真夜中の北京
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事件の核心と思われるものに迫りながら、正義が実現されなかった父親の無念を思うと言葉がない。 著者は父親が行った調査については、事件の核心に触れると思われる点について結果的な部分をあっさりと書いているが、実際様々な人に会って情報を収集してそれを精査し、1つの結果にまとめるには膨大な労力と時間を要し、この父親が成したことはまさに執念の一言。 不幸にして不穏な国際情勢、外国人居住者が被害者という特殊な環境、人好きしない父親の人間関係等々、様々の要因が悪いように発展して、凄惨な事件を闇に葬ってしまったことに憤りを感じる。読み方によってはこの作品はイギリスの司法の恥部を告発しているように思えなくもない。 当時の北京の外国人居住者の生活状況もうかがわれ非常に興味深く読んだが、日本人を非難するような著者の表現には不快感をおぼえた。中国人にとってイギリス人も日本人も侵略者であることは変わらないのに、日本人が北京の平穏を乱す一方で、自分たちは傍観者であるような表現はいかがなものか。 | ||||
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この本は北京で起きた事件について英語で書かれ、それが日本語に翻訳されている。つまり事件と書籍には言語的には、3種の言語が関わっている。それゆえ、英語の本を日本語に翻訳するに際して、中国の事情や言語に意を払わなければならない。例えば話の最初近くから、「ソン・チュアユアン」という人名が出てくるが、中国語を理解する人にはいいが、これでは普通の日本人には誰だか分からない。翻訳者は気が付かなかったのだろうが、日本語版の2年ほど前に、この本の中国語訳(『午夜北平』)が出ているが、ちゃんと宋哲元と書いてある。最初から宋哲元と書いてあれば、「なんだ、あの、そう・てつげん、か」と多くの日本人は理解するだろう。翻訳者が中国語表記がよく分からないなら、調べて、カタカナではなく、漢字に変えて分かりにくい部分を補うべきだ。宋哲元以外の中国人の人名のカタカナ表記も日本人には読みにくい。 文中に頻繁に出てくるリゲ―ション・ストリートについても、(現在の中国語の漢字による道路名(東交民巷)を、巻頭の地図には付記しているのに)、文中は現在の中国名がなく英語の道路名(カタカナ)だけで、本を読んでいる人の多くはどこかをすぐには理解せず、不親切だ。 ワゴンリッツというホテル名がしばしば出てくるが、これはワゴンリーのことだろう。他の部分ではフランス語の固有名詞は、フランス語の発音によってカタカナにしているのに、日本人にもよく知られた世界的に有名なこの会社の名を、「ワゴンリー」としないのか。 翻訳には、このように不徹底、不親切な部分が散見される。文中では「モリソン・ストリート」が何度も使われるが、これも巻頭の地図には、「王府井大街」の注記があるが、これでは昔は「モリソン・ストリート」だが、現在は「王府井大街」と呼ばれているかのようにも見える。 実は昔から「王府井大街」はそのままであり、欧米人が主に「モリソン・ストリート」と呼んでいた別称なのであって、一般の中国人はそのような道路名は使わなかった。日本人も然りだろう。英語で書かれた東京に関する本で、いくら原本に「ミシシッピ ベイ」と書かれていても、日本語版では「東京湾」とすべきことと同じだ。 そのあたりの注記は中国語版は丁寧であり、気を使っている。つまり英語によって理解する読者に対してはこれでよくても、一端日本語に翻訳され、日本人にも馴染みがある北京の町についての本であるなら、そのような日本語版としての配慮は必要なのであって、手を抜いてはいけない。 例えば、江戸の町で起きた事件について英文で書かれた本が、「真夜中の江戸」(Midnight in Edo,あるいは"Yedo")とすべきか、「真夜中の東京」とすべきかについては議論があるだろうが、どちらにしても、注釈が欲しい。それが常識感覚であろう。そういった観点から、中国語版が書名に「北平」と当時の北京の「正称」を使用しているのにも、気が付くべきで、中国語版の注釈ではそこまで触れている。日本語版では「北平」は使えないかもしれないが、せめて注釈か後書きに何か書くべきではないか。それがまた、当時の北京の政治状態を説明することにも繋がり、読者の興味が増すのではないか。 20年ほど北京は北平だったのであり、北平だからこそ「宋哲元」が出てくるという歴史を無視してはいけない。 宋哲元は、通州事件や盧溝橋事件があったころの実力者だ。 つまり、ストーリーの面白さを云々するのはいいが、それではただの殺人事件になってしまう。歴史を語るノンフィクションにはそれなりの微妙な正確性と歴史認識が不可欠だろう。 翻訳ではないが、内容について付けくわええるなら、当時の北京の外国人の数が2000~3000人というのは正しいのか?「外国人」とは、日本人を含んでいるのか?細かな部分に日本語版の読者としては疑問が残るので、原本を調べてみたところ、「外国人」にあたる原本に英語は「foreigner」だった。中国語版は「洋人」だった。当時北京には、3000人以上の日本人が住んでいたと言われるから、この「外国人」には、日本人が含まれないのだろう。しかし中国語の「洋人」は、外国人を意味するが、辞書に「多くは西洋人を意味する」とあるように、中国語版を読む人は西洋人の居住者数と理解するだろう。 このように著者の知識・情報は日本に関しては、軽視あるいは本の随所で偏ったものと気が付く。日本人読者はそのことを認識すべきである。翻訳者はそういったことにまで注意を払うべきであり、そうでないと日本語版の読者は誤った理解をしてしまう。 その他、著者がイギリス人であるためか、大量の阿片を中国に持ち込んだのがイギリス人でありながら、日本人の責任ばかりを非難するかのような記述には疑問を覚える。 | ||||
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父親の執念を、歴史の片隅から丹念に救い上げた著者の姿勢には脱帽。 しかし、英語原文を読んでいないので確たることは言えないが、1939年に初飛行をしたゼロ戦が1937年の中国の空を飛んでいる、 と言う記述や、南京大虐殺30万人説をさっらと記述してあることは気に入らない。 ダガー賞やエドガー賞を獲得しているという作品だけに、 特に気にかかる。 | ||||
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パメラ・ワーナーという元領事の令嬢が殺された未解決事件が主たるストーリーということになっているが、 著者が描きたかったのは、戦争前の北京の姿なのだと感じました。 中国という国に対する国家間の思惑などは書き込まれていて、戦争前の混乱を読む歴史書としては丁寧だと思います。 しかしながら事件そのものについては、それほど謎が深いわけではありません。 (治安の良くない地域で夜に若い女性が冒険のために見知らぬ人間についていくというより、知り合いと一緒にいて殺されたと考える方が妥当でしょう。知り合いを丁寧に当たれば、解決は出来たでしょう。) 戦争に向かう混乱期の影響は、なかったとまでは言わないが、事件が解決しなかった主要因は租界の中の人間関係にあると思う。 捜査に口出しする権力者。捜査に当たる警部に父親への接触を禁じたり、疎開の中の英国人(エリート)以外の人間を探せと命じたり。 早々に捜査を終了させたり。 ミステリーでもよくあるように狭い村の中で事件が起こり、そこにいる人が犯人である可能性が高いのに、 そうではない方向にすすんで欲しいと思う有力者がいたり、狭い人間関係ゆえに口を閉ざす人がいる。 この事件の構図はこんなふうだったのではないか。 事件の真相と未解決になった事情を描きたいのであれば、租界の中の狭い人間関係(権力関係)をもっと描くべきだったのでは? | ||||
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友人に勧められて手に取りました。 殺人事件が始まりなので、気が進まないままに読み進めましたが、あっという間に引き込まれ、気づいたら読み終えていました。 ただのミステリーではありません。 | ||||
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