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真夜中の北京
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真夜中の北京の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.33pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全12件 1~12 1/1ページ
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事件の核心と思われるものに迫りながら、正義が実現されなかった父親の無念を思うと言葉がない。 著者は父親が行った調査については、事件の核心に触れると思われる点について結果的な部分をあっさりと書いているが、実際様々な人に会って情報を収集してそれを精査し、1つの結果にまとめるには膨大な労力と時間を要し、この父親が成したことはまさに執念の一言。 不幸にして不穏な国際情勢、外国人居住者が被害者という特殊な環境、人好きしない父親の人間関係等々、様々の要因が悪いように発展して、凄惨な事件を闇に葬ってしまったことに憤りを感じる。読み方によってはこの作品はイギリスの司法の恥部を告発しているように思えなくもない。 当時の北京の外国人居住者の生活状況もうかがわれ非常に興味深く読んだが、日本人を非難するような著者の表現には不快感をおぼえた。中国人にとってイギリス人も日本人も侵略者であることは変わらないのに、日本人が北京の平穏を乱す一方で、自分たちは傍観者であるような表現はいかがなものか。 | ||||
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この本は北京で起きた事件について英語で書かれ、それが日本語に翻訳されている。つまり事件と書籍には言語的には、3種の言語が関わっている。それゆえ、英語の本を日本語に翻訳するに際して、中国の事情や言語に意を払わなければならない。例えば話の最初近くから、「ソン・チュアユアン」という人名が出てくるが、中国語を理解する人にはいいが、これでは普通の日本人には誰だか分からない。翻訳者は気が付かなかったのだろうが、日本語版の2年ほど前に、この本の中国語訳(『午夜北平』)が出ているが、ちゃんと宋哲元と書いてある。最初から宋哲元と書いてあれば、「なんだ、あの、そう・てつげん、か」と多くの日本人は理解するだろう。翻訳者が中国語表記がよく分からないなら、調べて、カタカナではなく、漢字に変えて分かりにくい部分を補うべきだ。宋哲元以外の中国人の人名のカタカナ表記も日本人には読みにくい。 文中に頻繁に出てくるリゲ―ション・ストリートについても、(現在の中国語の漢字による道路名(東交民巷)を、巻頭の地図には付記しているのに)、文中は現在の中国名がなく英語の道路名(カタカナ)だけで、本を読んでいる人の多くはどこかをすぐには理解せず、不親切だ。 ワゴンリッツというホテル名がしばしば出てくるが、これはワゴンリーのことだろう。他の部分ではフランス語の固有名詞は、フランス語の発音によってカタカナにしているのに、日本人にもよく知られた世界的に有名なこの会社の名を、「ワゴンリー」としないのか。 翻訳には、このように不徹底、不親切な部分が散見される。文中では「モリソン・ストリート」が何度も使われるが、これも巻頭の地図には、「王府井大街」の注記があるが、これでは昔は「モリソン・ストリート」だが、現在は「王府井大街」と呼ばれているかのようにも見える。 実は昔から「王府井大街」はそのままであり、欧米人が主に「モリソン・ストリート」と呼んでいた別称なのであって、一般の中国人はそのような道路名は使わなかった。日本人も然りだろう。英語で書かれた東京に関する本で、いくら原本に「ミシシッピ ベイ」と書かれていても、日本語版では「東京湾」とすべきことと同じだ。 そのあたりの注記は中国語版は丁寧であり、気を使っている。つまり英語によって理解する読者に対してはこれでよくても、一端日本語に翻訳され、日本人にも馴染みがある北京の町についての本であるなら、そのような日本語版としての配慮は必要なのであって、手を抜いてはいけない。 例えば、江戸の町で起きた事件について英文で書かれた本が、「真夜中の江戸」(Midnight in Edo,あるいは"Yedo")とすべきか、「真夜中の東京」とすべきかについては議論があるだろうが、どちらにしても、注釈が欲しい。それが常識感覚であろう。そういった観点から、中国語版が書名に「北平」と当時の北京の「正称」を使用しているのにも、気が付くべきで、中国語版の注釈ではそこまで触れている。日本語版では「北平」は使えないかもしれないが、せめて注釈か後書きに何か書くべきではないか。それがまた、当時の北京の政治状態を説明することにも繋がり、読者の興味が増すのではないか。 20年ほど北京は北平だったのであり、北平だからこそ「宋哲元」が出てくるという歴史を無視してはいけない。 宋哲元は、通州事件や盧溝橋事件があったころの実力者だ。 つまり、ストーリーの面白さを云々するのはいいが、それではただの殺人事件になってしまう。歴史を語るノンフィクションにはそれなりの微妙な正確性と歴史認識が不可欠だろう。 翻訳ではないが、内容について付けくわええるなら、当時の北京の外国人の数が2000~3000人というのは正しいのか?「外国人」とは、日本人を含んでいるのか?細かな部分に日本語版の読者としては疑問が残るので、原本を調べてみたところ、「外国人」にあたる原本に英語は「foreigner」だった。中国語版は「洋人」だった。当時北京には、3000人以上の日本人が住んでいたと言われるから、この「外国人」には、日本人が含まれないのだろう。しかし中国語の「洋人」は、外国人を意味するが、辞書に「多くは西洋人を意味する」とあるように、中国語版を読む人は西洋人の居住者数と理解するだろう。 このように著者の知識・情報は日本に関しては、軽視あるいは本の随所で偏ったものと気が付く。日本人読者はそのことを認識すべきである。翻訳者はそういったことにまで注意を払うべきであり、そうでないと日本語版の読者は誤った理解をしてしまう。 その他、著者がイギリス人であるためか、大量の阿片を中国に持ち込んだのがイギリス人でありながら、日本人の責任ばかりを非難するかのような記述には疑問を覚える。 | ||||
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父親の執念を、歴史の片隅から丹念に救い上げた著者の姿勢には脱帽。 しかし、英語原文を読んでいないので確たることは言えないが、1939年に初飛行をしたゼロ戦が1937年の中国の空を飛んでいる、 と言う記述や、南京大虐殺30万人説をさっらと記述してあることは気に入らない。 ダガー賞やエドガー賞を獲得しているという作品だけに、 特に気にかかる。 | ||||
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パメラ・ワーナーという元領事の令嬢が殺された未解決事件が主たるストーリーということになっているが、 著者が描きたかったのは、戦争前の北京の姿なのだと感じました。 中国という国に対する国家間の思惑などは書き込まれていて、戦争前の混乱を読む歴史書としては丁寧だと思います。 しかしながら事件そのものについては、それほど謎が深いわけではありません。 (治安の良くない地域で夜に若い女性が冒険のために見知らぬ人間についていくというより、知り合いと一緒にいて殺されたと考える方が妥当でしょう。知り合いを丁寧に当たれば、解決は出来たでしょう。) 戦争に向かう混乱期の影響は、なかったとまでは言わないが、事件が解決しなかった主要因は租界の中の人間関係にあると思う。 捜査に口出しする権力者。捜査に当たる警部に父親への接触を禁じたり、疎開の中の英国人(エリート)以外の人間を探せと命じたり。 早々に捜査を終了させたり。 ミステリーでもよくあるように狭い村の中で事件が起こり、そこにいる人が犯人である可能性が高いのに、 そうではない方向にすすんで欲しいと思う有力者がいたり、狭い人間関係ゆえに口を閉ざす人がいる。 この事件の構図はこんなふうだったのではないか。 事件の真相と未解決になった事情を描きたいのであれば、租界の中の狭い人間関係(権力関係)をもっと描くべきだったのでは? | ||||
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友人に勧められて手に取りました。 殺人事件が始まりなので、気が進まないままに読み進めましたが、あっという間に引き込まれ、気づいたら読み終えていました。 ただのミステリーではありません。 | ||||
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まだ読み始めですが、新聞での評価が高かったので期待大です。 楽しみ。 | ||||
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歴史の彼方に埋もれた事件を掘り起こした作品。『横浜・山手の出来事 (双葉文庫―日本推理作家協会賞受賞作全集)』を思い出してしまった。 第二次世界大戦前の中国の都市は、上海が典型だが混沌としていて様々なドラマを生んでいる。本書で扱われる事件は北京で起きているが同様だ。 被害者パメラの死体の状況は、いわゆる猟奇的殺人とも思える凄惨なものだが、全体の3分の2までに描かれる中国警察およびイギリス警察の捜査を見る限り、動機は強盗以外であるとしか判断できない。亡命ロシア人、日本の大陸浪人、さらに様々な国の人々が入り混じり、エドガー・スノー、ヘレン・フォスター・スノー(筆名ニム・ウェールズ)夫妻も登場する。特に、ヘレンは自身の身の安全にも不安を抱いている。警察は努力を重ねるものの、イギリスなど自国のメンツから、捜査に様々に横やりが入り、迷宮入りとなる。 ただ、パメラの養父で元英国領事のE・T・C・ワーナーは、私財を費やし、中国語に長け、中国の事情にも詳しいこともあって、あきらめることなく捜査を続けていく。ワーナーは、果たして真実に辿りつくのか。 本事件は北京で1937年に起きたものだが、1941年には北京原人の化石紛失事件も起き、やはり解決されていない。国際情勢が複雑化するとき、その舞台となった都市で起きる刑事事件には、国家間のメンツや利害関係が影響していくことの典型とも言える。そして、多くの人々の命が失われる戦禍にあっては、殺人事件すら簡単に忘却される典型でもある。 エドガー・スノーの伝記の脚注に書かれた事件に注目し、丹念に資料を渉猟した著者の粘りが生んだ労作である。 | ||||
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「真夜中の北京」、大変興味深く読みました。 現地の地図がついており、当時の写真もあって、とても参考になりました。 各ページの注釈もほとんど知らないことばかりで有り難かったです。 正直なところ、北京のみならず中国を舞台にした本は、パールバックの「大地」や大昔の話のほかには、あまり読んだことがありません。 まして、1937年という特殊な時代の中国のことは、伝え聞くばかりで、 リアルに感じたことは殆どありませんでした。 その意味で、この本を翻訳し出版してくださったことに感謝したいと思います。 | ||||
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盧溝橋事件直前の魔都北京、狐狸塔とよばれる望楼のそばで元英国領事の令嬢が惨殺されるという猟奇的殺人事件が発生。実際に起きた事件のようで、巻末には当時の北京及び事件関係者の写真が収められている。現地と英国の警察が協力して調べるも事件の真相には近づけない。そもそも、国家として機能していない中国、なぜか捜査に非協力的な英国領事館、このあたり、ジャック・レモンの「ミッシング」を見ているような錯覚を覚える。国家的な陰謀なのか?しかし、被害者の養父ワーナーは私財を投じ、執念を燃やしついに真相にたどり着く。 当時の中国が世界の列強の権益の餌食であり同時に世界のあぶれものの掃きだめの様相を示す混沌ぶりがよく描き出されており、興味が尽きないが、日本軍の南京30万人大虐殺がさらっと史実の如く扱われているのは残念。この本を片手に北京の町を自由に散策してみたい気もするが、はたして当時の面影がどれほど残されているのだろうか? | ||||
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本書を読み始めてすぐ、元英国領事ワーナー氏の令嬢パメラの惨殺事件は事実であるがゆえに大きな衝撃を受け、一体、誰がどんな理由でこんなことをしたのか一刻も早く知りたいという思いに駆られました。 前半は警察による捜査の描写で淡々としていますが、後半はテンポよく話が展開します。後半では、ワーナー氏が独自の捜査によって、警察がそれまで把握できていなかった情報、あるいは警察が故意に隠ぺいしようとしてきた情報を、つぎつぎと見つけていくからです。パズルのピースが次々とはめ込まれていくように、事件の全容が明らかになっていくので目が離せません。また、5年にわたる同氏の忍耐強い捜査の様子は、娘に対する思いの強さが伝わってきます。 ワーナー氏の捜査では、北京の当時の混沌とした地下社会や、戦争によって大きく歪められたさまざまな人の人生、そして欲望にまみれた人間の心が徐々に明らかになっていき、事実に基づいたストーリーであるだけに、胸に突き付けられるものがあります。 この事件が迷宮入りして未解決のまま放置されていることに憤りを感じます。 | ||||
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1930年代の北京で実際に起こった殺人事件の真相に迫ろうとする本です。元英国領事の美しい娘が惨殺されるというショッキングな事件が、政治的な理由や、直後に起こった戦争など、時代の波に飲みこまれ、いつしか忘れられてしまっていたのですが、この本の著者が当時の文献などを調べて真実を明かしていきます。当時の北京の様子がよくわかるのも魅力だと思います。 | ||||
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1930年代の北京で実際に起きた、イギリス人少女の惨殺事件。本書はその謎を、70年以上経った今になって解き明かそうという。 一体、なぜ今になって謎解きをするのだろう? そもそも可能なのだろうか? というのが最初の印象だが、読み進めるうちに分かってくる。本書の主人公は殺されたパメラではなく、父親のワーナーでも、謎を追う刑事でもなく、北京という都市自体だ。 1937年1月に事件は起きる。その年の7月には盧溝橋事件が起き、中国は本格的な戦乱になだれ込んでいく。その直前の不穏な空気、領事館関係者から亡命ロシア人、売春婦に両性具有者――雑多な人々が混じり合う外国人社会の刹那的な享楽と頽廃。事件の真相を追求するうちに浮かび上がるのは、現代の北京からは想像もできない都市の姿だ。 一方で著者は、パメラのごく普通の少女としての側面を丁寧に救い上げている。父親との葛藤や同級生との恋愛、大人の世界への憧れ。この暖かい眼差しが、読者を一層物語の中に引き込み、生活の息遣いを感じさせ、当時の北京を追体験させてくれる。 脇役として登場するエドガー・スノー夫妻の姿も興味深い。 | ||||
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