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ペスト



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ペストの評価: 4.00/5点 レビュー 411件。 Bランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.00pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全304件 81~100 5/16ページ
No.224:
(4pt)

パンデミック小説の金字塔

パンデミックの影響から今回初めて読みました。

古典文学であるものの確かに読み応えがあり、身に詰まらせる内容でした。

こういう時期だからこそ読んでよかったと思います。
ペスト (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:ペスト (新潮文庫)より
4102114033
No.223:
(5pt)

今こそ、読むべき。励まされます。

新聞の書評欄で大変な評判で、つられて買いましたー。面白かったです。カミュって、すごい作家だったと改めて読みました。
今の時期、コロナを乗り切る力になるように思いました。
ペスト (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:ペスト (新潮文庫)より
4102114033
No.222:
(5pt)

コロナ禍を忘れないために!

少し、表現がまだらこしいが、街の空気、熱病で閉じ込められた人々の心情と行動が私の心を揺り動かす作品です。コロナ禍を忘れないために読むべき本です。
ペスト (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:ペスト (新潮文庫)より
4102114033
No.221:
(5pt)

COVID-19が世界で猖獗を極める今、読まれるべき本

一九四*年地中海に面したある都市で鼠の大量死に伴い人々が斃れて行く。専門家は「ペスト」と断定する。数世紀前に消えた筈なのに。経緯、様々な人間模様が一人の篤実な医師によって記述される。ある時期に統計的にペストは終息に向かい生き残った人々は歓喜に湧く。”ペストは治まった” しかし・・・
ペスト菌は死なず消えず長年如何なる処にも生存し、いつかは人間に不幸と教訓をもたらすために鼠どもを呼びさましどこかの幸福な都市に彼らを死なせに差し向ける日が・・・と結ばれる。
COVID-19の猛威に晒されながら緩みがちの人間に時宜を得た、古くて新しい好著であろう。
ペスト (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:ペスト (新潮文庫)より
4102114033
No.220:
(5pt)

語彙の難しさはありましたが、臨場感のある翻訳でした。

時折出くわす慣れない語彙と場面ごとに代わる主人公の特定に苦労しましたが、脳トレのつもりで楽しみました。情景描写が物語の舞台となったオラン市の風景と、そこでペストと向かい合う人々の生きざまを想像させ、さながらドキュメンタリー映画を観ているような気分を味わえました。
ペスト (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:ペスト (新潮文庫)より
4102114033
No.219:
(5pt)

コロナの最中でこそ読む一冊

ペスト、あるいはコロナとは何か
 緊急事態宣言が解除され、自粛生活が和らぎ、消費・経済活動を中心に日常生活が少しずつ回復しつつある現在、本作はわれわれに何を問いかけているだろうか。
 ペストによる感染拡大は作品中、様々な比喩をまとい、決して1つの意味に限定することはできないのだが、敢えて1つの定義をしてみると、本文中の次の一節が最も的確だと思われる。完全に外部から遮断されたオラン市に暮らす人々について、「ペストが市の門を閉鎖した瞬間から、彼らはもう別離のなかでだけ生き、すべてを忘れさせてくれる人間的な温かみをもぎ取られてしまっていたのである」(p. 442)。つまり、ペストがもたらすものとは、人と人との孤絶した状況なのである。
 それと同様に、新型コロナウイルスの感染拡大が終息しない現在の状況も、感染対策や情報通信技術の発達などによって状況は全く同様ではないものの、やはり人と人の距離が生まれ、断絶すら見られる。例えば、感染防止のために最期を看取ることのできない遺族にとっては、死の悲しみがより悲痛なものとなるだろう。また、病院での面会禁止や、福祉施設での訪問制限などもまた、人と人とが近づくことのできない、深刻な別離の状況を生み出している。あるいは、感染者やその家族に対する差別的な言動も、ペスト的である、と言えるだろう。
 そのように、『ペスト』と今の社会状況を近づけて捉えた時、作品の描き出す人間への慈しみ、批判、共感などを含めた普遍的な洞察は、今の局面においても、内省を深めるために必要なものである。本作によって、感染防止や所得の保証といった自己防衛のための観点とは異なり、他者を含めた広く、また倫理的な深い視点で、人間という存在を見つめることになるだろう。また、随所に見られる豊かな表現も本作の特徴であり、読書そのものの楽しさを再発見させてくれる。

人間への深いまなざし
 『ペスト』の読後の感想として、まず挙げたい点は、作品が人間に関する鋭い洞察に満ちている、という点である。語り手は、あらゆる場面において、災禍における人間の取り得る行動と心理とを様々に描き出す。主人公である医師リウーは、危険を顧みず患者の治療に当たる。新聞記者ランベールは、恋人に会うためにオラン市から何とか逃れ出ようといくつも交渉を試みる。さらには、個人のみならず、機械的で事務的な対応を繰り返す行政という社会的な側面や、ペストの感染拡大にともない心情の変化する市民という集団の行動や心理もまた見事に描き出している。
 さらには、そのような複数の要素だけではなく、それぞれがまた変化に富んだ様相を見せる点も、本作の味わいであることも付け加えておきたい。一例だけを挙げると、ペストの終息まで医師としての使命を果たし続けた医師リウーであるが、時には「自分が恐怖にとりつかれていることを認めた」。そして、感染の危険を冒して、「人間的な温かみに触れたい」思いから、人の大勢いるカフェに二度も入った(p. 85)。また、リウーが少年を看取る場面は、克明な描写と簡潔な文体が悲惨さをより色濃くする、読み手は小説中で最も感情を揺さぶられ、胸を締め上げられる場面であるが、「ありとあらゆる人間から同時に発せられたかと思われるほど非人間的な悲鳴」を聞き、リウーは耐え難くなり、その場を逃れようとさえする(p. 315-21)。後述するが、夜の海ではまた、リウーがペストの惨禍から解放され、波に揺られながら束の間の幸福に包まれる場面も描かれる。
 リウーの場合に顕著なように、本作では人間に対する豊饒な心理的な洞察がここかしこに見られ、危機的な状況における人間の行動や心理を読者に追体験させる。

連帯のための行動
 作品中、訳語のせいか、それとも原語がそうなのか、一読してすぐには理解しにくい箇所がいくつか見られるが、リウーとランベールの対話における「抽象」と「事実」という二つの言葉の対立もその一つであろう。ランベールはオラン市を脱出して妻に会うために、ペストに罹患していない証明書をリウーに書いてもらうよう依頼する。しかし、リウーは職務上の倫理観からそれを断る。すると、ランベールは「あなたには理解できないんです。あなたのいっているのは、理性の言葉だ。あなたは抽象の世界にいるんです」とリウーを非難する。それに対してリウーは落ち着いた様子で、「明白な事実の言葉を話している」と答える(p. 126)。つまり、ランベールの利己的な願望に対するリウーの返答が一般論であり、ランベールにとっては何ら手だてが得られないという苛立ちだけが残される。そこで用いられる「抽象」と「事実」というそれぞれ対立する語が、日常的に用いる意味に合致しないように思われるのである。
 「抽象」という語について、フランス文学者である中条昌平が本書を取り上げた『NHK 100分 de 名著』(2018)では二つの意味がある、とされている。それは医師リウーに見られるような貫徹した「理念」と、ペストという現実を越え出たかのような「非現実性」である。しかし、私はむしろリウーの述べた「事実」という言葉に注目したい。ペストという不条理にあって、「非現実性」を克服するものが、例えば医師リウーの行動である。また、リウーとともに行動をするタルーやランベール、あるいは日々淡々と統計業務をこなすグランも、それぞれにペストという災禍における己の役割を果たしており、そういった行動が作品中では不条理に立ち向かう行為として描かれている。私はそのような現実に飲み込まれまいと対処する具体的な行動が、ランベールの言う「抽象」に対してリウーの発した「事実」という言葉の意味合いである、と考える。そして、その「事実」には倫理的な価値が込められており、その価値とは他者との連帯である。ペストのもたらす人間同士の孤絶した状態を反転させることで、その意味は自ずと浮かび上がるだろう。
 リウーの言う「事実」とは、つまりある行動が別離状態に置かれた他者と他者の関係を回復し、そしてそれを目的として個人個人の役割を果たす、という行動を指している。リウーにしてもまたグランにしても、決して誰かからの目立つような賛辞が送られるわけではなく、黙々と己の使命として受け入れているかのようにペストに立ち向かう。ただ静かな賛辞だけが、読者によってペストに抗い行動する人々に送られるだけである。
なお、中条昌平の『NHK 100分 de 名著』(2018)は優れた解説書である。物語の進行に沿いながら、『ペスト』を読み解くための解説が的確に述べられ、印象的な場面も十分に盛り込まれている。やや古めかしい訳語などから『ペスト』を読み続けられそうもない、という人も本作の醍醐味を味わえる一冊である。

『ヴェニスに死す』との比較
 『ペスト』と同じく、トーマス・マンによる『ヴェニスに死す』もまたイタリアのヴェネツィアにおけるコレラの感染拡大を背景とした小説である。人間の価値ある行動を問うたカミュの作品に対して、マンの作品は古典的な美への憧れを主題とし、耽美的な傾向を見せる。しかしながら、部分的に共通するモチーフがあり、興味深い。
例えば、海。カミュは次のように夜の海を描き、リウーとタルーの幸福感の広がりを海の遥かさに重ね合わせる。
 水は膨れ上がっては、またゆるやかに下降して行った。この静かな海の息づきが、水
面に油のような反射を明滅させていた。彼らの前には夜の闇がはてしなく広がっていた。リウーは、指の下にあばたの岩肌を感じながら、異常な幸福感に満たされていた。(『ペスト』p. 382)
 ここで「異常な幸福感」という表現が奇異に映るかもしれないが、決して単純な幸福に満たされないところが『ペスト』の面白さでもある。ペストの恐怖、また日中の猛暑からほんの束の間解放されながらも、リウーは決してその恐ろしさを完全に忘れ去ることができないでいるのである。つまり、果てしなく広がる幸福が、明日死ぬかもしれないという恐怖とリウーの中に同時に現れ、その複雑さが「異常な幸福感」として抱かれる。
 一方で、マンにとって海はあらゆるものを超越した「完全なもの」として表現される。

「完全なものにもたれて休息したいというのは、優秀なものをえようと努める者のあこがれだ。そして、虚無とは完全なものの一形態ではなかろうか」(『ヴェニスに死す』p. 62)

 カミュと比較すると、マンの描く海は現実を越えた崇高で、唯一無二の存在である。その点、カミュの描く海は上下に揺れ続け、海を泳ぐ登場人物の複雑な心理と一体となるのでる。なお、ヴィスコンティによる映画『ヴェニスに死す』(1971)もまた、主人公アッシェンバッハがヴェネツィアに向けて船出をする冒頭の海のシーンは、マーラーの交響曲第5番第4楽章アダージェットが水面のたゆたいを表現するかのようで印象的である。一度でもその映画を観た人は、アダージェットを聞けば、ヴィスコンティの描くあの夕暮れ時の物憂い海を思い出すだろう。
 さて、次に言葉についてのカミュとマンの比較である。本作の中では、言葉に関する考察もされている。役人であるグランは「幾晩も幾週間もすっかりつぶしちまうことがありますからね、言葉1つのために……。しかもそれが時には単なる接続詞一つだったりするんです」(p. 150)と、まるでフランスの作家フロベールを思わせるような口ぶりをする。しかし、実際は創作の冒頭の一節を何度も苦吟しているだけであり、最終的には、余分な修飾語を取り除き、簡素な文体へと至る。それは心の迷いを振り切ることのできたグランの心境でもあるのかもしれない。あるいはまた、作家カミュ自身の文体に関する簡潔さへの志向を示している、と言えるかもしれない。
 また、ペストが町を覆い尽くしていく1つの過程として、本作では「最も真実な悲しみが、会話の陳腐な語法に翻訳されることが通例となったのである」(p. 109)と述べられ、人々が用いる言葉の変化としてペストの一側面を巧みに描き出す。ペストによって個人的な感情は話すにしても、あるいはまた聞くにしても削ぎ落とされていく。隔離された人々は苦悩のために集団化し、互いに慰め合うための共通語を見出すのである。それは一般化された言葉の選択、それ以上でもそれ以下でもない言葉遣い、すなわち誰にでもその語が指すものが理解されないことはない「陳腐な語法」となる。
 では、マンは言葉についてどのように描いているか。美少年タッジオを一目見たアッシェンバッハは、その美しさに魅せられる。

「自分が頭の中で見た、そして精神的な美の立像として人々に表示した、あのなよやかな形態を、彼が冷徹な情 熱にあふれながら、言語という大理石塊から解き放つとき、その意志とは常に彼のうちにもはたらいてはいないのか」(『ヴェニスに死す』p. 89)

 ここでも海と同様に、大理石という比喩からも理解されるように言葉というものが、マンの作品では固定化された不動のものであることが分かる。カミュは言葉の用いられ方を個人の心境、あるいはペストという社会的な現象の側面として多様に描いていることが分かる。

希薄化する死
 ペストの蔓延が深刻化する中、次々に人が亡くなり、遺体の埋葬が行政としての1つの課題となる。それは新型コロナウイルスによってもたらされる災禍と同じであるが、作品中では次第に埋葬は簡素化されていき、やがて人気のない夜の電車で遺体は臨時に作られた墓地へと移動させられ、次のような冷酷な処理に至る。

「死体の動揺がまだすっかり落ち着かないうちに、シャベルの石灰がその顔にたたきつけられ、そして土がそれを、ますます深く掘るようになった穴の中に、全く無名のかたちでおおってしまうのであった」(p. 262)

 まるで物を廃棄するような埋葬の場面である。そのように大勢の人がなくなり、埋葬が簡略化されていく中で、市民の持っていた死への恐怖感は薄らいでいく。公表される死者数に対する「正確な知識というものは、明らかに興味をそそるものであるにもかかわらず、人々が決して心を向けようとしないものでさえある」(p. 112)という反応にもそのことは表れている。私たちは連帯する他者たった一人であっても、死の重み、あるいは生命の危機的な状況を、数値化された統計として単純に把握することはできないはずであるが、僅かな期間でも事態が続けば、その悲惨さに飼いならされてしまう。
 しかしながら、やはりカミュの描き出すものは一様ではなく、死を弔うとする人々の行動も見られるのである。電車で遺体を運ぶようになると、近くを通る電車に花を投げ入れる人が現れる。そして、「夏の夜のなかでなおも揺れながら、花と死体の荷を積んで行く車の音が聞こえるのであった」(p. 263)。その一節は、花に縁どられた鮮明な死が暗闇を走り抜ける列車の音から喚起される秀逸な表現であるのみならず、死者を何らかの方法で追悼しようという、ささやかではあるが無機的な死への、つまりペストへの抗い、という本作のテーマとも一致を見せている。

 『ペスト』は、カミュの洞察に満ちた多様な表現とともに、人間の存在を危機的な状況において誠実に見つめる。その誠実さは疑いの余地なく終始一貫しており、楽観的でさえあるように思われるのだが、しかしそれでも新型コロナウイルスの感染拡大が止まない今の世界でいかに行動すべきかを考える1つの指標となる。その行動とは決して大げさなものではなく、目の前の現実に埋没しない、連帯のために個人ができる日々のささやかな行動である。

【関連書籍】
中条省平(2018)『NHK 100分 de 名著』NHK出版(アルベール・カミュ『ペスト』)。
トオマス・マン(実吉捷郎訳)(1939)『ヴェニスに死す』岩波書店(岩波文庫赤434-1)。
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4102114033
No.218:
(4pt)

コロナ渦に

コロナの状況でこれを読んでみました。友情や人間関係の交錯も描かれていますが、ウィルスに対しての脅威や対処など、現在と通ずるものがありました。
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4102114033
No.217:
(5pt)

コロナ禍の中で人々はどう疫病と向き合うのか

疫病が蔓延する都市の中で、奮闘する医師、巻き込まれた記者、神の裁きを唱える牧師、諦観した病人…様々な人々の心情や行動が描かれており、現代の状況に通じるものがあります。
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4102114033
No.216:
(5pt)

最高です。

梱包状態も良く商品の状態も満足でした。又利用する機会あればよろしくお願いしたいです。
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4102114033
No.215:
(5pt)

人間とは永遠の敗北者

ペストの蔓延によって完全にロックダウンされたアルジェリア、オランの街に閉じ込められた人々の閉塞感と、暗中模索の中で地道な治療活動で対応せざるを得ない医師リウー達の苦悩、そして殆ど偶然に疫病の終焉を迎える時の彼らの心境が、現代のコロナ禍に生きる私達にも共有できるだけに感動的な作品だ。彼らは保健隊という独自の救助班を打ち立て、日ごとに猛威を振るい始めたペストの感染者やその家族の隔離、血清の開発や患者への治療や手術だけでなく厳密な統計を取る。これもまさに現在必要不可欠な対策であり、状況は何一つ変わっていないが、疫病の名称やデータの公表を渋る上層部の方針は、どこぞの国の政府の政策と皮肉にも酷似している。

オランの街からペストが去りつつあったある日の夜に、リウーと親友タルーは仕事の後、海へ向かい、無言で海水浴をするシーンが印象的に描かれている。それは2人にとって束の間の平穏であったが、リウーの後ろ姿にはカミュの言う永遠の敗北者の影が付きまとっている。やがてタルーもペストの最後の犠牲者の1人になってしまうし、リウーには療養先から妻の訃報が知らされる。この物語には若い記者ランベールの心境の変化が重要なアクセントを与えている。彼はオランに仕事で訪れたが、都市封鎖によってパリにいる彼女のもとへ帰れなくなってしまう。最初はどんな手立てを使ってでも街からの脱出を試みようとするが、ようやく金で買収した兵隊が都市の門を開けてくれるという日に、ランベールは街に留まることを決意し保健隊に入って救助活動を始める。

その他にもある少年の無惨な死を目の当たりにして揺れ動くパヌルー神父の宗教観や、ペストが過ぎ去った後、人々が再び街に繰り出して歓喜の声を上げている中で、発狂してしまう犯罪者コタールなど登場人物1人1人に語らせるカミュの文学的手腕は圧巻だ。
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4102114033
No.214:
(5pt)

カミユの人間観、人生への基本的向き合い方

2度読んだ。登場人物とのやり取り、会話が面白かった。
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4102114033
No.213:
(4pt)

結果が読めない。

丁度、新コロナウイルス感染症の現代とよく似ていると思いました。最後に、ペストのウイルスはどうしたのでしょうか。患者の症状が本当に怖くて哀しいと思い、リュー医師と医師の母親にも感動しました。タルー医師の信念・哲学も素晴らしいと思いました。
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4102114033
No.212:
(4pt)

淡々となすべきことをなすこと。

何十年ぶりかの再読。ペストを「神の報いである」とする神父パヌルーに対して、ある幼子が苦しみの末に死んだとき、医師リウーが「子どもに罪はないはずだ」と叫ぶシーンだけ覚えていた。もっと戯曲的で会話の多いイメージだったのだが、けっこう「地の文章」が多い。
 「さしあたり、大勢の病人があり、それをなおしてやらねばならないんです。そのあとで、彼らも反省するでしょうし、僕もそうするでしょう。しかし、最も急を要することは、彼らをなおしてやることです(p.186)」「今度のことは、ヒロイズムなどという問題じゃないんです。これは誠実さの問題なんです(p.245)」「人類の救済なんて、大袈裟すぎる言葉ですよ、僕には。僕はそんな大それたことは考えていません。人間の健康と言うことが、僕の関心の対象なんです(p.323)」といったリウーの言葉が心に響く。
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4102114033
No.211:
(5pt)

わからない病気は怖い

今までにない病気が広がってくると、だれもが不安でいっぱいになる。
今のコロナの状況とよく似ている。
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4102114033
No.210:
(5pt)

記憶に残る1冊

追加出版され、購入することができました。対応も早くベストなタイミングで読めたので記憶に深く残りそうです。また、パンデミック状況下で描かれている人間心理の変化はいつの時代にも共通のものなのかもしれないなと思いました。
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4102114033
No.209:
(4pt)

釧路のみほこ

昔も今も、人の営みやは病に対する

事も変わってないんだなと思いました
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4102114033
No.208:
(5pt)

大人になって読みなおしました

地中海に面したアルジェリアの都市、オランを襲ったペスト大流行(パンデミック)と戦った医師リウーとその仲間たちの物語。ネズミの謎の大量死から始まるストーリーは、ホラーを予感させるが、期待に反して物語は淡々とペスト禍に直面しても粛々と医療活動に従事し続ける男たちを描き続ける。
読者が期待するようなエンターテーメント的な、主人公の成長や、新型ワクチン登場などによるペスト撃退など、劇的なのカタルシスもない。特にキリスト教社会では当然予想される災禍で訪れる主人公の宗教的変化がまったくなく、肩透かしとの印象を残す。

しかし、感染症のパンデミックと最前線で戦う医師たちが、如何に英雄的かは、本年2020年に世界で大流行した新型コロナ・ウィルス禍に直面した我々には記憶に新しい。主人公は最後まで神への加護を求めることも、神に祈るようなそぶりも一切しない。まさに超人的な主人公は、自らの英雄的な行為には一切興味がなく語らず、一方で、ペストとの戦いの中、知り合いや仲間たちの思想や行動が、変わっていく人の様、変わらない人、それぞれの物語が興味深く語られる。

若いころに読んで特に印象に残ったのが、パヌルー神父の変化だ。当時それを、言葉や思想として表現できなかった。実は、ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」と、このカミュ「ペスト」は、25年以上前に読んで「大人になってからきちんと読みなおすべき」と思った小説だ。今年になってコロナ禍で話題になり読み直した。
この二つの小説には共通するエピソードが出てくることに気づいた。それは、全く罪のない子供が苦しんで死んでしまうことに対し、キリスト教信者はどう立ち向うかという題材。

ペスト大流行の事態に直面して神父のパヌルーの思想の変化に注目。 彼の一度目の説教では、真理として、民衆に向かって、神は全て正しく、禍の原因は日ごろから信仰に従った生活をしていない罪深い民衆にあると説く。つまり、全知全能の神の世界は常に正しく、罪なき人々が、罪深いい人たちと同じようにペストで死んでいくのも、人間に理解できない神の正義があり、どんな場合にも神の世界は過ちはない。
しかし、リウーの医療活動に協力し、ペスト感染によって罪なき子供が苦しんで死んでいく様を目前で見たパヌルーは、大きく思想を変える。
二度目の説教では、最後に「神への愛は困難な愛であります。それは自我の全面的な放棄と、わが身の蔑視を前提としております。〜」と説く。罪なき子供の壮絶な死という神の試練にたいして、自己の命を賭して戦いに挑むという意味なのか? 神が人間に与えた試練に対して、信者として粛々と信仰に従った生活をおくらず、神の試練に立ち向かうことは、神の世界を認めないことなのか? 命を賭しての、”無償の愛”の実践はキリストにしか許されないのか? 聖書の中の人間キリストに感染することで、超人的(ニーチェの言う)に覚醒することは異端なのか?世界には真理はなく、〈世界〉はそもそもデタラメなのか?

社会学者宮台真司氏は、これを<ギリシャ的なものの回帰>と呼びぶ。ソクラテスの時代から、〈ギリシャ的〉か〈エジプト的〉と問われていた。宮台氏によると、ギリシャ神話は、もともと「〈世界〉はそもそもデタラメである」事の伝承。〈エジプト的〉とは、ここではセム族の一神教信仰、つまり元ユダヤ教のこと。一神教では、神との契約(出エジプト記)、世界は神によって作られて神に従うことで民衆は救済される伝承。ソクラテス『ファイドロス』は、神罰を恐れて正しく振る舞おうとするセム族系宗教(ユダヤ教の原型)を「エジプト的」だとして却け、内から涌く力に従って進む営みが「ギリシャ的」だと愛でられる。その後、キリスト教の内部でも同様の論争が続くとのこと。〈ギリシャ的〉とは内から涌く力の〈内発性〉 であり、〈エジプト的〉とは損得勘定に由来する〈自発性〉である。

「カラマーゾフの兄弟」では、イワン・カラマーゾフは弟のアリューシャに、幼児虐待事件の話をした後、「結局のところ、俺はこの神の世界を認めないんだ。それが存在する事は知っているものの、まったく許せないんだ。俺が認めないのは神じゃないんだよ、そこのとこを理解してくれ。俺は神の作った世界、神の世界なるものを認めないのだし、認めることに同意できないのだ」と語る。 物語ではその後、イワンはまさに、ギリシャ的な”デタラメ”な世界に翻弄されていく。”デタラメ”の世界で、神への信仰を問われる3兄弟を描くこの小説は、ギリシャ神話の世界のように実に面白い。

「ドストエフスキーはかつて、『神が存在しなければすべてが許される』と言った。これこそが実存主義の出発点だ」。サルトルはその哲学評論『実存主義とは何か』のなかでこう述べているという記載をネットで見つけた(RUSSIAN BEYOND「ドストエフスキーにインスパイアされたされた欧米の作家5人」2018/4/13)。 いずれにしても、ドストエフスキーの著作は、ニーチェやサルトルなど実存主義者に大きな影響を与えたようだ。

主人公リウーと、積極的に彼に協力して医療活動をサポートするタルー。二人のペストとの英雄的な戦いに対しては、控えめな記述に終始する中で、タルーはリウーに自分のトラウマを告白。二人の友情を深める、海水浴のシーンは、この小説の中で唯一、カタルシスを感じる場面。二人の戯れは、ギリシャ的で官能的でさえある。大人になってから新たに発見したポイントだ。英雄リューの独白の記録としての視点で小説を読むといろいろな発見ができる。

今回の再読で、いろいろな点に新に気づき言語化することがでた。やはり名著、すべての人にお薦めです。〈世界〉はそもそもデタラメであり、〈内発性〉をもとに自立して生きていくしかない、世界観のリセットを若いころの自分に語りたい。
ペスト (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:ペスト (新潮文庫)より
4102114033
No.207:
(5pt)

今読むと特に心打たれる作品

読みやすい小説ではないと思います。
一読では消化しきれず、二度読んでやっとしっかり内容が腑に落ち、感動しました。
骨のある、読み甲斐のある作品です。
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4102114033
No.206:
(4pt)

封鎖された町

ペスト流行で閉鎖された町の状況と、現代の新型コロナの中に置かれて入る我々の状況を対比して考えました。
学生時代に読んだ書出すが、改めて新鮮に感じました。
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4102114033
No.205:
(5pt)

普遍

いつの時代も人間の行動は変わらない
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4102114033

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