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ビッチマグネット
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ビッチマグネットの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.13pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全30件 1~20 1/2ページ
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面白い | ||||
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ジャンルを一言で表すなら家族小説。マイジョーにしては至って普通の物語だ。フツー過ぎて却って戸惑ってしまった。 父親が愛人と出奔した家庭の、姉弟の関係を中心にストーリーが展開する。弟は、生来よりタチの悪い女(つまりビッチ)を引き寄せる磁石(マグネット)を持っている男子、という設定。 だいたいビッチマグネットというタイトルは、作品のテーマなり世界観なりを表していないんだよなぁ。如何にもな家族小説っぽいクライマックスに、何か読み落としがあったのか不安にすら駆られてた。道に迷ってしまったよ・・・ | ||||
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先日、僕の出身中学校で、女子生徒がいじめを苦に列車自殺をしました。 ニュース映像には、僕が高校時代、毎日通り過ぎた駅のホームに手向けられた花束が映っていました。少女の父親は僕と同い年らしく、もしかしたら中学時代の同級生かもしれません。 自殺した少女自身と、いじめ問題については、ここでは触れません。 残された家族や彼女の友人らについて、書いてみます。 遺族や友人らは、メディアの前で悲しみや怒りを表現することを「強要」されます。視聴者の胸を打つ、「使える」画を求められるからです。にもかかわらず、実際に放送されるものは、徹底的にワンパターンです。「いい子だったのに」「二度と起こってほしくない」「加害者には反省してほしい」――。 母校での痛ましい事件という衝撃もさることながら、僕にとってさらにショックだったのは、そのニュースが徹頭徹尾、「どこかで見た」既視感に満ちていたことです。昔からずっと、そして今も、毎月のように報道される、いじめによる自殺。いじめの程度が違うだけで、報道のされ方は毎回判で押したように同じです。もしこれが身近な場所での出来事でなければ、よくある悲劇として完全にスルーされ、僕の記憶には何一つ残らなかったでしょう。 でも遺族や、彼女の友人にとっては、もちろんそうではない。 そうではないのに、本当の感情が表現されることはありません。したがって、それを受け止める相手もいません。ということは、残された人々の悲しみはいつまでも癒えることがないのです。一体なぜなのか? 本作品は、そういった深くて、見えにくい、精神医学的な意味での「カタルシス」のありかを追求しています。 * 主人公は、ちょっとアブない関係なんじゃないかと疑うくらい仲のいい弟・友徳を持つ姉・香緒里。しかしその異常な仲の良さは、父親が愛人との共同生活を始めて家を出ていってしまったことが原因だとわかります。ちなみに母親は、そのことに対して無反応・無関心を貫いています。 ―― 「でもそんなふうにじゃあお父さんが家に帰ってきても、何も無かったふうには暮らせないよ?凄い気まずくない?」 「別に気まずいとかどうでもいいって。何にも無かったみたいにならないことは俺も知ってるから。でもとにかく一緒にいるんだよ」 ―― 友徳はとにかく父親を家に戻すことに固執しますが、香緒里はそれが本当に今の家族にとっていいことなのか疑問を抱いています。姉弟ですでに温度差があるわけですが、しかし、ここで香緒里を本当に戸惑わせているのは、この友徳の「率直さ」です。 ―― え?何?姉弟だからってこんなふうに正直に、自分の気持ちとか考えとか、包み隠さないもんなの? 思ったこと全部言うべきものなの?言われたことも、本心だからってそのまま受け止めなきゃ駄目なの? ―― 香緒里は、自分の感情をストレートに吐き出す友徳を、羨ましいような、鬱陶しいような、疎ましいような目で眺めつつこう思います。 ―― 誰かの率直な、本心を剥き出しにした話は私を怯えさせる。 ―― そうです。 実は、誰も、誰かの「剥き出しの心」など求めてはいないのです。だってそれは、あまりにもリアルすぎて、リアクションが上手く取れないから。「リアクション」とは、「その場を上手く取り繕う方法」です。軽く受け止めて笑いを取る、とか、深入りしない程度に同情する、というふうに、その場をどうにかやり過ごす手段なのです。だって、いちいち全ての出来事に突っかかっていては、自分の生活を保てないから。僕たちは、無意識に、そういう「リアクション芸」を行って生きています。 でも、それだけではしのぎ切れない重大な出来事が、生きている以上、必ず起こります。 やがて高校生になった友徳は学校でいじめに遭います。 友徳は基本リア充イケメンキャラなので、本来いじめられるタイプではないのですが、学園のアイドル・三輪あかりと付き合ったものの色々あって別れたけど、向こうはまだ付き合いたいので、あかりのファンクラブの親衛隊みたいなサッカー部の連中にボコられるハメに、それもあかりの陰謀で……みたいなメロドラマ展開になってしまったからです。 香緒里はその話を、友徳の元カノ・塩中さんから聞くのですが、そもそも友徳があかりと別れたのも塩中さんのせいでは、みたいなこともほのめかされて、なんつーか、結論として「だる~~~~い!」と思います。 ―― 話の内容も複雑すぎるしそれをきっちり理解してるらしい塩中さんにも引く。 ―― その日の夜、二人は姉弟喧嘩をします。香緒里は友徳に、殴られたらやり返せ、と絡んでいき、友徳はそれを、暴力は嫌いだ、と受け流します。香緒里はそれに苛立ち、次第に口汚く、罵声を浴びせ始めます。「ふざけんなよてめえ!」「(……)飽きるまで待つってか!この野郎!仕返ししてこねえてめえの反応が面白くてやってんだ!やってもやっても飽きねえよ!」。ますますエスカレートしていき、ついには友徳を殴ります。 友徳は、かつてない執拗な姉の暴言と暴力にほとんど恐怖に近いものを感じ、つい反射的に姉の顔を蹴って、鼻血を流させてしまいます。少し長く引用しましょう。 ―― 「あはは」と私は止まらない鼻血を手の平で拭いながら笑う。「ごめんね、友徳、これ私、八つ当たりって言うか、戦いたい相手、間違えてたみたい。本当は……」あんたじゃなくてお父さんこそボコボコにしてやりたかったのかも、と言いかけて私は突然の羞恥に駆られ、いやいやそんなバカらしいほど単純な、いかにも《トラウマを抱えた子供》チックなキャラに自分を落とし込みたくないなどと反発しかけるけど、やめておく。 メタ的視点も大事だけれど、本当の姿を誤魔化すためにそれを用いて本来の自己に《そんな自分のこともお見通し、演技にすぎないんだから結局は》みたいなでっち上げの自己像をかぶせて真実を埋没させてしまってはならない。 私は堪える。踏みとどまる。 ―― すごく複雑な告白です。 一体、何を言っているのか? 友徳のいじめ、それをきっかけとした香緒里の「八つ当たり」は、実は浮気して家を出て行った父親への怒りの表れだった。 不在の父親の代わりに、弟を殴る。 そんな安直なドラマでいいの? 私って、そんな友徳みたいに単純なの? という恥ずかしさの膜がすぐに感情を覆い、すぐにそれを「あはは」というリアクションに変換して済まそうとした…… が! でも、その単純な私の怒りも、別に嘘じゃない。 そこに真実は確かにある。 安っぽいけど、それが「本当」なら、それを「率直に」表現すればいい。 だから、その「ベタさ」「陳腐さ」に、香緒里は勇気を出して、踏みとどまる。 こんな丁寧な思考回路の変遷が、かつて小説で描かれたことがあるでしょうか? * 自殺した女子生徒の遺族や友人が、メディアの前で発する正論は、おそらくなされなければならないことだし、必要なことなのでしょう。ただ、それで、その方々がカタルシス(感情の解放)を得られることはおそらくないはずです。それはきっと、香緒里が友徳を殴るというような、無様な形でしか表現され得ないし、伝えられないものですから。 そして、愛すべき母校で自殺者が出てしまったことを悼みつつ、確かにかつて僕もまた誰かの被害者であり、また別の誰かの加害者でもあったあの頃の未熟さを、この文章を書くことでいくらか浄化できればと思いました。 もちろん、事はそれほど単純ではないだろうけれど。 | ||||
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村上龍が第百四十二回芥川賞の選評にて、この作品を「物語そのものがつまらない」と評したのを思い出したが、そのとおり、この作品はつまらない。つまらない物語の中に、何か切実な世界観があるのかと思いきや、それも無し。ただ現代人の色恋沙汰を(多少独自の文体を使って、戯画化しているかもしれないが、)淡々と書くだけ。読ませる力に任せて、最後までちょっと思弁的なだけの、凡庸な女性の少女時代を書いただけである。 始めてこの作者の作品を読んだ私からすると、あれ、舞城王太郎って聞いた話と全然違ってつまらんぞ、とも思ってしまうが、往年の舞城ファンに言わせれば「舞城王太郎、次はコテコテ(?)の青春小説書いたのか」と、それはそれで話題にはなるのだろう。しかし、作品に於いて作者は如何なる読者にも常に平等でなくてはならないと思う。 この作品には「物語」という言葉が多用されているが、もしかすると何も起こらない(または起こせない)人間に「物語」はあるのかという現代人の不安を、わざと作品自体をつまらなくさせることで、作者は暗示したのではないか。この推論が断言できない理由は、やはり私が舞城王太郎作品を読むのが、これが初めてだからということか。つまり舞城王太郎の作品を読んでいる人間にはかなりお勧めできるかもしれない。 と、個人的には、最後に主人公が書いた「骨」という作品を舞城王太郎自身の言葉でちゃんと読みたかった。書いてくれないかな。 | ||||
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父親が浮気して家を出た後の母親と主人公:香緒里と弟:友徳の3人暮らしから始まり、香緒里が小学生のころから大学院を卒業して就職して1年経つまでの15年間ほどの話です。 特に、香緒里が高校3年生になり、弟の友徳が高校2年生の時、友徳の彼女問題が騒がしくなり、それが大学生になってもドロドロと続いていたものを香緒里が最後すっきり捌く「真っ当な意味で仲のいい姉弟の話」が、一応の軸になっていますが、並行して父と母と愛人の関係とか香緒里の恋愛もあります。その中で香緒里は人の心の動きをもっと知りたいと臨床心理士をめざします。本を読んで考えても自分の本質はこれだと言いきれなかった香緒里、カットは描けるが物語を繋げず漫画が描けない「創作できない私」だった香緒里、形式論での家族しか語れなかった香緒里は、いろいろ経験し、学んで、すらすらと短編小説が書け、一人一人の人生をはっきり見られる、自らを客観視できる厚みのある精神を持つように成長します。それでも「人それぞれであり、互いに認めあうから、個人の本質は変わったりしない」という香緒里の考えの通り、成長しても香緒里はやはり香緒里のままというところで嬉しくなりました。「地に足の着いた成長の可能性」を謳う小説としてとても素晴らしいと思います。 真面目だけれどひねくれた思考もする、時々突飛な行動を選ぶ、自分の思っていることと発言と行動が一致していないことを認知してその原因を冷静に探っている。こんな香緒里にはとても親近感を感じます。小説の主人公が良い人だとか会ってみたいとか友達になりたいと思うことはよく経験しますが、「この娘、俺じゃね」と思えるなんて記憶にありません。そういった個人的嬉しさも含めて★5つです。 | ||||
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破天荒な芸風を持ち味とする舞城だけど、本作は良くも悪くもこじんまりとまとまっている。 | ||||
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芥川賞142回候補作。 この回に受賞作は無く、 選考委員の一人の池澤夏樹は、選評で結果を特に惜しんでいた。 中身は、私がこの作品の前に読んだ、「阿修羅ガール」の様に、 女子高生の一人称で語られ、その思考の様、自問自答のゆらぎの様子がダラダラかつストレートに語られている。 共感を持てなくなる部分も有るが、テンポや語り口が面白く、 そこに乗っかれると、一緒に思考を辿っている様な感覚になれて面白い。 「阿修羅ガール」は飛び過ぎていたが、 そこでのゲッっとなる様な、エログロや、滅茶苦茶なストーリーの挿入でのインパクトが抑えられていて、 キチンとしている感じが、芥川賞狙ったのかな?と思えた。 なので、良くも悪くも、作品のうねりは少なめだけれど、突拍子が無くて嫌悪を感じるという事も無くなった。 しかし十分、舞城作品の、テンポや語り口の面白さは感じられると思う。 「阿修羅ガール」とか、「熊の場所」とかで、よくわからなかった人に、 もう一度チャレンジして貰う作品としては勧められるかも。 | ||||
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こんなの舞城じゃないって思う人は思うかも さわやかすぎる舞城 エログロナンセンスな表現はこの作品には感じられない 日曜の昼下がりに読んでも違和感ない 取り敢えずビッチうぜぇぇぇってなる(笑) ビッチマグネットは着脱可能タイプ? 舞城が描く、あまり歪んでない家族愛 いまどきの家族小説 個人的には締めくくりの部分が好き あれは実際に舞城がボツにしたお話なのかしらん?なんて考えたり… あ、あと装画が良すぎる 部屋に置いとくと可愛い タイトル『ビッチマグネット』だけど(笑) | ||||
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タイトルで損をしている作品。 内容は舞城作品ではピカイチだと思う。 | ||||
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主人公が進学したり、恋人ができたり、弟と別居したりという、生活の節目が、同じ章の中で、下手をすると段落の区切りもなしで突然やってくるので、読んでいてい再三まごついた。編集者は何も言わなかったのだろうか。 | ||||
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父親が出て行って残された家族の、母、弟、そして姉の私。それぞれに問題を抱えているけれど、私と弟はそれなりに仲が良い。それでも実は・・・というのが冒頭です。 いつもの、舞城作品と同じように、調布辺りが舞台でその口語調の独特の語り口、そして描写の面白さ、物語の展開の早さ、擬態語の特殊さ、いつも通りの読後感です。が、以前ほど強く受け手を揺さぶってこなかったです。段々受け手である私が慣れてきてしまったのかもしれませんけれど。 どことなく「阿修羅ガール」の頃のようなシュールさが奥に引っ込んでしまったかのような印象を受けました。時間軸の推移が突然で面白いのですが、物語の突飛さだけでない『何か』が、以前の舞城作品にはあった『何か』が足りなくなってきているかのような感じです。それなりに楽しく読んだのですが。 もう少し、いつもの舞城作品にある肝の部分のカタルシスがないと、と感じるのがもう慣れてきているということなのだと思います。でもタイトルのネーミングは流石。 男と女の間の話しに興味のある方、舞城作品が好きな方にオススメ致します。 | ||||
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信じられない タイトルから想像した物語とは違った もっとハジケルべきだったんだよ! マイジョー成分が私には足りなかった 十分に補給できなかった 現代の思春期の少年少女たちの気持ちが感じられる作品、今の日本の家族 そんな風に感じました だがハジケがたりない | ||||
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舞城作品の中には「物語の展開装置としての暴力・殺人」というのが積極的に導入されていて、その暴力装置と対になっているのが、一人称で語られる倫理や道徳についての考察で、この両輪をフィクションの引用によって造られた車軸で繋いで、独特の文体速度を持った馬がぶん回していく一頭立ての馬車のようなものが舞城作品だと思ってました。そこが好きだったわけですが。 全然違うじゃないか、こいつは! 独特の語りのトーンは健在ですが、その語りの中で引用性は極端に抑えられていて、主人公が自己を切り刻んで並べていくようなパートが前面に押し出されてきます。 そこにあるのは、一人称の主人公がやっちまいがちな自己正当化でもなくて、他者への八つ当たりでもなくて、もっと細やかで面倒くさい存在である人間=自分へと臆すことなく歩み寄っていこうとする意思です。 こうした変化は引用を使って安直に読者と共犯関係を構築しなくても問題なくなりつつことの表れなのか、それとも単に芥川賞をきっちり狙ったのためなのかは分かりませんが、その変化も違和感なく抱き込める程度の懐を、舞城という作家は既に持ち合わせているように見えます。 あと、表紙が素敵です。 胎児からはじまり、崩壊した家を通り過ぎて、一周するように大人になって、鏡合わせに自分を描きだしていく女性が描かれています。 作中でもそこそこのウェイトで触れられてる発達心理学と関係付けているのか、ラカンの鏡像段階や諸々の見立てが織り込まれているようで、イメージの広がりがある素晴らしい絵です。 そんな邪推を抜きにしても鑑賞に堪えるという意味でも。 | ||||
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今回もとてもいいですね。 作者のこれまでの作品に比べると、描写は控えめですが、表現の強度は、あいかわらずすごいと思います。 スピードボーイとか、ぶっ飛んでいる過去の作品もすべて、内部世界の創造的表現だと思っています。そういう意味では、わりと、素直な作家さんなのではないかなと。 地獄のような無明の世界、それでも、突き抜けて楽しく生きることができる。 この場所で、実際に起きていることの写し絵を、今回は、この天才、さわやかに、現実的に描いてくれたのだと思います。 | ||||
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いや、これは面白かった。 何といっても語りに、リアリティがある。本当の知り合いだったら、これはちょっとなあ、と思ってしまう 部分もあるが(いわゆるマジギレするところ)、そう思ってしまうところも含めて、主人公の広谷香緒里さ んが生き生きしていて、とても魅力的だ。 それにくらべて生彩を欠くのは、弟の友徳くん。ビッチマグネットというタイトルなのだから、当然彼が主 人公と思っていたが、重要だけど脇役である。この淡色ぶりが描きたかったことなのでしょうか? 背景描写がもう少しあると、おじさん読者としては、当世若者生活を知ることができてもっと楽しめたかも しれません。でも、小説として、少し前に読んだ『1Q84 book3 』より面白く読んだことは確かです。 おばさんになった榊原玲奈さんと出会ったところを想像してみると、楽しい感じです。新旧桃尻娘対談、な んてどうでしょう。実は全然話が噛み合わないかも。 | ||||
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この世に暴力が存在してしまう絶対性/不条理性と対比する形で、やはり理屈を超えて人の人生の緒元として発生する「家族愛」を一貫して描いてきた舞城王太郎。今回、血生臭い暴力描写や殺人ミステリーを封印して、ストレートに「普通の家族」を描いたのが本作だ。 この手の「壊れた家族」を扱う小説のパターンとして、子供がおかしくなって壊れるとか、「親である前に一人の男女として家庭の型から自由に恋愛しちゃうもんなのよ」とか、そういう常套のパターンというものがある。実際それは現実世界で「よくある話」なので、そういう「物語」が小説作品としても再生産されている訳だが、「物語」としてそういう状況はどうなの?リアルな人間の人生ってそんな簡単なものなの?という作者特有のメタな視点が主人公によって語られていて、興味深かった。 そういう常套的「物語」に対して自覚的に距離を置きながら、それでもコテコテにならない程度に否応なく「物語」を反復してしまう主人公(長女)が成長していく姿は読んでいて希望を持たせる。そして、ラストで彼女が語る「物語ること」の思いは、そのまま作家としてのアイデンティティー宣言でもある。この宣言に僕は共感する一方で、そんなに「物語ること」に片意地張って言及しないでも良かったのではないかとも感じた。それくらい今回の「家族の物語」が完結していて説得力もあったからだ。そして、「物語」への偏愛を共有していないような(普通の)人々にも届き得る作品になったかもしれない可能性が、逆に物語への偏愛表明により狭まったのではないかとも感じる。 この一点だけが気になったが、この作家が一流の文学作家であることは、この「物語ること」への言及により分かりやすい形で世間にプレゼンテーションされていること、このメタな「物語」作家としての態度表明こそが作者の個性であることも理解できるので、まあ悩ましいところなんですが。 | ||||
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感想は…つまらなくもなく、面白くもなく。 事実か空想か分からないような部分や、いつの間に主人公(や弟)が成長しているので「えっ!?あの人、そしてあの話はどうなったの!?」って部分もあったり…。 今までに読んだことのない作風のせいか(?)、なんか全体的に『ついていけない』感じがありました。 | ||||
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浮気癖の父をきっかけに家族の形が変わり、その後の人生でも香緒里は様々な事を考え悩み苦しむ。若い時特有の自分自身に対する嫌悪や葛藤の表現が上手く、どうしたらいいかわからず突っ走ってしまったり、わかっているのに止まれず暴走してしまったり。そんな誰しもが経験した、こういう事あったなぁ、とかこんな事考えてたなぁ、という場面が何度もありました。 ただ、情景の描写などはなく、香緒里の語り口調で語られ、今風の会話でもって進んでいくといった文体なので、好みは別れるかなと思います。 しかしそれでも家族への愛はしっかりと感じられるのです。 | ||||
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私がよく読む小説のひとつは、芥川賞受賞作。今回は芥川賞受賞者なし、ということだったので、候補作を読むことにした。著者の小説を読むのは初めて。読んで一番感じたのは、これが芥川賞候補の小説なのか?ということ。私のように、芥川賞(候補)を期待して読むと期待外れになると思う。一応、最後まで読んだが、読むのが非常に苦痛だった。 | ||||
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デビュー以来一貫した独特の饒舌体と飛躍するストーリーで熱狂的なファンを持つ作者。今回はストーリーがどんどん飛躍していかず、ときどきスタート時の設定に戻ってくる。今にも子供の手を離れそうな風船がぶらぶらしているような浮揚感がある。 この長く読みにくい一人称文体は独特だが、好き嫌いが分かれる。上手いのかどうかの評価も、人によって両極端になる。一般的には読みにくい部類に入るだろう。 今回、芥川賞候補になったので久しぶりに彼の作品を読んでみた。やはり会話と思念だけの一人称小説はクセがある。行動描写や情景描写がほとんど無いところは、日本伝統の文学からは、はずれる。阿部和重や磯崎憲一郎と同じカテゴリーに入るだろう。ちなみに残念ながら芥川賞は今回受賞作無し。 読み終わって、面白かったかどうか自問してみた。うーん、微妙だ。 | ||||
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