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ビッチマグネット
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ビッチマグネットの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.13pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全21件 1~20 1/2ページ
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面白い | ||||
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先日、僕の出身中学校で、女子生徒がいじめを苦に列車自殺をしました。 ニュース映像には、僕が高校時代、毎日通り過ぎた駅のホームに手向けられた花束が映っていました。少女の父親は僕と同い年らしく、もしかしたら中学時代の同級生かもしれません。 自殺した少女自身と、いじめ問題については、ここでは触れません。 残された家族や彼女の友人らについて、書いてみます。 遺族や友人らは、メディアの前で悲しみや怒りを表現することを「強要」されます。視聴者の胸を打つ、「使える」画を求められるからです。にもかかわらず、実際に放送されるものは、徹底的にワンパターンです。「いい子だったのに」「二度と起こってほしくない」「加害者には反省してほしい」――。 母校での痛ましい事件という衝撃もさることながら、僕にとってさらにショックだったのは、そのニュースが徹頭徹尾、「どこかで見た」既視感に満ちていたことです。昔からずっと、そして今も、毎月のように報道される、いじめによる自殺。いじめの程度が違うだけで、報道のされ方は毎回判で押したように同じです。もしこれが身近な場所での出来事でなければ、よくある悲劇として完全にスルーされ、僕の記憶には何一つ残らなかったでしょう。 でも遺族や、彼女の友人にとっては、もちろんそうではない。 そうではないのに、本当の感情が表現されることはありません。したがって、それを受け止める相手もいません。ということは、残された人々の悲しみはいつまでも癒えることがないのです。一体なぜなのか? 本作品は、そういった深くて、見えにくい、精神医学的な意味での「カタルシス」のありかを追求しています。 * 主人公は、ちょっとアブない関係なんじゃないかと疑うくらい仲のいい弟・友徳を持つ姉・香緒里。しかしその異常な仲の良さは、父親が愛人との共同生活を始めて家を出ていってしまったことが原因だとわかります。ちなみに母親は、そのことに対して無反応・無関心を貫いています。 ―― 「でもそんなふうにじゃあお父さんが家に帰ってきても、何も無かったふうには暮らせないよ?凄い気まずくない?」 「別に気まずいとかどうでもいいって。何にも無かったみたいにならないことは俺も知ってるから。でもとにかく一緒にいるんだよ」 ―― 友徳はとにかく父親を家に戻すことに固執しますが、香緒里はそれが本当に今の家族にとっていいことなのか疑問を抱いています。姉弟ですでに温度差があるわけですが、しかし、ここで香緒里を本当に戸惑わせているのは、この友徳の「率直さ」です。 ―― え?何?姉弟だからってこんなふうに正直に、自分の気持ちとか考えとか、包み隠さないもんなの? 思ったこと全部言うべきものなの?言われたことも、本心だからってそのまま受け止めなきゃ駄目なの? ―― 香緒里は、自分の感情をストレートに吐き出す友徳を、羨ましいような、鬱陶しいような、疎ましいような目で眺めつつこう思います。 ―― 誰かの率直な、本心を剥き出しにした話は私を怯えさせる。 ―― そうです。 実は、誰も、誰かの「剥き出しの心」など求めてはいないのです。だってそれは、あまりにもリアルすぎて、リアクションが上手く取れないから。「リアクション」とは、「その場を上手く取り繕う方法」です。軽く受け止めて笑いを取る、とか、深入りしない程度に同情する、というふうに、その場をどうにかやり過ごす手段なのです。だって、いちいち全ての出来事に突っかかっていては、自分の生活を保てないから。僕たちは、無意識に、そういう「リアクション芸」を行って生きています。 でも、それだけではしのぎ切れない重大な出来事が、生きている以上、必ず起こります。 やがて高校生になった友徳は学校でいじめに遭います。 友徳は基本リア充イケメンキャラなので、本来いじめられるタイプではないのですが、学園のアイドル・三輪あかりと付き合ったものの色々あって別れたけど、向こうはまだ付き合いたいので、あかりのファンクラブの親衛隊みたいなサッカー部の連中にボコられるハメに、それもあかりの陰謀で……みたいなメロドラマ展開になってしまったからです。 香緒里はその話を、友徳の元カノ・塩中さんから聞くのですが、そもそも友徳があかりと別れたのも塩中さんのせいでは、みたいなこともほのめかされて、なんつーか、結論として「だる~~~~い!」と思います。 ―― 話の内容も複雑すぎるしそれをきっちり理解してるらしい塩中さんにも引く。 ―― その日の夜、二人は姉弟喧嘩をします。香緒里は友徳に、殴られたらやり返せ、と絡んでいき、友徳はそれを、暴力は嫌いだ、と受け流します。香緒里はそれに苛立ち、次第に口汚く、罵声を浴びせ始めます。「ふざけんなよてめえ!」「(……)飽きるまで待つってか!この野郎!仕返ししてこねえてめえの反応が面白くてやってんだ!やってもやっても飽きねえよ!」。ますますエスカレートしていき、ついには友徳を殴ります。 友徳は、かつてない執拗な姉の暴言と暴力にほとんど恐怖に近いものを感じ、つい反射的に姉の顔を蹴って、鼻血を流させてしまいます。少し長く引用しましょう。 ―― 「あはは」と私は止まらない鼻血を手の平で拭いながら笑う。「ごめんね、友徳、これ私、八つ当たりって言うか、戦いたい相手、間違えてたみたい。本当は……」あんたじゃなくてお父さんこそボコボコにしてやりたかったのかも、と言いかけて私は突然の羞恥に駆られ、いやいやそんなバカらしいほど単純な、いかにも《トラウマを抱えた子供》チックなキャラに自分を落とし込みたくないなどと反発しかけるけど、やめておく。 メタ的視点も大事だけれど、本当の姿を誤魔化すためにそれを用いて本来の自己に《そんな自分のこともお見通し、演技にすぎないんだから結局は》みたいなでっち上げの自己像をかぶせて真実を埋没させてしまってはならない。 私は堪える。踏みとどまる。 ―― すごく複雑な告白です。 一体、何を言っているのか? 友徳のいじめ、それをきっかけとした香緒里の「八つ当たり」は、実は浮気して家を出て行った父親への怒りの表れだった。 不在の父親の代わりに、弟を殴る。 そんな安直なドラマでいいの? 私って、そんな友徳みたいに単純なの? という恥ずかしさの膜がすぐに感情を覆い、すぐにそれを「あはは」というリアクションに変換して済まそうとした…… が! でも、その単純な私の怒りも、別に嘘じゃない。 そこに真実は確かにある。 安っぽいけど、それが「本当」なら、それを「率直に」表現すればいい。 だから、その「ベタさ」「陳腐さ」に、香緒里は勇気を出して、踏みとどまる。 こんな丁寧な思考回路の変遷が、かつて小説で描かれたことがあるでしょうか? * 自殺した女子生徒の遺族や友人が、メディアの前で発する正論は、おそらくなされなければならないことだし、必要なことなのでしょう。ただ、それで、その方々がカタルシス(感情の解放)を得られることはおそらくないはずです。それはきっと、香緒里が友徳を殴るというような、無様な形でしか表現され得ないし、伝えられないものですから。 そして、愛すべき母校で自殺者が出てしまったことを悼みつつ、確かにかつて僕もまた誰かの被害者であり、また別の誰かの加害者でもあったあの頃の未熟さを、この文章を書くことでいくらか浄化できればと思いました。 もちろん、事はそれほど単純ではないだろうけれど。 | ||||
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父親が浮気して家を出た後の母親と主人公:香緒里と弟:友徳の3人暮らしから始まり、香緒里が小学生のころから大学院を卒業して就職して1年経つまでの15年間ほどの話です。 特に、香緒里が高校3年生になり、弟の友徳が高校2年生の時、友徳の彼女問題が騒がしくなり、それが大学生になってもドロドロと続いていたものを香緒里が最後すっきり捌く「真っ当な意味で仲のいい姉弟の話」が、一応の軸になっていますが、並行して父と母と愛人の関係とか香緒里の恋愛もあります。その中で香緒里は人の心の動きをもっと知りたいと臨床心理士をめざします。本を読んで考えても自分の本質はこれだと言いきれなかった香緒里、カットは描けるが物語を繋げず漫画が描けない「創作できない私」だった香緒里、形式論での家族しか語れなかった香緒里は、いろいろ経験し、学んで、すらすらと短編小説が書け、一人一人の人生をはっきり見られる、自らを客観視できる厚みのある精神を持つように成長します。それでも「人それぞれであり、互いに認めあうから、個人の本質は変わったりしない」という香緒里の考えの通り、成長しても香緒里はやはり香緒里のままというところで嬉しくなりました。「地に足の着いた成長の可能性」を謳う小説としてとても素晴らしいと思います。 真面目だけれどひねくれた思考もする、時々突飛な行動を選ぶ、自分の思っていることと発言と行動が一致していないことを認知してその原因を冷静に探っている。こんな香緒里にはとても親近感を感じます。小説の主人公が良い人だとか会ってみたいとか友達になりたいと思うことはよく経験しますが、「この娘、俺じゃね」と思えるなんて記憶にありません。そういった個人的嬉しさも含めて★5つです。 | ||||
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こんなの舞城じゃないって思う人は思うかも さわやかすぎる舞城 エログロナンセンスな表現はこの作品には感じられない 日曜の昼下がりに読んでも違和感ない 取り敢えずビッチうぜぇぇぇってなる(笑) ビッチマグネットは着脱可能タイプ? 舞城が描く、あまり歪んでない家族愛 いまどきの家族小説 個人的には締めくくりの部分が好き あれは実際に舞城がボツにしたお話なのかしらん?なんて考えたり… あ、あと装画が良すぎる 部屋に置いとくと可愛い タイトル『ビッチマグネット』だけど(笑) | ||||
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タイトルで損をしている作品。 内容は舞城作品ではピカイチだと思う。 | ||||
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信じられない タイトルから想像した物語とは違った もっとハジケルべきだったんだよ! マイジョー成分が私には足りなかった 十分に補給できなかった 現代の思春期の少年少女たちの気持ちが感じられる作品、今の日本の家族 そんな風に感じました だがハジケがたりない | ||||
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舞城作品の中には「物語の展開装置としての暴力・殺人」というのが積極的に導入されていて、その暴力装置と対になっているのが、一人称で語られる倫理や道徳についての考察で、この両輪をフィクションの引用によって造られた車軸で繋いで、独特の文体速度を持った馬がぶん回していく一頭立ての馬車のようなものが舞城作品だと思ってました。そこが好きだったわけですが。 全然違うじゃないか、こいつは! 独特の語りのトーンは健在ですが、その語りの中で引用性は極端に抑えられていて、主人公が自己を切り刻んで並べていくようなパートが前面に押し出されてきます。 そこにあるのは、一人称の主人公がやっちまいがちな自己正当化でもなくて、他者への八つ当たりでもなくて、もっと細やかで面倒くさい存在である人間=自分へと臆すことなく歩み寄っていこうとする意思です。 こうした変化は引用を使って安直に読者と共犯関係を構築しなくても問題なくなりつつことの表れなのか、それとも単に芥川賞をきっちり狙ったのためなのかは分かりませんが、その変化も違和感なく抱き込める程度の懐を、舞城という作家は既に持ち合わせているように見えます。 あと、表紙が素敵です。 胎児からはじまり、崩壊した家を通り過ぎて、一周するように大人になって、鏡合わせに自分を描きだしていく女性が描かれています。 作中でもそこそこのウェイトで触れられてる発達心理学と関係付けているのか、ラカンの鏡像段階や諸々の見立てが織り込まれているようで、イメージの広がりがある素晴らしい絵です。 そんな邪推を抜きにしても鑑賞に堪えるという意味でも。 | ||||
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今回もとてもいいですね。 作者のこれまでの作品に比べると、描写は控えめですが、表現の強度は、あいかわらずすごいと思います。 スピードボーイとか、ぶっ飛んでいる過去の作品もすべて、内部世界の創造的表現だと思っています。そういう意味では、わりと、素直な作家さんなのではないかなと。 地獄のような無明の世界、それでも、突き抜けて楽しく生きることができる。 この場所で、実際に起きていることの写し絵を、今回は、この天才、さわやかに、現実的に描いてくれたのだと思います。 | ||||
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いや、これは面白かった。 何といっても語りに、リアリティがある。本当の知り合いだったら、これはちょっとなあ、と思ってしまう 部分もあるが(いわゆるマジギレするところ)、そう思ってしまうところも含めて、主人公の広谷香緒里さ んが生き生きしていて、とても魅力的だ。 それにくらべて生彩を欠くのは、弟の友徳くん。ビッチマグネットというタイトルなのだから、当然彼が主 人公と思っていたが、重要だけど脇役である。この淡色ぶりが描きたかったことなのでしょうか? 背景描写がもう少しあると、おじさん読者としては、当世若者生活を知ることができてもっと楽しめたかも しれません。でも、小説として、少し前に読んだ『1Q84 book3 』より面白く読んだことは確かです。 おばさんになった榊原玲奈さんと出会ったところを想像してみると、楽しい感じです。新旧桃尻娘対談、な んてどうでしょう。実は全然話が噛み合わないかも。 | ||||
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この世に暴力が存在してしまう絶対性/不条理性と対比する形で、やはり理屈を超えて人の人生の緒元として発生する「家族愛」を一貫して描いてきた舞城王太郎。今回、血生臭い暴力描写や殺人ミステリーを封印して、ストレートに「普通の家族」を描いたのが本作だ。 この手の「壊れた家族」を扱う小説のパターンとして、子供がおかしくなって壊れるとか、「親である前に一人の男女として家庭の型から自由に恋愛しちゃうもんなのよ」とか、そういう常套のパターンというものがある。実際それは現実世界で「よくある話」なので、そういう「物語」が小説作品としても再生産されている訳だが、「物語」としてそういう状況はどうなの?リアルな人間の人生ってそんな簡単なものなの?という作者特有のメタな視点が主人公によって語られていて、興味深かった。 そういう常套的「物語」に対して自覚的に距離を置きながら、それでもコテコテにならない程度に否応なく「物語」を反復してしまう主人公(長女)が成長していく姿は読んでいて希望を持たせる。そして、ラストで彼女が語る「物語ること」の思いは、そのまま作家としてのアイデンティティー宣言でもある。この宣言に僕は共感する一方で、そんなに「物語ること」に片意地張って言及しないでも良かったのではないかとも感じた。それくらい今回の「家族の物語」が完結していて説得力もあったからだ。そして、「物語」への偏愛を共有していないような(普通の)人々にも届き得る作品になったかもしれない可能性が、逆に物語への偏愛表明により狭まったのではないかとも感じる。 この一点だけが気になったが、この作家が一流の文学作家であることは、この「物語ること」への言及により分かりやすい形で世間にプレゼンテーションされていること、このメタな「物語」作家としての態度表明こそが作者の個性であることも理解できるので、まあ悩ましいところなんですが。 | ||||
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浮気癖の父をきっかけに家族の形が変わり、その後の人生でも香緒里は様々な事を考え悩み苦しむ。若い時特有の自分自身に対する嫌悪や葛藤の表現が上手く、どうしたらいいかわからず突っ走ってしまったり、わかっているのに止まれず暴走してしまったり。そんな誰しもが経験した、こういう事あったなぁ、とかこんな事考えてたなぁ、という場面が何度もありました。 ただ、情景の描写などはなく、香緒里の語り口調で語られ、今風の会話でもって進んでいくといった文体なので、好みは別れるかなと思います。 しかしそれでも家族への愛はしっかりと感じられるのです。 | ||||
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舞城作品の中で一番好きです! 阿修羅ガールや好き好きでは面白さと同時にちょっと置いていかれそうになったので 今回の作品はとても読みやすいし、でも雰囲気は残したままで。 ていねいだけどぶっとんでて、日常だけど非日常。 矛盾してるような感想だけど正しい気がしちゃいます。 おすすめです。 | ||||
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一つ一つの章立てが短編として成立している。完成している。 一文一文が熱い。こんなのを書けるのは凄い精神力だと思う。 面白いとかって前に、凄い。 たくさんの人に読んでもらいたい。 文学って芸術なんだって、きっと実感できるから。 だけど、やっぱり、ある程度本を読む人にじゃないと薦めにくい。 薦めて分かってもらえないと嫌だし。 | ||||
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煙か土か食い物でピコーン!と来て以来、舞城さんの作る物語からジンジン伝わって来るパワーが好きで、ずっと読んで来ました。このビッチマグネットでは、西暁へも調布へも跳んで行かないし、猟奇的な連続殺人も密室殺人も起こらないし、カルトなオタクやフリークな探偵も出て来ないし、何となく過去の作品世界よりも空間的なスケールが小さく、ぶっ飛び感は物足りないかもしれません。が、するする読んでいてスコーンと時間をワープするスピード感がえらく心地良いな?と思いました。きっとテレビドラマなんかではBGMたっぷりかけて盛り上げてネチネチ時間をかけて感動的に描き上げるであろうような(ヘタするとToBeContinued…とか言って次回へ引っ張るような)場面を超ぶっ飛ばしてコマを進めてしまう爽快感、そして大事なことはちゃんと伝わって来る…。舞城さんの物語の何が私の魂を揺さぶるのか、その謎の答を、ちらっとつかみそうになる、だけど、つかみきれない、つかんでしまう前に、もう少し泳がせて楽しみたい、みたいな微妙な幸福感が、今回の舞城作品にはありましたが、どうでしょうか?やっぱり舞城ワールド、好き好き大好き。です。 | ||||
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おいおいそんな毎日考えすぎだよ、と突っ込みたくなる主人公の姉に共感しながら読んだ。というかかなり共感出来たのに驚くよ。 ストーリーは面白いんだけど舞城の文体やら狙いやらでサラサラしてて流れるよう。 サラサラしてると思ったら急に舞城の主張!だったりするけど。それはまぁ何時ものことかも(どストレートな変化球っぽいところとか)。 舞城の本を読むと元気が出る。パワーを分けて貰える。舞城ありがとう。 | ||||
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今回のストーリーは前作のディスコ探偵に比べるとスケールもぐっと小さく、『もし阿修羅ガールがコスモチックな発展をせずごく家庭的な問題を抱えて進んでいったとしたら』。熱心に舞城王太郎の作品を読んでいる人ならそれぐらいに感じてしまうかもしれないものだ。 しかし、どこをどう進んだって書いているのは舞城王太郎なのだ。彼は大体にして、作品の中で言いたいことを声高に言っている(ように、読み手は思ってしまうだけなのだけれど。) そして今回扱われる問題とは、 1、恋とはなんなのか? 2、自意識とはどこまで自覚できるものなのか? 3、人間の感情はどこからどこまでがピュアで、どこから先がビッチなのか? ということではなかろうか。 主人公である姉は過分に懐疑的だ。高校生頃までは潔癖的過ぎるほどに『自分がなにかを演じているいるのではないか』という思いに取り付かれている。この自己分裂的とさえ思える語り口も、彼女が大学生に進む頃にはなりをひそめる。 対し、弟は・・・・・・まあ、そこから先はどうぞ本書にて。 形態としては中々良く見られる家庭不和を中心に据えた話であり、そして家族再生の話である。 けれど、扱っている問題は↑の三つだ! と決め付ける私はひょっとしてビッチかしらん? | ||||
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軽快で流れるように歪な家族、どこにでもある家族の中の歪みを描き出しているのがこの作品。 途中途中で挟まれる、主人公による人生への考察で、凄く心に響く、いや抉られるような文字が踊って作品にぐいぐいと引き込まれて行きます。 仲の良い姉弟を中心に物語は進んで行き、問題にぶつかってはそれを何とか乗り越え次に進んで行く。その描写は、今までの舞城作品のような流れるような理論展開・行動で凄く盛り上がって行きます。 これ本当に純文?って言いたくなる程のエンターテイメント性も同時に兼ね揃えた本作品。一読の価値はあります。 | ||||
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若い女性の内的な成長を一人称でつづった作品であり、 その意味では平成版の桃尻娘ともいえるかもしれないが、 私にとって気になるのは「女性の内的な葛藤を ここまで詳しく書けるからには、覆面作家の 舞城はやっぱり女性なのではないか」ということなのである。 従来の作品では道具立ての過激さが舞城世界の女性性を カムフラージュしていたが、 他の作品を読まずにいきなり本作を読んだら、大概の読者は作者は 女性だと思うだろう。 もしもこれで舞城が男性だとしたら凄すぎる。 | ||||
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香織里と友徳の仲のいい姉弟。だが、父・和志は愛人を作って家を出ているし、母親・由起子はやつれて消極的な日々を送っているという誠にアンチな家庭が舞台。高校生の香織里は家族を捨てた父を憎みながらもなんとか折り合いをつけて、青春の日々を真っ当に生きようと足掻いている。母親につらくあたる弟も、香織里にだけは心をひらいてやさしく接している。そんなアンバランスな家庭の中では日常がすでにドラマと化しているのだが、そこは舞城君、深刻な設定を深刻に感じさせず、ひたすらポップにどこまでもあっけらかんと描いていく。読んでいてとても共感したのが青春の足掻きや思索がこれでもかというくらい濃密に描かれているところだ。主人公は女性なのだが、ぼくもこの時代は多かれ少なかれ香織里と同じ行程を経て大人になっていった。それが手にとるようにわかるから読んでいてうれしいし、とても刺激された。そこから広がっていく物語世界はあっという間に読み進んでしまえるくらいおもしろいのだが、やはりそこにも様々な思惟と思索が渦巻き読者を搦め取る。う〜んやっぱり舞城君はこうでなけりゃね。生きてゆく上で人間に必要なもの。歴史と記憶と想像と思い込みと願いと祈りと連想と創造。そうそう、そうなんだよ。ぼくも君の意見に賛成。物語は世界を救うんだ。あのジャネット・ウィンターソンも言ってるようにね。 | ||||
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舞城さんの新作。 現在、広谷家は荒れ模様だ。父は浮気して母はぐったりだし、弟は女性がらみの問題をもってくる。その渦中にいる広谷香緒里は長女としてこの一家が少しずつ変化する様子を様々な思いで生活している。そんなストーリー。 タイトルにちょっとビクッとする。 が、内容としてはあまり過激でもなければ刺激的でもない日常のお話。作者の『ディスコ探偵水曜日』みたいなとんでもないことは起こらず、地に足の付いており、広谷香緒里視点での弟や父やその愛人や母などを作者特有のユーモラスな自問自答(一人ボケツッコミ)での描写が心地良く、気を抜いて読める一冊。ほんとになにげないことを描いているので前述のような作品を求める人には少し物足りないかもしれないが、<キリンの腹に「吸血鬼は実在する」のラクガキ>など所々で非日常臭を醸しているシーンをさも実際はなんでもないお話に仕立てているのは作者っぽいと思う。 でも、次回作はとんでもない方面を期待。 | ||||
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