象徴の設計



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    初公開日(参考)1974年01月
    分類

    長編小説

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    象徴の設計 (文春文庫)

    2003年08月01日 象徴の設計 (文春文庫)

    西南戦争が終結した後も、日本の動揺は続いていた。そんな時、今度はなんと近衛兵が反乱騒動を起した。竹橋事件である。事態を重く見た時の陸軍卿山県有朋は、軍のより一層の近代化を進めるため、軍人の軍人たる心構え、すなわち「軍人勅諭」を創るよう西周に命じた。明治初期、近代国家への変身を描く。 (「BOOK」データベースより)




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    No.17:
    (3pt)

    もっと研究されるべき

    出身は足軽身分以下と言われるが、上位者の暗殺や反乱による脱落などで、明治日本の陸軍トップとなり、政官界を支配した山縣有朋を主人公にした珍しい作品。
    私は特にそこまでは思わないけれど、山縣は、明治期の汚職政治家の代表的な人物とされることが多く、当時も現代も大衆的人気がまるでなく、取り上げられることがほとんどない人物。
    また、政治家としての評価もすこぶる低く、二流以下とされることも多い。
    だが、その功罪は一旦は置くとして、700年続いた武士社会が終わり、明治になり、徴兵制を一から作り、明治後期には清国やロシアとの戦争に勝利するまでの日本軍を創設し、運営した彼の手腕は尋常ではない。

    彼の作品とも言える日本陸軍が、昭和期に無謀な戦争を引き起こし、日本を破滅の淵まで追い込んだためか、山縣の人物を描くことすらタブーなのかと思う位誰も取り上げず、かの司馬遼太郎をして、日本の悲惨な敗戦の遠因と評される。

    ただ、仮に司馬遼太郎の評価が正しいとして、その歴史の失敗からこそ、後世の日本人は学ぶべきだと思うし、外交や戦争を
    勉強してこそ、それらに上手く対応出来ると思うので、山縣を始め、かつての軍関係の政治家、軍人は公正な視点でもっと取り上げられるべきだと思う。

    小説の中身以外の部分が長くなりすぎたけれど、やはり松本清張は、日本軍や敗戦後の占領下の日本の闇を描いた作家さんだけあって、陸軍の産みの親、山縣を取り上げて作品を作ったのだろう。
    読んでみると、山縣はやはり不思議な人物だ。同時期の明治時代の政治家と比べても取り分け暗いし、高尚な理想や使命感に燃えていたのでも無い。強欲で傲慢な訳でもないが、配下に有能な人物を揃え、政官界に君臨している。まあ、彼に認められると確実に出世出来るから、それが彼の力の源泉なのかと思うけれど、それにしては彼の礼賛者がいなさすぎる。

    取りともなく、本のレビューとは程遠いことばかり書きましたが、山縣有朋などの人気がないけれど、力のあった人物がもっと取り上げられ、研究が進むのを楽しみにしています。
    象徴の設計 (文春文庫 106-61)Amazon書評・レビュー:象徴の設計 (文春文庫 106-61)より
    4167106612
    No.16:
    (1pt)

    生きている日本文学史上最低最悪の悪書「北の詩人」

    作品が出た時点では、北朝鮮で粛清された文学者の作品をタブー視しない朝鮮文学か現代韓国の研究者か、粛清される前に日本語訳された詩を読んだか、北朝鮮について批判的で南労党裁判について関心を持ったような、いずれも極めて例外的な日本人は別として、まず当時の日本人が名前すら知らないであろう林和を北朝鮮の「主張」に沿って「日帝に屈服した転向者にしてアメリカ帝国主義のスパイ」と描いた日本文学史上最低最悪な悪書だ。おそらく南労党裁判について疑問を持っている在日朝鮮人が対象なのだろう。伊藤律と違って、刊行当時、既に林和は銃殺されているし、韓国に遺族や故人をよく知る人がいたところで南労党関係者が身近にいたら肩身が狭い時代なので、まず反論される事はない。版元は北朝鮮についてあれこれ出しているが、何故この本はそのままで出ているのか?こういう故人を冒涜して、独裁体制を礼賛するような本は今でも読めるのは貴重なので残しておくべきだから、林和の生涯や彼の作品、生きた時代、そして南労党裁判について実像が分かるような文章を一緒に掲載すべきだ。北朝鮮が描いた筋書き通りに「北の詩人」の中で偽りの姿を生かされている林和が哀れでならない。
    松本清張全集〈17〉北の詩人・象徴の設計 (1974年)Amazon書評・レビュー:松本清張全集〈17〉北の詩人・象徴の設計 (1974年)より
    B000J97TRE
    No.15:
    (4pt)

    戦前の政治システムの設計

    戦前の日本の基本的な政治システムの理解につながった。
    山形有朋の政治思想により陸軍共同体、統帥権の独立、大東亜戦争への展開等の理解が深まった。
    象徴の設計 (文春文庫 106-61)Amazon書評・レビュー:象徴の設計 (文春文庫 106-61)より
    4167106612
    No.14:
    (3pt)

    難しい~

    明治時代が燦然と輝いていたっていうのは嘘なのかも。暗い部分も沢山あったようですね。この本を読んでいると、人間の考えることはいつでも同じだなあと思います。共産主義を恐れる、と、自由民権運動を恐れる、というのは同じ理屈と意識から来ているみたいです。たしかに組合が暴走してもダメだし(沈まぬ太陽)しかし、権力者が労務提供者を押さえつけようとしても、上手くいかない。働き方改革が行き過ぎれば人は怠けるし、組織への忠誠への見返り(見返りは流動的・変動的なものだから不安定)だけでも上手くいかない。成果主義も限界があるし…国や社会や経済が成長し続けるのって難しいですね…明治の人もいろいろ考えたんでしょうが…
    象徴の設計 (文春文庫 106-61)Amazon書評・レビュー:象徴の設計 (文春文庫 106-61)より
    4167106612
    No.13:
    (5pt)

    松本清張による 山縣有朋の明治十年二十年代記 『象徴の設計』所収です

    本書は
    松本清張(1909-1992)による
    『松本清張全集17』(文藝春秋 1974)
    です。次の3篇が収められています。
    「北の詩人」(1964 中央公論社)
    「象徴の設計」(1976 文藝春秋)
    「小説帝銀事件」(1959 文藝春秋)

    ここでは
    「象徴の設計」について述べます。
    タイトルから内容の推測がつきにくいと
    思いますが、これは
    山縣有朋(1838-1922)の小伝です。
    ただし一生にわたるものではなく
    「軍人勅諭」を制定したころを中心に
    描いています。
    「軍人勅諭」を制定することによって
    天皇制を強固にしていく過程が
    「象徴の設計」
    というタイトルに暗示されています。
    また見方を変えれば
    山縣の評伝であると同時に
    明治10年代記・20年代記とも言えます。
    自由民権運動が次第に高まるのと同時に
    それを上回る速度と量と質で
    弾圧していく過程を描いています。

    いま私の手元に小冊子
    『詔勅集』(財団法人偕行社)があります。
    その2ページから17ページまでが
    「陸海軍人ニ賜ハリタル勅諭」
    (明治十五年一月四日)です。
    いわゆる「軍人勅諭」(1882)のことです。
    この16ページにわたる勅諭は
    旧漢字+万葉仮名で書かれています。
    総ルビが振ってありますが
    万葉仮名に慣れていないと
    読みにくいかもしれません。
    他の勅語が漢文調であるのに比べると
    国文調(古文調)であるのが特徴です。
    (個人的には漢文調のほうがまだしも
    理解しやすく暗記しやすいです)

    はじめの6ページが前文です。
    前文においては
    神武天皇から始まり
    大友氏・物部氏を経て
    2500年あまりの兵制の沿革について
    くどくど述べます。
    (神話と歴史の境界や
    2500年の根拠についてはここでは
    触れずに内容の紹介にとどめます)

    後半は
    一定の年齢以上の方
    (つまり軍隊に行かれた方)なら覚えて
    いるかもしれませんが
    有名な5つの本分を述べます。

    一 軍人は忠節を尽すを本分とすべし
    一 軍人は礼儀を正くすべし
    一 軍人は武勇を尚ぶべし
    一 軍人は信義を重んずべし
    一 軍人は質素を旨とすべし

    もちろん原文は上述の通り
    テニヲハは万葉仮名ですし
    ひとつひとつの項目を
    敷衍する内容がついていますから
    後半が10ページに及びます。

    陸海軍の兵は「軍人勅諭」を暗記させられました。
    上述の通りいわゆる教科書版で16ページ
    しかも万葉仮名の古文調ですから
    あまりリズムが良くありません。
    『山本五十六』などの海軍ものや
    『きかんしゃ やえもん』
    (国語の教科書に掲載)で有名な作家
    阿川弘之(1920-2015)は
    旧海軍出身ですが
    「軍人勅諭」を覚えさせられ
    覚えましたけれどネ‥‥と
    丸暗記させることに批判的でした。

    山縣有朋が
    「軍人勅諭」を制定した
    直接の原因は
    1878(明治11)年8月23日の
    「竹橋事件」です。これは
    西南戦争に対する論功行賞をめぐる不満から
    近衛砲兵第一大隊が起こした反乱です。
    背景に自由民権運動の影響があったと
    考える人もいます。
    陸軍卿だった山縣は事件直後に
    「軍人訓戒」を出しますが
    それでは不十分と考えます。
    そして参謀本部長になった山縣は
    西周(1829-1897)に起草させて
    天皇から陸海軍人に賜る言葉
    つまり勅語というかたちで
    「軍人勅諭」を制定しました。

    庶民を描くことが多い松本清張ですが
    「設計の象徴」においてはめずらしく
    弾圧する側・反動の側から
    その手法と考えをあぶり出しています。
    小説としては
    決して面白おかしく読めるわけでもなく
    ストーリーが卓抜なわけでもありません。
    資料を読むようなつもりで
    ゆっくり丁寧にお読みいただければ幸いです。

    「象徴の設計」はおおむね
    1887(明治20)年ころまでを描いています。
    このあと
    1889(明治22)年12月24日
    山縣は首相になります。
    これより先
    黒田清隆(1840-1900)が首相だった
    1889(明治22)年2月11日
    帝国憲法が発布されていました。
    第1回帝国議会が開かれるのは
    1890(明治23)年11月29日ですが
    その直前
    1890(明治23)年10月30日
    「教育ニ関スル勅語」
    いわゆる「教育勅語」が発布されます。
    これは首相であった山縣有朋の主導で
    井上毅(1844-1895)らの起草で
    本文315字で漢文調です。

    ①「軍人訓戒」(1878 M11)陸軍卿
    ②「軍人勅諭」(1882 M15)参謀本部長
    ③「教育勅語」(1890 M23)首相
    と3つ並べてみますと
    いずれも山縣有朋が制定しています。
    手元の『詔勅集』で「教育勅語」は
    18ページから19ページの
    見開き2ページに収まっています。
    「軍人勅諭」に比べると短いのが特徴です。

    「教育勅語」の要点は
    「一旦緩急あれば義勇公に奉じ
    以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」
    (原文のテニヲハはカタカナで
    旧仮名遣いです)
    であり具体的にはその前半の
    「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」
    がアルファでありオメガです。

    「教育勅語」は
    「教育に関する勅語」ですが
    よく読んでみると
    あまり教育には言及されていません。
    「学を修め業を習い
    以て知能を啓発し」とはありますが
    抽象的な内容に終始します。
    それよりも一日一善みたいな
    「夫婦相和し朋友相信じ」などの
    余計なお世話みたいな小言が続きます。

    もし本当に「教育」を説くのであれば
    「英語を身につけよ」
    (明治の時点では英語はまだ
    敵性言語ではありません)とか
    「数学を勉強しろ」とか
    「二宮金次郎にように勉強すべし」
    「電子計算機(コンピュータ)に習熟しろ」
    などに相当する具体的項目があっても
    不思議ではありません。
    それらが一切なく
    「親孝行しろ」
    など小言幸兵衛のようなセリフが続きます
    (三流四流の儒学者でも言いません)。

    何回も繰り返して読むうちに
    これは教育に関する内容ではない
    と思うようになりました。
    結局
    「一旦緩急あれば義勇公に奉ずべし」
    のひとことが言いたかっただけなのに
    それを隠蔽ないし希薄化するために
    前後に一日一善のような修飾を
    ほどこしたと考えられます。

    逆に
    「一旦緩急あれば義勇公に奉ずべし」
    を核心とするこの勅語は
    臣民(国民)に対する「軍人勅諭」と
    理解すると納得が行きます。
    つまり「教育勅語」とは
    山縣による「臣民版 軍人勅諭」
    であると私は考えています。

    著者の松本清張には
    「軍人勅諭」の制定で終わらずに
    「教育勅語」制定の裏舞台を
    弾圧する側から描いてほしかった
    と思います。
    たいへんユニークな作品になったことと
    思います。
    松本清張全集〈17〉北の詩人・象徴の設計 (1974年)Amazon書評・レビュー:松本清張全集〈17〉北の詩人・象徴の設計 (1974年)より
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