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(短編集)
プラナリア
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プラナリアの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.86pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全97件 41~60 3/5ページ
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山本文緒さんの『プラナリア』は、明るくも、楽しくも、元気よくもない女性 春香が主役である。一言で表すと、うっとおしい。それもイライラするぐらい。明日へ向かっての一歩手前で、うじうじと硬直している状態。 このうっとおしさが、私にもあるから、いっそう顔を背けたくなってしまうのだ。近親憎悪にさも似たり。好き嫌いは別として、読者をうっとおしくさせるのは、山本文緒さんの筆力の高さによるのだろう。 春香は、乳がんで乳房を切除してから、どうにもひねくれている。飲み会の席でプラナリアの話題をふって、 「ほら私、乳がんでしょ。だからそういうもんに生まれたら取った乳も勝手に盛り上がってきて、再建手術の手間とお金が省けたなーと思ってさ」 などと放言し、周りを気まずくしたりする。自ら社会不適応者を任じて、乳がんを唯一の持ちネタと公言してはばからない。私は、この世の中を斜めに見た春香の態度が、どうにも癪に障る。 彼氏の豹介や、仕事の世話をしてくれた永瀬さんら、春香を取り巻く人々は、良い人たちである。なのに、春香は、彼らを失望させることばかりする。私は、どうしても春香より、春香を持て余す人々に共感してしまう。 だが、私が春香と同じ立場ならどうだろう。同情的な雰囲気を嫌って、先に自嘲気味な笑いを取ろうとするだろうか。それとも春香のように、周りを不快にする態度を取り続けるだろうか。変なプライドが邪魔しない分、乳がんをアイデンティティを言い切ってしまう春香は、潔いのかもしれないとも思う。 同時収録の『ネイキッド』は離婚して無職になった女性を、『どこかではないここ』は夫がリストラされたため働き始めた主婦を、『囚われ人のジレンマ』は恋人がいながら不倫をする女性を描いている。どの作品も明るい未来が見えてこない。『プラナリア』と同様、主人公たちは、一歩が踏み出せず うじうじしているのだ。いまだ出口なし というところでとどまっている。彼女らの鬱屈した思いがひしひしと伝わって、読んでいるうちに一緒にヘコんでしまう。 男性読者から見たときは、彼女らの行動は不可解に映るかもしれない。『あいあるあした』は、居酒屋の店主の元へ転がり込んできた女性を、男性目線で描いているのだが、女性の行動に対する男性の戸惑いが良くあらわれている。こういう女性心理の深堀りができるのは、女性作家ならではなんだろうな。 | ||||
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短編5編がすべて「無職」をテーマにした作品です。そのなかで「ネイキッド」に注目しました。 2年前夫から一方的に離婚言い渡され、夫の会社で働いてた34歳の無職の女性が主人公で、その 彼女を心配する親友、社会にでてからずっと毎日忙しく、少しでも暇ができたらやりたいと思った ことがたくさんあったのに、あんなに時間がほしかったはずなのに、今はその貴重な時間を無駄に してる自分、最後は親友と過ごした夏休みのことを思い出し涙することで終結する小説です。 現代の無職をめぐる心模様を巧みに描いており、こんな一節がります。「いざ本当に暇になって みると、その全てを失っていた。私に会いたがってくれていた人たちは、私個人にではなく、成功 している雑貨店のオーナーとしての私に会いたかっただけでようで、仕事を辞めたらばったり連絡 がなくなった。」 | ||||
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タイトル作の他、「ネイキッド」、「どこかではないここ」、「囚われ人のジレンマ」、「あいあるあした」の全5編を収めた中編集。私は「恋愛中毒」に続いて本作を手に取った。作者は通常恋愛小説家と見做されている様だが、両作からは主に他者との係わり合いの中で泥沼化した人間心理を執拗に追求している印象を受けた。 本作中の各編も陰惨で救い様がない物語(「あいあるあした」だけ毛色が少し異なっている)だが、作者がヒロイン達に対して、同情でも共感でも批判でもなく、淡々と言っても良い程の客観性を持っている点に怖さと痛みを覚えた。サイコ・ホラーと呼んでも不自然でない内容である。執筆時期の関係で、「恋愛中毒」より若書きの感は否めない(ヒロイン達の年齢も若い)が、それにしては物語の構成が非常に巧みで読み応えがある。私のような男にとっては、女性心理の一端を垣間見られるという恩恵(?)もあり(それが、怖さを増しているのだが...)、一読の価値がある作品だと思う。 | ||||
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人物表現・心理描写ともに秀逸なだけに、主人公に感情移入しすぎてイライラする作品集だった。タイトルになっているプラナリアは、乳がんと向き合わなければいけない女性特有の深い感情が描かれている。単に「病気になりました、辛く苦しいけど周囲に愛されて幸せです」という表向きな表現ではなく、もっと人間の奥底にある汚い部分、苦しい部分、押さえ込めない感情の書き込みは素晴らしい作品だと思った。 点数が低いのは、女性の本質だったり嫌な部分をまざまざと見せ付けられるので、どうしても読み進めることに苦痛を覚えてしまった。それも人間描写が優れていることが引き起こしているというのが皮肉な所でもある。心理状態が良いときに読むには問題ないが、重い作品を避けたいと思っているときにはお勧めできないと私個人は思う。 | ||||
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プラナリアの主人公ルンちゃんは乳ガンで乳房を切除した女性だ。 重い病気から甦った元病人が、他人に病気の話を切り出すには色んな感情を伴うと思う。 やっぱり、同情して欲しいと思う人もいるだろう。逆に、"病気で心を入れ替えるほど単純じゃない"と露悪的に病気を強調する人もいるだろう。いずれドン引きされるのだから、最初に話しておくという考えは合理的かも知れない。 元病人が病気を口に出す理由は様々だが、周囲の人は"同情されたいのだ"としか考えないものだ。 そんな元病人の気持ちを全てすくい上げて、その機微を表現したこの作品は、乳ガンに限らずあらゆる病人の気持ちを代弁している気がする。 ルンちゃんは自我が強い。社会性が無いとも言う。しかし、元病人に求められるのは何よりも社会性である。 ルンちゃんは"乳ガンは自分のアイデンティティーだ"とまで言う。永遠に傷跡の残る病歴を持つ人が、病気のない自分など考えられる分けもない。 それでも、恋人の豹介や、尊敬できる女性の永瀬さんや、その他の周囲の人が元病人に求めるのはその社会性だ。多分、元病人に最も求められる能力は、ほんの少し周りに合わせ病気を黙っている自制心なのだろう。 でも、ルンちゃんは自我を選ぶ。 私が最初に読んだ山本氏の著作は再婚生活だ。山本氏のうつ病の闘病記である。山本氏の代表作であるこのプラナリアが、うつ発症前に執筆された物で良かったと思う。でなければ、"患者体験をもとにした"とか陳腐な評価をされたかも知れない。 重い病気を経験する前に、これほど病人の心を汲み取った小説を書いた山本氏は、月並みな言い方だが、人の気持ちを汲み取る能力が優れてるのだと思う。 プラナリアを読んだ後で、再婚生活を思い出すと、あのふてぶてしい病人像を示した作品は、当然、世間の反発が有ることを理解した上で書いたように思える。山本氏の心意気を感じて涙が出た。 | ||||
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本小説は、どこにでもいそうな女性の、捻くれた一面がよく分かる短編集である。 「プラナリア」は、乳癌になったことで自暴自棄になり、周りに迷惑を掛けていることを自覚しているが、それが制御できないでいる、所謂、かまってちゃんの話。人間は病気を持つと傲慢になるというのが何となく伝わった。 「どこかではないここ」は、リストラで収入の減った夫、大学生の息子、高校生の娘という家庭環境に囲まれた生活を営むパート主婦の、どこかこのカテゴリーの人間独特の醜さが伝わる話。ラストに現代的な悲劇があり、ちょっと可哀想にも見えるが、こういう展開も分からないではないと思えてしまう。 「囚われ人のジレンマ」は、心理学を専攻する大学院生の彼氏と愛のない付き合いを続けるOLが、自分勝手な振る舞い続ける話。この別れる理由も無く付き合い続ける関係を囚人のジレンマ状態に例えているのが面白い。 これらの短編にでてくる女性は、決して特別ではないと思う。女性なら、こういった捻くれた一面は必ず持っているはずだ。 | ||||
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直木賞を受賞した山本文緒の短編集である。 5作中4作が女性の主人公であるが、背伸びをせず等身大のキャラクターが描かれており好感が持てる。いずれもストーリーそのものというよりも登場人物の境遇や心理の変化が作品の軸となっており、読者は感情移入しながら物語を読み進めることができる。 例えば4作目の「囚われ人のジレンマ」は、長年恋人関係を続けている彼氏のプロポーズに戸惑う女主人公が描かれているが、彼女がどうするのかどうしたいのかは最後まで分からない。何とも煮え切らないストーリーが多いものの、読んでいて不快感はなく、女性読者の支持を得るのもそのためであろう。 個人的に最も気に入ったのは5作目の「あいあるあした」であった。この作品だけ男性が主人公であり、他の作品に比べストーリー構成も緻密であるように思われる。 主人公の「俺」は離婚後会社を辞め、小さな居酒屋を営んでいる。そこへ来た女性客の一人すみ江と同棲しているが、関係は微妙であり他の客にも内緒にしている。 ある日俺は「人が来るから」と言って一時的にすみ江を追い出し、いつになくおめかしして「俺の女」を駅まで迎えに行く。三ヶ月に一度しか会えないその「女」とは……。 不覚ながら涙が出そうになった。その後すみ江がいなくなり物語は一瞬緊張状態を迎えるが、最後はまずまずのハッピーエンドに落ち着く。自分ならすみ江がいなくなったところで物語を終わらせるだろうなと思いながらも、主人公への感情移入からハッピーエンドに安堵しているもう一人の自分もいる。読んでいて楽しい、良質な短編集である。 | ||||
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女性が主人公の話は、いったい何が言いたいのかわからなかった。 それでも新しい小説的実験をしているのだろうなあ、くらいは思ったのですが、 さいごの短編で居酒屋を経営する中年男が実に見事に描けていて、素晴らしいと思いました。 今度は長編を読んでみたいです。 | ||||
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勧められて数年。どれもが1999年から2000年にかけて、雑誌に発表されたものである。そのため、今ならおそらく携帯電話となりそうなところがPHSだったりして、懐かしさを感じた。 自分が傷ついているからと言って、他者を傷つけていいのか。そうではないだろう。それはないだろう。だけど、自分もしたことがないとは言い切れない。そういう醜さを敢えて描き出すような露悪的な短編が収められている。 そこに共感するか、反感を持つかは、読み手しだいであろう。私だったら自分を重ね合わせてしまうとその醜悪さに凹みたくなる。が、自分だけではないと安心を感じる人もいるのだろうか。 5編あるうちの、女性が主人公である4編はそういう心地悪さがどこかしらにあったが、男性が主人公である5編目は少し雰囲気が違って感じて、ちょっとほっとした。 | ||||
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冷徹な心理描写で綴られる、女性の孤独や空しさや生きることへに対する辛さ、諦め、そういった日常の、生きている限り終わらない「生活」を見事に表現している。 あまりにリアルで、もし同じような境遇の人が読むと、どよん、としてしまいそう。 救いや明るい未来の兆しはない。 でも、どこか笑ってしまう。悲劇と喜劇は紙一重だな〜と。 でも、それが、普通の人生、だよね。 | ||||
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「プラナリア」という短編小説はショックでした。非常に短絡的に感じる主人公の心の乱れや、孤独感や憔悴感をまわりに当り散らす感じがスゴイです。自分で消化しなければならないもののぶちまけ方が。不快にもさせますが、そこを狙っているのだと思うと秀逸ともいえます。 その他の短編も上手いし読ませますが、とにかく「プラナリア」はショッキングな内容でした。 ショッキングなものを読んでみたい方にオススメ致します。 | ||||
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内面に欠損した部分があるために不可避的に周囲との齟齬を生じてしまう、数人の女性を主人公に据えた、いくつかの物語です。細部に読ませる工夫がいくつも仕込まれていて、読みながらかゆいところに手が届くような巧さが随所で光ってはいるのですが、読んだ後いつまでも記憶に残る作品であるかと問われれば、答えは否と答えざるを得ないように思います。 | ||||
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この著者の文章は、小気味良くて割と好きだ。出てくる女性も、自分と物すごく重なる部分が多く、苦笑しつつも共感する。 ただ、書かれた時代を極端に反映しているので、今の女性が読んでも、わけのわからないところがあるかもしれない。要するにバブル期の、ちょっと働けばそれ以上の報酬が期待できたころの話が多いわけで、30代のプーのおばさんが2,000万円の貯金を持っていたりする。今はどんなに優秀で頑張ったって、これは無理だろう。 バブルのころってこうだったんだというお勉強にはなるかもしれない。 | ||||
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帯に書いてある一言を読むと、「働かないって、いけないこと?」と。絶句。 物語の出だしは面白いんですが、 とにかく、社会からドロップアウトした中年女性の話なので、気だるさが抜けない。 一番面白かったのは、「囚人のジレンマ」という短編。 この理論はとても興味深く、米ソの冷戦問題や写真プリント代が0円になってしまったのもこの理論だそうです。 全般的に気だるいので、マッタリしたい方にはお勧めかもしれません。 | ||||
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3年に及ぶ鬱病記録を大胆に日記風にまとめた『再婚生活』が刊行されたという記事を通じて初めて彼女の名前を知り、山本文緒の小説に興味をもった。新聞記事のインタビューで彼女は、「今の私に小説はプレッシャーです」と語っていた。本書は124回直木賞受賞作「プラナリア」を含む計5作品が所収されている。読み終えて、女性の心理や悩み・葛藤は尽きないものであり、それらは多くの女性が直面する問題であるとはいえ、男性にはなかなかその真意が分からないような気がした。「女性である(いる)こと」それ自体がすでにある種の悩みの源泉である以上、男性に理解し難いことが多いのは当然といえば当然だ。女性によく使われる「第六感」は男性には備わっているのだろうかと一人感慨に浸った。 乳がんを患った女性、キャリアウーマンから一転して無職になり離婚も経験した女性、年頃の息子と娘をもちパートや介護にも余念がない主婦、社会人の女性と大学院生の男との結婚観の相違、離縁しても娘を「俺の女」と思い続ける居酒屋の男と風変わりな女との変哲のない生活ぶり、といった主題がとてもリアルに描かれている。いや、私にはリアルすぎた(第4作品の女性の貞操観念は私には理解しがたい)。作者は大学卒業後に一時期OLをやっていたそうだが、そうした自らの体験も作品に活かされているのかもしれない。 個人的には最後のエッセイ「あいあるあした」が特に印象深かった。それ以外の作品は基本的に女性目線でストーリーが展開してゆくのに対して、本作品は36歳の男性のそれであるためか、妙に親近感が湧いたのであろう。それにしても本書所収の各エッセイはなかなか「幸せな結末」で終わらない。微妙に後味が悪いといえば悪いが、それも女性の心理は複雑でとても一筋縄ではいかないという作者のメッセージなのか。陸上選手の為末大が推奨していた『恋愛中毒』を読むのがなんだが恐ろしい(笑)。 | ||||
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『プラナリア』です。直木賞受賞作。 「プラナリア」「ネイキッド」「囚われ人のジレンマ」「どこかではないここ」「あいあるあした」を収録した短編集です。 いずれの作品も、主人公は普通の一般人。どちらかといえば弱者の立場です。 考え方は自己中心的だけど、与えられた状況の中で一生懸命生きている。でもなんとなく運に恵まれなかったり注意が足りなかったりして、上手く行かないケースが多い。心の弱さなんてものは誰しも多かれ少なかれ抱えているものですし、それが読みやすい文章で的確に表現されていて、非常に共感できる内容でした。 更にこの作品集の作品はどれも、いまいちハッピーとはいえないエンディングを迎えます。素敵な王子様が出現して救ってくれることはありません。その辺のリアリティーも良かったと思います。 中でも特に印象的なのは表題作の「プラナリア」でしょう。他の作品よりも主人公の弱者ぶりが強力です。 主人公は乳がんになっちゃった弱者です。運も悪いけど、本人にもそれなりに非があってでも本人的には必死なのだけど、いまいち閉塞感を打破できないでいる。そんな心模様が巧みに描かれています。 ストーリーそのものも、小さな伏線がいくつも張られ、しっかり回収されていて、題材のプラナリアも上手く使われていて面白かったです。 | ||||
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タイトルが気になってずっと読みたかった作品。 さっくりと描かれる作品5編。 女達の弱みを抱えての生活。弱みに漂流する感じ。 『仕事』と言うわけじゃなくて、生活と悩みが一体化している感じの彼女達。 自分の無職から来る弱み、相手の無職に対するやるせなさ、 ある日突然無職でいられなくなった主婦。 惹かれたタイトルのプラナリア。 どこへ続く言葉かと思ったら、【生まれ変わったらプラナリアになりたい】だった。 ちょっと衝撃的な言葉。 | ||||
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直木賞を受賞したことでも話題になった本ですが、読み返してみてあらためて感じるところの多い作品でした。 基本的に人物の描き方、物語の構成ともに非常にうまいです。 特にニート女性の中に共存する気楽さと苦しさ、明るさと暗さ、その両方の感情をサラッと行き来してしまうところなどは本当に見事です。 底知れぬ明るさの中に突如現れる虚無感や絶望感。 ついさっきまで穏やかな風景が広がっていたはずなのに、一歩進むと突然目の前に奈落の底が現れるような、そんな恐ろしさを持った作品でもあります。 でもその一方で、そうした不安を一気に吹き飛ばしてしまう気楽さもまた、どこからともなく根拠も無く現れるのです。 これはまさに現代のニートの本質を突いている、のかもしれません。 作品自体はとてもおもしろいのですが、読後感が悪いと言えば悪いかもしれません。 もちろんそうした読後感こそがこの作品の魅力なわけですけど。 | ||||
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タイトルに?だったが、以前から筆者の作品を一度読んでみようと思っていたので、手っ取り早くこの直木賞受賞作から読んでみた。5つの章に分かれた短編作品集。巷にあふれていそうな平凡?な暮らしの目線から、色々な話が章ごとに生み出されている。つまらなくも面白いと思ったが、どれも共感できない生き方をしている人達だった。でも悲しいかな、ひょっとするとわりと人生を生きるってそんな事なのかも知れない。私はパート主婦のカトリーヌ(加藤)とプー太郎の涼子にエールを送りたい。その後の彼女達の続編がもしも出るのならば、私はそれを是非読みたい。きっと筆者も不器用に生きる側の人なのかも知れない。筆者のリアルだが温かい目線、心に沁みる。 | ||||
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山本文緒さんの作品は大好きでほとんど読みましたが、その中でもこの本は少し考えさせられました。無職の女達の話・・・病気そして人生への絶望、少しなげやりな主人公達を見ていて、誰にでもこのような状況はあるなあ、と思わずにはいられませんでした。 | ||||
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