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決壊
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決壊の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.83pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全51件 41~51 3/3ページ
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「日蝕」を読んだがこちらはとても読みにくく、話も退屈で時間の無駄遣いだったので、「決壊」も読もうかどうか非常に悩んだが、とても読みやすかったのには驚いた。 バラバラ殺人事件をめぐるストーリーなのだが、純文学の作家だけあって、上巻はほとんどが主要登場人物の日常や内面描写にページがさかれていて、事件が起こるのは最後のほうである。したがって、ミステリ小説を期待する人には上巻はかなり退屈に感じるかもしれない。 しかし、この作者にしては難解な部分はほかの作品に比べ少ないので、今まで読むのをためらっていた人でも普通の読めるのではないかと思う。また、下巻からは事件も立て続けに起こり面白さが加速していくし、「悪魔」と呼ばれる人物も興味深く描かれていて、純文学嫌いの私でも楽しめた。 ただ、この作品は暗く救いのない結末を迎えるので、ハッピーエンドを期待する読者にはお勧めできない。 小口を黒くするのは、手が汚れるだけなので、個人的には必要性を感じなかった。 | ||||
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上下巻で約800ページの大作だが,一気に読み通してしまった.いや読み通させられたといった方が正確かもしれない.それほど興味深い作品だと言える. 本書を通して,人間は誰しも多かれ少なかれ天使と悪魔の心をもっていて,その悪魔のささやきに屈してしまった弱い人間が犯罪に走ってしまうということが示唆されている. また日本社会が犯罪被害者に対して,何の法的な保護もなく,そのような法整備を急ぐべきだという強いメッセージが込められている. | ||||
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まずこの作品を読んで発売前後に立て続けに起こった秋葉原無差別殺傷事件をはじめとする一連の事件との相似性に目を瞠りました。 Aという人間がBという特定の人間に対して意図を持って殺人を犯す。これが一般的に理解されやすい犯罪の形です。ところが最近の事件で犯人が犯行後に残す「殺すのは誰でもよかった」という言葉は、更なる解釈として「殺人を犯すのも(自分ではなくて)誰でもよかった」ということにならないでしょうか。 この作品でも、殺意が世の中を一人歩きしその殺意を、誰かが引き受け殺人を犯してしまうという流れが展開されています。そしてその「誰か」はその誰かである必然性はなく、匿名的に実行されるというものです。その匿名を担保するのがネット世界ということでしょう。 このネットでの匿名性を考察した同じ著者の「顔のない裸体たち (新潮文庫 ひ 18-8)」もおススメです。 | ||||
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上下でものすごい分厚い本。 私が絶賛している「模倣犯」とどっちが面白いか…というとやはり一気に読ませるという面では「模倣犯」に軍配を上げたい。 この決壊は、本当に起こってもおかしくないような現代の事件を深く取り上げられている。 ブログでしか自分の心情を告白できない父親。そのブログに気づいて、バンドル名で書き込み何かを探ろうとしている妻。その妻からの相談を受け、弟を救おうとする兄。 自分の環境があまりにも劣悪な中で育ち人間的な感情が芽生えず、自分を神と考えて無差別殺人を考え最初の犠牲者をGoogleのブログ検索で見つけ出す狂人。 自分の好きな子と付き合っている相手の携帯からその彼女の恥ずかしい写真を自分に転送し、掲示版に貼りまくってその女の子は不登校に。ばれてしまいリンチに合うのだがそのやり方が陰湿で…。なおかつそのリンチをした相手を殺さずに別の人を殺してしまう…。 もうこれでもかという殺人のシーンが描かれ、生中継中の爆破シーンなどもあり映画化すれば話題になりそうだが、とても子供は見れないという感じのストーリーになっている。 模倣犯とどこが違うのかを考えてみたら、この平野さんの方が文章に使われている単語や筋や引用が難しすぎるのだ。ダンテの神曲がどうのこうの言われても、それより早く次のシーンを…と読み飛ばしてしまいそうになる。 ただ本当に今の世の中を凝縮した感じになっており、読んでも損はないと思います。 最後の終わり方が消化不良…。 | ||||
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なってしまいました。 この物語によって語られる多数の主題は,その各々が,どれも新聞や雑誌の一面を飾るような,そんな大きなものばかりです。心の闇,残虐な犯罪,少年犯罪,報道,報道を名のるワイドショー,被害者・・・すべてが抽象的には無関係であり得ないからこそ,日常的には無関係になっている,そのようなものばかりです。 しかし,多くの人は,とりとめてそれらのことについて日常的に考えるわけではありません。おろらくそんな必要はないでしょうし,ほとんど不可能でしょう。もし,毎日そういうことに真剣に向き合ってしまえば,毎日が放心状態になってしまいます。 ところが,この小説は,日本の社会が抱える多くの問題を(それらは,次々とマスコミに取り上げられて次々と人の記憶から忘れ去られていくものですが),同時多発的に読者の顕在意識にたたきつけます。身の回りを自動的にとりまくすべてのものが,異化されます。 そういうことに無防備だと,あまりの衝撃に,思考を失います。言葉を失います。おそらくそれは,この小説にたびたび現れる,グロテスクな描写だけが理由ではないでしょう。 こうしてかろうじて感想を書くことで,その衝撃がすこしずつ和らいでゆきます。 決壊は,そういう小説です。 それでもなお,この小説を一気に通読されることをお勧めします。 足下から伸びる,一筋の微弱な光を,正面に見いだす自信があれば,の話ですが。 | ||||
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難解な部分も多いが、現代社会の暗部が緻密な分析と考察で巧みに描かれている。 「完全に善なる世界、完全なる愛の世界などというものが到来したならば、・・・最も誠実な人間は・・・最も理不尽で、最も不可解な殺人を犯すだろうね」(P261) これは、上巻の終盤で犯人が共犯者となる少年に殺人を促す会話である。この後延々に難解な会話が続くが、形而上の命題をシニカルなレトリックで語られて読み応えがある。 読み終えて、しばらく重く暗い気分に浸ってしまうが、もう一度前半の部分を読み返してみると「命の尊さ」「家族の愛」も丁寧に描写されているのが救いである。 | ||||
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帯を読んでからストーリーを進めていくのだが、何故この人物が殺されるのか?訳がわからないくらい、殺される家族の幸せな風景。それと対照的な兄貴の素行。 突然叩きつけられる展開、意外にも兄に・・・ 引き込まれ、引っ張られ、身震いしながらも、取り込まれていく自身にブレーキがかからない。 | ||||
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過去、これほどまでに読み手に試練を要求する小説は存在しなかったと思う。 作者は本作がドストエフスキーの影響下にあることを公言している。 しかし、本作はドストエフスキーですら想像できなかった現実、すなわち、唯一の希望であるはずのアリョーシャが最初に斃れて(斃されて)しまう「状況」を起点としている。(もちろん、比喩的な意味です) 市井のオッサンに過ぎない当方としては、正直言ってそのような状況には向き合いたくない。向き合いたくないが、読まなければ「こちらの負け」である。 で、嵐のようなハードパンチを耐えつつ、最終ラウンドまで戦い抜いて何が見えたか? それは、いかなる叡智・理性をもってしても、膝を折らざるを得ないほど歪んでしまった社会構造である。 そのことを持ち駒を使い切って提示した作者の努力は賞賛に値する。恐らく、今の文壇に同一テーマを描ききれる才能は他にいない。 しかし、私は本作をどうしても肯定することができない。なぜなら、衝撃的な結末に持ち込むために、他者への想像力、あるいは素直な人道主義というものが踏み台にされている気がするからだ。そこまでのニヒリズムを貫き通す必要があったのか? 小説とは「希望」や「救い」、「活路」を示すための装置だと思う。別にハッピーエンドなんて望まない。微かな光さえ示されていれば、読み手には伝わる。本作にはそれがない。 人に本作を勧めるべきかどうかも分からないし、読んだ人と本作について語り合うのも気が引ける。そもそも、本書を読むのに費やした時間が自分にとって有意義なものだったのかどうかも分からない。そういう本である。 | ||||
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結末を読んで思わず天を仰いでしまった。 事件の当事者側の様々な「決壊」が描かれており、どれもが悲劇的だ。 どうしたら決壊を未然に防ぐ事ができるのであろうか。第三者が倫理的、論理的に考えてればこのようなことはありえないことだと片付けてしまうのであろうが、当事者になったらどうか。 下巻後半の描写が絶望的なのだが、それはこの結論を読者がどう受け止めて、当事者側に立った場合のふるまいを真摯に考えさせる仕掛けになっているのではないか。 梅田望夫氏との共著「ウェブ人間論」において、平野氏は梅田氏のオプティミズムには理解を示しているのだが、少し距離をおいてネット社会を見ているように感じた。 そのことをどこまで本書に反映させようとしたのかは分からない。結果としてペシミズムの方が圧倒的に描かれているが、平野氏自身はペシミストではない。 同書と秋葉原の通り魔事件は結果的にオーバーラップするのだが、ネットの闇の部分、まだ発展途上のネット社会の姿を明らかにすることによって、決してエンターテイメントで終わらせず、「罪と罰」に匹敵するような、いやそれ以上の社会喚起をもたらそうとしているのではないか。 装丁もこれまでにはないもので、インパクトがあり帯にも工夫がある。また、熱中して読んでいるとページを繰る指先が黒く汚れ、紙にも黒く指紋が残るようになっており、本の内容と合わせて読者に深い記憶を残す仕掛けになっている。 | ||||
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著者に対しては「大人顔負けの作文や絵を描く少年」という先入観があり、本作においても「仰々しい」描写が散見されるが、扱っているテーマは極めて切実だ。中でも注目するのは、「幸せになりたい」という、至極まっとうで善良な願望も、社会全体が何十年と追求した果てには究極の「悪」を生んでしまうという救いがたい矛盾だ。もはや教育とか治安とかをいじってもどうにもならない次元にまで現代人は到達してしまったのか。登場人物の中の2人は、立場は正反対ながら、こうした「絶望」においてはほとんど共通している感がある。「それをいっちゃあおしまい」の「それ」を真正面から突き付けてくるだけに、読後落ち込むことは必至だ。ぼくたちはここから立ち上がれるのだろうか。 | ||||
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あらゆる暴力と、それに飲み込まれる人々の苦悩を精緻な文章で描いており、あっという間に引き込まれ、いっきに読んだ。 苦しみがついに決壊してしまう主人公を通じて、人は、人をゆるすことを果たしてできるのか考えさせられた。 また、悪意の前で人が何をできるのか。 現代に生きる私たちへの問いかけなのだろうか。 本は装丁が凝っていて、ページの端が黒く塗られており、ページをめくっているとインクで指紋が端についてしまう。 「読み手も、手を汚しながら読むべきだ」と装丁の方が考えられたそう。 本を汚したくない人は、ページをピンセットでめくりながら読もう。 | ||||
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