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象徴の設計
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【この小説が収録されている参考書籍】
象徴の設計の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.24pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全17件 1~17 1/1ページ
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出身は足軽身分以下と言われるが、上位者の暗殺や反乱による脱落などで、明治日本の陸軍トップとなり、政官界を支配した山縣有朋を主人公にした珍しい作品。 私は特にそこまでは思わないけれど、山縣は、明治期の汚職政治家の代表的な人物とされることが多く、当時も現代も大衆的人気がまるでなく、取り上げられることがほとんどない人物。 また、政治家としての評価もすこぶる低く、二流以下とされることも多い。 だが、その功罪は一旦は置くとして、700年続いた武士社会が終わり、明治になり、徴兵制を一から作り、明治後期には清国やロシアとの戦争に勝利するまでの日本軍を創設し、運営した彼の手腕は尋常ではない。 彼の作品とも言える日本陸軍が、昭和期に無謀な戦争を引き起こし、日本を破滅の淵まで追い込んだためか、山縣の人物を描くことすらタブーなのかと思う位誰も取り上げず、かの司馬遼太郎をして、日本の悲惨な敗戦の遠因と評される。 ただ、仮に司馬遼太郎の評価が正しいとして、その歴史の失敗からこそ、後世の日本人は学ぶべきだと思うし、外交や戦争を 勉強してこそ、それらに上手く対応出来ると思うので、山縣を始め、かつての軍関係の政治家、軍人は公正な視点でもっと取り上げられるべきだと思う。 小説の中身以外の部分が長くなりすぎたけれど、やはり松本清張は、日本軍や敗戦後の占領下の日本の闇を描いた作家さんだけあって、陸軍の産みの親、山縣を取り上げて作品を作ったのだろう。 読んでみると、山縣はやはり不思議な人物だ。同時期の明治時代の政治家と比べても取り分け暗いし、高尚な理想や使命感に燃えていたのでも無い。強欲で傲慢な訳でもないが、配下に有能な人物を揃え、政官界に君臨している。まあ、彼に認められると確実に出世出来るから、それが彼の力の源泉なのかと思うけれど、それにしては彼の礼賛者がいなさすぎる。 取りともなく、本のレビューとは程遠いことばかり書きましたが、山縣有朋などの人気がないけれど、力のあった人物がもっと取り上げられ、研究が進むのを楽しみにしています。 | ||||
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作品が出た時点では、北朝鮮で粛清された文学者の作品をタブー視しない朝鮮文学か現代韓国の研究者か、粛清される前に日本語訳された詩を読んだか、北朝鮮について批判的で南労党裁判について関心を持ったような、いずれも極めて例外的な日本人は別として、まず当時の日本人が名前すら知らないであろう林和を北朝鮮の「主張」に沿って「日帝に屈服した転向者にしてアメリカ帝国主義のスパイ」と描いた日本文学史上最低最悪な悪書だ。おそらく南労党裁判について疑問を持っている在日朝鮮人が対象なのだろう。伊藤律と違って、刊行当時、既に林和は銃殺されているし、韓国に遺族や故人をよく知る人がいたところで南労党関係者が身近にいたら肩身が狭い時代なので、まず反論される事はない。版元は北朝鮮についてあれこれ出しているが、何故この本はそのままで出ているのか?こういう故人を冒涜して、独裁体制を礼賛するような本は今でも読めるのは貴重なので残しておくべきだから、林和の生涯や彼の作品、生きた時代、そして南労党裁判について実像が分かるような文章を一緒に掲載すべきだ。北朝鮮が描いた筋書き通りに「北の詩人」の中で偽りの姿を生かされている林和が哀れでならない。 | ||||
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戦前の日本の基本的な政治システムの理解につながった。 山形有朋の政治思想により陸軍共同体、統帥権の独立、大東亜戦争への展開等の理解が深まった。 | ||||
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明治時代が燦然と輝いていたっていうのは嘘なのかも。暗い部分も沢山あったようですね。この本を読んでいると、人間の考えることはいつでも同じだなあと思います。共産主義を恐れる、と、自由民権運動を恐れる、というのは同じ理屈と意識から来ているみたいです。たしかに組合が暴走してもダメだし(沈まぬ太陽)しかし、権力者が労務提供者を押さえつけようとしても、上手くいかない。働き方改革が行き過ぎれば人は怠けるし、組織への忠誠への見返り(見返りは流動的・変動的なものだから不安定)だけでも上手くいかない。成果主義も限界があるし…国や社会や経済が成長し続けるのって難しいですね…明治の人もいろいろ考えたんでしょうが… | ||||
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本書は 松本清張(1909-1992)による 『松本清張全集17』(文藝春秋 1974) です。次の3篇が収められています。 「北の詩人」(1964 中央公論社) 「象徴の設計」(1976 文藝春秋) 「小説帝銀事件」(1959 文藝春秋) ここでは 「象徴の設計」について述べます。 タイトルから内容の推測がつきにくいと 思いますが、これは 山縣有朋(1838-1922)の小伝です。 ただし一生にわたるものではなく 「軍人勅諭」を制定したころを中心に 描いています。 「軍人勅諭」を制定することによって 天皇制を強固にしていく過程が 「象徴の設計」 というタイトルに暗示されています。 また見方を変えれば 山縣の評伝であると同時に 明治10年代記・20年代記とも言えます。 自由民権運動が次第に高まるのと同時に それを上回る速度と量と質で 弾圧していく過程を描いています。 いま私の手元に小冊子 『詔勅集』(財団法人偕行社)があります。 その2ページから17ページまでが 「陸海軍人ニ賜ハリタル勅諭」 (明治十五年一月四日)です。 いわゆる「軍人勅諭」(1882)のことです。 この16ページにわたる勅諭は 旧漢字+万葉仮名で書かれています。 総ルビが振ってありますが 万葉仮名に慣れていないと 読みにくいかもしれません。 他の勅語が漢文調であるのに比べると 国文調(古文調)であるのが特徴です。 (個人的には漢文調のほうがまだしも 理解しやすく暗記しやすいです) はじめの6ページが前文です。 前文においては 神武天皇から始まり 大友氏・物部氏を経て 2500年あまりの兵制の沿革について くどくど述べます。 (神話と歴史の境界や 2500年の根拠についてはここでは 触れずに内容の紹介にとどめます) 後半は 一定の年齢以上の方 (つまり軍隊に行かれた方)なら覚えて いるかもしれませんが 有名な5つの本分を述べます。 一 軍人は忠節を尽すを本分とすべし 一 軍人は礼儀を正くすべし 一 軍人は武勇を尚ぶべし 一 軍人は信義を重んずべし 一 軍人は質素を旨とすべし もちろん原文は上述の通り テニヲハは万葉仮名ですし ひとつひとつの項目を 敷衍する内容がついていますから 後半が10ページに及びます。 陸海軍の兵は「軍人勅諭」を暗記させられました。 上述の通りいわゆる教科書版で16ページ しかも万葉仮名の古文調ですから あまりリズムが良くありません。 『山本五十六』などの海軍ものや 『きかんしゃ やえもん』 (国語の教科書に掲載)で有名な作家 阿川弘之(1920-2015)は 旧海軍出身ですが 「軍人勅諭」を覚えさせられ 覚えましたけれどネ‥‥と 丸暗記させることに批判的でした。 山縣有朋が 「軍人勅諭」を制定した 直接の原因は 1878(明治11)年8月23日の 「竹橋事件」です。これは 西南戦争に対する論功行賞をめぐる不満から 近衛砲兵第一大隊が起こした反乱です。 背景に自由民権運動の影響があったと 考える人もいます。 陸軍卿だった山縣は事件直後に 「軍人訓戒」を出しますが それでは不十分と考えます。 そして参謀本部長になった山縣は 西周(1829-1897)に起草させて 天皇から陸海軍人に賜る言葉 つまり勅語というかたちで 「軍人勅諭」を制定しました。 庶民を描くことが多い松本清張ですが 「設計の象徴」においてはめずらしく 弾圧する側・反動の側から その手法と考えをあぶり出しています。 小説としては 決して面白おかしく読めるわけでもなく ストーリーが卓抜なわけでもありません。 資料を読むようなつもりで ゆっくり丁寧にお読みいただければ幸いです。 「象徴の設計」はおおむね 1887(明治20)年ころまでを描いています。 このあと 1889(明治22)年12月24日 山縣は首相になります。 これより先 黒田清隆(1840-1900)が首相だった 1889(明治22)年2月11日 帝国憲法が発布されていました。 第1回帝国議会が開かれるのは 1890(明治23)年11月29日ですが その直前 1890(明治23)年10月30日 「教育ニ関スル勅語」 いわゆる「教育勅語」が発布されます。 これは首相であった山縣有朋の主導で 井上毅(1844-1895)らの起草で 本文315字で漢文調です。 ①「軍人訓戒」(1878 M11)陸軍卿 ②「軍人勅諭」(1882 M15)参謀本部長 ③「教育勅語」(1890 M23)首相 と3つ並べてみますと いずれも山縣有朋が制定しています。 手元の『詔勅集』で「教育勅語」は 18ページから19ページの 見開き2ページに収まっています。 「軍人勅諭」に比べると短いのが特徴です。 「教育勅語」の要点は 「一旦緩急あれば義勇公に奉じ 以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」 (原文のテニヲハはカタカナで 旧仮名遣いです) であり具体的にはその前半の 「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」 がアルファでありオメガです。 「教育勅語」は 「教育に関する勅語」ですが よく読んでみると あまり教育には言及されていません。 「学を修め業を習い 以て知能を啓発し」とはありますが 抽象的な内容に終始します。 それよりも一日一善みたいな 「夫婦相和し朋友相信じ」などの 余計なお世話みたいな小言が続きます。 もし本当に「教育」を説くのであれば 「英語を身につけよ」 (明治の時点では英語はまだ 敵性言語ではありません)とか 「数学を勉強しろ」とか 「二宮金次郎にように勉強すべし」 「電子計算機(コンピュータ)に習熟しろ」 などに相当する具体的項目があっても 不思議ではありません。 それらが一切なく 「親孝行しろ」 など小言幸兵衛のようなセリフが続きます (三流四流の儒学者でも言いません)。 何回も繰り返して読むうちに これは教育に関する内容ではない と思うようになりました。 結局 「一旦緩急あれば義勇公に奉ずべし」 のひとことが言いたかっただけなのに それを隠蔽ないし希薄化するために 前後に一日一善のような修飾を ほどこしたと考えられます。 逆に 「一旦緩急あれば義勇公に奉ずべし」 を核心とするこの勅語は 臣民(国民)に対する「軍人勅諭」と 理解すると納得が行きます。 つまり「教育勅語」とは 山縣による「臣民版 軍人勅諭」 であると私は考えています。 著者の松本清張には 「軍人勅諭」の制定で終わらずに 「教育勅語」制定の裏舞台を 弾圧する側から描いてほしかった と思います。 たいへんユニークな作品になったことと 思います。 | ||||
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『象徴の設計』(松本清張著、文春文庫)では、松本清張の鋭い目が山縣有朋の実態を炙り出しています。 山縣が軍人勅諭発布に果たした役割について。「山県は(西)周を呼んで自分の腹案を告げ、その表現について熱心に語った。山県は言った。元来、日本の兵士は武士の出身でなければ役に立たないという盲信が維新の頃から行なわれていた。西郷(隆盛)も百姓兵では役に立たぬと言うていた。しかし自分は、曽て馬関戦争のとき、百姓・町人から募った奇兵隊員がどのように勇敢であったかを知っている。むしろあのときは士分のほうが怯懦であった。このことは、去年の西南の役において、剽悍の名を持つ薩摩兵に対して百姓出の兵隊が一歩も譲らなかったことで十分に説明済みである。しかし、軍隊は出来たが、未だ精神面において彼らを倚らしめるものがない。わが国軍隊の唯一の欠点である。・・・この際、兵士の精神を一般人民思想から隔絶したところに置かなければならぬ」。 「軍隊という特殊な社会に堅固な精神的防壁を造り上げたのだ。天皇という絶対性のための権威の陣地構築であった」。 統帥権の発生について。「これで軍隊は天皇に直結し、天皇は幕藩時代の君主の位置にあって、殉死的な『忠義』を強制することができる。かたちの上では、天皇が軍隊を私兵的に直接指揮するのである。統帥権の発生であった。これによって初めて参謀本部長が、陸軍卿の上奏を経ずして、直接天皇に単独発言する意義が充実したのである」。 「天皇を軍人の直接の頭首とした。軍隊を天皇の私兵化の形式にしたのは有朋だが、その意図こそ、有朋自身が陸軍を自己の私兵化していたのであった」。 不敬罪の明文化について。「天皇が神格化されれば、これを冒涜する者に対して刑罰がなければならない。不敬罪はこうして必要となってくる」。 戒厳令の制定について。「(1882年)8月5日には戒厳令を制定した。有朋がこれを作った気持の中には、外との『一朝有事』の際に備えるという表面上の理由以外に、自由民権運動への防遏の意図があった」。 新聞紙条例の改正について。「新聞紙条例の改正は、こうしたなかで品川(弥二郎)の原案、山県の加筆というかたちで進められた。・・・新聞紙面でも伏字が見られるようになり、この頃から削除や削字も目立つようになった。・・・(有朋は)わしの信念じゃ、と言い、こうしておけば、今に新聞は政府に刃向う気力を失ってくるよ、と答えた」。 保安条例の公布について。「有朋は、ここで彼ら(自由民権運動派)を解散させるばかりでなく、東京からその全員を放逐することを考えた。その条文が保安条例である」。 3歳年下の伊藤博文に対する山縣の心情について。「有朋は、近ごろの伊藤の存在に或る眩しさを覚えている。薩摩出身の大久保利通が紀尾井坂で死んでから、政府の実権は伊藤に傾きつつあった。薩州の勢力は、大久保を失うことによって後継者を見出すことができず、僅かに西郷従道を参議として政府に送り込んでいるにすぎなかった。伊藤はすでにこれまでの彼でなく、大久保の後釜として充実しつつあった。軍人の有朋は、いつも自分とならんでいるようで、実は常に一歩先に出ている伊藤に、かすかな劣等感をもっていた。『わしはただの軍人だ』と言う有朋の癖は、『一介の武人』の意識を殊更に持ち、他人にもそう吹聴していたが、そこに政治の権力を持ちつつある伊藤への反感的な呟きが明瞭に存在していた」。 「大久保の死後、日本の政治は殆んど伊藤の一人舞台であった。天皇も、岩倉(具視)も、三条(実美)も、ほとんど伊藤ひとりをたよりにしていた。同じ長州の足軽から出発して、どこで二人の運命が岐れたのであろうか。それまで日本の政治が大久保利通という薩州出身の男ひとりに運営されてきて、その下についていた伊藤が恵まれた能吏だったことに理由が尽きるかもしれない。大久保が仆れてみると、伊藤の前面は彼を遮る一本の樹木もなく、ひろびろとした曠野が展がっていたということになろう。有朋も、大村益次郎の位置をついだ。たとえ西郷隆盛が生きていたとしても、西郷はもはや、老朽化した廃物にすぎなかった。しかし、ふしぎな回り合わせで、この老輩を討つことで彼の陸軍における立場は頂上となった。西郷よりも大久保の死は8カ月遅い。だから、伊藤よりも有朋の栄光はそれだけ早かった。明治10年9月に有朋が西郷を城山に追い詰めた瞬間から、彼は陸軍の頂点にかけ登っていた。しかし、伊藤は彼にすぐ追いついた。爾来、伊藤の活動は絢爛としている。そこは政治と軍隊との相違であった」。 現代の日本を見たら、清張は何と言うだろうか。 | ||||
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このような本がkindleで安価に復刻されるのは大変ありがたいことだ。 幕末から明治維新への混乱と変革を経て、急速な近代化と富国強兵を成し遂げ、日清日露の戦争に勝利した明治国家が、大正デモクラシーを間に挟みつつも昭和期に入って急速に軍国主義と国粋主義に傾斜していったのはなぜか。その近代化の陰にある歪みの部分を担うのが、元勲にして巨魁である山県有朋である。 西南戦争で西郷が倒れ、大久保利通が暗殺された後、政治の表舞台は伊藤博文が担ったが、陸軍と警察は山県が担った。 伊藤が表舞台の光の部分で脚光を浴びる存在なら、山県はそれを裏で支える汚れ役、国家の治安を一手に引き受けたようなものだ。 この著作は山県が自由民権運動や政党をいかに敵視して、密偵も多用して執念深くかつ用意周到にその分裂をはかり弾圧をしていったかが丁寧に描かれている。板垣や大隈の動きも手に取るように把握して、巧みに押さえ込んでしまう。 また、松方デフレ財政が米価を下げて自由民権運動の資金源であった自作農を窮乏化させ、それが秩父事件などの暴発につながる経緯も立体的に描かれている。 とにかく山県という男は治安と民衆抑圧にかける暗い情熱がすさまじい。人間類型としては、KGB創設者のジェルジンスキーやFBIを創設して40年近く君臨したフーバーにも比すべきかもしれない。 この本の前半では、自由民権思想が軍に侵入するのを防止するため軍人勅諭がつくられる過程が詳しく描かれているが、興味深いのはフランス人権思想の洗礼を受けた哲学者の西周が起草した原案の穏健でむつかしい文面が気に入らない山県が、東京日日新聞の福地源一郎の手も借りて、天皇が自ら直接軍人に力強く諭す端的な勅諭に変えられていくところである。 これは教育勅語にも共通するが、下級公家と下級武士によってつくられた明治国家のよりどころが天皇神格化にあったことがこの本の題名の由来であろう。それが昭和の時代になって、統帥権干犯問題や天皇機関説問題などの軍人独走を招くのである。 | ||||
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大日本帝国が作られた時期を描いた、近代歴史小説である。 文語体の引用が多く、読みづらい。清張がちゃんと解説してくれるので、原文引用は適当にかっ飛ばした。 古い文章には強いと自認していたが、これはきつすぎる。 日本というのは、19世紀に建国された新興国なんだな。国家神道もその時期の「発明」だ。 皇室の様々な式典の大半は、明治時代に作られたらしい。二千年からの伝統が云々という話は眉唾である。 陰険な官僚主義で名高い山形有朋を中心にストーリーが進む。いやはや、聞きしに勝る陰湿さだ。 農民たちが板垣退助の民権運動を支持しているので、財源を潰すために米価を引き下げる。 農民が貧困に苦しむことは、まったく気にしない。 とにかく一般庶民が意見を主張することが大嫌いだったらしい。この男が日本を作ったのだ。 明治の日本は民主国家ではなく、封建国家の上が交代しただけだ。 大事をなすときには、争乱や弾圧はつきものだ。それを理解しても、なお今につながる保守思想にウンザリする。 司馬遼太郎の「それ行けニッポン、イケイケだ」という明治観を疑問に思っていたが、本書で司馬への信頼が微塵に打ち砕かれた。 読みにくいけど、良書である。 | ||||
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列強の圧力を排除し徳川幕府を倒す幕末・明治維新の前向きなエネルギーが、なぜ戦前の軍国主義に行き着いてしまったのか。 司馬遼太郎氏の「前半はうまくいっていたが後半はまずかった」流の解釈だけでは納得できなかったので、以前から読んでみたいと思っていました。 山県有朋が、戦前の精神構造をつくるうえで大きな役割を果たした軍人勅諭をつくるに至った経過がよくわかりました。 | ||||
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この作家は推理ものももちろんいいのだが、近代史に対しての造詣が深く感じられる。昭和史の闇に迫るものが特に良い。その元になっているのはやはり明治の元勲であろう | ||||
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「北の詩人」、「象徴の設計」、「小説帝銀事」の3作品。いずれも大変面白かった。 一般文学通算32作品目の読書完。1973/08/01 | ||||
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明治初期、まだ観念として残っていた藩主に対する忠誠心を中央集権的国家に対する忠誠心に転化・糾合し、欧米列強と対抗できる軍隊づくりを通して日本を“近代国家”に押し上げようと苦悶する軍人・為政者の姿を描いた小説。「象徴」とは明治天皇。絶対主義的天皇制とも表現される体制が、どのように形成されていったのかが垣間見れる。人間不信が根深い有朋の性分がラストで描かれているが、あとがきで、山形有朋は国家葬、大隈重信は国民葬で弔問数に大差が出た事実を持って読み返すと、象徴的なシーンであることに改めて気づく。原文も含めてすべて味わい尽くそうと思えば漢文の素養が必要だが、読み飛ばしても大意把握に支障はない。今はもう絶版になっているのが残念でならない。 | ||||
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レビューを書いている人が何人もいらっしゃって、とても嬉しい。私は見つけるのに苦労したが、結構売れたんだろうか、この本。 山縣というのは、何の魅力もないつまらない男だ。一応、萩に建っている銅像はカッコいいが、あれは彫刻家の腕だ。胃腸が弱いから好物の筍の繊維をとらせて食べてたって、筍から繊維を引いたら何が残る?手弁当で宴会に行っていたのも、それぐらいなら行くなよな。 維新の志士たちが便宜上担ぎ上げた「皇室」を(少なくとも大久保や木戸はそう思っていたはず)本物の神様に祭り上げちゃったのが、このバカ男なのだ。松本清張は数々の名作と駄作を世に送り出した人だが、これは傑作だと思う。幕末ファンから明治以降に興味を持った方、読む価値あり。 | ||||
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レビューを書いている人が何人もいらっしゃって、とても嬉しい。私は見つけるのに苦労したが、結構売れたんだろうか、この本。 山縣というのは、何の魅力もないつまらない男だ。一応、萩に建っている銅像はカッコいいが、あれは彫刻家の腕だ。胃腸が弱いから好物の筍の繊維をとらせて食べてたって、筍から繊維を引いたら何が残る?手弁当で宴会に行っていたのも、それぐらいなら行くなよな。 維新の志士たちが便宜上担ぎ上げた「皇室」を(少なくとも大久保や木戸はそう思っていたはず)本物の神様に祭り上げちゃったのが、このバカ男なのだ。松本清張は数々の名作と駄作を世に送り出した人だが、これは傑作だと思う。幕末ファンから明治以降に興味を持った方、読む価値あり。 | ||||
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西南の役(西南戦争)での自らの反省を元に、「神」の代替物としての「天皇制」の創出に乗り出し、「軍人勅諭」を編み出した山県有朋を描く。(これを読むと、彼こそがいわゆる太平洋戦争の真の遠因であったように思えてならない。)とにかく読み応えあり。 | ||||
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西南の役(西南戦争)での自らの反省を元に、「神」の代替物としての「天皇制」の創出に乗り出し、「軍人勅諭」を編み出した山県有朋を描く。(これを読むと、彼こそがいわゆる太平洋戦争の真の遠因であったように思えてならない。)とにかく読み応えあり。 | ||||
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現代で明治を舞台に小説を書く作家と言えば、この松本清張の他に司馬遼太郎、山田風太郎、三好徹などなど数え上げる事が出来るが、何と言っても清張の重厚さにはかなわないのではないか。しかも、これを書くと同時に現代物も多作している姿勢を生涯変えなかった態度には、とても理解不可能な特殊な才能があったとしか言えない。山県有朋の全く面白みのない性格、生活を書いた作品としても読む価値はある。 | ||||
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