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九十九十九
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九十九十九の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.97pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全34件 1~20 1/2ページ
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九十九十九(つくもじゅうく)と言えば、知る人ぞ知る清涼院流水『コズミック』から始まるJDCシリーズの、異能の探偵だ。あまりに美しすぎるゆえに、その瞳をみたものは皆、失神してしまうというキャラクター設定である。 本作品は、JDCシリーズのトリビュートでありながら、JDCシリーズの九十九十九とは別人。とは言え、本家本元の清涼院流水が、本作品のあちらこちらでちょっかいを出しているという、実にややこしいメタフィクションとなっている。 本作品そのものは、著者の『ディスコ探偵水曜日』の系譜に連なる位置づけだろう。 | ||||
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複雑な入れ子構造のメタ世界。エログロなんだけど、そんななかでも強く生きていこうという主人公の明るさがよい。 | ||||
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とにかくメタメタメタメタメタメタメタ! メタ小説を上回るメタ小説! | ||||
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流水大説→ NOVELA例無い→ 野辺無井→ もうお前とはしゃべってやんねー世 と進化してきた舞城 王太郎(=清涼院水流) の小説 と書いてある。 「海外に翻訳したい日本文学」とか、けっこういろんなところで取り上げられていた。 ノリはジュブナイル小説? 近親相姦の双子、虐待を受けた主人公、美しすぎて直視できない容姿。殺害されて腹にお札をつめこまれて発見される近所の女性たち、とか。 でも「これはネタでーす」というツッコミがあるのでライトノベルになじめない人にも読みやすい。 推理小説もネタにされている。 何章かにわかれていて、「前にかいたのはフィクションです」とかで一度殺された人が何度も生き返ってくるとか、推理のオチが駄洒落なことが多いとか。 後半が聖書みたいになってくるとか全体として狂ってる。 メタ・推理小説、というか、批評っぽくなってて、高度です。 | ||||
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JDCトリビュートとはいえ、ほとんど本家JDCとは関係なし。 とはいえ、冴え渡る舞城節はさすがとしか言いようがないです。 メタ的なネタや予想の斜め上を行く展開を楽しめるのはもちろんのこと、 『推理小説の探偵とは何か』ということに対する考察なども読み取れ、 ミステリ好きなら考えさせられるものがあるはず。 | ||||
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東浩紀氏のゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 (講談社現代新書)で知った舞城王太郎とこの作品「九十九十九」。しかし、かなり癖がありそうなので、舞城氏の他の作品で耐性を着けてから挑戦しました。 エログロですけど面白いですよ。 私達が生きている現実、小説中の現実、小説中の小説がグチャグチャに入り交じってます。本文中で主人公のツクモジュウクが東浩紀の動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)を読んでみる小ネタもありますが、不条理の殺人と病的なセックス描写は相変わらずです。 目次の章が1,2,3,5,4,7,6となっている時点でカオスです。どの章も九十九十九が別の世界を生きていますが、それ以前の章の内容が本人に小説の形で送られてきます。ただ別の世界の話なので、自分の過去が微妙に違う形で表現された小説を誰か書いて送ってるわけです。平行世界が小説として表現されるメタ世界が繰り返される訳です。また、タイムスリップにより平行世界が生じて、九十九十九が複数存在するというタイムパラドクスも生じます。 それぞれの世界で愛する家族を守りたい主人公が、メタ小説的に成長し、世界における自分の役割を認識するに至ます。私達の生きるこの世界も神が戯れに作ったシャーレなのかも知れません。 | ||||
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東浩紀氏のゲーム的リアリズムの誕生‾動物化するポストモダン2 (講談社現代新書)で知った舞城王太郎とこの作品「九十九十九」。しかし、かなり癖がありそうなので、舞城氏の他の作品で耐性を着けてから挑戦しました。エログロですけど面白いですよ。 私達が生きている現実、小説中の現実、小説中の小説がグチャグチャに入り交じってます。本文中で主人公のツクモジュウクが東浩紀の動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)を読んでみる小ネタもありますが、不条理の殺人と病的なセックス描写は相変わらずです。 目次の章が1,2,3,5,4,7,6となっている時点でカオスです。どの章も九十九十九が別の世界を生きていますが、それ以前の章の内容が本人に小説の形で送られてきます。ただ別の世界の話なので、自分の過去が微妙に違う形で表現された小説を誰か書いて送ってるわけです。平行世界が小説として表現されるメタ世界が繰り返される訳です。また、タイムスリップにより平行世界が生じて、九十九十九が複数存在するというタイムパラドクスも生じます。 それぞれの世界で愛する家族を守りたい主人公が、メタ小説的に成長し、世界における自分の役割を認識するに至ます。私達の生きるこの世界も神が戯れに作ったシャーレなのかも知れません。 | ||||
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うわぁぁっぁぁっぁっぁぁっぁあ マイジョーに引き込まれる これを読み終えた後、気付いたら公園の公衆便所を確認していました | ||||
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この本の中で、登場人物の死は「見立て」によりドラマ化=特権化されると述べられている。聖書の「見立て」に自己言及しながらメタ小説を展開し、主人公の視点が上に上に上昇した結果、最後に主人公が獲得した視点の「高さ」は必然的なもので、かつラストのエピソードもスピード感があって歯切れが良い。 普段ミステリーを読まない僕はこの小説をポストモダン小説のような気構えで読んだが、D.バーセルミや高橋源一郎の小説ではこんな大作を読むのは本当に大変だったろうと思うけれど、ミステリーの「型」を辛うじて維持している本作の場合、多少長くは感じたが十分退屈せずに読めた。「見立て」と推理さえあれば成立するミステリーという分野だから、ここまで「形式」を高速スピンさせて脱構築してみせることが可能になったのだと思うが、その一方で最終章において親子や夫婦の愛情の謎を語る言葉が響き渡っているのが興味深い。(探偵神にも解けない謎があるのだ。)この小説家がやっていることは高橋源一郎の「先」できっちりエンタメと読後の希望を成立させる立派な「ブンガク」だと思う。舞城王太郎がその辺の「純文学作家」よりも遥かに多くの読者を抱えているという事実に、まだまだ小説マーケットと日本の読者って捨てたもんじゃないよな、と僕は希望すら感じてしまうのだ。 | ||||
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悪ふざけ。星三つを中立とするなら、自分はこの「悪ふざけ」を面白く読むことができたので一つ足して星4つにしました。 | ||||
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本作と比較すれば、『煙か土か食い物』も『暗闇の中で子供』もわかりやすく、物語の破綻ぶりも大したことはないし、『世界は密室でできている。』に至っては、「これがわからない奴は犬にでも食わせろ」と思わせるほどヌルかった、と言えるだろう。しかし『阿修羅ガール』も含めて、本作を発表するまでにそれらの作品を出したことは、舞城王太郎にとって重要な下準備だったはずだ(と言ってもJDCトリビュートという企画がなければ舞城自身この作品を書く機会はなかったのだろうけど)。とにかく舞城作品を全く未読という方にはお薦めできない。『煙』も『暗闇』も十分に派手だったが、本作はそれらよりもっとずっと派手だからだ。加えてわかりづらい。舞城が本作を書くにあたって清涼院流水とは別に、ある意味で最大の参照点としたであろう竹本健治の『匣の中の失楽』よりは格段にわかりやすいが、それでも舞城作品の中では異色作だし、わかりづらい。大衆受けする作品ではない。だが『煙』『暗闇』『世界』を出して本作を出した舞城の作家としての態度は、かなり誠実なものだと思う。ほとんどの作家は「通俗的」か「革新的」か「普遍的」か、そのどれか1点に特化した作品しか書けない。「わかりやすい」だけか「奇をてらっている」だけか「古臭い」だけ。舞城の『煙』『暗闇』『世界』はそれら3点を満たした、本当の意味でタフな作品だ。だから本作のように多少「奇をてらった」感のある作品を書いた舞城には、他の作家になら抱くであろう「どうせそういう作品しか書けないんでしょ?」という思いは湧かない。俗な小説しか書かない作家、奇をてらった小説しか書かない作家、保守的な小説しか書かない作家、みんな怠慢だ。でも舞城は違う。『九十九十九』には終わりがある。でも、終わらない。本当に楽しくて、幸せで、最高な日でも、時間は止まらないし、明日はやってくる。終わりなんてない。人生と同じように。 | ||||
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この小説はべつに難解だとは思わなくなった。メタメタ具合も混沌具合もディスコに比べれば、全然たいしたことない。むしろ読みやすく、理解しやすい小説だね、これは。最先端の舞城ワールドはもはやそのくらいのレベルのところにまで行ってしまっている。舞城王太郎、恐るべし。にわか読書好き層なんかを完全に無視している。私はついていくぞ。舞城、このままめちゃくちゃな方向へ突っ走ってくれ。 | ||||
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清涼院流水氏のJDCシリーズからのスピンオフ作品として満を持して登場は舞城王太郎。 主人公である九十九十九はその素顔は美しすぎて見る物を気絶させてしまう美貌の持ち主。 舞城ワールドに迷い込んだメタ探偵の行く末やいかに! ってなわけで舞城ファン兼清涼院ファンとしては買わずには居られない一作。 独特の文体で有名な両氏ですがまさに「静」と「動」で表すにふさわしいかと。 「静」なる世界から導かれてきた九十九十九の「動」の狂乱痴態をご覧あれ。 ファンなら間違いなく買いの一品です。 | ||||
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ってことなんでしょうか。 作中に登場する台詞を使うならば。 兎にも角にも、メタ小説ということなんでしょうが、 一話で書かれたことが二話で覆され二話の話が三話ではと・・・。 複雑な入れ子構造になってます。 読者の頭を混乱させることが目的ならばその意図は成功しています。 小説という形式をぶち壊す作品であると思います。 あと話はイマイチ理解できなくても、 「にゃるあ〜ん」や「大爆笑カレー」なんて言葉が ほんの少しは笑わせてくれます。 ただ人に勧められるような小説ではありません。 | ||||
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清涼院流水はもちろんのこと、文中でもわずかながら言及される村上春樹であるとか、『匣の中の失楽』であるとか、様々な先行作品を踏まえて書かれたものであることは確かだ。だが、単なるパロディではない。物語とメタ、メタとメタ、メタとメタ・メタが干渉しあい物語を歪ませていく。そして過剰な混沌の中をアキレスは進み続ける。この作品に顕著な「徹底」こそが舞城の真価だろう。ハァレルゥヤ! | ||||
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メタメタメタメタ もうメタとしか言いようがない 舞城節炸裂 他の作品よりもある意味一番舞城さんらしいのではないか 正直、内容を全て理解したかと言われると困るが いい意味で痛快で楽しめる作品だった しかし舞城王太郎にこの作品から入るのはお勧め出来ないかもしれない・・ | ||||
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清涼院流水の作品について全く予備知識が無かったのですが、 十分に楽しむことができました。 とにかくスピーディー。 立ち止まって考えてるような読者は救ってはくれない。 解る奴だけ解ってくれ、とでも言いたげである。 この疾走感がたまらない。 メタ初体験の私には少々きついところもありましたが、 逆にメタに興味が湧いてきました。 | ||||
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とりあえずつかみはバッチリです。一話目の「ほうな〜♪」には笑ってしまいました。('-,_ω-`)プッ で、それからがきつい。よく分からないまま物語が進行していくから頭ん中ごちゃごちゃです。理解できません。いや、これは理解しようとしてはいけないのか。今こそ「考えるんじゃない!感じるんだ!」ですよ。('-,_ω-`)プッ 概略を説明すると、一話→二話→三話って話が続いていくんですけど、たとえば一話が終わって二話に入ると、二話の中では一話の内容が小説内の内容になっているんです。つまり一話の中では実際に起こったかのように見えたことが二話の中では完全に物語の中のお話ってことで落ち着いている。こんな感じで話が進みます。三話の後に五話が来たりとよく分からない設定になっております。('-,_ω-`)プッ んー、評価に困るんですよね、こういう小説。だけどまぁ嫌いにはなれないかな。 | ||||
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清涼院流水のJDCシリーズにトリビュートした怪作。目次を見た瞬間に「え?」と思った。第一話・第二話・第三話・第五話・第四話・第七話・第六話と並んでいたからだ。読むにつれて第一話は第二話に包まれ、第二話は第三話に包まれる入れ子構造になっているのだと気付く。しかしそれから更に空間や時間が凌駕され複雑になって行く。 この章の話が次の章ではどのように解析されているのか、なんて思いながら(あるいは、この章はこんな風に解析されていたな、なんて思いながら)読むのが楽しくて、あっという間に読めた。 最後である第六話、主人公の決断で締めくくるラストも好ましく思えた。 ちょっと変わった話が好きなひとにはイチオシです。 | ||||
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7ヶ月の時を経て連載中のディスコ探偵水曜日に連なる九十九十九 相変わらず字面はスゴイけど中身ももちろんスゴイ? 時間軸を扱う話のほとんどをスキな理由は 私的時間=自分歴史が自己の成り立ちに直結しているからで まあ自分に必要以上にしがみつく憐れな人間の戯言ですね 気を取り直して九十九十九(読み/ツクモジュウク) 散りばめられた数々のギミック(村上春樹とサリンジャー?島田荘二?勿論JDCも)に 埋没なんかさらさらする気も無く 各章始めに来る未来からの手紙を指針星に自己肯定の旅が続く これもともと企画物なはずですが予備知識有っても/無くてもどっちでも変わらない | ||||
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