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ペスト
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【この小説が収録されている参考書籍】
ペストの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.00pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全304件 1~20 1/16ページ
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ペストに襲われたアフリカのある都市にまつわる話。そこでの人間模様、人物の変化についての描写が緻密かつ、フィクションでありながら真に迫る。コロナ禍の世界と重なるところもある。最後の段落の内容は、予見ぶりが慧眼で、鳥肌ものだ。 | ||||
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カミュはアルジェリア生まれであり、フランス人の父親とスペイン系の母親を持つ移民フランス人である。父親は戦争で早くに亡くなり、母親は言葉が不自由であったため、家庭内での会話は少なかった。カミュは母親とあまり話すことがなかったが、母親を深く思う気持ちを持っていた。彼の生い立ちを通じて、アルジェリア生まれのフランス人としてのアイデンティティは異邦人の感覚を伴っていた。そこに、カミュの不条理の第一歩が始まるのである。 14世紀に大流行したペスト(黒死病)は、当時の世界人口4億5000万人のうち22%に当たる1億人を死亡させた。人間は目に見えない敵と遭遇し、その無力さを知ることになる。しかしそれにもかかわらず、人間はペストに敢然と立ち向かう。想像力を駆使し、見えない敵を全感覚を使って抵抗するのである。ペスト菌は1894年に香港で北里柴三郎によって発見された。 物語の舞台は194*年代のアルジェリアのオラン(カミュが教鞭をとっていた場所)であり、奇妙な事件から始まる。医師ベルナール・リウは、4月16日に家の階段でネズミの死骸を見つける。守衛はいたずらだと思って怒っていたが、次第にネズミが至る所で死んでいることを発見する。その後、守衛から死が始まり、次々に人々が命を落としていく。そしてその死因がペストであることに気づく。リウはオランの医師会会長に訴えるが、どうしようもないまま終わってしまう。 リウは、妻が病気で療養所に行かざるを得ないことに心を痛めていた。ペストは未来、移動、議論を封じ込め、不安という未来に対するほのかな胸苦しさを抱えつつ、自身が医師として誠実にペストに向き合う。この物語においては、すでにペスト菌の存在は理解されている。ジュアン・タルーは、刻々と広がるペストの様子を手帳に記録する。彼は人物描写にも力を入れ、タルーの淡々としたペストの恐ろしさの描写は実に冷静である。タルーは、自らが感染することによって「無自覚に他人を殺す可能性がある社会」の不条理や理不尽を浮かび上がらせる。ペストは、無自覚の内に隣人を感染させ、死の淵へと追いやるのである。タルーは、ペスト患者を救うボランティア団体である保健隊を立ち上げる。彼はこの物語の良心であり、そのペストの感染の緊張感は、最近のコロナ感染の緊張感と重なり合っている。時代を超えて、本書には現在が表現されている。 コタールは首吊り自殺を試みたが、木端役人のグランに助けられる。「宿命的な決意」や「内的な悲嘆」によって自殺しようとしたとグランは語る。その後、コタールはペストの混乱を利用してアルコールを売ったり、飴を売ったりして商売を始める。彼はまるでコロナ禍でマスクを買い占め、転売した人のような人物である。不安は商売となるのである。グランは役所でも重要な仕事は任されず、出世から外れた中間管理職である。彼は悶々として夜には小説を書き、なんとか小説で認められたいと願っている。保健隊に志願し、無力ながらも自分ができることを模索している。 パヌルー神父はイエズス会の権威ある聖職者であり、熱心な説教で知られている。町の中央聖堂で教壇に立ち、「みなさん、あなた方は禍いの中にいます。これは当然の報いなのです。この災禍が史上初めて現れたのは、神の敵を打ち砕くためです。ファラオは永遠者の御心に逆らったが、その時ペストが彼を跪かせました。全ての歴史が始まって以来、神の災禍は心驕れる者を其の足下に跪かせています。「心ただしきものはそれを恐れることはありません。しかし、邪なる人々は恐れおののく理由があります」と語る。パヌルー神父は邪悪なものを打ち砕くだけでなく、善良な者や子供さえもペストにかかる事態に直面し、果たして神はなぜそのようなことをなさるのかという疑念さえ生まれる。神父は続けて言う。「皆さん、その時は来ました。全てを信じるか、さもなければ全てを否定するか、であります。私たちの中で、一体誰が、全てを否定することがあえてできるのでしょうか?」神父は第1回の説教では「あなた方」と言い、第2回の説教では「私たち」と語り、神父自身もその中に含めて発言している。カミュの無神論はペストによって神父さえ巻き込む。神父は自らの信仰心への疑念に葛藤する。 タルーはリウに話し、「僕は君のように貧乏ではなかった。父は自責検事をやっていた」と言う。17歳のとき、父は自分の論告を傍聴するようにと促した。父が判決を言い渡す際、罪人のイメージが印象に残った。便利な概念である容疑者を用いながら、父は平然と「この首は落ちるべきでございます」と言って死刑を宣告した。そして、自分の生きている社会は死刑宣告という基礎の上に成り立っていることを理解した。タルーは、ペストが人を殺し続けることを避けるため、誰も殺されることのない世界を作る必要があると感じていた。社会主義国で生の尊厳を重視する制度の下で死刑制度が存在すること自体が大きな問題である。 カミュの物語の運び方は、日本語訳においても感染症が引き起こす不条理を十分に表現しており、非常に優れた作品である。 | ||||
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対応迅速、美品 | ||||
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怖ろしい感染症が街を侵食していく不気味さが、静かに格調高く描かれており、 まさに自分が、そこに居合わせたかの様に感じられる。 50年前のより文字も大きくなっているので老眼にはありがたい。 宮崎先生の翻訳は解り難いが、やはりかっこいい。 | ||||
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コロナの時に読もう、読みたいと思っていましたが、実際にコロナの主治医を二年間。 主治医と感染管理。あまりにも多忙で、読めずにいました。 「この四日間に、熱病は驚異的な躍進を示した」 「このペストがあなたにとって果たしてどう言うものになるか」「際限なく続く敗北です」 「役所なんて当てにはなりませんよ。てんで、人の話を理解できるような連中じゃありませんから」 「風が起こり、ペストの蔓延した市中にいく日も吹き続けた」 「事実上、この八月の半ばというこの時期には、ペストが一切を覆い尽くしたと言って良かった」 「棺がその頃には数少なくなり、屍衣にする布も、墓地内の場所も足りなくなったのである」 「それも別にその必要があるわけでもなく、むしろ現在自分の置かれている無力な無為状態から脱するために、少年の脈をとってみた」 「時と共に増大する食料補給の困難の結果として、その他にも種々不安の的となる問題がありえた。投機がその間に介入してきて、通常の市場には欠乏している第一級の必需品などがまるで作り物みたいな値段で売られていた」 「本当の医師という範疇があっていいだろう」 「鼠の死体は一体も発見されていなかった」 100点。 カミュが描いた記録小説です。記録小説の描き手としては明らかに吉村昭に劣ります。 なにしろ読みにくい。不要な文章の修飾が読みにくく、冗長なものとなってます。 しかし、それらの欠点を凌駕するペストの恐怖、残酷さ、人々の感情があまりにもリアルです。 ここで描かれたことがかなりコロナウイルス感染流行でも再現されたと思います。 改めて、人間って学習しないんだなと。そう思いました。 読みにくさが−10点。でも、貴重な記録小説。お読みください。 | ||||
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コロナ禍の緊急事態宣言下に読みました。 いろいろ考えさせられました。 | ||||
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この言語の知識がないので何とも言えないが、翻訳に難があるような気がいたします。 原語の文化背景を大事にしつつも翻訳は翻訳で一つの文学作品になっていなければならないと思うのだが、学生の直訳感があって前に進めないのでタイトルとしました。 | ||||
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過去から幾度となく人類を襲った病原菌やウィルス。中世ヨーロッパで流行したペストが、20世紀に著者の故郷であるアルジェリアを襲う。災禍の発生から絶頂、そして衰退に至るまでの各過程において、主人公の住むオランの街の人々がどのように考え行動し、この流行に立ち向かったのか、現代のコロナ禍にも共通する部分が多々あり、共感をもって読み進めることができた。 | ||||
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昔と現在の感染症に対する様子が違いがわかり面白かったです。 | ||||
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新コロ流行初期に、時間があったので、読んでみた。 過去に起こったことが、まんま、輪廻転生してくるというのはよく分かる。 特に人のふるまいについては、過去も今も全く同じ。 新コロもこのカミュの本のように、語り継がれるのであろうか? | ||||
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コロナの時期でペストを読んで、コロナを対抗できる方法を見つけましたと思います。 | ||||
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最初は,文体が難しく、何度も読むのを止めようと思った。でも、最後まで読んで、本当によかった。間違いなく、忘れられない本の一冊になった。 | ||||
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昔読んで、ストーリーの展開が遅く、中弛みを感じ途中で読むのを止めた記憶がある。 今回、通読してみて、単なるペストにかかった町の描写ではなく、 もっと人間の心の奥まで読み込ませるような作品だった。 印象に残ったのは、タルーがリウーに熱く語るシーン。彼は、父が検事として、 容疑者に何度も死刑を求刑し、死刑執行にも立ち会っていると知り衝撃を受け、家出をし、 その後、実際に銃殺刑を見る。 「僕は、自分が何千という人間の死に間接的に同意していたということ、不可避的にそういう死を 引き起こすものであった行為や原理を善と認めることによって、その死を挑発さえもしていた ということを知った。」p373 「われわれは人を死なせる恐れなしにはこの世で身振りひとつもなしえないのだ。」p375 つまり、タルーは、死刑制度、つまり誰かを殺す制度によって自分達が守られているということは、 その死刑に対しても自分達に責任の一端があるのではないと感じていた。 それを誰もおかしくは感じないところは、ペストの蔓延とどこか似ている。 「地上には天災と犠牲者というものがあるということ、そして、できる限り天災に与することを 拒否しなければならぬ、ということだ。」p377 決して神に縋ろうとはせず、医師として我が道を邁進するリウーの生き方にも共感した。 大上段から説教していたパヌルー神父や、 オランの地から逃げたがっていた地元民ではないランベールが 目も前で苦しみながら死んでいった無垢な少年を見てからは、ペスト患者の お世話をしだしたのも印象に残った。 | ||||
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新型コロナ禍を生きる私たちがどうあるべきか! 過去から学びこれからを考察するために! | ||||
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100年前であろうと、北アフリカであろうと、パンデミックにより混乱に陥った人々の思考や行動が驚くべきほど相似していることがわかる。過度に怯える者、自暴自棄になる者、混乱に乗じて稼ぐ者、人を出し抜く者、客観的な者、リスクを顧みず疫病に立ち向かう者、意見の分かれる医学界、人々の為を思うよりも責任逃れのための意思決定をする役人の考え方や行動がリアルに描かれる。100年前の北アフリカが舞台のこれらの人々の考え方や行動が、時や空間を超えて今の世とあまりに似ている。災害時の人の本質を見抜く著者の観察眼に驚きを隠せない。 ただ、元の文章が婉曲的に書かれすぎているのか、訳自体が昔の文章だからか、非常に読みにくいのが難点。 | ||||
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考えさせられます | ||||
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アフリカの小さな市(まち)で、日を追うごとんに沢山の鼠(ねずみ)の死骸が発見されるようになった。後で分かったことは伝染病「ペスト」発生の前触れだった。やがて次々と首のリンパ腺が腫れ、高熱を出して人々が死んでいった。「罪ない」子供たちが苦しみぬいて死んでゆく姿を見て医師リウーやタルー(この物語の陰の主役)は、世界の、人間の「不条理」を感じるのでした。 ペストの発生から収束に至るまでが克明に描かれていて、読者は引き込まれてゆく。この物語は「ペスト」を題材にして世界の、人間の「不条理」を問うているようです。ページ数が多くて疲れました(笑) | ||||
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戦争と伝染病は似ている。 「…戦争というものは確かにあまりにもばかげたことであるが、しかしそのことは、そいつが長続きする妨げにはならない。」「誰でもめいめい自分のうちにペストをもっているんだ」「この地上には天災と犠牲者というものがあるということ、そうして、できうるかぎり天災に与することを拒否しなければならぬということだ。」 ありえない、と思っていても勝手に襲ってくる災厄。襲われたからにはなんとか生き延びなければならない。自分にできることを地道にやるしかない。そして、自分が天災に与することもあると自覚すること。 | ||||
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良い | ||||
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最初、戸惑ったのは主人公であるリウーやその友人タルーたちはなぜ隔離された街で人々を助けようとするのか、彼らをそう駆り立てる動機がよくわからないということだった。少しずつわかるのは、彼らはただ自分の心のうちにある良心に突き動かされているということだった。大きな物語もなくイデオロギーもすべて剥ぎ取った後にもなお、人の心には素朴な良心というものが残るのではないか。そのような信念がカミュにはあったのではないだろうか。苦しむものがいれば助けたいと思い、自分だけ幸せになるわけにはいかないと思う。タルーは聖人を目指し聖人には至れないことを知る。リウーはどこへ行くのか。成し得ることをなし得ても、すべてを失ってしまうリウーは悲劇的ヒーロー像そのもの、しかしそれでもなおリウーには希望が託されている。カミュ、どことなく気難しく、暗い人だと思っていたけど、カミュのスタンスはとても素朴だ。なぜ彼がシモーヌ・ヴェイユの著作出版に関わっていたのかも大変よくわかったように思う。われわれはこの危機をどう生きるべきか、この書はその問いになんらかのヒントを与えてくれると思う。自分のとっては大事な書の一つになった。もうだいぶ歳なんですけどね。 | ||||
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