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壁
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壁の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.25pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全20件 1~20 1/1ページ
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やっと文庫全巻が、揃いました。嬉しいです。今は、あまり作品を知らない作家さんが取り上げられている巻より読んでおります。素直に、第一巻目より読み進めるべきでは、と少し迷いつつ、読み進めております。 | ||||
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散りばめられたユーモアに思わず笑ってしまいます。 物語は展開に次ぐ展開で飽きません。 奇妙なキャラクターがおかしな会話を始めると次は何が起こるんだろうかとワクワクしてきます。 アリスやカフカに通ずる作品もあれば、三部の赤い繭の事業などは夢野久作の人間腸詰を思い出しました。 当時のじめじめした日本の作家っぽくなくて、外国の作品を読んでいるようでおもしろかったです。 主人公が困惑しながらも悲観せず楽観的なのが凄く楽しかったです。 | ||||
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安部公房(1924-1993)初期の中・短篇集、1951年。第一部「S・カルマ氏の犯罪」、第二部「バベルの塔の狸」、第三部「赤い繭」(「赤い繭」「洪水」「魔法のチョーク」「事業」)からなる。名前 = identity = 自己同一性 の喪失という彼の多くの作品に通底するモチーフを通して、人間存在の実存的境位を追究しようとする。 「壁よ/私はおまえの偉大ないとなみを頌める/人間を生むために人間から生れ/人間から生れるために人間を生み/おまえは自然から人間を解き放った/私はおまえを呼ぶ/人間の仮設と」 本書『壁』は高校時代に既に購入していた。学校の教材かなにかで「赤い繭」を読んだのがそもそもの購入のきっかけであったと思う。何とも不思議な雰囲気の物語があるものだと随分魅了された記憶がある。しかし「壁」自体は当時の私には余りに観念的な内容であったために、第一部「S・カルマ氏の犯罪」のごく初めの個所で挫折してしまった。ことによると石川淳の「序」しか読んでいなかったかもしれぬ。数十年の空白を挟むことになったが、読み終えることができてよかった。大学に入ってからは哲学や思想を素人のいい加減さと根気のなさとで多少読みかじったが、今回読んだ「赤い繭」もやはり、そしていっそうに、美しい物語だった。そして「S・カルマ氏の犯罪」のあの最後の(これもやはり)美しい結末に到り着けてよかった。 | ||||
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僕には教養がないので、いったいなんの話なのかよくわからなかった なにかしらの比喩があるのかなんなのかわからず 不思議な話のまま読み進め、最後になったらわかるのかと思いきや最後までよくわからなかった 描写が上手いので容易に想像しながら読み進められますが いったいこの話はなに?ってのがずっと疑問でした 哲学書とか読んでいればこの作品の意味する所がわかるのかなとか思いました | ||||
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文体に慣れたのか、どんどん読みやすくなってきた。 本作は奇妙な構成で、中編二作と短編四作から成る。それぞれの作品には関連がない。 作品集というわけでもなく、全体で一本の小説なのだ。 「第一部 S・カルマ氏の犯罪」朝起きたら、名前がなくなっていた。 あちこちで差別された上に、椅子やズボンなどの日用品に取り囲まれて責められる。 Y子という美少女がかばってくれるが、彼女はマネキン人形なのだ。不条理ながら、妙に楽しい。 「不思議の国のアリス」を思い出した。 「第二部 バベルの塔の狸」変な動物に影を盗まれてしまった。影を失うと、存在そのものが無くなってしまう。 その動物は「取らぬ狸」といって、すべての人に一匹づつ付いているらしい。奇想縦横なストーリーが展開する。 イマジネーションに感嘆した。ファンタジーや童話に似た味わいだが、どちらでもない。 幻想小説でもなく、やはり異色の日本文学というしかない。 「第三部 紅い繭」は四本の短編である。 表題作は繭に変身する男の話だ。『洪水』は人類が液化し、『事業』は人肉ソーセージが合法化した世界を描く。 いずれも大量の後続作品の元ネタになったと思われる。 『魔法のチョーク』は、貧しい画家が、描いた絵が本物になるチョークを手に入れる。 四作の中ではこれが一番好きかな。 小説は想像力が命だ。安部公房は異色作家であると同時に、正当な作家らしい作家だともいえる。 つくづく日本には稀有な才能だと思う。 | ||||
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安部公房は、「砂の女」、「第4間氷期」などから手をつけていたので、同様に壮大な比喩隠喩を交えた抽象的だが一貫したストーリーになるかと思いきや、こちらはかなり不可思議な展開であり驚きました。 次から浮かんでくる奇抜な発想に乗り換えつつ、話を広げそうなところはストーリーのベースラインとして拾って、また新たな不条理かつ予測できない展開へと転じていく。かといって完全い破綻しているわけでなく、前に拾っておいたベースラインの秩序、仕組みがきちんと生きていてある意味一貫しているというストーリー展開です。 これが抵抗なくハマった人は、確かに安部公房にハマるかもしれません。 ストーリー展開に興味を持ったら、是非手に取ってみてください。おすすめです。 | ||||
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1部における壁を、私はフロイト的に解釈した。 まず、名前の紛失に伴って切り離されたカルマ氏の社会性を「超自我」とすると 社会の対極の場所、世界の果への憧れとは、超自我と拮抗する「エス」と定義できる。 そして、カルマ氏がエスに従って世界の果に行くと、 その時点でエスの欲求は満たされることになる。 超自我とエスの両極を失ったカルマ氏はそこで「ぼく」から「彼」へと人称を変更、自我そのものになる。 その姿は壁となって立ち現れたが、自我とは超自我(社会性)とエス(欲求)の境界線、 すなわち壁のようなものだから、ある意味では写実的な変身である。 人間は常に超自我とエスが拮抗しているから存在しているのであって、 自我は、人間の中心核(本質)ではないということだ。 社会性を失った時、欲求に従って世界の果に行ってみれば、そこに人間の真の幸福があるのではないか。 そんなカルマ氏の読みは大きく外れ、世界の果てとは誰にも認識されないという虚無であったと気づく。 そこでは人間は肉体を離れ、境界としての存在「壁」にならざるを得ないのだ。 これを強引に我々の生活に当てはめて言うと多分、 人間はみんな社会なんて捨てて引きこもりたい(人のいない世界の果てに行きたい)んだけど、 実際引きこもってみると空虚で存在意義無くて、部屋の壁と同じ存在になっちゃうよ、という話である。(強引すぎ) つまりシュレディンガー云々のように、立方体の密室に人間を一人閉じ込めたとき、 外から見るとその人間は立方体の外壁としてしか認識されないということだ。 人間は他者という直接の観察者がいてこそ、つまり社会性があってこそ人間たりうるのであって、 他者とのかかわりを断ったら、存在しないのと同義なのだ、ということ。 まあ、カルマ氏は別に引きこもりたかったわけでなく、名前を失くしたことによってこの立方体の中に押し込められ、 最後は壁と同化してしまったという大変哀れな人なんですがね。自業自得じゃないところが安部公房のひどさ。 しかし全体的に、ナンセンスかつ無機的な重苦しさの中、どの話の主人公も 目の前の不条理な現象を即時受け入れる軽さがあって救われる。 ユーモアセンスも良いし、これだけの寓意を含ませながら少しも陳腐にならないのは凄い。 | ||||
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安部公房は最高です。 何度読んでも飽きない。 とくにこの「壁」は傑作かつ初心者にも親しみやすいものであり、安部公房らしさが存分に味わえる。 逆に言うと、これを読んで合わない、と感じたら安部公房作品は全般的に合わないでしょう。 | ||||
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最初はなんとはなしに追えていたが途中筋道を見失ってしまう。読みかえしても漠然とした領域が依然として残る。 書き手はなにがしかの具体的なイメージがあるのかもしれないが、読み手には決してそこにたどり着けないような「壁」がこの本の読書という行為にも存在する。 シュールリアリズムを文字に変えたような作品。 そんな解釈が間違っていても構わないと書き手が言ってくれそうな作品。 | ||||
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この本はそれまでただ何となく物語を追うだけの私の読書を変えてくれた。 この本は私にとって簡単なものではなく、一度読んだだけでは全てを咀嚼することはできなかった、しかし、何度か読むうちに読書がこれほど楽しいものだったのかと気付かされた。 この本には単純に物語としてのおもしろさもあるがそれだけではない。作者が込めたメッセージを掬い上げる事こそが1番の楽しみだった。名刺に名前を奪われる人間、自らの欲望に影と肉体を奪われる人間、これらが表すものは何か考察することが作者のメッセージを読み取る第一歩になるのではないか、個人的にはそう思う。しかし内容の考察は一人一人異なるはずなので実際に読んで考えてみて頂きたい。 壁とは何か。 それは我々と外界を隔てる境界に、外敵から身を守る防壁に、簡単には通過できない障害になり、あるいは何かが外に出るのを防ぐ容器のような役割をするかもしれない。 そんなことを考えながら味わい深い読書が楽しめますよ。 | ||||
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赤い繭 この現代の社会において 一つの 凝縮点。 個性が氾濫しているにもかかわらず 個性のない社会からの矛盾。 同じような家。 同じような生活時間。 同じように見える思考様式。 自分があるようでない。 どうやって 自ら であるのをたしかめるのか? 生活者としての リアリズムがうすれていく。 | ||||
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人生で初めて読んだ安倍公房の作品が「赤い繭」。高校の教科書に載っていた作品で、正直何がなんだか明確な理解はできないが、 鬱屈とした物語に不安を煽られ、高粘度の液体を胸の中に注入されたような読後感であった記憶がある。 数年の時を経て赤い繭が読みたい目当てで再購入したが、いつかの衝撃は感じられずとても冷静に読了できた。 己の感性が退化したのか、それとも理性が進化したのか。いつか襲われた不安とは異質な、新たな種を撒かれたような気がする。 読むととても苦しくなる短編集。そこが安倍公房の魅力かと思う。 以上、読書感想文でした | ||||
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何度も買いなおして読み直します。覚めない夢のなかで さまよっている時の感覚。何故か懐かしい孤独感。文章は簡単な言葉なのに 何故惹かれるのか。 | ||||
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短編集なのか一つの物語なのか分かりにくい。 構成が第一部から第三部までとなっていて壁という一つの物語かと思っていたのですが、どうやら違ったようです。 終わり方が「え?」となるようなものだったりして、私にはレベルが高過ぎたのかと思います。 ただ何となくどの話も面白かったです。 | ||||
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30数年ぶりに懐かしくて呼んだ。 最初に読んだときの自分がピュアだったのか、今が衰えたのか。 本当に読書が苦痛になった。 よくある精神異常者の日記を難しく書いて何が面白いのだろう。 芥川賞も時代の進化を見据えることができなかったのは致し方ない。 この作品が後世に残るとは思えない。 | ||||
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授業で国語の先生が言ってた通り、実に面白てく少し不気味です。 | ||||
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主人公が最後どうして壁になったのか?少し疑問になりました。 でも、話がとてもおもしろかったです。 | ||||
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帯を、鳥居みゆきが書いていた。 たしかに、彼女のコントや、「不思議の国のアリス」を見るような感じで、読めばいいかなと。 皮肉とユーモアがたっぷりのシュールな話。 救いを感じられるかは、その人しだい。 荒涼とした無機質な都市空間のもつ、不条理。 児童虐待、老人の孤独死、など現代あるいは未来に、底流する問題が含まれていると、感じる。 | ||||
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タマには堅いものを・・・・と 慣れない文体だが、確かに名作だと思います。 | ||||
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大衆文学の娯楽性、純粋文学の好奇心、 その二つが見事に絡まりあっている。 シュールレアリズムが物語への興味となって、否が応でも読まされてしまう。 宮沢賢治のような擬人化がとても面白い。口調がかわいらしく、ユーモアがあって笑ってしまう。 砂の女から読んだので こんな暗くない話しに驚いた。 | ||||
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