら思いっきり舌打ちします。 はっきり言ってそんなこと言う奴はアホです。 社会生活を営んでいけません。 空気を読む、というか余計なことを言わない、というか何かエキセントリックなことを言う自分というものをセルフプロデュースしないということです。 見苦しい。 王様も飯島愛も稲垣メンバーも高校デビューも素晴らしい。 し・か・し です。 ここが肝心なんですが、この「なかったこと」を「なかったこと」にするのはさすがに納得できないというところがあるのです。 なんかレトリカルでわかりにくいですが、つまり、王様が裸であること自体を意識しなくなる、ということです。 せめて、そこは、私はこれを意識的に「なかったこと」にしている、してやっている、としたいものです。 王様を裸だと思ってやっていると。 それすらを意識しなくなると、これはもう単なる思考停止なので、大人な対応でも何でもありません。 もうこうなると洗脳です。 これはさすがに情けないと思います。 しかし、巷に溢れる「なかったこと」はそのようなものが大半なのが現状で、それに対する違和感が、 あ、やっとこの本のことですが、 それに対する違和感の発露がこの物語のそこらじゅうに顔を出します。 それはこういった物語自体にも言えて、 物語にはその物語に不必要なものは排除されます。 つまり、「なかったこと」にされます。 しかし、現実世界ではそんなことはなく、 例えば、恋人が生死に関わる一大事で病院へ向かうときに、乗りこんだタクシーの運転手の名前が志村健で、カーステから終始インド歌謡が流れていることもあるわけです。 物語ではこういった、所謂ノイズの部分は省かれます。 邪魔だから。 必要ないから。 目と耳が散るから。 これもこういったノイズを「なかったこと」にしているわけです。 この本ではこのようなノイズも積極的に描かれています。 なので、膨大な文量になっていたりもするのですが、そのノイズの狭間に何か大事なものがあるということは、これあると思います。 疲れてきたので、いきなり結論めいたことを書きますが、 要するに、 前にも書いた、ありあまる下品さや、このノイズや、それを含めた「なかったこと」、 それらを含めて、この世界は素晴らしいって言おうじゃないか。 っていうことを言いたいのだと思います。 読みにくい、長い、同じようなことを何度も言っている、文章も含めた自意識に少なからず辟易する、ラストは物語として終わって欲しかった、 など、不満な点は数多くありますが、 私はこの本が好きです。 それも含めて素晴らしいって言おうじゃないか。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ブラックな笑いを取り混ぜつつぐいぐい読ませる小説。 かなりの長さなのに気にならなかった。 しょっちゅうこういう本を読んでいたら疲れるが、濃密な小説をたまに読むのは悪くない。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ここ最近、松尾スズキの本にはまってしまった。 そこで気付いたのが、松尾スズキという作家は、言葉で全てを表現できる作家なんだという事だ。 この小説でもそうだが、聞こえてくる「音」見える「色」感じる「質感」これが、言葉で全て表現されている。 なぜ、ここで「文章」ではなく「言葉」という表現を使うかと言うと、この小説の地の文には作者の自意識があるからだ。 つまり、作者・松尾スズキ本人の言葉で、この小説は進んでいく。 長い長い「まえがき」がこの小説にはあり、そこで、自分は第三者の視点で描かれた小説を読んでいると、地の文を書いているお前は一体何者なんだ? ということが気になるという。 そこで、第三者の視点の小説を書くまえに、地の文を書く自分の紹介を延々とするのだが、実際は、小説本編に入っても全く自意識が消えない。 例えば、少し引用すると 「客席に初めてドッと笑いが起きた。 これからもしばらくは客は笑い続けることになるのでこれ以降、 ドッ。 と書いたら客席が受けているというふうに受け取っていただきたい。手抜きではない。紙面だってただでできあがっているわけじゃない。 (中略)「ドッと笑いが起きる」を「ドッ」ですませるのは地球に優しくありたいというみんなの願いの反映であると思っていただければありがたいのである。」 …「である」って、もう小説の中に一つのコラムが出来上がってしまっている。 この作品、こんな調子で事あるごとに作者が介入してくる。 それは、少々「もう出過ぎですよ!」って言いたくなる程。 その上、文章の中に自意識があるだけかと思いきや、登場人物の中に自分が出てくるという自由さ! 「まえがき」に散々、自分の私小説ではない。と書きながら、「松尾ミズキ」という人物が出た瞬間、「前フリ」だったのか…と爆笑。 松尾スズキの小説に松尾ミズキが出てしまったら、これは、もう「本人の事です」という意味で受け取ってしまうしかないだろう。 つまり、松尾スズキの事が元々好きな人は、絶対面白いに決まっているのだ。 全てが松尾スズキで構成された、まさしく「THE 松尾スズキ」とでもいうべき小説なのだから当然だ。 じゃあ、それ以外の人は全然楽しめないのか? 大人計画を知らないと楽しめないのか? 井口昇を知らないとダメなのか? 阿部サダヲを知らないとついていけないのか?(さすがに、知ってるか) っていうと、それは全然そんなことはない! 何故って、この小説には娯楽の全てが凝縮されて詰まっているからだ。 「セックス」「ドラッグ」「バイオレンス」「宗教」「恋愛」「デブ」「スカトロ」「SM」… なんか、尻すぼみみたいな感じになってしまって申し訳ないが…。 とにかく、素晴らしい程に充実した内容。 一ページたりとも飽きさせないのだ。 そして、ほとんど「笑い」に満ちた作品だが、やはり松尾スズキの作品が全てそうであるように、ラストには本当の「感動」がある。 「感動」っていうのも安い言葉で、他にいい表現があれば、それを使いたいのだけど。 とにかく、涙が止まらなくなった。 人間の醜い部分、滑稽な部分、悲しい部分、全てさらけ出して、最後に残るのは、やっぱり「愛」だ。 …「愛」も安っぽい言葉だ。 「愛」も「感動」も安っぽい。 どこでも、どんな表現媒体でも安売りされたつまらなくて軽い陳腐な言葉。 松尾スズキは、この言葉を極力使わないようにしているようだ。 なぜなら、「まえがき」でも書いてあるように、松尾スズキは「つまらない」ことが大嫌いだから。 「つまらない」くらいなら死んだ方がマシだと考えている。 それ故、この作品は「愛」とか「感動」とかの「つまらない」方向へ行かないよう、行かないようとする。 だが、『クワイエットルームにようこそ』がそうであるように『老人賭博』がそうであるように、やはり、この初の長編小説も同じだ。 そして、その見事な結末が全く「つまらなく」ないし軽くも陳腐でもないのだ。 だから、松尾スズキの作品は凄い。 言葉の宇宙へ行きたかったら、是非、読んでもらいたい作品。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ゼロ年代だか、セカイ系だかなんだか知らないけど、「新世紀の批評」系の人たち(宇野常寛君とか)に松尾スズキが不当に貶められているのは、後生に残る彼らの汚点として、予言的にここに残しておきます。どうみても、クドカンよりも魂の奥底を穿っている気がするんだが。 進歩史観的な文学観一辺倒でなく、素直に物事を評価する人が多くなって欲しいと思います。 松尾さんが死なない程度に、甘えない程度に、彼の才能の最大出力が得られる最適バランスで、これからも批評していきましょう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
松尾ちゃん、大好きです。 壮大な愛の物語です。大いに泣きました。 というか前書きですでに泣きました。 日本酒探したい。 松尾さん枯れちゃったっていう人がいますが、これを読むとそうかもねって思ってしまいます。 悪い意味じゃなくて松尾スズキの全てが この本には詰まってるからこそ、そう思ってしまう。 これからどんな松尾さんを見せてくれるんだろう。 ファンは楽しみにしています。 これを読まずして松尾スズキを語っちゃいけない気がします。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
途中まで読んで残念なミスに行き当たり、独特な世界から現実に戻され、こういうこともあるだろうと、がんばってもう一度小説の世界に戻ろうとしましたが、もう戻ることはできませんでした。僕としては見逃すことのできない致命的なミスでした。例え話に気が行き過ぎて、ご都合主義の一行。我慢できなかった。きちんと校正したのかな。買った手前、責任を持って最後まで読もうとしていたのですが無理。内容は好き嫌いがあるだろう。文体も前衛的といえばそうなんだろうけど……。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
初めて松尾スズキの本読みました。 『松尾スズキ』という人の世界観はなんとなく解った気がしますが、性・暴力・死の描写があまりにもエグイ。 にもかかわらず、あまりにも簡単に書かれていることが、私には正直気分が悪かったです。 松尾スズキファンの方、すみません。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
松尾スズキの戯曲・エッセイ・舞台・ほぼ全部見たけどその中でもこれは最高。 読み始めるともう頭の中はふくすけのことでいっぱい。 読みたい、だけど読み終わりたくない。 松尾っていつも人間に絶望してるくせに、いつも一人は嫌だって泣いてる。 子供みたい。 前書き部分だけでもう充分。 宗教も純愛も人間もくそったれで悲しくてちょっと好き。 この本をつまらないと感じる人に松尾を語る資格は無し。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
松尾スズキという人は、人間はどこまでもカッコ悪いもので、根源的にどうしようもなくダサいもので、ゆえに愛おしい、というスタンスを絶対的に持っている。 そういう人が書く小説は、人間の本質をこれでもかと暴いてしまう点で、残酷でもあり優しくもある。 松尾さんファンもそうでない人も是非読んでほしい一冊です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
これほどまでに繊細でかつ日本語を心から慈しんで作品を執筆している人がいるのだろうか?と思わせる松尾スズキ作品の中での超大作。ストーリー展開は大人計画の劇団の世界と似ているのだが芝居では出していないちょっぴりオセンチな香り漂う一品。あまりの分厚さに入り口はびびりますが、読み始めたらとまらない。何かの締め切りに追われている人は決して読まないでください。国語の教科書に松尾スズキの作品が載るようになったら日本人のインテリジェンスは発展すると思うのになあ・・・ | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
これほどまでに繊細でかつ日本語を慈しんでる作品を執筆している人がいるのだろうか?と思わせる松尾スズキ作品の中での超大作。ストーリー展開は大人計画の舞台の世界と似ているのだが、芝居では出しきれていないちょっぴりこまぎれオセンチが香り漂う一品。 あまりの分厚さに威圧されるが、読み始めたらもうとまらない。 何かの締め切りに追われている人には決して見せないでください。 ある意味マトリックス1の出していたあの世界観をところどころで味わえるかも? | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
大人計画のファンなら現実が小説を、小説が現実を侵食する感覚を せんべいを齧りながらテレビでも眺めるように気軽に体感できる作品。 自己完結した擬似イベント性を味わえるのでちょっとした脳内マトリックス 状態(スケール1/100000)だ。 本作の連作を気長に読んでいた人がラストに味わったであろう達成感が うらやましい。貴重な読書体験であったであろう。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!